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名セリフを言いたがる役者は二流である…何でもこなせる高倉健が生涯「不器用な男」を演じ続けた理由

プレジデントオンライン / 2022年11月30日 10時15分

撮影=山川雅生

2014年に83歳で亡くなった俳優・高倉健さんは、数々の名セリフで知られる。だが、高倉さんは台本に名言があっても、あえてしゃべらないことがあったという。『高倉健 沈黙の演技』(プレジデント社)を出したノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。(第3回)

■その特徴は“演じすぎない”こと

『高倉健 沈黙の演技』(プレジデント社)にはわたしが考え抜いた演技の特徴についてまとめてある。以下はそのなかの一部だ。

高倉健の演技の流儀でもっとも大きな特徴は“演じすぎない”ことだ。

アクションシーンであっても、若いころは別として、目を剥(む)いたり、大声で怒鳴り続けたりすることはない。日常の会話シーンでも喜怒哀楽をあらわにしたりはしない。セリフは低い声でゆっくりと語る。

また、酒に酔った演技でも、酔っぱらいの真似をして、ろれつが回らないようなしゃべり方をすることはない。

『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年)では炭鉱労働者に扮(ふん)した志村けんが酒に酔って暴れるシーンがある。足取りもおぼつかない。酔っぱらいを酔っぱらいらしく演じる。

一方、高倉健も酒を飲んでいるけれど、酔っぱらった風情ではない。志村けんに比べると飲んだ量が少ないという設定なのだろう。駅長というキャラクターも考えた真面目な酔い方を演じている。

一般の駅員や公務員はべろべろになるまで酒を飲むことはない。そこまで考えて酒を飲んだ男を演じている。酒を飲んだからといってすぐに酔っぱらいの真似をするのは素人の役者だ。ただし、志村けんの場合はべろべろに酔っぱらう役を演じていたので、演技が下手だというわけではない。

■酒を飲む演技だけでも引き出しが多い

『あ・うん』(1989年)では高倉健と三木のり平が屋台で酒を酌(く)み交わすシーンがある。

ふたりとも相当、飲んでいると思われるが、そこでも高倉健は酔っぱらいの真似はしていない。しどろもどろにもならない。しかし、素面(しらふ)でもない。酒を飲んだ人間がはっきりしゃべろうとする様子を演じている。

高倉健は酒を飲んで酔っ払うという演技だけでも引き出しが多い。そして、引き出しが多いのはそれが演技だからだ。

べろべろに酔った男を真似ることはできる。しかし、一方で静かに酔う姿を演じることは簡単ではない。よほど、役のキャラクターを考えていなくてはできないことなのである。

酔っぱらいに限らず、怒ったり、笑ったりすることでも、彼がやっているのは物まねではなく、演技だ。役柄を考えたうえで自然体でその場の状況に合わせている。そして、自然な感情で演じる。

高倉健の演技は抑制されている。

観客はスクリーンに映る演技を見ながら、なお、高倉健の置かれた状況を想像している。理不尽な目に遭った高倉健が目を剥いて怒らないことに不満を持つ。だが、高倉健は観客が不満を感じるように演技している。抑制された演技でなければ観客はのめりこまないことをちゃんと知っている。

■立っているエキストラに椅子を2脚持っていき…

スタジオやロケの現場に行くと、大勢のスタッフが働いている。高倉健は入ってくると、まずスタッフにあいさつする。監督、キャメラマン、大道具、小道具の人たちにあいさつして、その後で共演者にあいさつする。

あいさつされるのを待つのではなく、自分から声をかけていく。

『鉄道員』の時、彼が来るのを待っていた看護師姿の女性エキストラが東映大泉撮影所の隅に立っていたら、高倉健が折りたたみ椅子を2脚持ってあいさつに行ったところを見た。

