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長生きしたければテレビは捨てろ…老年医学の専門医が「テレビを信じると早死にする」と警告するワケ

プレジデントオンライン / 2022年12月9日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Anchiy

高齢者はテレビをよく見る。しかし、そこには危険性もある。老年医学の専門医である和田秀樹さんは「テレビの『かくあるべし』に従って自粛生活を続けていたら、多くの人が歩けなくなってしまうだろう。テレビは二分割思考という極端な手法を使うので、見続けると大変なことになる」という――。(第2回)

※本稿、和田秀樹『テレビを捨てて健康長寿 ボケずに80歳の壁を越える方法』(ビジネス社)の一部を再編集したものです。

■テレビによって増幅される「認知の歪み」

テレビによってより増幅される「認知の歪み」は、うつ病になりやすい不適応思考という思考パターンであると認知療法の世界で考えられているものです。そして、前頭葉を使わなくなるため、脳と心の老化につながるとも考えられます。不適応思考には12パターンあり、これは、テレビ番組が使う「手法」によって説明することができます。そのなかの主なものを紹介していきましょう。

互いに相反する「たった2つの見方」だけが提示されて、そのどちらかしか思いつかないようになった場合の思考パターンが〈二分割思考〉です。これは先ごろ起きた安倍元総理の殺害事件を報じるテレビ報道に顕著に表れていました。

当初、この事件は政治的テロの可能性を疑われていましたが、今では、韓国に本部を置く新興宗教である旧統一教会に入信した母親から、児童虐待を受けていたサバイバーの男性によるものと判明しています。事件の背景には、児童虐待のサバイバーにしばしば見られる複雑性PTSDの心理がからんでいるように思いますが、ここで書きたいのは、加害者のことではなく、亡くなった安倍元総理の「報じられ方」です。

■すべてを敵と味方に分ける「二分割思考」

最初に断っておくと、私は「政治家としての安倍晋三氏」の支持者ではありません。私は自分のメールマガジンや、各誌紙で自民党のコロナ対策や安倍さんの言動を厳しく批判してきました。しかし、その一方、私は「一個人としての安倍晋三氏」には好感をもっていました。

何度かお目にかかった際には、いっさい偉ぶることもありませんでしたし、その後、ワイン好きの安倍夫人が私の開いたワイン会にいらした際には、夜更けに夫人を心配して、電話をかけてきたこともありました。こんなに気さくで、愛妻家の政治家がいるのだと、驚いたことを覚えています。

この、私の感情は、アンビバレンツというよりも多様な形です。政治家としての安倍さんは評価できないところもありますが、私人としての安倍さんには敬愛の念を抱く。テレビはこうした感情の多様性を認めません。亡くなった安倍さんの業績を称揚する番組と、亡くなった安倍さんの業績を否定する番組の2つだけ。これがまさしく、〈二分割思考〉です。

道路の両側で互いに向かい合って立っている男女は、赤い線で割った。離婚、別れ、国境、障壁、ブレグジットの概念
写真=iStock.com/Vitezslav Vylicil
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Vitezslav Vylicil

安倍氏の味方なのか。安倍氏の敵なのか。どっちの立場だ? あるいは、安倍氏はいい政治家なのか、悪い政治家なのかの二者択一です。テレビが言うのは、これだけなのです。味方と敵とか、いい悪いの間には、それこそ私のように、複雑で広大なグレーゾーンの感情があるはずなのですが、テレビはそれを認めません。こうした番組に毒されると、視聴者の感情もまた複雑さや多様性を失い、周囲の人を「敵か、味方か」「正義か悪か」でしか見られないようになってしまうのです。

老化によって、前頭葉の萎縮が進んだ高齢者が〈二分割思考〉に陥るとどうなるでしょうか。

近所に必ずいるであろう――わずかなごみの分別の違反を探すために、他人の出したごみ袋を勝手に開けて、出した住民に苦情を言う。あるいは、隣の部屋の住民のちょっとした生活音にキレて怒鳴りこむ――自警団的老人を思い起こしてください。彼らは悪と決めつけた人に、何の事情の考慮もできなくなってしまっているのです。

