1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 政治

「後見役の安倍氏がいなくなったら何もできない」岸田首相が"冴えない政治"を続ける根本原因

プレジデントオンライン / 2022年12月16日 8時15分

安倍晋三写真展を鑑賞後、涙ぐみながら報道陣の取材に応じる岸田文雄首相=2022年11月24日午後、東京都港区の東京タワー[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

なぜ岸田政権の支持率は低迷しているのか。評論家の八幡和郎さんは「後見役の安倍晋三氏がいなくなったことが一番の原因だ。頭脳明晰で官僚の評判もよいが、結局は世襲政治家なので難局を突破する力がない」という――。

■岸田首相をダメにした「安倍氏の死」

物価だけは高騰するが賃金は上がらず、3人の閣僚は世論に押し切られる形で「ドミノ辞任」し、国民はあきれている。そして、防衛費をGDPの2%にと勇ましく宣言したが、財源は増税と言うので閣内も党も大混乱である。

岸田文雄首相がなぜ急にダメになったのか。それは、安倍晋三元首相が暗殺されて後見が得られなくなくなったからだ。岸田氏が首相として適任だったのは、安倍氏の後見が前提で、「安倍抜き」の岸田首相は想定外だった。

少なくとも7年半に及ぶ安倍長期政権の後半において、安倍氏は岸田氏を後継者候補ナンバーワンと想定していたし、私もそれがよいと思った。

安倍外交を大過なく引き継ぎながらも、国民の飽きを防ぐためには経済社会政策では、少しリベラルな基本ポジションに軸足を移したほうがよいように見えた。また、いい加減に決着をつけねばならない憲法改正にしても、「戦後レジームの克服」などと高飛車な安倍氏の姿勢より、「実態と合わないから」という岸田氏のソフトムードの方が国民投票で負けるリスクが小さい。

結果的に菅義偉首相になったのは、任期満了での総裁選挙や、4選後に任期途中で禅譲といった常識的な日程でなく、安倍氏の病気辞任という非常事態だったからだ。

■政治家としてのすごみが欠けている

2021年の総裁選挙で安倍氏が高市早苗氏を支持したのは、「河野太郎新総裁」を回避するために三つ巴にする必要があったからで、安倍氏も岸田氏の当選を想定していたはずだ。

そして、就任後の岸田首相は無難で、支持率も高かった。総選挙にも勝ったし、参議院選挙の大勝は安倍暗殺に少し上乗せされたにせよ、見事な結果だった。

ところが、その後は、散々だ。国葬など根回しさえ怠らなかったらどういう形であれ無難な着地ができた問題だ。旧統一教会問題を受けた被害者救済新法などへの対策は正当だが、少なくとも政治テロに報酬を与えるような形で進めたことは民主主義に対して大きな悔いを残すだろう。

自分の確固たる信念、孤立を恐れない勇気、守るべき人を損得抜きで見捨てない、勝負どころでの果敢さ、政治家としてのすごみといったものが、安倍氏にはあって岸田氏にないものだ。

■リーダー不在で迷走する安倍派の惨状

それでも安倍氏という後ろ盾があったときは、岸田氏はまずまず良い首相だったと思った。ところが、安倍氏がいなくなった途端にすべてが暗転した。

もちろん、この混乱は岸田首相だけの問題でもないし、責任でもない。まず、安倍派というものがなかば空中分解している。誰しもが認める後継者がいればいいし、そうでなければ、派閥の元会長だった細田博之が復帰してもいいのだが、衆議院議長になっているので無理だ。

安倍氏の実弟の岸信夫氏は体調が万全でない。長老の森喜朗元首相は五輪スキャンダルの真っただ中にいる。将来のホープの福田達夫氏は旧統一教会問題で泥をかぶるには最適任だったのだが、「何が問題か分からない」と軽率な発言をした後は黙ってしまった、などなど頼りない状況だ。

安倍派の面々は防衛費増強を岸田首相に要求していたが、財源について及び腰なのはいかがなものか。戦時の一時的な支出増ならともかく、恒久的に増える支出を国債でと言う経済学はありえない。それなら、民主党内閣の財源論なきマニフェストを批判したのを謝罪しなくてはなるまい。

