「彼の強みは境界を越える力」村井チェアマンが感動した吉田麻也選手の「弟力」とは
プレジデントオンライン / 2022年12月16日 10時15分
■海外の記者に囲まれても堂々と英語で対応
――W杯カタール大会の予選リーグでドイツ、スペインを撃破した日本代表は世界中のメディアの注目を集めました。試合後、選手たちは海外の記者たちに囲まれていましたが、一人も通訳をつけず、英語、スペイン語、ドイツ語などそれぞれがプレーしている国の言葉で流暢にやりとりしていて、サッカー以外の面での人間的な成熟を感じました。特にキャプテン、DF吉田麻也選手の英語の受け答えは素晴らしかった。
【村井】海外に出ることを意識していた吉田選手はまだ日本にいる頃から一生懸命、英語を勉強していたといいます。イングランド・プレミアリーグのサウサンプトンに移籍したのが2012年。その後イタリア、ドイツと渡り歩き、もう10年、欧州でプレーしています。当然、日々のインタビューは英語でこなしています。
日本代表として活動しているとき、食事の時間になると吉田選手はテーブルに堂安律選手やシュミット・ダニエル選手といった若手を集め、即興で英語のレッスンが始まると言っていました。そうした面でも一目置かれるキャプテンなんですね。
■自身の長所を「弟力」と表現している
――W杯ロシア大会を最後に、代表を引退した長谷部誠選手に代わって2018年に代表のキャプテンに就任し、4年間、チームを牽引してきました。キャプテンシーの塊のような長谷部選手の後任は難しかったと思いますが、ベテランと若手の架け橋となって、うまくチームをまとめてきたように見えます。
![【連載】「Jの金言」はこちら](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/a/1200wm/img_da1cd476c47c2df664614e8843db3f3e199505.jpg)
【村井】もちろん優れたキャプテンであることには誰も異存はないでしょう。ただ、面白いのは、彼自身が自分のいちばんの長所を「弟力」と表現しているんです。
東京五輪が始まる前ですが、日本代表になるような選手というのは人間的にはどんな人たちなのかを探るために、Jリーグの副理事長をやってもらっていた原博実さんと一緒にヨーロッパを周り、吉田選手、長谷部選手のほか、岡崎慎司選手、川島永嗣選手、長友佑都選手、香川真司選手らにロングインタビューを試みたことがあります。
吉田選手はサウサンプトンの港にある静かなレストランを予約してくれて、そこで彼の生い立ちから現在に至るまでたっぷり話を聞くことができました。
――吉田選手は長崎市で子供時代を過ごしていますね。
【村井】小学6年生まで長崎の親元で暮らしていたそうです。彼にはお兄さんがいるのですが、たまたま家族で名古屋に行くときに、その兄が名古屋グランパスでジュニアユースのセレクションがあることを見つけたそうです。弟の彼は「どうせ受からないだろうけど、記念に」と受けてみたらなんと合格してしまったのだそうです。
■「普通の高校生の生活もしたい」とあえて県立高校へ
【村井】私は吉田麻也という選手の特性が「境界を越える」ことにあると思っているのですが、この時、麻也少年は長崎から名古屋へ最初の境界を越えるわけです。お兄さんのところに身を寄せてグランパスのジュニアユースで本格的にサッカーを始めます。
ジュニアユースからユースに昇格するとき、高校をどうするかという問題があるのですが、Jクラブのユースには提携校というのがあって、サッカーと学業の両立がしやすいように配慮されています。例えばテスト期間中はクラブの練習時間を調整したりするのです。
普通のユース選手はサッカーに専念する環境を優先して提携校を選ぶのですが、吉田選手は「サッカー選手だけじゃなく、普通の高校生の生活もしたい」といって愛知県立の豊田高校に進みます。ユース選手への特別の配慮はありませんから、テスト期間中は練習が終わってから試験勉強をするのでいつも徹夜だったそうです。ここでも吉田選手は提携校という一つの与えられた境界を越えてしまいます。
吉田選手はサッカー選手としては順調なキャリアを歩み、名古屋グランパスのユースから19歳の時にトップチームに昇格してプロになりました。U-18の日本代表にも選ばれ、2008年の北京五輪にも出場しています。
■「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
【村井】名古屋グランパスのディフェンダーの主軸として活躍していた吉田選手はわずか3年でオランダのVVVフェンローに移籍します。しかし、ホペイロ(用具係)がいつもスパイクをピカピカにしてくれる恵まれた環境の名古屋グランパスに比べると、フェンローのロッカールームはシャワーもチョロチョロとしか出ない厳しい環境だったと吉田選手は語っていました。ここでも日本からオランダへと国の境界を越えています。
いちばん英語を勉強したのはこのフェンローの時代だったといい、念願かなってイングランド・プレミアリーグのサウサンプトンに移籍した。これが4回目の境界越えです。
![Jリーグのチェアマンを4期8年務めた村井満さん](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/7/1200wm/img_c7a5dd434f64f2cb6d9fd925c2a78ab8462431.jpg)
