200人がセルビア兵に犯され、虐殺された…ボスニアの人気温泉施設が「レイプ・ホテル」と呼ばれるワケ
プレジデントオンライン / 2022年12月15日 10時15分
■「まるで奴隷だった」ボスニアに残る戦争の爪痕
「セルビア兵に息子を殺され、私は性的暴行を受けて、強制労働までさせられた。そのうえ大金を払う? あり得ない」。東部トゥズラ近郊に住むセムカ・アジッチさん(64)は、声を荒らげた。
加害者を有罪に追い込むだけでは、「復讐(ふくしゅう)」は終わらない。精神的な苦痛を受けた代償として、慰謝料を支払ってもらう必要がある。多くの被害女性はそう考えている。だが、ボスニアでは驚くべきことが起きた。司法が、女性たちの「復讐」を阻(はば)んだのだ。
ボシュニャク人のセムカさんは北部の小さな村に住んでいた1993年、セルビア人兵士に自宅を襲撃された。捕虜収容所に連行され、兵士に何度もレイプされたという。当時19歳の息子は、セムカさんが連行されている間にいなくなり、遺体で見つかった。殺害された理由は今も不明だ。
収容所から解放され、自宅に戻っても、悲劇は終わらなかった。毎朝、セルビア兵はセムカさんらをトラックに乗せて連行し、強制労働に駆り出した。多くの場合、セルビア人有力者の農地で、農作業に従事させられたという。
「まるで奴隷だった」。セムカさんは振り返る。セムカさんの加害者は紛争後、当局に訴追され、懲役3年の有罪判決を受けた。セムカさんは2013年、弁護士の力を借りて、加害者に損害賠償を求める民事訴訟を起こした。
■司法が阻んだ、女性たちの「復讐」
だが1年後、予想外のことが起きた。ボスニア・ヘルツェゴビナの憲法裁判所が、「加害者への損害賠償には時効があり、犯罪が起きてから5年以内に訴訟を提起しなければならない」とする決定を出したのだ。
セムカさんの訴訟は審理されることなく、却下された。そして、裁判所はその後、セムカさんに訴訟費用3000マルカ(約20万円)を請求した。
裁判所はこれまで、3度にわたって督促状(とくそくじょう)を送りつけてきた。セムカさんは、うち2枚を破り捨てた。筆者に見せてくれた3枚目は、これから破って川に流す予定だという。
警察は強硬姿勢をみせる。セムカさん同様、敗訴後に訴訟費用を支払わなかった被害者の自宅に押し入り、金品を押収するケースもあるという。被害者への支援を行うNGO「TRIAL」のアディサ・バルクシヤさんは、「PTSDを抱え、紛争の後遺症と闘っている被害者に、『いつか警察がやってくる』という恐怖が増えた。自殺未遂をした被害者もいる」と憤りを隠さない。
セムカさんは決然とした口調で語る。「これ以上、私に失うものはない。警察が何か持って行きたいのなら、それでも構わない」
■忘れられたセルビア人の被害者
ボスニア紛争では、軍事力で優位に立ち、大規模な虐殺を行ったセルビア人が「加害者」、ボシュニャク人らが「被害者」と受け止められがちだ。だがボシュニャク人だけでなく、セルビア人、クロアチア人の女性もそれぞれ、敵対した民族からの性暴力を受けた。
それにもかかわらず、国際社会から関心を持たれることは少ない。
「我々は何重にも『見えない存在』となっていたのです」
セルビア人が多数住む「スルプスカ共和国」最大の都市、バニャルカ。小学校で図書館司書をしているボジツァ・ライリックさん(50)は、険しい表情を見せた。彼女はセルビア人の性暴力被害者で、スルプスカで初めて、被害者支援団体を立ち上げた女性だ。
「欧米のジャーナリストはほとんど私のところに来ない。あなたは日本に真実を伝えてほしい」。ボジツァさんは強い口調で訴えた。
ボジツァさんは紛争前、ボシュニャク人が75%を占める北東部スレブレニクで小学校教師をしていた。紛争が始まると、ボシュニャク人はセルビア人の市民を「何の理由もなく」拘束した。収容所では殴る蹴るの暴行や、性暴力を受けた。
「『お前の兄(セルビア人兵士)はもう死んだ。お前は一人ぼっちだ』と言われ、絶望的な気持ちになった」。収容所を出られたのは約1年後だった。
