年収が良かった時代の名刺が捨てられない…過去の栄光にしがみつく「おじさん社員」の悲哀
プレジデントオンライン / 2022年12月10日 13時15分
※本稿は、河合薫『50歳の壁』(MdN新書)の一部を再編集したものです。
■前職の名刺を配り歩く再雇用社員
会社員と切っても切れない関係にあるのが、「名刺」です。
名刺は中国から広まり、日本では江戸時代に訪問先が不在時に、和紙に名前を書いて、来たことを伝えるために使われていました。明治時代には上流階級の社交アイテムになり、戦後から身分証明として、会社員の間に急速に広まったとされています。
あの小さな紙切れを渡すだけで、「自分が何者か?」の証明になるのですから、考えた人は大したものです。
しかし、身分証明であるがゆえに、あの一枚に固執する会社員は少なくありません。
・親会社の人事部長だった人が、再雇用でうち(子会社)に来た初日に、親会社時代の名刺を社員全員に配っていた
・再雇用で来た人の歓迎会をやったときに、お店の人に前職の名刺を渡していた
・定年退職する半年くらい前から、総務に何回も名刺の発注をかけていた
などなど、名刺にまつわる珍エピソードはこれまでにもたくさん聞いてきました。
リモート会議が主流となったコロナ禍のもとでは、「上司が、『リモート会議だと名刺交換もできないから、うちの会社から私(部長)が出てることを向こうはわかってない』と不満げに言うので、上司だけ顔を出して、私たち部下はビデオオフで会議に参加することになった」と嘆く人もいました。
たかが名刺、されど名刺。会社員の名刺問題は、ちょっとだけ切なくて、それでいてかなりバカバカしい。本人が気づいていないだけに、面倒だったりもします。
“知名度の低い中小企業”(本人談)の課長、宮田さん(仮名)48歳がぼやく珍エピソードも、その一つです。
■“部長待遇さん”の呆れた言い分
某大手商社を定年退職した人が、うちの会社に再雇用されたんです。最初は役職なし、と聞いていたのに、入社時に部長待遇になった。トップ経由で迎えた人なので、それなりの肩書きを付けないと申し訳ないだろう、ってことになったそうです。まあ、その辺りの事情は私たちが知ったことじゃないし、当初はランチするときのネタみたいなものでした。
ところが、顧客と名刺交換する際に、前職の名刺を出していたことがわかったんです。“部長待遇”って書いてある今の会社の名刺があるのに、「どーも、どーも」とか言いながら、退職した商社の名刺を渡していました。さすがにこれは問題だろうと上長に注意してもらいました。そしたら、その“部長待遇さん”、なんて反論したと思います?
「名刺を渡すときに、もともとはここの人間だ、って説明しているから大丈夫」って言ったそうです。
確かにうちの会社は知名度も低いし、中小企業なので、誰もが知る大企業から来た人には、プライドが許せなかったのかもしれません。でも、だからって、「私が上司です」みたいな顔をしてあいさつしてるくせに、前職の名刺を出すのっておかしくないですか?
さすがにみんな呆れちゃって、誰も話しかけなくなって完全に孤立。悪い人ではないんですけど、若手の不満は募るばかりだし、もう、わけがわかりません。
■自分を大きく見せようとするほど嫌われる
部長待遇さん……かなりの大物です。指摘されてもなお、「大丈夫!」と開き直るぶっ飛び具合は、エリート会社員特有のリアクションでもあります。
常に他者と競争して生きてきたエリート会社員は、おのずと「できる人であらねばならない」と気負ってしまいがち。自分を大きく見せようとすればするほど、周囲からは呆れられ、煙たがられ、嫌われるのに、悲しいかなエリートにはそれがわかりません。
「肩書き=自分」という呪縛から逃れられず、つい、本当につい、「過去にしがみつく」という間違った対処に手を染めてしまうのです。
対処の失敗は、さらなるストレスをもたらします。このケースでは「周囲からの孤立」です。実は、宮田さんが珍エピソードを教えてくれた半年後、新情報がメールで送られてきました。
部長待遇さんが会社を3日連続で無断欠勤した、と。会社から連絡をしても、連絡がつかない。そこで、家族に連絡をしたところ、「しばらく休ませてほしい」とだけ言われたそうです。
■社会的動物である人間の悲しい性質
なんともやるせない顛末(てんまつ)ですが、肩書きは、私たちが考える以上に「私」たちに影響を与えます。
たとえば、コミュニケーション研究では、人は無意識に声の調子や話し方を、権力や権威を持つ人に近づける傾向があったり、社会的地位の高い肩書きを持っていると、身長が実際よりも高く見えたり。このような心理は、ヒトが「人間」になれた人類の歴史と深く関係しています。
社会的動物である私たちは、他者と協働することで生き残ってきました。自分が生き残るためには他者から「コイツは使える、コイツと力を合わせたい!」とみなされる優位性が必要でした。過去のそれは肉体的な強さであり、現代は「社会的地位」です。件の部長待遇さんは、「俺は使える奴なんだぜ!」と見せつけたかったのでしょう。
人には、自分を大きくみせたい心理があるし、強い人に好かれたい心理もある。人間って、本当におもしろいなぁとつくづく思います。
■捨てられない名刺=がんばった自分の証し
年齢を重ね“会社員アイデンティティー”が揺らぎ、肉体的にも、精神的にも、社会的にも、それまで当たり前のようにあったモノがだんだんと奪われ、心身も衰えていく現実と向き合うのは、とてつもなくしんどい作業です。自分では肩書きや属性に身を委ねてきたつもりがなくとも、“リトル部長待遇さん”のようなものを、心の奥底に秘めた人は決して少なくありません。
実際、これまでインタビューした人の中には「肩書き、年収がよかった時代の名刺が捨てられない」ともらす役職定年者がいました。「そんな私はダメですかね?」と卑下する人もいました。
![河合薫『50歳の壁』(MdN新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/d/1200wm/img_8d12714b90d27359c77c019ce459ce85244067.jpg)
私は……ダメじゃないと思います。もちろん実際に使うのは、アウトです。しかし、戦利品を大切にすることに、なんら問題はありません。捨てられない名刺を、「机の奥にしまっておく」のは、人間臭さそのものです。机の中心においても、「心の中心=自己」におかなければまったく問題ありません。
そして、もし近い将来、自分の存在価値に不安を感じたり、路頭に迷いそうになったときには、「捨てられない名刺=がんばった自分」を見つめてください。そして、自分を褒めてあげてください。「ああ、私は結構がんばっていたんだな」と。その瞬間“リトル部長待遇さん”は消えます。きっと、「うん、まだがんばれる」と自信を取り戻すきっかけになるに違いありません。
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健康社会学者(Ph.D.)、気象予報士
東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D.)。千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。その後、東京大学大学院医学系研究科に進学し、現在に至る。産業ストレスやポジティブ心理学など、健康生成論の視点から調査研究を進めている。著書に『残念な職場』(PHP新書)、『他人の足を引っぱる男たち』『コロナショックと昭和おじさん社会』(日経プレミアシリーズ)、『定年後からの孤独入門』(SB新書)、『THE HOPE 50歳はどこへ消えた?』(プレジデント社)などがある。
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(健康社会学者(Ph.D.)、気象予報士 河合 薫)
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