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海のない奈良から「高級トラフグ」を初出荷…関西の秘境・天川村の未来を託された27歳の挑戦

プレジデントオンライン / 2022年12月17日 10時15分

トラフグの初出荷までこぎつけた下西勇輝さん。 - 筆者撮影

今年8月、奈良県天川村からトラフグが初めて出荷された。海のない奈良県で、なぜ海水魚であるトラフグが獲れるのか。山奥でトラフグの養殖をする下西勇輝さん(27)の挑戦を、インタビューライターの池田アユリさんが取材した――。

■フグ科のなかで最も高価な「フグの王様」

奈良の市街地から車で約2時間。“酷道”とも呼ばれる国道309号線の急カーブをいくつも経て、奈良県天川村(てんかわむら)にたどり着いた。車を降りると、森が迫ってくるような感覚になる。

人口は1300人ほどで、65歳以上の高齢化率は51.04%(10月1日時点)の小さな村だ。この山深い里山から、今年8月、養殖された高級魚「トラフグ」が初出荷された。

トラフグとは、フグ科のなかで最も高価であることから「フグの王様」と呼ばれており、主に日本海や東シナ海などに生息している海水魚だ。それが海なし県である奈良で立派に育った。

卸した数は124匹。体重約1キロに成長した天川村のトラフグは、村内の今西商店などに出荷され、刺身やふぐちり鍋用として販売された。

卸先のフグ調理師からは、「歯ごたえがいい!」「このサイズにしては味がしっかりしてる」とお墨付きをもらい、味の評価は上々だったという。

「山でフグを育てる?」という意外性から、テレビ局や新聞など、さまざまなメディアが注目。大手寿司チェーン「くら寿司」も視察に訪れるなど、飲食業界からも熱い視線を浴びている。

取材の日、私が向かったのは、廃校になった旧天之川(きゅうてんのかわ)小学校の校舎だった。窓が緩衝材に覆われた教室に足を踏み入れると、黒板はそのままだが机やイスはなく、代わりに大きな生け簀(いけす)があった。

トラフグを養殖している生け簀
筆者撮影
トラフグを養殖している生け簀。 - 筆者撮影

直径約3.5メートル、高さ1メートルの水槽が2つと、浄化槽が1つ。そのなかで来年出荷予定の小さなフグたちが勢いよく泳いでいた。

水槽には10トン、浄化槽には6トンの人工海水が入っている。

■村の未来を託された27歳

この養殖場をほぼ一人で管理し、トラフグの初出荷までこぎつけたのは、27歳の下西(しもにし)勇輝(ゆうき)だ。

大学で水質を学んでいた下西は、ひょんなところから天川村でフグの養殖に携わった。いまでは水面の微妙な違いでフグの体調を見極める、まさにトラフグ養殖のエキスパート。水槽のそばで、赤子を見守るようにフグたちを見つめる姿が印象的だった。

奈良県天川村から初出荷された「トラフグ」。
写真提供=天川村
奈良県天川村から初出荷された「トラフグ」。 - 写真提供=天川村

「生き物を育てるのは想像以上に大変でした。今年出荷できましたけど、まだまだ実験段階のところがあるので、ホンマこれからです。近い将来、『天川村なら珍しいもん食べられるから行ってみよう』って人がたくさん来てくれたらいいなって、赤字覚悟でやってますね」

天川村で下西の存在を知らぬ者はいない。2018年にトラフグの養殖の責任者となってから、村民から「村の未来を託す存在」と呼ばれるようになった。

天川村の住民の思いを一身に受け、トラフグの養殖を成功させた下西。トラフグという高級魚を、いったいどうやって育ててきたのだろうか? 彼とフグの、「紆余(うよ)曲折の道のり」を聞いた――。

下西さん
筆者撮影
村民から「村の未来を託す存在」と呼ばれるようになった。 - 筆者撮影

■本当はスーパーに就職するはずだった

2017年の冬、岡山理科大学で水質を学んでいた大学4年生の下西は、就職活動を終え、研究室の後輩への引き継ぎに追われていた。卒業間近のある日、研究室の山本俊政准教授から連絡が入る。

