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大統領の演説なのに「ピー音」が入る…「フィリピンのトランプ」にテレビ局が頭を抱えたワケ

プレジデントオンライン / 2022年12月15日 9時15分

2018年11月20日、マニラのマラカニアン宮殿で手を振る中国の習近平国家主席とフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領(当時) - 写真=AFP/時事通信フォト

フィリピンの大統領だったドゥテルテ氏はどんな人物なのか。ジャーナリストの石山永一郎さんは「演説で放送禁止用語を連発する。演説の放送で「ピー音」が入るような大統領は、世界でもドゥテルテぐらいしかいないだろう」という。石山さんの著書『ドゥテルテ 強権大統領はいかに国を変えたか』(角川新書)からお届けする――。

■オバマ大統領を罵倒したフィリピン大統領

日本を含め、ドゥテルテの言動が国際的にメディアの大きな話題になったのは、2016年9月にラオスの首都ビエンチャンで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議の際だった。

ASEAN10カ国の首脳や外相が集まる会議の後には、日本や米国、欧州連合(EU)など域外国の首脳や外相も加わり、対話が行われることが慣例となっている。

この時のビエンチャンでは、ドゥテルテと当時の米大統領バラク・オバマとの会談が予定されていた。

当時、既に国際的な人権団体などは、ドゥテルテが就任と同時に始めた麻薬戦争で、多くの人々が超法規的に殺害されていることを問題視していた。

ドゥテルテとの首脳会談をめぐってビエンチャン入りする前の記者会見で「フィリピンの麻薬戦争に関わる人権問題についてドゥテルテ大統領と話し合うつもりはあるか」とオバマは聞かれた。

その質問にオバマは「その話もせざるを得ないだろう」と答えた。

このオバマの答えをビエンチャン出発直前のマニラでの会見で、記者がドゥテルテに「どう思うか」とぶつけた。

この質問でドゥテルテの対米批判のスイッチが入ってしまった。ドゥテルテは感情的な口調でこう言った。

「私は主権国家フィリピンの大統領だ。とっくの昔に植民地ではなくなっている。フィリピン国民以外の意見など聞くつもりはない。(オバマは)われわれに敬意を払うべきだ。何かを要求するべきではない」

■「おまえの母親は売春婦」

ここまでは英語だった。続けてフィリピン語で短くこう言った。

「あんたに私は腹を立てている。プータン・イナ・モ、外国人め」

この最後の「プータン・イナ・モ」が大きな波紋を呼んだ。プータンはプータの変化形で「売春婦」、イナは「母親」、モは「あなたの」の意味だ。つまり「おまえの母親は売春婦」とドゥテルテはオバマを罵倒したのだ。

ちょうど英語の「SON OF A BITCH」に当たるフィリピン語で、具体的に相手の母親を売春婦だと指摘して罵倒する言葉ではなく、日本語に置き換えれば「この野郎」ぐらいのニュアンスとしてフィリピンでは使われることが多い。

ただし、「プータン・イナ」までは、日常的なささいないらだち、たとえば車のエンジンがかからない、大渋滞で車がまったく進まないといった時にも、フィリピン人はいらだちを表現する言葉としてしょっちゅう言うが、「プータン・イナ・モ」とモを付けて言う時は、口調にもよるが、かなりけんか腰で、相手を本気で罵倒する場合が多い。

ドゥテルテはそのモを付けてしまったのだ。

おそらく親米派が多いフィリピン外務省や国防省の関係者から説得されたのだと思うが、ドゥテルテは結局、この発言について米国に謝罪声明を出すに至った。比米会談も「今は会談を持つ時期ではないと思われる」とオバマが述べ、中止になった。

■演説の放送で「ピー音」が入る

しかし、それ以前の英語での発言部分は、反論はあるとしても、一国の大統領として問題発言とは言えないだろう。むしろ「よくぞ言った。胸のすく思いがした」というフィリピン人の感想も複数聞いた。

ちなみに、プータン・イナ、プータン・イナ・モはともにドゥテルテが演説や会見の合間にしばしば入れる口癖でもある。本人にとっては強い意を込めた罵倒の言葉ではどうやらないようだ。

演説や会見でこんな言葉をしょっちゅう言う歴代大統領はいなかったため、フィリピンのテレビ局は頭を抱えた。プータン・イナ、プータン・イナ・モともに放送禁止用語としていたからだ。

そこでフィリピンのテレビ局は、生中継を除き、ドゥテルテ演説の中身をニュースなどで紹介する際には、プータン・イナ、プータン・イナ・モの箇所をピーとなる音で消して放映するようになった。