■急増した「高齢者ドライバー」による事故報道

ある特定の出来事を、その出来事の固有性を無視して、強引に一般化してしまう認知の歪みが〈過度の一般化〉です。その具体例として、私はよく高齢者ドライバーをめぐる奇妙なテレビ報道を挙げています。

2019年に東京・池袋で発生した自動車事故以来、テレビでは「高齢者の免許返納」を促す報道ばかりが目につくようになりました。この事故は、確かに痛ましいものです。青信号の交差点に突っ込んできた暴走車によって、31歳の母親と3歳の娘さんが命を奪われたのです。この暴走車を運転していた人物が87歳であったことから、キー局やNHKは突然、高齢者ドライバーによる事故ばかりをピックアップして放送するようになりました。

■「高齢者ドライバーの重大事故が多発」はただの思い込み

この流れには、明らかに警察機構による指導(圧力)があると思いますが、ともかく、「高齢者ドライバーによる事故」ばかりを見せられた世間は、いつの間にか「認知機能の落ちている高齢者が運転操作を誤り、重大事故を多発させている」と思い込んでいます。この思い込みが〈過度の一般化〉による弊害です。なぜなら、その「思い込み」は事実ではないからです。

警察庁交通局による「交通事故の発生状況」(2019年)を見ると、免許保有者(原付以上運転者)10万人あたりの交通事故でダントツに多いのは、高齢者ではなく、16歳から19歳の年齢層の若者によるものです。なんと1年間で、1251件も起きています。さらにいえば、16歳から19歳の年齢層の次に、多くの交通事故を起こしているのも20歳から24歳の若者で、年間754件に上ります。

もし、テレビ局が本気で交通事故を減らそうと考えるなら、高齢者ドライバーよりも圧倒的に多くの事故を起こしている若者ドライバーを指弾すべきですが、そんな報道はほとんど見られません。こうしたテレビの報道だけをただ鵜呑みにして、一般的に「高齢者ドライバーによる重大事故が多発している」と思い込むようなことを積み重ねると、脳と心の老化は進んでいきます。

高齢の運転マークを貼り付けた高齢女性。
写真=iStock.com/banabana-san
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/banabana-san

■「新型コロナで1万人が亡くなった」というのは事実だが…

この〈過度の一般化〉の逆パターンともいえるのが〈選択的抽出〉です。

高齢者ドライバー問題を報じる際のテレビは「ごくわずかな、特定の高齢者ドライバーの問題」を、「すべての高齢者ドライバーの問題」と錯覚させる手法を使っていましたが、新型コロナ関連の報道では〈選択的抽出〉を多用していたように思います。

たとえば、有名芸能人の死を抽出して、必要以上に怖い病気として報じました。〈選択的抽出〉とは、「複雑な状況」に対して、ごく限られた「一部」だけに注目して、それ以外の「大部分」が見えなくなってしまうという、認知の歪みです。

新型コロナは、病気のなかでもっとも恐ろしい感染症でしょうか? テレビは「そうだ」と言い、自分たちの望むイメージを拡散するべく、行動制限の重要性ばかりを強調した番組を作っています。そして、国民に対しては事実上の「引きこもり」を求めてきました。

私は流行の当初から、まったく違う立場を表明してきました。日本で新型コロナによる死亡者数が1万人を超えたのは、昨年の春(2021年4月26日)です。この数字だけを見ると、新型コロナが日本に入り込んでから約1年で、1万人以上が亡くなったことになります。この死亡者全体の約8割を占めたのは70代以上の高齢者で、10代以下の死亡者はゼロでした。しかし、〈選択的抽出〉がされたこのデータだけに注目してしまうと、真相には辿りつけません。

もっとも注目すべきは、テレビが「新型コロナによる死者が1万人を突破」と恐怖を煽っているとき、じつは時期としてちょうど重なるコロナ禍の「全国の死亡者数」(2020年)は、11年ぶりに「減少」に転じていたのでした。この死亡者数には、テレビが言うところのコロナ死の約3500人も含まれています。

■なぜコロナ禍の2020年に9000人も死亡者が減ったのか

超高齢社会の常として、最近は毎年2万人ぐらいずつ死亡者数が増えていた日本で、2020年は前年比で約9000人も死亡者が減ったのです。これは一体、どうしたことでしょうか。

