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勝てば「日本万歳」、負けると「戦犯叩き」…W杯で「にわかサッカーファン」が大量発生するメカニズム

プレジデントオンライン / 2022年12月1日 15時15分

1次リーグ初戦でドイツに逆転勝ちし、歓喜する若者=2022年11月24日未明、東京都渋谷区 - 写真=時事通信フォト

■歴史的勝利で活気づく「にわかファン」

「初戦ドイツに勝って、みなさんが勝手に鬼の期待をしていただけ、僕はがっかりしていない」

サッカー日本代表のコスタリカ惜敗後、ABEMAで解説をしていた元日本代表FW本田圭佑氏がそのように語ったことを受けて、ネットでは「にわかファン」の問題が注目を集めている。

これまでの大会でもたびたび指摘されてきたが、日本ではワールドカップの本戦が始まった途端、普段はまったくサッカー場にも行かず、テレビ観戦もしていない人々が「あれ? そんなキャラだったっけ?」と周囲がドン引きするほど熱烈なサポーターに豹変(ひょうへん)するパターンが多い。

ビール片手に「打てっ! なんでそこで打たねえんだ、あーあ、使えねえな、こいつは!」などと絶叫をして、勝手に鬼の期待をかけて、勢いあまって渋谷でハメを外して大騒ぎをしたりするのだ。

また、ベテランのサッカーファンによれば、そのような「にわかファン」にかぎって、試合で負けると「戦犯探し」に熱中しがちだという。今回も一部の選手が「お前のせいだ」「もう試合に出るな」など心ない誹謗(ひぼう)中傷を受けており、Twitterでは「戦犯探し」がトレンド入りをしたが、それもドイツ戦の歴史的勝利で「にわかファン」が急増したからかもしれない。

■「ナショナリズムが刺激されるから」は本当か

さて、そこで気になるのはなぜ日本ではワールドカップのたびに、雨後のタケノコのように「にわかファン」が湧いて出てくるのか。

よく言われるのは、「ナショナリズム」の影響だ。今回も試合結果を受けて、暴動が起きている国があることからもわかるように、サッカーワールドカップにはナショナリズムを刺激して、一部の群衆を攻撃的にする「効果」があることがわかっている。実際、過去にはW杯で対立した国同士が、本物の戦争へ発展したケースもあったほどだ。

つまり、アジア予選リーグではシラけているのに本戦に出られることになると急に「にわかファン」が増えるのは、日本人が強烈にナショナリズムを刺激されているからだというのだ。

ただ、個人的にはこの説はあまりピンとこない。「にわかファン」の中には確かに渋谷で大騒ぎをするような人たちもいるが、他国のように暴徒化するわけではない。ナショナリズムはヘイトクライムにつながりがちだが、ロシアのウクライナ侵攻時、在日ロシア人に嫌がらせをしたようなことを、ドイツ人やスペイン人に対してやったなんて話も聞かない。

では、ナショナリズムの影響ではないとしたら、なにが人々を「にわかファン」に駆り立てているのか。筆者は日本人の「強すぎる承認欲求」が影響しているのではないかと考えている。

■順位よりも「日本人スゴイ」がニュースに

普段はサッカーにそれほど興味のない日本人が、なぜ代表チームが「世界のひのき舞台」に立った途端、強烈なサッカー熱を発揮するのかというと、「日本」に勝ってほしいからだ。では、なぜ「日本」に勝ってほしいのかというと、世界に「日本ってすごいな」と認めてもらいたからではないのか。

実際、このような傾向は戦前からある。例えば、1935年2月、阪上安太郎という日本人競泳選手がオーストラリアのシドニーで水泳大会に出場した。阪上選手は風邪を引いて高熱を出していつもの実力が出せず結果は3着だったが、その結果よりもメディアが大きく取り上げたのは「阪上の大和魂 濠洲で絶賛」(読売新聞1935年2月9日)というエピソードだ。

「レース後阪上選手の病気を傳え聞いた濠洲の人々は日本人の責任感の強いのに絶賛を浴びせている」(同上)

なぜ試合内容よりも「日本人が褒められた」ということがニュースになっているのかというと読者、つまりは当時の日本人がこのような「日本人スゴイ」話が大好物で、新聞の売れ行きにも影響を与えるからだ。

