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ウクライナとは絶対に手を組まない…「ハンガリーのトランプ」がロシアに同調する"したたかな理由"

プレジデントオンライン / 2022年12月13日 9時15分

ブダペストの首相官邸で記者会見に臨むロシアのプーチン大統領(左)とハンガリーのオルバン首相(右)=2019年10月30日 - 写真=AFP/時事通信フォト

東欧・ハンガリーは「親ロシア」の姿勢を取る。オルバン首相はウクライナへの支援に消極的だが、多くの国民はそれを支持している。毎日新聞の三木幸治記者は「オルバン首相はウクライナに住むハンガリー系住民を支援してきた。ウクライナに冷たい理由はここにある」という。三木さんの著書『迷える東欧 ウクライナの民が向かった国々』(毎日新聞出版)からお届けする――。

■欧米から叩かれるハンガリー首相が国民から支持されるワケ

オルバン氏が国際的に脚光を浴びたのは2015年だった。シリア紛争などで混迷する中東、アフリカから約100万人の難民・移民が欧州に流入し、「欧州難民危機」が発生した。オルバン氏は難民らを受け入れたドイツなど西欧諸国に反旗を翻(ひるがえ)し、欧州で最も早く国境に壁を設置し、難民らを排除した。そして、「キリスト教文化の欧州に、イスラム教徒は必要ない」と声高に主張し、「反移民」を掲げた。

ポーランド、チェコ、スロバキアなど、難民らを受け入れる経済的余裕がない国々はオルバン氏に強く賛同。難民問題を巡って、EUは「西欧」と「東欧」で鋭く対立した。EUは東欧の経済力を引き上げるために巨額の支援を続けており、東欧からEUに反旗を翻すのは、異例のことだった。

オルバン氏は「自分たちの権利を主張できる強いリーダー」として、国内外で評価を高めた。オルバン氏は2010年以降、4回の選挙で圧勝。オルバン氏の統治が長くなるにつれ、ハンガリーはEUの中でも特異な国家に変わっていった。欧州よりロシアに近い強権国家になりつつあるのだ。

ハンガリーの歴史を少し、振り返ってみる。ハンガリー人(マジャール人)は東方からやってきた遊牧民族が祖先とされる。他の東欧諸国はスラブ民族が多いが、ハンガリーは異なる。言語もフィンランド語に比較的近い独特の言語で、隣国の国民とは意思疎通できない。

ハンガリー人は、西暦1000年にキリスト教を受容し、ハンガリー王国を成立させた。だが、16世紀にオスマン・トルコ帝国、17世紀にはウィーンを首都とするハプスブルク帝国の支配を受けた。民族主義の高まりを受け、帝国内で自治権を獲得すると、第一次大戦後にハンガリー王国を復活させた。

■300万人の国民が離れ離れになった

第二次大戦後は、旧ソ連の勢力圏に入り、社会主義国となる。民主化を達成したのは、1989年だ。その後1999年には北大西洋条約機構(NATO)、2004年に欧州連合(EU)に加盟し、名実ともに欧州の一員として、経済発展を続けてきた。オルバン氏が政権を取る2010年までは、ポーランドとともに「東欧の優等生」と呼ばれていた。

オルバン氏は政権奪取後、真っ先に他国に住むハンガリー系住民の支援に取り組んだ。ハンガリーは、オスマン・トルコなどに支配されながら数百年間、広大な領土を維持してきたが、第一次大戦後に独立する際、1920年のトリアノン条約で、領土の3分の2を失っている。

ハプスブルク帝国の崩壊後、ハンガリーが強国になることを恐れた西欧諸国による決定だった。国境線が引き直され、当時のハンガリー系住民約1500万人のうち、約300万人がウクライナ、ルーマニア、セルビア、スロバキアなどの隣国に所属することを余儀なくされた。

ヨーロッパの地図
写真=iStock.com/wsfurlan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/wsfurlan

隣国との摩擦を生むため、ハンガリー政府が隣国のハンガリー系住民に関与することは、これまでタブーだった。だが、オルバン氏はこの問題に果敢に切り込んだ。

オルバン氏は2011年に憲法改正を実施し、新憲法にこう書き込んだ。「ハンガリー政府は国境を越えてハンガリー系住民の運命に責任を持たなければならない」。ウクライナ・ザカルパチア州に事務所を構えるハンガリー民族政党「ハンガリー文化同盟」のラースロー・ブレンゾビッチ党首(55)は、声に力を込める。