「奈良県天川村の役場の人が視察にくるんだけど、会ってみない?」

天川村は、大峰山や洞川(どろがわ)温泉などの観光資源が多い自然豊かなところだ。地元の五條(ごじょう)市が近かったこともあり、下西は二つ返事で会うことを決めた。

天川村を流れる天ノ川(てんのかわ)。
筆者撮影
天川村を流れる天ノ川(てんのかわ)。 - 筆者撮影

そこで出会ったのが、天川村役場の現課長である弓場儀一郎氏だった。弓場課長は肌が色黒く、ややこわもてな顔つきだったので、下西は一瞬たじろいだという。「役場じゃなくて、ヤクザの人かなって(笑)」と、初対面の印象を振り返る。

少し言葉を交わしたあと、弓場課長から「よかったら卒業後、うちでフグの陸上養殖をしない?」と誘いを受ける。

(えっ……天川村でフグの養殖?)

と、「山×フグ」というアイデアに下西は驚いた。

この提案の背景には、村の観光業の衰退があった。

天川村は、夏場は避暑地としてレジャー客で賑(にぎ)わうが、冬場は寒さが厳しく観光客が激減する。弓場課長と当時の村長らは、「冬場の目玉となるような特産品をつくれば、観光客を呼び込めるのでは?」と考え、冬に最盛期を迎える「フグ」に着目。トラフグの陸上養殖に白羽の矢を立てたのだ。

弓場課長は、フグを育てるための人工海水について相談するため山本准教授のもとを訪れており、「可能なら協力してくれる人を見つけたい」と思っていた。

突然の申し出に戸惑ったが、子どもの頃から海水魚を飼うことに憧れていた下西にとっては、願ってもないチャンスだった。

天川村役場。
筆者撮影
天川村役場。 - 筆者撮影

■天川村の地域おこし協力隊に

弓場課長から、「まずは地域おこし協力隊として、トラフグ養殖プロジェクトに携わってほしい」という提案を受けた。下西は「すぐにでも行きたい」と思い、面談を兼ねて一度天川村を訪ねた。

そのままプロジェクトに参加するのかと思いきや、大学卒業後は内定先である広島県のスーパーマーケットに就職。実は、すぐに飛び込めない理由があった。

地域おこし協力隊の応募要項では、過疎地域から過疎地域への移住は認められていない。本籍地である五條市は過疎地域で、下西は対象外だった。

考えた末、内定先の会社に事情を話し、いったん広島県で働かせてもらい、本籍地を移動させることにした。3カ月ほど勤務したあと、天川村の地域おこし協力隊に応募し、無事内定。2018年9月14日、下西は天川村に移住した。

山深い天川村。
筆者撮影
山深い天川村。 - 筆者撮影

トラフグの養殖は、廃校になった旧天之川小学校で行うことがすでに決まっていた。そのため最初の仕事は、養殖を行う校舎の大掃除。使われなくなって16年がたつ教室で、下西は「どこに水槽を置こうか」とワクワクしながら想像を膨らませた。

ただ、いざふたを開けてみると、養殖の知識を持つ人は自分だけであることに気がつく。まるで荒野に一人立たされた思いだったが、固唾(かたず)をのんで見守る弓場課長や同僚の姿を見て、下西は「ここでフグの養殖を成功させよう」と奮い立った。

廃校になった小学校の外観。ここでフグの養殖が行われている。
筆者撮影
廃校になった小学校の外観。ここでフグの養殖が行われている。 - 筆者撮影

■陸上養殖にこだわる理由

トラフグの養殖には、「海面養殖」と「陸上養殖」がある。

古くから行われている海面養殖は、海に囲い網や生け簀を設置して飼育する方法だ。ただ、自然災害の影響を受けやすいのが難点とも言われる。今年、熊本県の沖合で、赤潮の影響により8万5000匹の養殖トラフグが大量死したと報じられた。また成魚になるまで2、3年ほどの時間を要する。