演説の放送の際に「ピー音」が入るような大統領は、世界でもドゥテルテぐらいしかいないだろう。ほかにもいくつか放送禁止用語をドゥテルテは平気で口にするので、しょっちゅうピー音が鳴るニュースを見ていると、笑い出したくなる時もある。

プータン・イナ・モは批判を浴びたが、この時から、ドゥテルテの米国と距離を置く外交姿勢は鮮明になった。

2016年9月20日、ダバオで演説するロドリゴ・ドゥテルテ大統領(当時)
2016年9月20日、ダバオで演説するロドリゴ・ドゥテルテ大統領(当時)(写真=KARL NORMAN ALONZO/PPD/フィリピン大統領府広報部/PD-PhilippinesGov/Wikimedia Commons)

■対中外交で見せたしたたかな外交手腕

一方、ノイノイ・アキノ前政権下では険悪だった中国との関係改善に乗り出す。

ラオスでASEAN首脳会議が行われた直後の2016年10月、ドゥテルテは北京を訪問し、習近平国家主席と会談した。そして今後、友好的な関係を築いていくことで合意した。

この会談でドゥテルテが引き出したフィリピンにとっての一番の成果は、ルソン島北部西方沖にあるスカボロー礁の領有権問題を「棚上げ」することで習近平の同意を取り付けたことだった。

スカボロー礁はフィリピン、中国など6カ国・地域が領有権を争う南沙諸島とはかなり離れた別の海域にある岩礁だ。

ルソン島北部サンバレス州西方230キロほどの地点にある岩礁で、国際法ではフィリピンの排他的経済水域(EEZ)の中にある。そこは、サンバレス州のフィリピン人漁師たちには魚が豊富な漁場として知られており、多くの漁師がスカボロー礁で漁をしてきた。

スカボロー礁では干潮の時、いくつかの岩礁に加えて小さな砂浜も顔を出す。しかし、満潮の時にはすべて海面下に沈む。海洋法では低潮高地と呼ばれる岩礁である。

フィリピン政府はこの岩礁に特に注目してこなかった。サンバレス州の漁民の間ぐらいにしか知られていなかった場所だったこともあり、岩礁に建造物を構築したり、岩礁に国旗や領有地であることを示す標識などを立てることもしなかった。沿岸警備隊や海軍が頻繁に巡回して監視することもほとんどなかった。

こういう場所は、放置しておくと必ず他国との領有権問題が持ち上がるのが常だ。フィリピンのEEZ内にあるのだから、漁民の避難所を造る、標識を立てる、海軍船が定期的に立ち寄るといった示威行動をフィリピン政府はもっと前からやっておくべきだった。

東南アジアの政治地図
写真=iStock.com/PeterHermesFurian
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PeterHermesFurian

■権益を守るため海洋調査に熱心になる

現在はその反省からルソン島東方のフィリピン海にあるベンハム隆起の海洋探査活動をフィリピン政府は熱心にやっており、フィリピンのマスコミもベンハム隆起のことをしばしば取り上げる。

ベンハム隆起はかつて火山活動が活発な時期があり、地球上で最大となる直径150キロの「アポラキ・カルデラ」があることで知られる。発見者はニュージーランドで研究を続けるフィリピン人ジェニー・アン・バレットで、2021年2月、フィリピンの下院科学技術委員会は、パレットを議会表彰する決議を採択した。

それまで地球上で確認されていた最大の火山性カルデラは約7万4000年前に大噴火したインドネシアのトバ・カルデラ(長径100キロ)だったが、アポラキ・カルデラはトバをはるかに上回る。

パレットらの調査によると、アポラキ・カルデラを形成した大噴火は、ベンハム隆起のマグマの年代から、恐竜が絶滅した白亜紀後の4700万~2600万年前の新生代古第三紀に起きたとみられている。

トバ山の大噴火は地球全体の気温を5度下げたとも言われ、人類を含めて多くの生物が絶滅または絶滅の危機に瀕したことで知られている。アポラキの噴火も地球上の生物に破局的な危機をもたらした可能性がある。

このベンハム隆起は干潮時でも陸地が海面に現れない海底の隆起だが、石油や天然ガスが大量に埋蔵されている可能性があるとしてフィリピン政府は調査を続けている。ベンハム隆起については、大陸棚の制限に関する国連委員会が2012年に大陸棚の一部として、フィリピンの排他的経済水域(EEZ)であると認めている。