安倍氏が生きていたら、方向性は同じでもう少し説得的な議論を展開したと思う。そのなかで、稲田朋美元防衛相が増税やむなしと正論を吐いているのは評価したい。

一方、岸田首相もGDP2%を受け入れる前に、増税もやむなしという点について根回しを怠ったのもいかがかと思う。

そうしたことも含めて、岸田氏の足元の宏池会には政策的には有能でも、「お公家さん集団」と言われて、根回しや世論対策で岸田氏の弱さをカバーする人材がいない。

■宏池会でも果敢だった非世襲政治家

岸田氏と宏池会の弱さの原因は、世襲政治家に特有なものだ。そもそも、宏池会は吉田茂の派閥を佐藤栄作の周山会と分ける形で1957年に結成された(このほか、親吉田だが独立性が強かった緒方竹虎のグループが石井派となったが、やがて消滅した)。

この派閥は前尾繁三郎、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一、加藤紘一、堀内光雄、古賀誠を経て岸田派になった(2001年に分裂して谷垣派が別に成立)。

宏池会でも、池田勇人や大平正芳といった非世襲政治家は、調整型でなく果敢な勇気ある政治家だった。

(写真左から)池田勇人 内閣総理大臣/大平正芳 内閣総理大臣
(写真左から)池田勇人 内閣総理大臣(写真=Eric Anefo Koch/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons)/大平正芳 内閣総理大臣(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

大平正芳は、岸信介によって形成された新安保体制を軍事同盟として確立させたといってよいし、鄧小平を改革開放路線に誘導し、米国が提唱したモスクワ五輪ボイコットに躊躇なく追随した。キッシンジャーが日本の政治家のなかで「彼だけは約束した以上のことをする」と例外的に評価しているほどだ。一般消費財やグリーン・カードの導入など国民に嫌われる増税に初めて取り組んだのも大平だ。

ところが、宮澤喜一元首相や岸田首相、さらには派閥の後継者候補と言われる林芳正外相には、そういう覇気がない。「官僚の言いなり」とか、「中国や韓国に弱腰」という批判が正しいとは思わないのだが、分からないでもない。

拙著『家系図でわかる 日本の上流階級 この国を動かす「名家」「名門」のすべて』(清談社)でもこの二人を取り上げたが、ともに、地元名門経済人で政治家も兼ねてきた一家の出身だ。

■頭脳明晰だが突破力のない岸田首相と林外相

岸田家は東広島市の富農だったが、曾祖父が台湾で成功し、祖父の正記氏は衆院議員も務めた。林家は江戸時代から下関の豪商で、高祖父が代議士、祖父の佳介氏が衆院議員だった。そして、父である岸田文武氏と林義郎氏はいずれも通産官僚(現・経産官僚)から政治家になった。私の役所勤め時代の先輩だが、紳士で人望が厚かった。

文武氏の妹は宮澤喜一元首相の弟で元法相の宮澤弘の夫人、林外相の母親は宇部興産の俵田家出身で、弟が木戸侯爵家を継いでいる。

岸田首相は小学生時代に米国にいて早稲田大学政経学部卒。林外相は東京大学法学部から米国留学。民間企業で修業したのち父親の秘書となった。選挙地盤は安定しているので、厳しいどぶ板選挙は経験していない。

両人とも頭脳明晰(めいせき)で「政界のプリンス」といわれ、聞き上手で自分の意見を言わず、党内や各省庁のとりまとめに重宝されてきたので、官僚の間での評判もよい。

だが、政治家として何をやりたいのか、よく分からない。魅力的な政策を掲げることもなく、難局突破のための先陣を切るわけでもない。

これだから、安倍元首相という後見人が発破をかけて方向を示すなかで、野党やマスコミも含めた反対派との調整にあたるとか、世界から一目置かれ続けている安倍氏の助力を得ながら外交を展開している分にはよかったのだが、その後ろ盾を失ったら何とも頼りない。

■平成・令和の首相は世襲政治家ばかり

2020年9月16日、菅義偉首相が首相に就任
2020年9月16日、菅義偉首相が首相に就任(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

近年の自民党では、世襲政治家が主流になっている。数だけでなく、年齢の割に若くて閣僚になるし、当選回数の割に重要ポストに就ける。

自民党が政権復帰した1996年の橋本龍太郎首相以降、自民党の首相は9人であるが、親に政治経験がある点で一致している。

橋本・安倍・岸田の3人は父親の死去ののち直接継承。福田康夫は父親の引退。小泉純一郎は地盤を受け継いだが一回落選したのち当選。小渕恵三は5年、麻生太郎は24年の空白期間を置いての継承、森喜朗は父親が町長で地元政界のドンだった。

菅義偉だけは父親が町議だが選挙区とは関係ないという意味では世襲政治家でない。

■父親の「引退」で若くして政治家に

しかも、ほとんどの首相経験者に共通するのは、父親が想定外に若死にしていることだ。このあたりは、『日本の政治「解体新書」:世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)で詳しく分析しているが、小渕の父は54歳、橋本は56歳、岸田と小泉は65歳、安倍は67歳でいずれも現職代議士のまま死去した。