そう考えると、環境に左右されにくい陸上養殖に注目が集まるのは必然かもしれない。海なし県の奈良には海面養殖の選択肢はないのだが、陸上養殖は水質やエサの管理がしやすい特徴がある。さらに、1年~1.5年ほどで成魚になり、出荷できるようになるメリットもある。

教室の扉にはトラフグのポスター。
筆者撮影
教室の扉にはトラフグのポスター。 - 筆者撮影

下西は、「この時代だからこそ、陸の養殖をするべきだと思うんです」と語る。

「海面養殖は、海の面積が広すぎるから魚がなんぼフンしたっていいわけです。でも、それは海に少なからず影響を与えていますよね。人間が自分らのエゴで食べるものは、自分らの手で管理せなアカンのちゃうんかなって思います」

下西が養殖方法に「閉鎖循環式」を選んだのも、将来的に必要不可欠な方法だと考えたからだった。

このシステムは浄化槽にいるバクテリアを使い、フグのフンに含まれるアンモニアを硝酸塩に変え、きれいな人工海水として水槽へと循環することができる。海から塩水を運ぶ「かけ流し式」よりも水質や水温の管理がしやすく、河川や海に影響を与える心配もない。

教室の入り口には「トラフグ学級」のプレート。
筆者撮影
教室の入り口には「トラフグ学級」のプレート。 - 筆者撮影

■300匹の稚魚から始まった試験養殖

2019年、トラフグの陸上養殖が試験的に始まった。教室内に設置された水槽は1つ約60万円。資金は役場から出ている。下西は「こんなに投資してもらって、絶対に失敗できない」と思った。

まずは活(い)きの良い成魚20匹を仕入れ、フグの皮膚からとれるバクテリアを水槽内で増やしたあと、300匹の稚魚を投入。そこで下西は、天川村の水がフグの養殖に適していることに気が付く。

「人工の塩を溶かして海水をつくるときに、ここの水がちょうどフグに合ったpH(水素イオン指数)になるんです。カルキが少ない天川村の水で育てるトラフグは、きっとおいしいに違いないって思いました」

ただ、水のきれいな里山だからこその悩みもあった。冬の天川村はマイナス0度以下になる日もあり、古い校舎の底冷えする寒さで水槽内の水温が下がり、フグの成長に支障をきたす恐れがあった。

そのため、下西は窓や外壁に外気が入り込まないように板や緩衝材を貼り、エアコンやストーブで室内を一定の温度に保った。「冬は一日に灯油まるまる一缶なくなるので、ガソリンスタンドには3日に一度は往復しています」と下西は言った。

フグを見守る下西さん。
筆者撮影
フグを見守る下西さん。 - 筆者撮影

■噛みつき合いで半数が死んだ…

陸上養殖の試験運用を初めて2カ月後。稚魚が一回り大きくなったころ、トラブルが起きた。フグ同士の「噛みつき」だ。

フグ科のなかでもトラフグは「歯切り(歯をニッパーなどで切ること)」をする必要がある。なぜなら、ストレスが原因で周りの魚を傷つけることがあるからだ。しかし、1匹ずつ手に持って行う歯切りは、人間の体温でフグがやけどしてしまうリスクもある。

下西はそのことを知っていたが、業者から「この塩分濃度ならストレスによる噛みつきはないだろう」と聞き、「しなくて済むなら、しないでおこう」と考えた。

ところが、フグが成長すると、骨まで見えるほどのひどい噛みつき合いが起こり、フグの半数が死んでしまった。自分の知識不足でフグを死なせてしまい、下西は自責の念に駆られた。

「いままで水質の勉強はしていたけど、魚の生態について知らないことが多すぎる……」

そこで下西は、ネットで検索してフグの生態についての論文を読みあさった。フグの陸上養殖業者にも連絡を取り、「どうしたら噛みつきが起きませんか?」「安全な歯切りの方法はありますか?」と、すがる思いで指導を仰いだ。

時には、「同業者には教えられない」と門前払いを食らうこともあったが、へこたれずに電話をかけると、数カ所の養殖業者はいくつかのアドバイスをくれた。下西は「もうフグたちを死なせたくない」と思いながら必死にメモを取った。

なぜ、下西はここまで心血を注ぎながらフグの養殖に向き合うのだろうか?