■仲裁裁判所に訴える

これに対し、スカボロー礁は低潮高地であったにもかかわらず、フィリピン政府は何の策も講じてこなかった。

その隙をつくような形で、アキノ政権下の2012年ごろから、中国海警局の監視船が頻繁に訪れるようになり、やがてスカボロー礁の周囲を監視船で囲むようになった。

そして、中国の漁船だけに漁を許可し、フィリピンの漁船には海域からただちに出るように命じ、従わない船には放水機で強力な水を浴びせかけて威嚇した。

事態を知った当時の大統領ノイノイ・アキノは沿岸警備隊や海軍艦船をスカボロー礁に向かわせた。フィリピンの艦船と中国の艦船との間でにらみ合いが続いたが、当時のフィリピンは沿岸警備隊も海軍も、まともな巡視船や哨戒艇を持っておらず、海軍に至っては第2次大戦で使われた輸送船を米国から譲り受け、修理に修理を重ねて使用しているありさまだった。

フィリピン政府は米国の支援を仰いだが、米国も中国艦船とまともに衝突することは避けたがり、結局、米軍艦船がフィリピン側に立って中国とのにらみ合いに加わることはなかった。

この米軍の対応は、日本と中国との間で領有権争いがある尖閣諸島などで、一触即発の緊張が起きた時、米軍が実際にはどういう対応をするかという問題についても示唆しているように思える。

結局、フィリピン海軍や沿岸警備隊は数週間にわたるにらみ合いの末に引き下がり、国際社会や国際海洋法に基づく仲裁裁判所に訴える方法を選んだ。

フィリピンのパラワン州エルニド沖
写真=iStock.com/Joel Carillet
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Joel Carillet

■中国の実行支配に挑む

この間、中国はスカボロー礁を実効支配し、岩礁近くにコンクリートブロックを入れ、南沙諸島海域で実効支配する岩礁でやっているのと同様に、人工島を建設する動きを見せていた。

これ以来、「歴史的に中沙諸島と中国が呼んできた版図の中の岩礁」として中国が実効支配するに至った。

中国の見解によれば、スカボロー礁は中国人が最も早く発見したとされる。1279年には、著名な天文学者・郭守敬が海図作成のため南シナ海を渡航、スカボロー礁を測量地点としたという。1935年1月、中華民国水陸地図審査委員会はスカボロー礁を同国の版図へ入れ、民主礁と名付けた。

1949年に中華人民共和国が建国されると、中華民国の見解を引き継いでこの海域を中沙諸島と名付け、領有権を主張するようになった。1983年、中国はこの岩礁を黄岩島と名付けている。

ただ、この中国による実効支配は、2002年に中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)が合意した南シナ海行動宣言に反するものだった。南シナ海行動宣言は「領有権紛争は平和的手段で解決する」こととともに「関係国は南シナ海における実効支配を拡大しない」と謳っていたからだ。

■習近平とのトップ会談で「領有権棚上げ」に

スカボロー礁がある海域は領有権主張が最も複雑に絡み合う南沙諸島海域からは離れているが、南シナ海の一部である。ゆえに中国によるスカボロー礁の実効支配はASEAN諸国と中国が南シナ海紛争の解決の基盤としてきた南シナ海行動宣言に反することは明確だった。

しかし、ドゥテルテは就任直後の2016年10月に北京を訪れ、習近平国家主席と会談、ともかくも「領有権問題は棚上げ」とするよう習近平を説得した。それまでの米大統領オバマへの罵倒発言などを知っていた習近平は、長年の親米国フィリピンを親中に取り込む絶好の機会と思ったのだろう。この提案を受け入れた。

中国の習近平国家主席とフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領(当時)
習近平国家主席とドゥテルテ大統領(当時)(写真=King Rodriguez of Philippine Presidential Department/フィリピン大統領府/PD-PhilippinesGov/Wikimedia Commons)

領土問題の最終解決は、日本が抱えている問題でも明らかなように非常に難しい。自国が主権を主張している島などをめぐって主権に関して譲歩すれば、その国の指導者は右派や保守派を中心に国内で徹底的に叩かれる。領土や国境の変更が行われるのは、かつて日本やドイツが経験したように戦争が行われた後だけだとも言える。

アジアで例外的に平和的に領土問題が解決したのは、シンガポールとマレーシアが領有権を争っていたシンガポール海峡内にあるペトラブランカ島が唯一と言っていい例だ。

この無人島をめぐって1980年代からシンガポールとマレーシアは互いに領有権を主張してきたが、最終的に国際司法裁判所(ICJ)に判断を委ねることで両国とも合意、2008年、ICJは判決でシンガポール領と認めた。マレーシアも判決を受け入れ、現在に至っている。

■親中路線に舵を切る

このスカボロー礁の「領有権棚上げ」について習近平は、中国国内向けには特に説明していない。フィリピン側だけが事実上の領有権棚上げで合意したことを発表、ドゥテルテは「これからはフィリピンの漁民は漁ができる。ただし、環礁の中だけは、フィリピン、中国の両漁船とも禁漁区とする」と述べた。

その後、ドゥテルテは明らかに歴代大統領が踏襲してきた親米路線から親中路線に舵を切り、新型コロナが流行する前の2019年8月までに計5回、中国を訪問している。その一方で、米国訪問は一度もしないまま任期を終えた。

このフィリピンの親中転換は中国にとっても「棚ぼた」のような外交成果であり、在フィリピン中国大使館などは「大歓迎したい」といった大喜びのコメントを何度か出した。習近平にとってもそうだったはずで、スカボロー礁の領有権棚上げぐらいは支払ってもいい対価だったとみられる。

この2016年10月のドゥテルテによる中国訪問直前の同年7月、国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所は、フィリピンが中国を相手に訴えた南シナ海の領有権問題をめぐる判決を出し、中国は事実上の敗北を喫していた。

南シナ海判決とも呼ばれる裁定で仲裁裁判所は「九段線」と呼ばれる線で囲んだほぼ南シナ海全域に対する中国の領有主張を退けた。

ただ、判決には、南シナ海でフィリピンや台湾などが実効支配する高潮高地、つまり満潮の時にも海面下に沈まない島も「独立した経済生活を送れない島」として岩扱いし、その島を起点とした領有権は領海12カイリのみとし、島を起点にした排他的経済水域(EEZ)の設定を認めないとの内容も含まれていた。

■「中国の敗北」と報じられたが…

フィリピンや台湾にとっては不満が残る内容でもあった。また、ペトラブランカ島に対する裁定とは違い、中国は仲裁裁判所への提訴に同意していなかった。しかし、日本など国際メディアは「中国の敗北」と報じ、フィリピンのメディアも「フィリピンの勝利」として大きく報じた。

石山永一郎『ドゥテルテ 強権大統領はいかに国を変えたか』(角川新書)
石山永一郎『ドゥテルテ 強権大統領はいかに国を変えたか』(角川新書)

中国の九段線内全域の領有主張は、そもそも東南アジアの現実を踏まえていない論外の主張で、中国としては「最大限を一応主張しておく」という心づもりの主張だったとみられるが、判決が明確に否定したことによって中国の外交的イメージは大きな打撃を受けた。しかし、そのマイナス部分が、ドゥテルテの親中転換で帳消し以上の成果を上げることになったのだ。

さらに、ドゥテルテは「南シナ海判決は南シナ海の領有権問題の解決には寄与しない」とも言い続けていた。確かに経済的価値が薄いペトラブランカ島とは違って、南シナ海の南沙諸島海域には石油や天然ガスの埋蔵が確認されている。

しかも、領有権を主張しているのは中国とフィリピンだけでなく、台湾、ベトナム、マレーシア、ブルネイの6カ国・地域だ。南シナ海の領有権問題は判決一つで解決する問題ではなく、少なくとも中国とASEANが合意できる行動規範(COC)の策定しか平和解決の道はないように思われる。

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石山 永一郎(いしやま・えいいちろう)
ジャーナリスト
1957年生まれ。慶應義塾大学文学部卒。82年共同通信社入社。宇都宮支局、名古屋支社、マニラ支局長、ワシントン特派員、編集委員を経て2017年に退職。同年よりフィリピンの邦字紙「日刊まにら新聞」編集長を務めた後、アジア専門季刊誌「リアル・アジア」編集長、22年11月より公益財団法人新聞通信調査会の月刊誌「メディア展望」編集長。11年沖縄報道で平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞受賞。著書に『マニラ発ニッポン物語』、編著に『ルポ新・戦争と平和 彼らは戦場に行った』(ともに共同通信社)、共著に『ペルー日本大使公邸人質事件』(共同通信社)、『日めくり日米開戦・終戦』(文藝春秋)など、訳・解説書に『日本語で読む フィリピン憲法』(柘植書房新社)がある。

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(ジャーナリスト 石山 永一郎)

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