「他国のハンガリー系住民は初めて、母国から法的に身分を認められたのです」

■ハンガリー系住民の保護にこだわる数少ない政治家

ハンガリーは1989年の民主化後、自らの国を立て直すことに精いっぱいで、隣国に住む同胞に目を向ける余裕はなかった。だがオルバン氏は政権を取る前から、ハンガリー系住民の保護にこだわる数少ない政治家だった。

2004年には、当時、野党党首だったオルバン氏の主導で、周辺国のハンガリー系住民に市民権を与えることの是非を問う住民投票が実施された。だが、当時の中道左派政権は冷淡だった。「貧しい隣国からハンガリー系住民が大勢流入すると、ハンガリー国民の社会保障が脅かされる」と反対したのだ。住民投票は結局、全有権者の4分の1以上の賛成という要件を満たせず、成立しなかった。

政権奪取後、オルバン氏の動きは早かった。祖先が1920年以前にハンガリー王国内に住んでおり、一定程度のハンガリー語を話せる住民に対し、市民権を与える法律を制定したのだ。他国のハンガリー系住民はハンガリー政府に税金を支払っていないにもかかわらず、選挙権などを得られるようになった。

さらに、オルバン氏はハンガリー系住民の居住地域に財政支援を始めた。幼稚園、小学校などに資金援助して現地のハンガリー語教育を充実させ、ハンガリー語のメディアにも補助金を支出した。中小企業や工場、レストランにも出資し、現地の雇用確保に貢献した。

ウクライナでは他国政府による政党への支援が禁止されているが、オルバン政権は「(裏で)ハンガリー民族政党も手厚く支援している」(ベレホベのペトルシュカ市長)という。隣国のハンガリー系住民への支援額は、2019年で計1300億フォリント(約480億円)に上る。ハンガリー国内のスポーツ予算(1200億フォリント)、高等教育への予算(1600億フォリント)に匹敵する額だ。

■権力維持のための票田

なぜ、オルバン氏はハンガリー系住民の支援に、こだわるのだろうか。

「目的は大きく分けて二つある」。ハンガリー社会科学センターのバールディ・ナーンドル主任研究員は語る。

一つは、国民の民族意識を高揚させることだ。ハンガリーは民主化以降、欧米からの投資を受け、経済を発展させてきた。2004年に念願だったEU加盟を実現し、より多くの企業がハンガリーに進出した。だが、米国で起きたリーマン・ショックが2009年、欧州に波及。海外債務が大きかったハンガリー経済は大打撃を受け、ハンガリーから投資を引き上げる欧州企業が続出した。危機の際にハンガリーを見捨てた西欧を、ハンガリー人は容易に信頼できなくなったのだ。

「オルバン氏は、『ハンガリー人の連帯』を訴えることで、『西欧化』という目標を失った国民のアイデンティティーを刺激し、政権の求心力を高めようとした」(ナーンドル氏)という。

もう一つは、他国のハンガリー系住民を自らの「票田」にすることだった。先述したカタリン・バルナさんのように、選挙権を得た他国のハンガリー系住民はオルバン氏を救世主とあがめる。2018年の選挙では、ハンガリー系住民の96%がオルバン氏率いる与党に投票した。

特にオルバン氏に喝采を送ったのが、EUに未加盟で、1人あたりの国民総所得(GNI)が、隣国で最も低いウクライナのハンガリー系住民だった。

■ウクライナに取り残された自国民

ザカルパチア州では、約14万人のハンガリー系住民が国境沿いに集中する。同州は元々ハンガリー領だったが、第一次大戦後にチェコスロバキア領になった後、一時自治権を持った。1939年にハンガリーが奪い返したものの、第二次大戦後に旧ソ連が占領。最終的に旧ソ連の一部だったウクライナに組み込まれたという複雑な歴史を持つ。

ウクライナを脱出するための列車を待っている難民
写真=iStock.com/Ruslan Lytvyn
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Ruslan Lytvyn