彼はこう言っていた。

「初めまして、高倉です。よろしくお願いします。ずいぶん、お待たせしてすみません。本番までまだ時間ありますから、これに座って待っていてください」

そこにいる人たちは全員、彼が高倉健だと知っている。それでも、あいさつの初めは「高倉です。よろしくお願いします」なのである。それは、「高倉健です」と自ら名乗れば、相手が喜ぶと知っているからだ。

そして、撮影所、もしくはロケ現場に来て、初対面のスタッフを見かけると、誰であれ、彼は必ず「高倉健です」と声をかける。

「一緒に、この映画をいいものにしましょう」という意味を込めて。

映画はチームで作るものだとわかっているからだ。

撮影所に入り、あいさつをした後、必ずセットと小道具をチェックする。撮影の前の儀式のようだ。

高倉健氏
撮影=山川雅生

■カメラが回っていない時の準備がすごい

『あなたへ』(2012年)の撮影で、彼が妻役の田中裕子とアパートの窓から外を見てしゃべるシーンがあった。1分ほどのシーンで、映画のなかで重要な場面でも何でもない。しかし、実際にはそのシーンのために半日かけて撮影をする。

高倉健はセットの部屋に入り、玄関からの動線を確認し、アルミサッシのドアを開けていた。初めての動作だと、アルミサッシを開けるだけで、戸惑いの表情が顔に浮かんでしまうからだ。

そこに住んでいる男としては何気なくドアを開けなければならない。ただし、彼は引っ越してきたばかりという設定だから、あまりずかずかと歩いたりはしない。それもまた演技の準備だ。

それからカメラの位置を確認し、録音技師と話し、監督と打ち合わせする。共演者とも打ち合わせをする。カメラが回っている時だけが演技なのではない。演技に至るまでのすべてが準備であり、演技の一部だ。

スタッフ、共演者を大切にすることは映画をいいものにするために必要なことだ。だから彼は毎回、セットをチェックし、小道具を手に取る。

■撮影現場で「絶対に座らない」理由

役になりきるために減量や増量をしたり、歯や髪の毛を抜いたりするアプローチを「(ロバート)デ・ニーロ・アプローチ」という。

高倉健もまたそれに劣らず徹底的な準備をして撮影に臨む。

『四十七人の刺客』(1994年)では入浴シーンがあるから肉体改造をした。時代劇だったから、和服と刀の生活に慣れるために1カ月以上も身に着けて暮らした。

アクションシーンで動ける体を作るために70歳を超えてからもジョギングを欠かさなかった。酒、タバコをやめ、朝食はフルーツとヨーグルト。遅くまで起きていることもなかった。自分を律することが仕事の範疇に入ると思っていたのだろう。

高倉健氏
撮影=山川雅生

そして、彼は撮影現場でも入念に準備をする。

例えば、彼は撮影現場では絶対に座らない男として知られる。

本人は「気を充実させるため」と答えているが、それだけではない。

わたしは『鉄道員』の撮影現場、東映大泉撮影所へは、ほぼ毎日、見に行った。そうでなければインタビューができないからだ。彼は誰が何回、見に来ているのかまでちゃんと把握していた。

「野地ちゃん、よく来てるね。オレと(小林)稔侍と安藤(政信)ちゃんの次だな」

そう言って、声がかかるとやっとインタビューできるわけだ。

話は戻るが、『鉄道員』の撮影では駅長の制服を着る。しわひとつない制服、ズボンで撮影に臨まなくてはならない。もし、椅子に座ってスタンバイしたら、ズボンにしわが寄ってしまう。彼はそれを嫌った。美意識としても嫌ったけれど、もし、大きなしわが寄るとフィルムに映ってしまう。

■スターであり続けるためにほぼ毎日散髪に行く

すると、フィルムとフィルムをつなぐことができない。スターにはアップのシーンがあるから、服に限らず、シーンとシーンがつながる時は同じ格好でなくてはならない。例えば、漁師役で頭にタオルを巻いているとしたら、スターはつねに同じ巻き方で撮影に臨まなくてはならないのである。