紛争が終わっても、セルビア人の性暴力被害者が救済されることはなかった。一方、隣のボスニア連邦では、アメラさんらの活躍で2006年、性暴力被害者への補償制度が創設された。「同じ国なのに、なぜスルプスカでは制度ができないのか」。ボジツァさんが立ち上がったのは、2012年だ。
■同じ性暴力の被害者団体でも連携はできない
ボジツァさんによると、当初、団体に集まった被害女性は36人。今では650人に増えた。ボジツァさんは行政に対し、補償制度の創設を何度も訴えた。ボスニア連邦より経済的に苦しいスルプスカ当局は色よい返事をしなかったが、2018年、ついに決断した。
被害者に、毎月の補償金を支払うことにしたのだ。
ボスニア連邦のアメラさん、そしてスルプスカのボジツァさんは同じ性暴力被害者だ。彼女たちは連携しているのだろうか。
「(アメラさんらの)活動は尊敬している。スルプスカの法律はボスニア連邦を参考にしているからだ。でも一緒に働くことはできない。彼女たちは嘘をついている」。ボジツァさんはそう強調する。
ボジツァさんの説明はこうだ。ボスニア側は、性暴力被害者を2万5000人としているが、実際はもっと少ないはずだ。彼女たちは、イスラム教徒が多いトルコや中東諸国から支援を受けており、「紛争の被害者はイスラム教徒だ」と訴えるため、数字を誇張している、という。だが、ボジツァさんから、数字を嘘だと断じる根拠は示されなかった。
ボジツァさんとアメラさんの団体は数年前、同じイベントに出る機会があった。だが、お互いに「あなたたちは嘘をついている」と非難し合い、とても協力し合える雰囲気ではなかったという。
■営業を再開した「レイプ・ホテル」
紛争後、ボスニアは、ボスニア連邦とスルプスカ共和国に分かれた。だが、双方の間に「国境」があるわけではない。
ボスニアからスルプスカに車で入っても、「スルプスカ共和国」と書かれた看板があり、スルプスカの旗がはためいているだけだ。日本でいうと、東京都から千葉県や埼玉県に入るのと同じ感覚と言える。
だが人々の心には、「国境線」が引かれている。多くの人々は、多数の自民族が殺害された相手側の「国」に足を踏み入れようとしない。
「両国」では、学校で使われている教科書も違えば、テレビや新聞などが報じる内容も異なる。紛争についても、両国で異なる「事実」が当たり前のように流布している。
そのことを具体的に示す事例が、アメラさんの故郷ビシェグラードにあった。
街の中心部から車で5分。うっそうとした森の中に、古びたホテルが建っている。温泉を使ったプールが売り物の「ビリナ・ブラス」だ。このホテルは、ボシュニャク人から、通称「レイプ・ホテル」と呼ばれている。
■200人の女性がレイプされ、殺された
セルビア兵がボシュニャク人の女性約200人をここに連れ込んで拘束し、ベッドや水の入っていないプールで性的暴行を加えた後、多くの女性を殺害したとされる。紛争の戦犯を裁く旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY、本部オランダ・ハーグ)でも、性暴力の事実は認定されている。
だが、ホテルは紛争後、当時の建物のまま、営業を再開したのだ。
紛争前、ボシュニャク人約6割、セルビア人約3割だった街の住民は、セルビア人約9割、ボシュニャク人約1割に変わった。性暴力の事実は、セルビア人が多数を占める当局によって「隠蔽(いんぺい)」されてしまったのだ。
筆者は2018年3月、このホテルを訪れた。取材に同行してくれていたボシュニャク人の助手と運転手は、私をホテル前に下ろすと、「明日昼に迎えに来る。我々は一刻も早くこの町から出たい」と言って、去っていった。
観光シーズンではないが、ホテルは多くの観光客が宿泊していた。駐車場は8割方、車で埋まっている。多くは隣国のセルビア、モンテネグロのナンバープレートだ。