これは87年を経た今回のワールドカップでも同様で、サポーターがゴミ拾いをしたとか、代表チームのロッカーがピカピカだったということが大きなニュースになっているのは、われわれ日本人は外国人に褒められる話が大好きだからだ。では、なぜ好きかというと、「強すぎる承認欲求」を満たしてくれるから、と考えればすべて辻褄が合う。

■世界と比較してわかる日本の若者の「異常」

「いい加減な話を憶測でしゃべるな! ワールドカップで“にわかファン”が増えるのは、メディアでサッカーの魅力が繰り返し伝えられるからだろ」という感じで、不愉快になられる方も多いかもしれないが、実はこの説にはちゃんと根拠がある。

実はあまり語られることはないが、われわれ日本人は「1人ぼっちだと自己肯定感が異常に低いが、“日本人”という集団になると急に自信を取り戻して堂々とする」という世界的に見てもかなり珍しい気質をもった国民なのだ。

それがうかがえるのが、内閣府が2019年に公表した「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査(平成30年度)」である。これは13歳から29歳を対象に、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン、韓国、そして日本の若者にさまざまな意識調査を実施して比較をしたものだ。

ここではさまざまな「日本の若者」だけに見られる特徴が浮かび上がったのだが、その中でも「異常」というほどの顕著な違いを見せていたのが、「圧倒的な自己肯定感の低さ」だ。

■「謙遜」のレベルを超えた自己肯定感の低さ

「私は、自分自身に満足をしている」という質問に対して「そう思う」と回答した割合は、ほかの国の若者が86.9%〜73.5%におさまっているのに対して、なんと日本の若者は45.1%しかいなかった。

「長所があるか」「自分の考えをはっきり相手に伝えることができる」という質問も軒並み同じ傾向で、日本だけが顕著に低い。こうなってくると、もはや「謙遜」とか「奥ゆかしい」というレベルではない。

「こんな調査はインチキだ」という人もいるだろうが、同様の結果は山ほどある。例えば、2018年に独立行政法人・国立青少年教育振興機構の「高校生の心と体の健康に関する意識調査報告書(概要)――日本・米国・中国・韓国の比較――」も衝撃的な結果だ。

4カ国の高校生に「私は価値のある人間だと思うか」という質問をしたところ、「そうだ」「まあそうだ」と答えた割合はアメリカは83.8%、中国は80.2%、韓国は83.7%であるのに対して、日本は44.9%となった。

高校生の子を持つ親ならば胸が張り裂けそうな話だが、日本の高校生の過半数は「自分は価値のない人間だ」と思いながら青春を送っているのだ。

■6割の人が「日本人であることに誇り」

なぜ日本人だけはこんなにも自己肯定感が低いのか。幼い頃から学校や家庭で「自分勝手な行動でみんなで迷惑をかけるな」と叩き込む日本式教育のせいか、それとも「和をもって尊しとなす」という日本社会の同調圧力がそういう人間を育むのかは定かではないが、ひとつだけはっきり言えることがある。子どもや若者がこんなに自信なく生きているのに、中年以降になって急に自信満々になるということなどありえない。

つまり、日本人は諸外国の人々と比べて、「自分に自信がない人が多い」という特徴があるということなのだ。

しかし、そんな弱気な日本人が、まるで二重人格のように自信満々になる瞬間がある。もう予想できるだろう、そう、「自分は誇り高い日本人の一員だ」と自覚をした時だ。

お弁当サイズの日の丸
写真=iStock.com/ediebloom
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ediebloom

先ほどの内閣府の調査の中に、「自国人であることに誇りを持っている」という質問がある。この結果を見ると、「はい」と答えた割合はアメリカ(80.4%)が最も高い。次いで、スウェーデン(77.7%)、イギリス(75.6%)、フランス(73.8%)、ドイツ(66.5%)、そして日本(61.2%)となっていて、日本は韓国(53.1%)よりも高い。

■ワールドカップは自信を獲得する最高の機会

つまり、日本人というのは「個人」でいると自己肯定感も低くて、「どうせオレなんて」と自信なさげなのだが、「自分は日本人だ」と自覚をすると途端に、諸外国並のナショナリズムが発動をする、という二面性を持っているのだ。

筆者はこのユニークな国民性が「にわかファン」を大量に生み出すメカニズムではないかと思っている。

多くの日本人は低い自己肯定感を抱えながら、毎日必死に生きている。今の自分にも満足できない。自分は何も長所がないつまらない人間だと卑下している人もいる。言いたいことが言えずに、腹の中に不満をグッと抑え込んでいる人もいる。

