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「これぞ紳士の身だしなみである」高倉健が毎日通っていた理容室でマニキュアを塗ってもらっていた理由

プレジデントオンライン / 2022年12月10日 10時15分

撮影=山川雅生

2014年に83歳で亡くなった俳優・高倉健さんは、生涯にわたって「映画スター」という孤高の存在であり続けた。高倉さんはどんなふうに身だしなみを整えていたのか。『高倉健 沈黙の演技』(プレジデント社)を出したノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。(第4回)

■伝説の理容室にあった「高倉健専用の個室」

高倉健が時間を過ごす場所といえば、品川駅前にあったホテルパシフィックの「バーバーショップ佐藤」だった。

バーバーショップ佐藤のマスターは佐藤英明さん。三島由紀夫、佐藤栄作元総理をはじめとする著名な人たちが佐藤さんの顧客だった。高倉健もまたマスターの技術と誠実さを愛し、長年、通っていた。

佐藤さんは高倉さんだけが利用できる8畳ほどの個室を作り、高倉さんは東京にいる間はほぼ毎日、そこにいた。一般の客は店内に並んだ椅子に座って髪の毛を切るのだけれど、高倉さんはつねに個室にいた。そして他人を招き入れることはなかった。

高倉さんは世田谷の自宅から車を運転してきて、ホテルに預けていた。1台ではない。十数台の車を預け、時々、乗り換えていたのである。ベンツもあったし、ジャガーもあった。三菱のパジェロもあった。ある時期、三菱自動車のアドバイザーをしていたので、国産車は三菱製にしていたのだろう。なにしろ十数台も預けているのだから、バッテリーが上がらないように、ホテルの担当者が時々、エンジンをかけていた。

■そこはまるで秘密基地のよう

高倉さんがホテルパシフィックに愛車を預けていたのはスティーブ・マックイーンの影響だと思われる。マックイーンがビバリーヒルズにあるホテル「ビバリー・ウィルシャー」(映画『プリティ・ウーマン』の舞台)に車を二十数台、預けていたのを聞いて、「オレもやってみよう」と思ったのではないか。

本人にそのことを聞いたら、うっすらと笑ったけれど、何も答えてくれなかった。

高倉さんは個室で調髪をしたり、ひげを当たってもらったりした後は、映画の台本を読んだり、DVDを見ていた。

行きつけの床屋というよりも、高倉プロモーションのもうひとつの事務所であり、秘密基地のようにも使っていた。クローゼットがしつらえてあり、スーツや洋服もあった。映画で使った小物、記念品も置かれていた。なぜ、知っているかと言われれば、たった一度だけ中を見せてもらったことがあるからだ。

高倉さんは見たい映画があったら帽子をかぶり、サングラスをして佐藤さんを誘って近くにある品川プリンスシネマに行った。一般席ではなくプレミアシートを予約していたけれど、映画館にいた人は高倉健が来たことを知っていただろう。

■「男は偉くなったらマニキュアが必要です」

バーバーショップには多くのVIP客が来ていた。元総理の麻生太郎さんは高倉さんと同じくらいの頻度で、バーバーショップ佐藤にやってきて、マスターとの佐藤さんとも懇意にしていた。麻生さんはもうひとつあった個室(高倉さんの個室より狭い)、もしくは店内の普通の椅子に座って、さいとうたかをさんの『ゴルゴ13』(リイド社)を読んでいた。他にも、ソニーの元社長、出井伸之さんをはじめ、政財界の有名人が来ていた。

撮影=山川雅生

店が閉店した今だから言うことができるが、顧客たちのなかで、若い従業員にやさしく接して、心づけを欠かさなかったのが高倉さんと麻生さんだった。他にお金持ちも来ていたけれど、ふたりは丁寧な言葉で話しかけ、若い従業員を元気づけていた。

わたしはその瞬間も見ている。

わたし自身、高倉さんに「野地ちゃん、ここで髪の毛を切りなよ」と言われたので、同店が閉めるまで、10年間、佐藤さんに調髪、髭剃り、マニキュアを担当してもらった。爪を切り、透明なマニキュアを塗ってもらったのは初めての体験だった。

佐藤さんから「男は偉くなったら外国人と握手する機会があるからマニキュアが必要です」と言われた。ただ、まだ偉くなっていないから外国人VIPと握手したことはない。

■偉い人ではなく、無名の人を応援する人だった

高倉さんからは「床屋でも料理屋でも、紳士は心づけを出す」と聞いた。

聞いた以上は実践しなければならないから、以後、わたしも年末に佐藤さんにお礼を渡すことにした。そのことを佐藤さんから聞いたのだろう。ある時、高倉さんが「わかってるね」と褒めてくれたことがあった。

