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だから日本美術は一目置かれた…戦前のアメリカで差別発言を浴びた岡倉天心が英語で返した"痛快な一言"

プレジデントオンライン / 2022年12月17日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/claudio.arnese

明治期の日本美術は急激な西洋化で存亡の危機にあった。そのとき日本美術の危機を救ったのが、『The Book of Tea』(茶の本)などを著した思想家の岡倉天心だった。岡倉天心は英語が堪能で、戦前のアメリカで差別発言をぶつけられたときも、英語で華麗に切り返したとされている。クリスティーズジャパンの山口桂社長の著書『死ぬまでに知っておきたい日本美術』(集英社新書)より紹介しよう――。

■古美術と骨董はどう違うのか?

古美術と骨董(こっとう)はどう違うのか? というのは私もよく聞かれるが、いまだに答えが難しい。

一般的には、骨董品といえば、語源である「ごたごたした雑多な物」という意味から離れた希少価値のある古美術や古道具のことであろう。ただ私にとって骨董という言葉は、何かとても「身近で懐かしい感じ」がある。

古美術品よりも骨董と言ったほうが、家にある感じがするとでも言おうか。そうした感覚も日本的なのかもしれない。おそらく外国では、言葉の上では骨董も古美術品もアンティークで、両者の違いを明確にあらわす言葉はないのではないか。

ただ骨董品というと、人形、時計やカメラ、箪笥(たんす)や蓄音機のようなものも含まれる点では、古美術品と区別されるとも思う。

これらはオークションでも扱われるが、やはり美術作品とは呼ばれない。また、いわゆる真贋の狭間にあるようなモノは、骨董としては通用するが、贋作(がんさく)とされるものはやはり美術品とは呼べない。

■日本美術における2人の功労者

突き詰めれば、美術品として一定のクオリティを持っているかどうかで、これもやはり曖昧な領域を含む話になるだろう。

私は、実際に何を古美術品と呼ぶかというよりは、何をそう呼ばないのか(例えば「骨董」と位置づけられる人形や時計、カメラなど)を考えたほうが、この問いの答えに近づけるような気もしている。

日本美術の長い歴史における功労者というのも、あまねく挙げていくと枚挙にいとまがない。そこでここでは、「日本美術とは何か」という本稿のテーマを考える上で、また現在の私たちが日本美術に親しんでいる状況を考える上でも重要な、ふたりの日本人に触れておこう。

■日本美術の評価の礎をつくった人物

近代以降の日本美術の動向を考える際には、明治時代に来日した前述の東洋美術史家、アーネスト・フェノロサと並んで、思想家の岡倉天心(岡倉覚三、1863~1913)を忘れることはできない。

岡倉天心
出典=国立国会図書館「近代日本人の肖像」

寺社とその宝物の調査なども含め、彼らの「道具」に対する近代的な考え方と活動とが、日本美術を「再発見」したと言える。後に岡倉はボストン美術館中国・日本美術部長を務めるなど、国際社会における日本美術の評価の礎をつくった人物で、私もたいへん尊敬している。

さて、そんな岡倉の有名な逸話にこういうものがある。

あるとき岡倉が横山大観や菱田春草と、和装でボストンの街を歩いていると、ひとりの若者にこう声をかけられた。

“What sort of ʻneseʼ are you people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?”

(おまえたちは「何ニーズ」だ? チャイニーズかジャパニーズか、それともジャヴァニーズ[ジャワ人]かな?)

明らかに東洋人を侮蔑した言葉を投げつけられたわけだが、その際の岡倉の切り返し方がふるっている。

“We are Japanese gentlemen. But what kind of ʻkeyʼ are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?”

(私たちは日本の紳士だ。ところで、そう言うあなたは「何キー」だ? ヤンキーか、ドンキー[ロバ。「とんま」の意も]か、それともモンキーかな?)

これだけきっちりと英語で、しかもカウンターパンチで言い返されると、アメリカの人も「おっ」と思ったのではないか。

■英語で世界に発信できた稀少な人物

そして、やはりこれくらいの気概と機知を持って世界へ出て行った岡倉であったからこそ、あの時代に日本人として現地で一目置かれ、ボストンという古い、白人エスタブリッシュメントの町で協力者・支援者を得て地位を確立し、さらには同地での日本美術蒐集や日本美術ファンを増やすことに尽力できたのではないか。

もしも彼がいなければ、後の国際社会における日本美術の評価は、だいぶ違ったものになっていたのではと思う。

また岡倉は『The Book of Tea』(茶の本)など、日本文化を英語で紹介する本も執筆した。これもたいへん重要なことで、日本美術の長い歴史の中でも、自らの英語の文章で世界に発信できる人がそれまでいなかった(今ですら日本の美術界では数少ない)からで、同時代人でも、禅を欧米に広めた鈴木大拙ぐらいしかいなかったのではないか。

後には岡倉の弟子であった富田幸次郎がボストン美術館アジア部長となり、やはり日本美術を含む東洋美術の蒐集と紹介に努めた。

19世紀のボストン美術館の絵
写真=iStock.com/Grafissimo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Grafissimo

また、アメリカの一流大学で日本美術について教鞭を執った傑出した美術史家、島田修二郎、村瀬実恵子、清水義明の3先生の功績も大きい。

■日本人が海外で日本美術を教える意義

今のアメリカでも、ハーバード、コロンビア、プリンストン、イエールのような有名大学では日本美術を教えており、欧州ではロンドン大学に所属する東洋アフリカ研究学院(SOAS:The School of Oriental and African Studies)が日本美術教育で有名だ。

ただ、いずれも現状では、日本美術を勉強した海外の研究者が教えていて、いわゆる教授職の日本人はいないのではないか。

こういった外国人研究者は、もちろん日本語も堪能で博識であり、日本人でなければ駄目だということなどないのだが、日本美術の機微を広く伝えていく上で、やはり私は日本から世界へ出て行く人材にも期待したいし、ほかの例えば科学分野での日本人プロフェッサーの活躍などを見ればなおさらだ。

その意味でも我が国独自の芸術の海外伝播において、岡倉天心が拓いた道の後を継ぐ人が必要と強く思う。

恥ずかしながら、私はクリスティーズの社員としてアメリカ赴任が決まったとき、自分がその一端を担いたいと思って渡米した。仕事を通じて、日本美術の魅力をより多くの外国の方々にわかってもらえたらと考えたのだが、当初、かくいう私自身も心のどこかに「外国人には日本美術の本当のよさはわからないのではないか」という思いがあった。

しかし、実際にはそれを深いところで理解する人々も少なからずいることを知ったし、外国人独特の感性での嗜好(しこう)が存在することも学んだ。

その経験からも、今後そうした伝播を担う優れた人材が、日本美術をさらに広めてくれることを期待して止まない。

■日用品にも美術品に負けない美がある

「民藝運動」の中心人物であった柳(やなぎ)宗悦(むねよし)(1889~1961)も、今日の日本美術を考える上で重要な人物であろう。

民藝運動は、華美な装飾を施した作品よりも、日本各地の無名の職人の手による日常の生活道具である焼物や染織、漆器などに注目した。

茶わんなど日本の古い日用品
写真=iStock.com/Hekatoncareful
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hekatoncareful

それまでの美術史では評価が定まっていなかった、あるいは無視されていたこれらの工芸品を「民藝(民衆的工藝)」と名付け、美術品に負けない美しさがあると唱えたのである。

柳はこの民藝運動を通じて、美は生活の中にあると考え、手仕事の日用品の中に美意識を見出した。そう、「用」と「美」をつなげた人なのだ。

■朝鮮民族の美を再発見した男

さて、日本美術の特徴のひとつに、日常の「道具」が美術化した領域がある。例えば桃山時代の陶工や、平安時代の蒔絵(まきえ)師などの職人の作品も、柳の唱える「用の美」につながる美意識に代表される物であろう。

さらに民藝運動では、当時の現代陶芸家濱田庄司らが「用の美」を実践として試みた点でも、大きな意味があったと思う。

柳についてはもうひとつ、朝鮮半島の特に李朝時代の美術工芸品に、改めて価値を見出した功績も大きい。これは朝鮮民族固有の美を評価したと同時に、外国製の美術品の「日本美術化」的な話とも関連する部分があると思う。

秋の野原に咲く草花を文様化した「秋草文」を描いた白磁染付などについて、そこに「悲哀の美」が感じられると論じた。

なお柳が創設した「日本民藝館」(東京都目黒区)にある《染付秋草文面取壺》(朝鮮王朝時代、18世紀前半)は、彼がこれに出会ったことで朝鮮の工芸美術に関心を寄せるきっかけになった作品で、かつ後の民藝運動の価値観にもつながっていったとされる作品である。

■柳宗悦の偉大な功績

この「悲哀の美」という言葉が正しいかどうかをめぐってはさまざまな意見もあるが、柳が素晴らしいのは、こうした自身の考え方、あるいは感覚を言葉で綴(つづ)ることができたことであろう。

そうした、美の味わい(これこそ日本人特有の感性ではないか?)のような領域をきちんと言葉にできる人は、やはりなかなかいない。

山口桂『死ぬまでに知っておきたい日本美術』(集英社新書)
山口桂『死ぬまでに知っておきたい日本美術』(集英社新書)

他方、彼の著した文章によって、「嗚呼、なるほど」と思った人は大勢いたはずで、この点では、美意識というのはつくる側のみならず、見る側、伝える側の美意識も付与されて生まれる面も必ず存在する好例だろう。

ただ、例えば織部の沓(くつ)茶碗のように意図的に実験的なものが生み出されたケースでは、あれはプロデューサーであった古田織部の指示かもしれないし、陶工自身が「こうしたい」と思ったのかもしれない。

グニャリと歪(ゆが)んだ茶碗に幾何学的な模様を施し、黒白のモノクロームの表現をしたり、部分的に緑の釉薬(ゆうやく)をかけてみる……。こうした実践をアート性と見るか、デザイン性と見るかは永遠のテーマでもあるが、陶工たち自身に創作の意志がまったくなく、すべて依頼主の注文ということも考えにくいだろう。

ともあれ、日常生活で実用するモノの中に、「これは美しいフォルムだ、デザインだ」と思うような体験は当時から誰にでもあったはずだが、柳宗悦はそうしたことと美の関係性を、もしくは日本美術におけるそうした根源的な観点のようなものを言語化し再確認させてくれた、という点において大きな功績を残したと思う。

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山口 桂(やまぐち・かつら)
クリスティーズジャパン社長
1963年東京都生まれ。1992年クリスティーズに入社し、日本・東洋美術のスペシャリストとして活動。19年間NY等で海外勤務をし、伝運慶の仏像のセール(08年)、藤田美術館コレクションセール(17年)、伊藤若冲作品で有名なプライス・コレクションの出光美術館へのプライベートセール(19年)など多くの実績を残す。国際浮世絵学会常任理事、公益財団法人アダチ伝統木版画技術保存財団理事。著書に『美意識の値段』(集英社新書)など。

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(クリスティーズジャパン社長 山口 桂)

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