彼はほぼ毎日、品川にあった理容室「バーバーショップ佐藤」に行き、髪の毛を整えてもらい、ひげをそっていた。それは顔がアップで映るからだ。ひげが伸びたり、髪の毛のスタイルが変わったりしてしまえばフィルムがつながらない。だから、毎日のように散髪をした。

ロケの場合でも、髪の毛が伸びないよう、1週間に一度は佐藤英明(バーバーショップ佐藤のオーナー)さんに来てもらってカットしていた。

わたしは名人、佐藤英明さんがアフリカロケに付いていったことも本人から聞いた。その後のロケにも佐藤さんは可能な限り時間を作って、高倉さんの髪の毛を切りに行っていた。

どうしても佐藤さんが行くことができない場合は専属のヘアーメイク担当の佐藤さん(女性)がやった。事前に毛のカットの仕方、スタイルの整え方を名人の佐藤英明さんから習って、その通りにやる。

ヘアーメイクの佐藤さんが「私には名人のようにはできない」と嘆いていたことも知っている。

■インタビュー時の配慮も一流だった

そういう基本を大事にしているのが高倉健だ。大事にしているからこそスターが務まる。ストイックなだけではなく、当たり前の小さな基本を彼はずっと大切にしていた。

撮影で使う小道具も一度は使って機能を知っておく。置き場所も決めておく。撮影前に録音部のマイクに話しかけて、どれくらいの音量で声が入るのか、雑音は混じっていないかも確認していた。

もっといえば、撮影所に向かう道も毎日、決めていた。運転するのは専属のドライバーだ。茶色のデイムラー・ダブルシックスに乗って、約束した時間に着くように行く。

一度だけ、品川のホテルから大泉学園駅の撮影所まで乗せてもらったことがある。後ろの座席に座って、インタビューしたからだ。

車が動き出す前に高倉健とドライバーが打ち合わせをしていた。話していたのは撮影所までのルートだった。

「今日はインタビューをやるから、高速ではなく下道を通ろう。高速だとタイヤの音が入る。録音しなきゃいけないから静かな道で行こう」

そこまで考えて撮影所までの道を選んでいたのである。

また、彼は現場ではメモをしていた。演技のこと、セリフのこと、革製のブックカバーに入れた台本にはさまざまなことをメモしていた。

思うに、彼は失敗を恐れる俳優なのだろう。そして、名優とか演技派と呼ばれないように気を遣っていた。「スターから演技派になった」と言われることもまた彼にとっては失敗だ。かれはずっとスターでいる道を選んだ。

■観客の心を揺さぶるのは名セリフだからではない

高倉健の名セリフとしてよく挙げられるのが『駅 STATION』(1981年)の倍賞千恵子とのラブシーンの後の言葉だ。

「樺太まで聞こえるかと思ったぜ」

もしくは任侠映画で使われた「死んでもらいます」だろう。

だが、本人は名セリフを必要としていない。名セリフをしゃべることに対して、忸怩(じくじ)たる気持ちを持っている。

「ありがとう」とか「すみません」という普通の言葉を発することで観客の心を揺さぶりたいと思っている。だから、台本に名セリフが入っていても、「飛んだ」ふりをしてしゃべらない。『あなたへ』では、しゃべりたいセリフしかしゃべらなかった。

野地秩嘉『高倉健 沈黙の演技』(プレジデント社)
野地秩嘉『高倉健 沈黙の演技』(プレジデント社)

だが、日常のなんでもない言葉だけで観客を魅了するのは練られた名セリフを発するよりもはるかに難しいことだ。

映画の名演技とはセリフをうまくしゃべることではない。大げさな動きでもなければ感情を爆発させることでもない。顔の演技でもない。

何もしなくとも、セリフを発しなくとも、観客に存在を感じさせることだ。

それができたのが高倉健だった。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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