「“海なし県”の地元で海水魚を飼うことが夢だったので、ホンマうまいこと運命が転がったなぁと驚いてます」と語る、彼の道のりに焦点を当てよう。

■さかなクンに嫉妬した少年時代

下西と魚の接点は、「さかなクン」から始まった。2006年、小5だった下西が家でテレビを見ていると、魚類学者でタレントの「さかなクン」が登場。そこで、ある感情を抱いた。

「初めてさかなクンを知ったんですけど、彼があまりにもおもしろそうに魚の話をするから、子どもながらにすごい腹が立っちゃって……(笑)。『うちは海ないのに、なんでこんなに海のこと楽しそうに話してんねん!』って思いました」

海なし県である地元に対してコンプレックスがあったのかもしれない。「僕が知らないものをこの人は知っている」ということも、嫉妬心を覚えた要因だった。数年後、さかなクンの存在は、下西の将来を決める重要な着火剤になっていく。

県内の進学校である智辯(ちべん)学園中学校に通っていた時だ。ある日、テレビの映像にくぎ付けになった。それは夕方のニュースで、同じ水槽内にタイと金魚が一緒に泳いでいる映像だった。

海水魚のタイと淡水魚の金魚が一緒に泳ぐことは、通常ならば不可能だが、岡山理科大学の山本准教授は、海水魚にとって必要最低限の成分を含みながら、淡水魚も生きていける人工飼育水「好適環境水」を完成させた。この情報を知った下西は、雷に打たれたような思いがした。

「山本先生が作った塩水っていうのが、まだ海という概念がない、恐竜がおった時代の水に近いものなんです。そういうのって、見ただけで記憶にパッと残りますよね。その時の僕は水槽の中で海水魚が飼えるって知らんもんで、『これやったら“海なし県”でも海の魚を持ってこられる』って思いました」

当時のことを語る下西さん。
筆者撮影
当時のことを語る下西さん。 - 筆者撮影

■「生き物を粗末にしたくない」

その後、下西は智辯学園の高等学校に進学。担任の先生に今後の進路について問われた時、ふと、さかなクンと岡山理科大学のニュースを思い出した。

「そうだ。あの教授の大学に入って、水質の勉強をしよう!」

思い立った下西は、推薦枠を狙うため生徒会の会計係になり、野球部の試合や学校行事の裏方を行った。そのかいあって、岡山理科大学のバイオ応用化学科に推薦で合格。3年生まで座学を学び、4年生で念願の山本准教授の研究室に入った。そこでさまざまな魚と触れ合い、充実した日々を過ごす。

ただ、いいことばかりではなかったという。ある時、魚の養殖業者から試験用のフグ150匹を買い取った。だが次の日、研究室を訪れると、100匹が死んでいた。はっきりとした原因はわからなかったが、移動によるストレスでフグが弱り、体内に寄生虫が発生したのではということだった。フグはうろこがないため、病原菌や寄生虫が侵入しやすいのだ。

その後、「少ない匹数では試験ができない」ということで、新しいフグを入れるために残りの50匹を処分することになった。

「僕はそれにひどく参ってしまって……。実験中に死んでしまうなら原因の解明につながるけど、こういう死に方はその命が意味のないものになってしまいます。ただ生まれて死ぬだけみたいな。それがすごくつらかったんです」