――村井さんがかつて働いていたリクルートの創業者、江副浩正氏は「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という社訓を作りました。境界を越えることで成長せよ、というメッセージとも受け取れますが、吉田選手はまさに「自ら機会を創り出し」てやってきたわけですね。
【村井】その原動力が「弟力」なのだと吉田選手は説明していました。年の離れた兄ちゃんに向かっていってはやられる。それを何とか超えようとする。一方で、兄ちゃんにかわいがられるすべも身に付けていて、ジュニアユースの時、兄ちゃんの家でお世話になったように、境界を越えるのを手伝ってもらえるようにお願いする。こうした能力を総称して「弟力」と言っていました。
■日本代表の仲間たちのためにも「弟力」を発揮
【村井】麻也という名前には「麻のようにもまれて強くなれ」という意味が込められているそうです。吉田選手は常に境界を超え、新天地でもまれて強くなっていった。そうやってキャプテン吉田麻也は育ってきたのですね。
――日本代表のキャプテンになった吉田選手はJリーグチェアマンの村井さんはじめサッカー関係者に対しても「弟力」全開で、いろんなお願いをしてきたそうですね。
【村井】最近でいうと、アジア最終予選でオーストラリアに勝って7大会連続のW杯出場を決めた試合の帰り。私は吉田選手と同じ飛行機で帰国したのですが、空港で吉田選手は「W杯出場を決めたのだから、帰ったら選手の家族を集めて慰労会を開いてほしい」と協会関係者に交渉していました。海外クラブでプレーする選手の場合、代表の合宿は主に日本。W杯予選ではアジア各国を回るので、家族にもかなりの負担がかかります。そこを「配慮してほしい」と選手を代表してのお願いでした。
■英国は勲章をもらえるが、日本は花束で終わり
【村井】10年間、欧州でプレーし多くの経験を積んできた吉田選手からはさまざまな提言をもらいました。例えば日本のトップ選手の育成はU-18で終わってしまうが、イングランドはU-21までしっかり育成している。日本ではプロになったらあとはクラブ任せになってしまうが、世界で戦うチームを作るにはポストユースの育成が大切だ、と吉田選手は言っていました。
指導者についても、イングランドではU-18に選ばれると自動的に「FAレベル2」という指導者の資格が付与される。日本ではA級、S級の指導者資格を得るには、現役を引退したあとかなり時間をかけて講習を受けなければならない。
また、選手のけがの履歴について、日本では選手に紙のフォーマットを書かせてJリーグと日本サッカー協会(JFA)が別々にそれぞれ管理している。「ITを使ってシームレスにすれば、選手の健康管理をよりスムーズに行える」というのが吉田選手の主張でした。
いちばん、吉田選手らしいな、と思ったのは勲章の話です。イングランドでは代表キャップ(選出)が100試合を超えた選手にMBE(大英帝国勲章)が与えられ、「Sir(サー)」の称号が付与される。国の代表として戦ったことがきちんとリスペクトされ、それがフットボールの文化の一部になっている。「日本では花束をもらって終わりですから」とご立腹でした。
■「僕ら選手はお客さんのいるところでやりたい」
【村井】このほかにも「選手の人生設計を考えて確定拠出型の年金を導入してほしい」とか「審判がすぐに反則の笛を吹くとインテンシティー(プレーの強度)が下がるから、軽いファールは流すようにしてほしい」とか。本当にいろいろな提言をもらいました。チェアマンとしてすべてに応えられたわけではありませんが、Jリーグをより良くするために共に戦ってくれる心強い仲間でした。
![Jリーグのチェアマンを4期8年務めた村井満さん](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/7/1/1200wm/img_71e8cc73505bf06dccb4865737d73d0b406957.jpg)
コロナ禍の東京五輪を開催すべきか延期すべきか、開催するなら有観客か無観客か。世論が割れましたが、吉田選手は「僕ら選手はお客さんのいるところでやりたい」と堂々と主張しました。何かモノを言えば叩かれかねない空気の中で、選手がどこまで言うかは、非常に難しい局面でしたが、ここでも吉田選手は力強く境界を越えていったのです。弟力とは、大きな壁として立ちはだかる兄のような存在を超えようとする覚悟のことをいうのかもしれません。日本がベスト8を狙いにいったように。
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ジャーナリスト
1965年生まれ。愛知県出身。88年早稲田大学法学部卒業、日本経済新聞社入社。98年欧州総局、編集委員、日経ビジネス編集委員などを経て2016年独立。著書に『東芝 原子力敗戦』ほか。
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(ジャーナリスト 大西 康之)
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