そんな思い出があるバーバーショップ佐藤の居心地の良さについては『サービスの天才たち』(新潮新書)という著書に書いた。

さて、わたしが言いたかったのは、高倉健はバーバーショップ佐藤でも、いきつけの寿司店、札幌の「すし善」でも、つねに若い従業員を応援していた。偉い人や有名人と交流しようとはせず、店主よりも若い従業員に声をかけていた。困っている人、若い人、無名の人を応援する人だったのである。

そして、麻生さんもそういう人だ。世の中では偉そうなおじさんと認識されているけれど、バーバーショップ佐藤で麻生さんが若い従業員にやさしくしているところをわたしは何度となく見たことがある。

そして、ふたりともに北九州の出身だ。

高倉さんは中間市、麻生さんは飯塚市である。遠賀川沿いの川筋者で、強きをくじき、弱きを助ける男だ。だから、困ってる人を見ると、助けずにはいられないのだろう。

■遺志を継ぐ者たちの「旦過市場復興プロジェクト」

今年の4月と8月、北九州市小倉北区にある庶民のための市場、旦過(たんが)市場が火災に遭った。いわしの糠炊(ぬかだ)き、くじら肉を扱う店が多い市場だ。1度目は42店舗が、そして2度目は45店舗が焼失した。

「高倉さんが生きていたら、復興を助けるために何かをしたに違いない……」

旦過市場火災のニュースを聞いて、そんなことを考えていたら、高倉さんの気持ちが「高倉プロモーション」代表取締役で養女の小田貴月(たか)さんを動かしたようだ。

復興支援プロジェクトが火災の直後から始まっていたのである。

小田さんは北九州に住む旧知の染織家、築城(ついき)則子さんからの一報を受け、小倉織(こくらおり)を使った復興支援に乗り出した。小倉織は、江戸時代の豊前(ぶぜん)小倉藩(現北九州市)の特産物。縦縞を特徴とした丈夫な綿布だ。

小田さん、築城さんは地元、北九州に関係するアーティストたちと協力し、一体となって小倉織グッズを製作、販売することにした。そして、販売して得た利益は旦過市場一帯の被災者に寄付する。

撮影=山川雅生

■「映画の撮影は、コツコツと織物を織るようなもの」

小倉織のグッズには「負けるか この野郎」の文字と高倉健の横顔がプリントされていて、「旦過市場と一緒に立ち上がる」という強いメッセージが込められている。

「負けるか この野郎」は過酷な撮影になると高倉健が心のなかで叫んでいた言葉だという。

そして、小倉織にしたのは旦過市場の地元産品であるだけではない。

「映画の撮影は大勢の人が大真面目に毎日コツコツ、織物を織るように丁寧に時間を紡いでいくものなんだよ」

高倉さんが小田さんにそう話していたからだ。

文字を書いたのは生前、交流のあった門司区在住のイラストレーター、黒田征太郎さん、全体のデザインをしたのは北九州市出身のデザイナー、野口剣太郎さんである。

できあがった小倉織グッズはTシャツ、前掛け、バッグ、ハンカチ、風呂敷など。

小倉織グッズは「高倉健の応援」ということもあって、話題にもなり、地元では大人気だ。高倉健の身内の人たちは「弱きを助ける人たち」なのである。

■高倉さんが麻生さんと交わした立ち話とは

バーバーショップ佐藤の話に戻る。

高倉さんは麻生さんと店で顔を合わせると、ふたりだけでよく立ち話をしていた。

撮影=山川雅生

高倉さんは「太郎ちゃん」と呼び、麻生さんは「先輩」と呼んで最敬礼していた。高倉さんは麻生さんのお母さんを知っていた。麻生さんのお母さん、麻生和子さんは吉田茂の娘で、美人、英語、イタリア語などをこなす才媛。憧れの女性だった。

ある時、わたしが髪の毛を切りにバーバーショップ佐藤に行ったら、マスターの佐藤さんが笑っていた。

「健さんがにこにこしながら話してくれた」

無口で知られる佐藤さんがどうしても話したいといった様子でわたしに教えてくれた。

「健さんが言っていたんです。麻生さんと選挙の話になって、健さんが『太郎ちゃんは大丈夫だよ』と言ったそうです。

すると、麻生さんが『先輩が立候補しなければ大丈夫ですよ』と冗談を言ったらしいんです。野地さん、どう思いますか?」

野地秩嘉『高倉健 沈黙の演技』(プレジデント社)
野地秩嘉『高倉健 沈黙の演技』(プレジデント社)

高倉健が立候補することはあり得ない。でも、ちょっと気になったので、調べてみた。

高倉さんの出身地、中間市と麻生さんの実家がある飯塚市は同じ福岡8区である。

有権者は約35万人。

麻生さんは毎回、トップ当選をしていて得票は10万票を超えている。

しかし、もし、高倉健が無所属新人で立候補したとする。自民党員から共産党員まで、9割の人は「高倉健」と書くだろう。そうしたら30万票は入る……。

妄想に過ぎないけれど、高倉健がふるさとを愛していたのは事実だ。

だから、生きていたら、やはり旦過市場に駆けつけただろう。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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