胸を痛めた生き物が「フグ」だったというのも、未来への伏線だったのかもしれない。以来、下西は「人間の勝手で生き物の命を粗末にしたくない」と強く思うようになった。

■高齢者ばかりの村だからこそ

時を経て、2020年の春。天川村でトラフグの養殖の実験を行っていた下西は、「近い将来、フグを捌(さば)ける人が必要になる」と考え、まずは自分がフグ調理師免許を取得しようと調べ始める。

ただ、免許を取得するための講習会は、奈良県内で10人以上集まらなければ開催されないことになっていた。

「逆を言えば、天川村で免許を取りたい人が10人以上いたら、こっちで開いてくれるかも……」

そう思った下西は弓場課長に相談。弓場課長が奈良県庁に掛け合い、天川村で講習会の開催が決定した。さっそく募集をかけると、定員20名のうち16人の村民が集まった。

中でもひときわ目立っていたのが、食事処兼お土産屋「今西商店」の今西親子だった。

「フグの捌き方が初めてとは思えないくらい上手でびっくりしましたね。村内で魚類の販売許可を持っているのも今西商店だけなので、天川村のフグを捌いて売るのはほぼ今西さんたちです」

今西商店。平日だが食事を楽しむ客で賑わっていた。
筆者撮影
今西商店。平日だが食事を楽しむ客で賑わっていた。 - 筆者撮影

今西さんのような人が天川村のフグに注目するのは、観光客の減少だけでなく、村の「人口の流出」が深刻な問題となっていたからでもある。

林業が主な産業だった天川村は、ピーク時の1956年には人口が約6000人いたが、林業の衰退にあわせて人口も減少の一途をたどり、現在ではわずか1300人になった。

過疎化に立ち向かう村民にとって、観光客の呼び込みや雇用の創出が見込めるフグの養殖はまさに「期待の星」。だからこそ、ひたむきな下西の姿勢に心を動かされた村民たちがいた。

「下西くんにはこれからもがんばってもらいたい」と話す今西さん。
筆者撮影
「下西くんにはこれからもがんばってもらいたい」と話す今西さん。 - 筆者撮影

「将来、フグを食べに天川村に来てくれる人がいたら……」
「若者が村のためにがんばってくれるのがうれしいよ」
「どうか、うちの村を生き返らせてね!」

暮らしのなかで、村民らの応援の声が届く。下西はプレッシャーで身が縮まる思いをしたが、それと同時に「お世話になっているみんなの役に立ちたい」と思った。

天川村の洞川温泉街。
筆者撮影
天川村の洞川温泉街。 - 筆者撮影

■200匹の稚魚を仕入れて本格スタート

2年間の試験運用を経て、2021年の夏、初出荷に向けて200匹の稚魚を仕入れた。市場に出荷するには、体重800グラム以上の成魚にしなければならない。下西は個体を大きくするため、適切な水質と水温かどうかを確認しながら、1日6回のエサまきを続けた。

昨年試食した個体は「身が柔らかい」という意見があったため、身を引き締めるために水流発生器でフグたちを運動させる対策も行った。

魚粉を原料としたエサ。
筆者撮影
魚粉を原料としたエサ。 - 筆者撮影

フグたちの体重は少しずつ増えたが、まだまだ出荷できるほどには至らない。下西が頭を抱えていると、あるフグの養殖業者が視察に訪れ、鶴の一声をくれた。

「その人は2日に1回しかエサをやらんって言うんです。なぜかって尋ねたら、『人間もそうやけど、胃が空っぽのところにカロリー高いもん食べたら太りやすいやろ。フグも一緒なんじゃない』って言われたんです。それに、エサは水でふやかしてからまくそうで、『人間でも水を飲まんと米がつっかえてしんどいでしょ』って。実際まねしてみたらフグの成長が早くなったんです。まさに目からうろこでした」

アドバイスを実践し、フグの体重は500グラムから1キロに。しかし、またもや苦難に襲われた。

2022年の初夏、出荷前にきれいな水で泳がせようとフグたちを一度水槽から小型のタンクに移した。タンク内の人工海水に酸素を注入していると、その量が多すぎてフグの体のぬめりがはがれ、白い腹が赤くただれてしまった。