私が高齢者医療の現場で数多く見てきたのは、インフルエンザへの感染を「発端」として亡くなるケースです。毎年3000人から6000人の死亡者が出るのですが、「新型コロナ関連死」が登場して以降、「インフルエンザ関連死」は激減しました。言い方を換えれば、新型コロナで亡くなった方々のなかには、インフルエンザで亡くなっていた可能性の高い方々も多数含まれるということです。

新型コロナで亡くなった人が、2020年2月~2021年4月の1年2カ月で約1万人。例年1年間にインフルエンザで亡くなる人も約1万人。ついでに言うと、風邪をこじらせて亡くなる高齢者は毎年1万~2万人います。「新型コロナは怖くない」と言うつもりはありません。ただ「もっとも怖い感染症である」と決めつけることには賛同できないのです。

■有害なのにCMが流され続ける「アルコール飲料」

真面目にテレビを信じている人が馬鹿を見るというのは、やはり考えものです。本書に限らず、私は昔から一貫して、テレビの「悪意」を批判してきましたが、同時に、テレビに正義感(必ずしも「正義」ではありません)があることも認識しています。

テレビの正義感は、およそ「身体に良い」というテーマで発揮されます。たとえば、今朝、私は珍しくテレビをつけました。すると、ワイドショーが特集していたのは「歯をしっかり正しく磨きましょう」というテーマでした。確かに、歯はしっかり磨いたほうが良い。私も賛成です。

ではなぜテレビは、タバコと同じように、身体に悪影響を及ぼすことが科学的に検証されているアルコールについて「飲まないほうが良い」と、正義のメッセージを出さないのでしょうか。

2005年に「アルコールの有害な使用に起因する公衆衛生問題に対する決議」を採択して以降、WHOは加盟国に対して、アルコールの摂取による弊害を減らすための活動を求めています。そして2010年に採択された「アルコールの有害な使用を低減するための世界戦略」では、CMなどの広告についても規制を行うべきであると謳(うた)われました。

居酒屋で乾杯する多くの人々の手とマグビール
写真=iStock.com/taka4332
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/taka4332

この流れを受けて、欧米諸国ではアルコール飲料に関するテレビCMの規制が進みましたが、日本では相変わらず、というよりも、昔に増して、ビールをぐびぐび、日本酒をキュッと引っ掛けるテレビ・コマーシャルが続いています。

■「アルコール飲料が欠かせない」という刷り込み

仕事の後、家に帰ったら、まずビールをぐびぐび。休みの日に友人と集まったら、ビールで乾杯。素敵な女性とデートなら、ワイン。両親と久しぶりに会ったなら、思い出を語りつつ日本酒……。考えられるありとあらゆる日常のコミュニケーションの場に、アルコール飲料が必要だと感じさせるような「刷り込み」が行われています。

これらのコマーシャルの狙いは、視聴者の認知を歪めることです。〈情緒的理由付け〉によって、アルコール飲料のような依存性の強い商品の中毒者を増やしたい、ということでしょう。

テレビ局にしてみれば、視聴者の健康なんて本当はどうでもいいのだとしか思えません。〈情緒的理由付け〉とは、「理性的判断」よりも「感情的な反応」を優先してしまう状態を指します。感情的な反応は実際の状況とリンクしているものと考えてしまいます。しかし、そうとは限らないのです。つまり、アルコール飲料のコマーシャルが「日常のあらゆるコミュニケーションの場」を舞台に作られているのには、はっきりした理由があるのです。

仕事の後、家に帰ったら――まずビールをぐびぐび飲む(と気持ちいい)。休みの日に友人と集まったら――ビールで乾杯(したら楽しい)。素敵な女性とデートなら――ワインを開けたら(会話が弾むような気がする)。両親と久しぶりに会ったなら――日本酒をさしつさされつ思い出を振り返れば(笑顔になる)。じつは、どのシチュエーションでも、本当はアルコール飲料など必要ありません。

仕事を終えて家に帰ればホッとするでしょうし、休みの日に友人と集まったら楽しいに決まっているからです。にもかかわらず、テレビで繰り返し、繰り返し放映されるコマーシャルによる〈情緒的理由付け〉の刷り込みを受けた人々は、「その場」には、「アルコール飲料が欠かせない」という感情に流されてしまうように、洗脳されてしまうのです。