では、そんなストレスフルな毎日を送る「自分に自信のない日本人」の耳に、サッカー日本代表がワールドカップに出場するという話が飛び込んだら、一体どんなアクションをとるか想像していただきたい。

かなり多くの人が「にわかファン」となって熱烈に応援するのではないか。全世界が注目をするひのき舞台で、日本人が活躍して称賛されるかもしれない。その瞬間を目撃して、仲間や家族と大喜びするというのは、「自分は誇り高い日本人の一員だ」と自覚できる最高の機会だからだ。

見方を変えれば、「自信のない日本人」にとって、ワールドカップで「にわかファン」になるというのは一種の「自信獲得のための儀式」のようなものなのだ。

■オリンピックでも「にわかファン」は急増する

「侮辱するな!」と怒りに震える「にわかファン」の方もいらっしゃるだろうが、決して「にわかファン」を批判や揶揄(やゆ)しているわけではない。日本人の中には、「スポーツ」を純粋に楽しめず、「自国民の優秀さ」と重ねてしまう人がかなりいる、と指摘したいのだ。実際にこれまでの「国家」を背負って戦うスポーツイベントを振り返ってみてもそうだった。

その代表が、オリンピックである。よく言われることだが、オリンピックを日本のように国中で熱狂しているのは、中国、北朝鮮、ロシア、東南アジアの一部などだけで、欧米やその他の国では「なんだかよく知らないアマチュア選手が頑張っているな」くらいのノリで観戦しているような国が多い。

暗闇で照らされている五輪マーク(モントリオール)
写真=iStock.com/BalkansCat
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/BalkansCat

しかし、日本ではそれまで体操や柔道の試合を観戦したことがない人たちが、オリンピックになるとテレビにかじりついて「感動をありがとう!」とか絶叫をする。ワールドカップ以上に「にわかファン」が急増するという現実があるのだ。

■あんなに熱狂してもスポーツ自体に興味はない

「そ……それはオリンピックによってスポーツの魅力に気づく日本人が多いからだろ」と反論をする人も多いだろうが、それは事実とはかなり異なる。

NHK放送文化研究所の「人々にとっては“東京五輪・パラ”とは何だったのか〜『東京オリンピック・パラリンピックに関する世論調査』より〜」によれば、大会後に「スポーツへの関心が高まった」と回答した人の割合は46%と半数にも満たない。さらに、「競技場でスポーツ観戦したくなった」は24%、「スポーツ中継が見たくなった」も21%という衝撃的な結果が出ている。

つまり、あれほどオリンピックで大騒ぎをした後でも「8割の日本人」はスポーツ観戦やスポーツ中継に興味がわかなかったというわけだ。ということは、オリンピックで盛り上がっていた時も、実は「スポーツ」などそっちのけだったという人もかなりいたということでもある。

では、なんであんなに「メダル」に大騒ぎをしていたのかというと、「日本人が世界からどう見られるのか」ということの方に熱狂していたのではないか。

■自信を持つのは自由、ただリスペクトは忘れずに

もちろん、すべての日本人がそうだったなどと言っているわけではない。オリンピックが大好きで、国や人種を問わずに純粋に競技を楽しんでいた人も多くいただろう。

ただ、先ほどの戦前の「日本スゴイ」報道を見ても分かるように、日本人は昔から国際的なスポーツ大会を、「日本人の優秀さ」を世界に知らしめる場所だと思い込んできた。

だから、負けると選手を執拗(しつよう)に叩いてしまう。「日本人の優秀さ」を世界に知らしめることができなかったので、その悔しさ、承認欲求が満たされないストレスを選手に八つ当たりしてしまうのだ。

 勝てば「日本万歳」、負ければ「戦犯探し」というのもスポーツの醍醐味だという意見もあろうが、こんなにも感情的になってしまうのは、やはり「日本人の優秀さ」に酔いしれたいだけの「にわかファン」だからではないか。スポーツ自体への興味がないにしても、せめて選手へのリスペクトだけはしっかりと持っていただきたいものだ。

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窪田 順生(くぼた・まさき)
ノンフィクションライター
1974年生。テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者等を経て現職。報道対策アドバイザーとしても活動。数多くの広報コンサルティングや取材対応トレーニングを行っている。著書に『スピンドクター“モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)、『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)など。

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(ノンフィクションライター 窪田 順生)

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