ウクライナは1991年に独立。南部のクリミアは自治権が認められ、独自に議会を設置した。「当時、首都キーウから遠いザカルパチア州でも自治権獲得の動きがあった」。歴史家のジュラ・コスチョー氏は説明する。1991年に自治権獲得を巡る住民投票が実施され、7割以上が自治権取得に賛成したが、ウクライナ政府には無視されたという。

ベレホベでカフェを経営するヤキメツ・ムリコラさんは言う。「遠いキーウからザカルパチア州のことがわかるわけがない。国土が広大なウクライナは連邦制にして、地方のことは地方で決めるようにするべきだと思う」

オルバン氏は2014年5月10日、議会でこう発言している。「ウクライナに住むハンガリー人には自治権を持つ資格がある。我々は国際政治の場で、彼らの権利を追求し続ける」。オルバン氏は、ハンガリー人が自治権を獲得することを後押しし、事実上ハンガリーの支配下に置く意欲を示したのだ。

■ウクライナの親米政権成立の余波

ザカルパチア州に投資する余裕がないこともあり、オルバン政権の行動を黙認していたウクライナ政府だが、2014年、状況が大きく変わった。反政府デモでウクライナの親露政権が倒れたのだ。親米政権ができることを嫌ったロシアは、軍事的な要衝であるウクライナのクリミア半島を一方的に編入。親露派武装勢力は同国東部の支配を目指し、ウクライナ軍と衝突した。

同年6月に就任したウクライナのポロシェンコ大統領はロシア側との紛争に危機感を強め、国民の連帯を促した。だが、その呼びかけはハンガリー系住民にも意外な形で波及する。ハンガリー民族政党「ハンガリー文化同盟」のブレンゾビッチ党首は言う。

「2014年以降、ポロシェンコ氏はメディアを使い、外国人を敵とするプロパガンダを流し始めた。最初は国内にいるロシア系住民だけが対象だったが、続いてハンガリー系住民も攻撃対象になった」。

極右団体は「ロシアだけでなく、ハンガリーもウクライナの領土を奪おうとしている」と主張。ザカルパチア州では、ハンガリー人の「処刑」を訴えるデモが繰り返されるようになった。2018年、ハンガリー文化同盟が入る建物は2度も放火された。

さらにウクライナ政府は2017年、小学5年生以上の子供に対し、ウクライナ語の学習を義務づける法律を制定した。多くのハンガリー系住民はハンガリー語の学校に通っていたため、オルバン氏は強く反発した。ウクライナ政府に対抗するため、クリミアの編入を理由にEUから制裁を受けているロシアのプーチン大統領と手を組んだのだ。

■ロシアに同調する歴史問題の根深さ

ウクライナは欧州諸国の一員となるため、NATO、EUへの加盟を宿願としている。だが、両組織への加盟は全加盟国の同意が必要だ。NATO、EUの加盟国であるハンガリーは、ウクライナの加盟に強く反対し始めた。ウクライナが両組織に入った場合、自国への脅威が高まると考えていたロシアに同調したのだ。

三木幸治『迷える東欧 ウクライナの民が向かった国々』(毎日新聞出版)
三木幸治『迷える東欧 ウクライナの民が向かった国々』(毎日新聞出版)

2019年10月に開かれたNATOとウクライナとの協議ではこんな一幕もあった。ハンガリーは当初、双方の連携を促進する共同声明に反対。声明は全会一致での採択が必要だったため、最終的には「少数民族の権利保護」を文言に入れることで折り合った。

ウクライナのハンガリー系住民は、オルバン氏の意向に従い、本気で自治権を獲得しようとしているのだろうか。筆者の質問に、ハンガリー文化同盟のブレンゾビッチ氏はこう答えた。「ウクライナ政府はもう信用できない。我々は自分たちのことを自分たちで決める」。オルバン氏の「反ウクライナ」の姿勢は、大ハンガリー主義を巡って既に明確になっていたのだ。

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三木 幸治(みき・こうじ)
毎日新聞記者
1979年、千葉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、2002年に毎日新聞社入社。水戸支局を経て、東京本社社会部で東京地検特捜部を担当。その後、中部報道センターなどに勤務し、2016~2020年にウィーン特派員。2021年4月からエルサレム特派員。

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(毎日新聞記者 三木 幸治)

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