ホテルに入ると、レセプション、エレベーターとも旧ユーゴ時代に建てられたことを感じさせる年代物だった。受付の女性に「1泊したい」と申し出たが、英語が通じない。館内には英語の表記がなく、欧米の観光客は訪れないようだ。
■当時の光景とのギャップが大きすぎた
身振り手振りで、何とか部屋を確保した。廊下には赤い絨毯が敷かれ、部屋のドアは濃い茶色に塗られている。これらの一室一室で性暴力が行われていたと想像すると、身の毛がよだつ。
私が取った部屋はシンプルなシングルルーム。アメラさんによると、ベッドのマットレスは新しくなっているが、ベッドフレームは当時のままだという。
このホテルの名物である温泉プールにも入ってみた。子供から高齢の夫婦まで、約30人が思い思いにリラックスしていた。彼らは、ここで惨劇が起きたことなど知るよしもないのだろう。
プールの深さは約1.5メートルぐらいだろうか。ここに連れ込まれたら逃げるのは困難だったに違いない。当時の光景と目の前でプールを楽しむ人々のギャップが大きすぎて、私は吐き気を催した。
その日の夜はなかなか寝付けなかった。眠りも浅く、何者かに何度も襲われる夢を見た。
■「性暴力や戦争犯罪に使われたなんて、聞いたことがない」
翌日、街に出て、人々にビリナ・ブラスについて聞いてみることにした。街のシンボルである世界遺産ソコルル・メフメト・パシャ橋の付近を歩いていると、ヤコフ・ニキトビッチさん(24)が「遊覧船に乗らないか」と声をかけてきた。
ヤコフさんにビリナ・ブラスのことを聞いてみたが、「戦後の生まれだから、戦争の記憶はない」と話し、「ビリナ・ブラスが性暴力や戦争犯罪に使われたなんて、聞いたことがない」と、首をすくめた。
ヤコフさんの誘いに乗り、観光客用の遊覧船に乗った。街を流れるドリナ川を北上すると、両岸に民家が見える。アメラさんの実家は川沿いにあったという。視界にある家のどこかで、アメラさんの人生を変えた惨劇が繰り広げられたのだろうか。
ガイドのネナド・シミッチさん(35)は橋の美しさやこの町出身のノーベル文学賞作家、イヴォ・アンドリッチの説明などをしてくれた。欧米から来た観光客数人は無邪気に記念撮影をしていた。ネナドさんはツアー中、一切紛争の話をしなかった。
ツアー終了後、ネナドさんにもビリナ・ブラスについて聞いてみた。ネナドさんは、「私はビリナ・ブラスの近くに住んでいるが、あそこは紛争中、傷ついた兵士を治療する救急病院として使用されていたはずだ」と主張した。そして、性暴力については「偽造された情報だ。あなたは嘘を信じ込まされている」と一蹴した。
■過去はこうして塗り替えられていく…
遊覧船を下り、橋のたもとで日光浴をしていたライカ・ユバノビッチさん(79)にも話を聞いた。ライカさんはセルビア人だが、紛争中、ボシュニャク人が多数派だったサラエボを離れ、ビシェグラードに避難したという。
「戦争犯罪については聞いたことがない。この町では何も問題がなかった」と何度も繰り返した。
国際的な定説とは異なる「事実」が流布するこの町で、ボシュニャク人とセルビア人が和解する姿を想像するのは、極めて難しい。筆者はビシェグラード市にビリナ・ブラスでの性暴力について見解を求めたが、回答はなかった。
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毎日新聞記者
1979年、千葉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、2002年に毎日新聞社入社。水戸支局を経て、東京本社社会部で東京地検特捜部を担当。その後、中部報道センターなどに勤務し、2016~2020年にウィーン特派員。2021年4月からエルサレム特派員。
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(毎日新聞記者 三木 幸治)
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