そのおかげで、橋本と小渕は26歳、小泉は30歳、岸田は35歳、安倍は36歳で初当選できた。いずれも、父親が標準的に70歳代半ばになって引退したのち継承していたら、総理になるのは難しかったのではないか。

つまり、平成・令和の日本の政界で総理になる条件は、「国会議員の息子に生まれ、父親が早死にすること」なのだ。

■世襲政治家は未曽有の国難に向いていない

そんなことをいっても、世襲政治家、とくに親が早死にしたなどというのが自民党の政治家の多数派ではない。ところが、非世襲政治家からしても、同年配で早く出世するのが能力の高い同僚だと口惜しいし、支持者にも顔向けができないが、親が元首相だったり閨閥(けいばつ)に恵まれている政治家であれば、「あれはプリンスだから仕方ない」と諦めがつくらしい。

永田町は、江戸城の大広間みたいなものだ。徳川時代に大名たちは参勤交代で江戸にいる期間は、だいたい週に一回くらいのペースで登城して、大広間、帝鑑間などという控えの間に集まり、社交を行ったり政治を論じたりしていた。

そして、そのなかで人望がある人が老中などになったのだが、あまり切れ者ぶりを見せつけても嫌われるのが落ちであった。いまの自民党も同じだ。岸田首相は自分の意見を言わないから誰からも好かれた。林芳正外相は経歴からすれば見識はあるはずだが、誰もそれを聞いた人がいないに等しい。

政治家に限らないが、世襲はこれまで通りのやり方を続ければいいだけなら、賢い流儀だ。だが、経験したことない事態に対処したり、改革をしたりするには向かない。

安倍元首相だって、第1次内閣の時は世襲の悪いところばかりが出て散々だったが、その失敗を糧にして人並み外れた努力をしたから大宰相になれたのだ。

■政権の延命を望む理由は「広島サミット」

なんとも冴えない岸田内閣だが、最新の共同通信世論調査では、「できるだけ早く辞めてほしい」は30.2%に過ぎず、「2023年5月の広島サミットまで」が23.6%、「2024年9月の自民党総裁任期まで」が29.4%、「総裁選挙で再選」が12.3%、無回答などが4.5%である。

私も思うところはいろいろあるが、次期総裁選挙まで頑張ってほしい。というのは、来年の広島サミットは世界の核軍縮という長期的な目標のために大事なチャンスで、そのときに、被爆地出身の岸田首相であることはとても大事だし、その首相がすぐにでも辞めそうな状況ではイニシアチブが取れないからだ。

春の広島平和記念館と日章旗
写真=iStock.com/TommL
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/TommL

ただ、そこまで頑張るためには、これまでの政権運営を反省して、たとえば、「安倍さんならどうしただろうか」といったようなこともさまざまな局面で考えてほしい。

■ポスト岸田は非世襲の茂木氏が最適任か

ポスト岸田はどうかと聞かれたら、現時点では、茂木敏充自民党幹事長が断然いい。世襲でないし、安倍政権下でも自力で難しい問題をよく処理し、安倍氏に評価されてきたわけで、自立した力がある。旧統一教会に関する「被害者救済法」のとりまとめでも辣腕ぶりを実証した。外交能力も実証済みだ。

河野太郎氏は、突破力はみとめるし、いつか首相になってほしいが、たとえば、中国との関係など、前回の総裁選挙で危惧された諸点を何も解決していないのが残念だ。

高市早苗氏に期待する声もあるようだが、安倍氏の後ろ盾のない状態で、どのような立ち位置になるのか、まだ見通せないのではないか。

菅義偉前首相の再登板は、もっとも無難だろうが、むしろ、副総理格で入閣して、思い切った改革を支えてくれるのが正しい役回りのように思う。

岸田首相はこのまま「自分の意見を言わない聞き上手」で終わるのか、国難を突破した名宰相となるのか。今はまさに、世襲政治家から脱皮できるかどうかの踏ん張りどころだといえる。

----------

八幡 和郎(やわた・かずお)
徳島文理大学教授、評論家
1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。北西アジア課長(中国・韓国・インド担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、現在、徳島文理大学教授、国士舘大学大学院客員教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。著著に『日本の総理大臣大全』(プレジデント社)』、『安倍さんはなぜリベラルに憎まれたのか』、『令和太閤記 寧々の戦国日記(八幡衣代と共著)』(いずれもワニブックス)など。

----------

(徳島文理大学教授、評論家 八幡 和郎)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください