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本当に「源実朝は部下の男性を愛していた」のか…最終回を控えたNHK大河ドラマを素直に楽しめない理由

プレジデントオンライン / 2022年12月11日 18時15分

永井如雲編『国文学名家肖像集』より源実朝像(図版=Hannah/PD-Japan/Wikimedia Commons)

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の最終回が近づいている。歴史評論家の香原斗志さんは「歴史ドラマであるため、一定の脚色は必要悪だとしても、史実とされていることまで捻じ曲げるのは、歴史への誤解を広げることになるのではないか」という――。

■見せ場が増えるほど違和感も増えていく「鎌倉殿の13人」

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も、いよいよ終幕が近づき、クライマックスの承久の乱に向けて見せ場が続いている。しかし、見せ場が増えるほど、違和感を覚える回数が増えているのも間違いない。

私は基本的には、大河ドラマに史実を期待しても仕方ないと考えている。NHKはそうはハッキリと言わないが、大河ドラマはフィクションだからである。一定程度の史実を踏まえた歴史ドラマではあっても、あくまでも史実を題材に、現代人が感情移入できる人間ドラマを描き、視聴者に楽しんでもらうためのものだ。

昔から洋の東西を問わず、演劇も、歌舞伎も、オペラも歴史に題材を求め、それを脚色してドラマを描き、人々の娯楽に供してきた。実際、裏づけのある史実はかぎられているのだし、わかっていることを基に、多かれ少なかれ脚色しなければ、鑑賞に資する作品にはならない。

だが、そうは言っても――と反論したくなるのはわかる。いまは昔と違って、曖昧だった伝承と史実が切り離され、史料の裏づけがあって史実と呼べるものが存在する。また、史実と断定はできないまでも、周辺の史実から「こうに違いない」と類推できることもある。

大河ドラマが視聴者のあいだで「歴史ドラマ」と認識されていることは否定できない。そうである以上は、一定の脚色は必要悪だとしても、史実とされていることまで捻じ曲げるのは、行きすぎだといえるのではないだろうか。

「鎌倉殿の13人」では、とくに3代将軍実朝が登場した頃から、「捻じ曲げ」と呼べるような「脚色」が鼻につくのである。

■「実朝が愛したのは男性」への心配

後鳥羽上皇の従妹が嫁いで12年経っても、実朝とのあいだに子供ができなかったことや、それでも実朝が側室を持たなかったことは史実である。側室を拒んだのは後鳥羽上皇に遠慮したからだ、という説がある。ところが、「鎌倉殿の13人」では、実朝を北条泰時に恋する男性として描いた。

そうした性向でなかったことを証明する史料がない以上、新解釈といって言えないこともないのかもしれないが、こうもハッキリ描かれると、実朝のイメージがそこに固定しないかと心配になる。

さらにどうかと感じたのは、実朝の「京都かぶれ」である。

■実朝暗殺の伏線を無理矢理に設定

実朝は和歌などを通じて後鳥羽上皇と交流し、上皇を敬っていた。子供ができないため、上皇の子息である親王を将軍に迎え、自分はその補佐役になろうと考え、上皇は上皇で、実朝を親王将軍の補佐役にふさわしい地位にするために、異例の出世をさせた。これは史実である。

だが、一方で実朝は、鎌倉殿としての自負も持っていたと考えないと筋が通らない。

自分の左近衛大将任官の拝賀行列に並ぶために、鎌倉に下向した大江広元の次男が京都に帰ろうとしたとき、実朝は激怒して「所存の企て、関東を褊するに似たるなり(その行動は幕府を見下している)」と伝えている。いったん鎌倉に来た以上、また朝廷に仕えたいなんて、もってのほかだというのだ。

武士の府である鎌倉の統治者としての自信と誇りがなければ、こうは言えないだろう。ところが、第44話「審判の日」で、実朝は義時に「いずれ京に行く。御所を西に、内裏に近い六波羅に移すつもりだ」と語っている。そして、その発言が彼の暗殺につながるという描き方をしているのだ。

■実朝暗殺は単独犯行だった

しかも、実朝暗殺という鎌倉最大の悲劇の描き方が、悲劇をドラマティックに盛り上げようとするあまり、史料から読み取れる内容と、かなり異なっていた。

『吾妻鏡』や『愚管抄』からわかるのは、八幡宮の石段を下る実朝の前に、頼家の遺児の公暁が太刀を持って飛び出し、「親の仇」云々と言って実朝の頭部に斬りつけ、倒れた実朝の首をはね、さらには太刀持ち役を北条義時と交代していた源仲章を、義時と間違えて斬った。そして、実朝の首を持って逃走した。それだけだ。

日本刀を持つ侍姿の人物
写真=iStock.com/Josiah S
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Josiah S

昔から、公暁がだれかに操られていたという説はある。北条義時黒幕説、三浦義村黒幕説……。しかし、そもそも親王将軍の擁立は実朝の暴走ではなく、政子や義時も一緒になって進めてきたこと。それに関して意見の対立があったとは考えられず、実朝が死んでも義時が利するところはない。そう考える研究者が多い。

義村にしても、たしかに公暁の乳母夫ではあるが、これまで一貫して体制を擁護することで家を守り続けてきた彼が、ここでそんなリスクを冒すだろうか。

それに、こうしたクーデターは、事前に漏れればまずつぶされる。将軍を殺すなどという大それた計画について、いくら乳母夫だからといって、義村に漏らすとは思えない。だから今日では、実朝暗殺は公暁の単独犯行だったというのが通説になっている。

■「北条義時=黒幕」はあまりにご都合主義

では、それが「鎌倉殿の13人」ではどう描かれていただろうか。第44話で、公暁は三浦義村に、実朝の右大臣拝賀の儀式の際に「実朝を打つ」と相談し、義村はそれへの協力を申し出ている。さらには、そのことが北条義時にバレて、義時は実朝に式典の取りやめを打診する。

高野山・龍光院所蔵「承久記絵巻」巻第2より北条義時部分
高野山・龍光院所蔵「承久記絵巻」巻第2より北条義時部分(図版=wilkinson777/PD-Japan/Wikimedia Commons)

ところが、そこで先に記した「いずれ京に行く」という発言が実朝の口から飛び出したので、義時は公暁がクーデターを起こすと承知のうえで、あえて式典を強行し、実朝が殺されるように仕向ける――。そう描いて、義時に「そんな人(実朝)に鎌倉殿を続けさせるわけにはいかん、断じて」と言わせるのである。

一方、実朝も公暁が自分を狙っていることを知らされてしまい、それを機に、兄の頼家が北条に殺されたと初めて知って、「公暁が自分を恨むのは当然」と思って公暁に謝りに行き、公暁の前で土下座までするのだ。

実朝はこうして北条への恨みを募らせ、それを知った義時は「黒幕」の義村に「鎌倉殿は私に憤っておられる。公暁が討ち損じたら私は終わりだ」と伝える。

要するに、義村も義時もみんな黒幕で、周囲がみな公暁の謀反を事前に知っていながら、あえてだれも止めず、予定通りに実朝は殺される――。

さらにいえば、公暁に土下座までした実朝は、公暁への同情からだろう。襲われてもあえて抵抗せず、短剣をわざと地面に落とし、率先して殺されるのである。

これも新解釈ということなのか。しかし、韓国ドラマによくあるようなご都合主義の連続を、歴史ドラマで描いていいものだろうか。

■主人公の義時を買いかぶりすぎている

実朝の暗殺後、義時の嫡男である泰時は父に向かって「すべてあなたの思い通りになった。私がそれを止めてみせる。あなたの思い通りにはさせない」と言っている。

しかし、そもそも実朝が殺されたことは、史実に照らすなら、義時の「思い通り」だったとは考えられない。なんでもかんでも義時の思い通りになるという設定で、彼が主人公だから、ある程度は買いかぶるのも仕方ないにせよ、少々度がすぎてはいないか。

■史実を無視してもドラマ性を描く

それは義時と政子との関係についてもいえる。身内がことごとく非業の死を遂げる政子が、悩まなかったはずはない。しかし、義時のさまざまな「思い通り」によって政子が苦しんでいるような描き方はいかがなものか。

史料からは、父の時政を追放して以降は、政子と義時は二人三脚で歩み、さまざまな決定をしてきたとしか読み取れないのだ。

実朝が殺されると、政子は自殺未遂をはかり、「伊豆に帰る」と言い出す。人間的で涙もろい政子と、冷酷非道な義時。そんな描き方は、最終回の義時の「非業の死」に結びつけるための策だと想像する。

だが、結論ありきで、そこに向かうために、史料から確認できることまで無視して、都合よく脚色を加える姿勢は、すでに脚色を超えてしまっている気もするのだが。

■三浦義村は公暁に自ら手をかけたのではない

また、ことを成し遂げたのちの公暁は、『吾妻鏡』や『愚管抄』によれば、三浦義村に使者を送って、「自分が将軍の後継だ」という旨を伝えている。義村はすぐ義時に通報し、義時から「殺せ」という指示を受ける。そこで強敵である公暁を殺すために、長尾定景という家人らを送って討ち取らせた

しかし、第45話「八幡宮の階段」では、義村が食事中の公暁を自ら刺し殺している。要するに、義村は黒幕だったので自分で落とし前をつけた、というストーリーにされているのである。史料で確認できることは、それに従ってもいいように思うのだが。

■歴史への理解ではなく誤解を広げている

こうして指摘しだすとキリがないが、話を戻すと、大河ドラマはフィクションであるということを、視聴者は覚えておいたほうがいい。とりわけ個々の人物の感情描写は、ほとんどが現代劇のそれである。だからこそ現代人が観て面白いのであって、それは否定すべき材料にならないだろう。

しかし、そのことをわかっていたとしても、大河ドラマに登場する多くは、歴史上に実在した人物であり、現実に起こった事件がドラマ化されている。だから視聴者の頭には、「北条義時」や「源実朝」等々の人名や「承久の乱」といった歴史用語が、ドラマで描かれた通りに記憶されてしまう。

大河ドラマを通して歴史への興味を深める人は多い。それは歓迎すべきことだが、残念ながら、歴史への「理解」ではなく「誤解」を深めてしまう視聴者もいるはずだ。それだけに「みなさまのNHK」には、史実の扱いにはもう少し慎重になってほしいのである。

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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。小学校高学年から歴史に魅せられ、中学時代は中世から近世までの日本の城郭に傾倒。その後も日本各地を、歴史の痕跡を確認しながら歩いている。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。著書に『イタリアを旅する会話』(三修社)、『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)がある。

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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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