「人間でいうと、超乾燥肌みたいな感じです……。それからは簡易的なタンクじゃなく、3トンぐらいの水が入るプールに移し替えるようになりました。最後まで本当に気が抜けなかったです」

この影響で70匹の成魚が死んだ。出荷直前の大きな失敗だった。トラフグを飼うことの難しさを何度も痛感しながらも、下西はめげずに飼育し続けた。

■生き残った124匹を初出荷、その味は…

2022年8月、天川村のフグ124匹が初の出荷を迎えた。トラフグは冬が旬だが、夏に卸すことができたのは陸上養殖ならではだろう。

天川村のフグを口にした役場の人たちは、「身のコリコリが最高やな!」と歓喜の声をあげた。卸先となるフグ料理店からは、「歯ごたえがいい」と太鼓判を押され、下西自身も「身がしっかりしてて、甘かったです!」と自信をのぞかせた。来年の出荷依頼も魚屋や飲食店から続々と来ているそうだ。

水槽を元気よく泳ぐトラフグの稚魚たち。
筆者撮影
水槽を元気よく泳ぐトラフグの稚魚たち。 - 筆者撮影

山奥でのフグの養殖は、「毒なしフグをつくる」という挑戦でもあった。天然のトラフグは毒を持つ貝やヒトデを食べることで内臓に猛毒を蓄え、日本で年間約30件のフグ毒中毒が発生している。だが、養殖のものは人工エサだけを与えるため無毒のフグになるのだ。育てたフグを調べるため、下西は日本食品分析センターに有毒部位である肝を送った。

「やはり無毒だったんです。海のない奈良県産のフグなら、毒のある天然ものが混ざる心配がないから、いつか特許が取れたらいいなと思ってます」

■目標は「絶対黒字化」

今年は水槽を倍に増やし、3000匹の稚魚を飼育しているという。

「寝ても覚めても、この子らのことを考えています。たまに全滅した夢を見て、うなされることもありますね(笑)。休みの日は朝起きてすぐに水槽のライブ配信(役場専用)を見ながら、『みんな、生きとるか~?』ってチェックしてます」

休日の朝は必ず確認するという、水槽のライブ配信。
筆者撮影
休日の朝は必ず確認するという、水槽のライブ配信。 - 筆者撮影

「今後の目標は?」と聞くと、下西は「絶対的な黒字化です」と答えた。

室内を暖めるための灯油代や電気代、下西自身の人件費は、数百匹を売るだけではまかなえない。民営化するには、3年はかかるだろうと見込んでいる。

一筋縄ではいかないトラフグの養殖――。それでも下西が奮闘を続けるのは、「未来のあるべき姿」に揺るぎない思いがあるからだ。

「人間が生きていくためには、絶対に何かしらの命を奪わないといけないです。でも、僕たちはその命の使い方をしかるべき方法でとってるんだろうかって、よく考えるんです。海や山で取ったものを食べてきたけど、不均衡になって地球がおかしなことになってるなと感じます。人間が使うもんは、自然に影響を与えない程度に自分らで作るのが正しいんかなって。僕が取り組む養殖も、未来の地球にとってありなんじゃないかと思います」

いつか天川村のフグが全国の食卓に並ぶことを想像しながら、彼の生き方に大きな可能性を感じた。さかなクンにジェラシーを感じていた少年はいま、自然と共存するためのイノベーションを起こそうとしている。

下西さんの挑戦は続く。
筆者撮影
下西さんの挑戦は続く。 - 筆者撮影

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池田 アユリ(いけだ・あゆり)
インタビューライター
インタビューライターとして年間100人のペースでインタビュー取材を行う。社交ダンスの講師としても活動。誰かを勇気づける文章を目指して、活動の枠を広げている。2021年10月より横浜から奈良に移住。4人姉妹の長女。

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(インタビューライター 池田 アユリ)

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