ザッピングしながらテレビ番組を見る
写真=iStock.com/Yuzuru Gima
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yuzuru Gima

■テレビの「お客さん」は視聴者ではなくスポンサー

テレビのコマーシャルを観てアルコール依存の人が増えても、あるいはアルコール依存になってせっかく治療を受けてやめることができたのに、また飲むようになってしまう被害者が出ても、テレビ局の皆さんは、スポンサーの売り上げが増えるからいいと考える確信犯なのでしょう。

スポンサーの売り上げが伸びれば、当然、広告収入も増えます。同じように、テレビのコマーシャルの悪影響を受けた子供のゲーム依存、スマホ依存はものすごい勢いで増えていますが、テレビ業界で広告を自粛(せめて自制的にコントロール)する動きはまったく見られません。

結局、テレビにとって「お客さん」とは、広告枠を買うスポンサー各社であり、視聴者ではないのです。テレビのコマーシャルは、アルコール、ゲームなど、依存症を生み出し、購買意欲を促すものが多く見られます。東日本大震災や安倍元総理の殺害直後のときには、ACジャパンの意見広告ばかりが流れたご記憶があると思います。あれは、スポンサー企業がコマーシャルの放映を自粛したためです。

ほとんどすべての視聴者がネガティブな気持ちを感じている状況では、購買意欲をそそる〈情緒的理由付け〉が難しくなるからだったのかもしれません。

■なぜテレビは芸能人の不倫を叩くのか

テレビという洗脳装置は、時として全体主義的な行動と結びつきかねません。私がそれをまざまざと感じるのは、有名な芸人や俳優のセックス・スキャンダルについてです(なぜかテレビマスコミを経営する新聞社の野球チームの選手のスキャンダルは報じられませんが)。

確かに彼らがしたとされることは決してほめられたことではありません。女性の尊厳を傷つけるという点では、現代のモラルとして許されないものといえるでしょう。しかしながら一方で、コメンテーター、あるいは、その発言を聞いた視聴者が、自分が正義の味方になったような感覚でそれを断罪するのは、メンタルヘルスにはけっして望ましいものとはいえません。

一つには、悪いことをしたからといって、完全な悪人になったと考えるのは、まさに前述した〈二分割思考〉そのもので、その人にもいい面も悪い面もあるということが忘れられているという問題があります。この思考パターンは脳の前頭葉にもメンタルヘルスにも望ましくないものです。

もう一ついうと、たとえば「人間たる者、かくあらねばならない」、「有名人は○○でないといけない」という〈かくあるべし思考〉は、自分がそうできなかったときに、うつになりやすい考え方の典型とされています。さらにいうと、人が、その「かくあるべし」に沿わなければ、つい腹を立ててしまう、場合によっては攻撃してしまうことになり、人間関係にも悪いパターンです。

■「かくあるべし志向」は脳の老化を進めてしまう

もちろんこの〈かくあるべし思考〉は、悪い点が一つでも見つかるとその人を排斥するキャンセル・カルチャーのもとになります。

和田秀樹『テレビを捨てて健康長寿 ボケずに80歳の壁を越える方法』(ビジネス社)
和田秀樹『テレビを捨てて健康長寿 ボケずに80歳の壁を越える方法』(ビジネス社)

人間というのは、そうそう「かくあるべし」通りに生きられるものではありません。特に年をとってからは、いろいろな妥協ができないとのびのびと生きていけず、次第に世の中と距離をとる理由になります。

テレビの「かくあるべし」に従って自粛生活を続けていたら、多くの人が歩けなくなるように、テレビの「かくあるべし」に乗っかって、つかの間の「正義の味方」気分を味わっていると、いつの間にか自分を苦しめ、メンタルヘルスを悪化させ、そして脳の老化が進みます。さらに、いつの間にか、自分で考えなくなって、みんなが同じ「かくあるべし」に染まることで全体主義が形成された過去があることを忘れてはならないと、私は思います。

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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
1960年、大阪市生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。ルネクリニック東京院院長、一橋大学経済学部・東京医科歯科大学非常勤講師。2022年3月発売の『80歳の壁』が2022年トーハン・日販年間総合ベストセラー1位に。メルマガ 和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」

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(精神科医 和田 秀樹)

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