1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

どう生きればいいのか、わからない…18歳から生活保護を受ける27歳男性に「やる気」が見られないワケ

プレジデントオンライン / 2022年12月21日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Rattankun Thongbun

高山祐介さん(27歳)は、18歳から生活保護を受けている。最初に生活保護を申請したとき、高山さんは「どう生きればいいのか、わからない」と話した。精神保健福祉士の植原亮太さんは「日本の福祉制度は『家族』を前提にしているため、親に頼れなかった高山さんは制度の隙間に落ちてしまった」という――。

※本稿は、植原亮太『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

■なぜ困窮者はひとり耐え忍ぶのか

虐待を受けてきた人が生活保護を受けることになる際の共通点がある。それは、どんな困難に陥ったときも、人に頼らず、頼れず、孤立しながら生きているということである。

それを実感したのは、私が彼らの話を積極的に聞くようになってからだった。

不思議だった。こんなにも困窮しているのに、なぜひとりで耐え忍んでいるのかが。

私が彼らと関わる経路は2通りある。担当ケースワーカーか福祉や医療関係者からの依頼、または受給者本人が相談を希望した場合、である。

私が初回で聞きとることはおおむね決まっている。ひとつ目は、相談したいことはどのようなことなのか、ふたつ目は、抱えている問題に対して家族(主に親)は、どう言って、どう反応しているのかである。このふたつ目の質問に対しての返答で、通常とは異なる家族の様子があきらかになることがある。

■若くしてがんを患った28歳女性

事例A ひとり、病院のベッドのうえ

佐々木瞳さん(28歳)は、入院する病院のベッドのうえで生活保護の説明を受けた。彼女はがんの治療で入院中だった。病院の医療ソーシャルワーカーの勧めで、生活保護を受けることにした。治療のために、預貯金は底を突きかけていた。

そんな彼女と私が会うことになったのは、退院後の療養中にカウンセリング(心理療法)を受けられる場所はないかと、病院に出向いたケースワーカーに彼女が質問したことがきっかけだった。

退院後、私は彼女の話を聞いた。

「仕事中に倒れてしまって。最初は貧血だと思ったんです。だけど、病院では『すぐに検査!』ってなって、なんか様子がおかしくて。それで、しばらく入院することになったんです。そうしたら、がんでした。結構、大きくて、若くて進行も早いから、すぐに手術をしたほうがいいと。実は、翌月から管理職として新しい会社へ入社する予定だったんですけど、それもなかったことに……。で、生活保護。

なんか、入院中に精神的に不安定になってしまって。それで、退院したらしばらくは静養も必要だし、そのあいだに話せる場所がないかとケースワーカーさんに聞いたら、案内してくれました」

彼女は、落ち着いた口調で経緯を話した。

■筆跡を変えて手術の書類にサインをした

話を聞いている私は疑問だった。こんなに大きな病気をしているというのに、家族の関与がなにもない。まだ28歳だし、親も生きているだろう。

「失礼ですけど、そんなに大変な状況だったのに、家族はなんて? お母さんは、なにか言っていましたか?」

私の質問に、彼女はちょっと困ったように話しだした。

「うちは、なんか普通の家族とは違うので、あんまり仲がよくないっていうか……。父はもう亡くなっているし、兄とは仲が悪いし。母は……私のことが嫌いだと思うんです。手術に家族のサインが必要だったんですけど、私は母に頼みたくないと思って、それを先生に言いました。女医さんだったんです。あんまり関係がよくないし、話したくないと。そうしたら、『私が、お母さんに言ってあげようか?』って。やさしかったです。なんだか、泣けてしまって……」

結局、彼女は筆跡を変えて、母親が書いたようにしてサインし、提出したという。

契約書へのサイン
写真=iStock.com/Tero Vesalainen
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tero Vesalainen

術後の痛み、抗がん剤の副作用を、彼女はひとりで耐えた。看護師がいつも病室に顔をだして話しかけにきてくれた。「多分、気をつかってくれていたんだと思います。本当は忙しいのに」と彼女は言った。

同じ病室に入院中の女性には、母親と父親がお見舞いにきて、「がんばれよ」「よくなったら、またケーキ屋さん行こうね」と話していた。

彼女のことを見舞いにくる人は、誰もいなかった。

彼女は、友人や知人に相談したり頼ったりする発想もなかったという。「迷惑がかかると思った」「私のことで負担をかけたら、申し訳ない」そう繰り返していた。

「入院中に眠れないときがあったんです。なんだかものすごい孤立感で。それで、恥ずかしいですけど、ベッドでひとり泣いていたんです。そうしたら、隣のベッドの女性が『大丈夫ですか?』って。やさしくて、また涙が」

その女性は彼女にこう言ったという。

「あなたを見ていると、私もつらくなる」

■家から追いだされた25歳男性

事例B 文字通り、路頭に迷う

中田真司さん(25歳)は、母親から家を追いだされた。どうすればいいのかわからず、とりあえず住むところを確保しなければならないと思った彼は、不動産会社に向かった。従業員に所持金はまったくないと伝えると、一瞬で表情が変わり、眉間にしわを寄せ、「福祉事務所に行きなさい」と言われた。

ケースワーカーから頼まれて彼に会うことになった私は、生活保護にいたった経緯を細かく聞きとった。

「自分がいけないんです。仕事を辞めてしまって、収入がなくなったので。職場がきつくって、自分は出来も悪くって、辞めてしまって。『ごめん、辞めた』と言うと母が……」

母親が怒りだして、彼のことを打ったり叩いたりしたという。そんなことがあるのかと驚き、疑いながらも、私は話を聞き続けた。

■無職の母親は息子の収入だけを頼りにしていた

防戦一方の彼は、なにも言わず母親が落ち着くまで待ったという。彼の腕のいたるところには、防御創があった。

「あの人……キレると手がつけられないんで」

出て行け、もう帰ってくるな、と言われ追いだされてしまった。その日、母親が落ち着くことはなかった。

昔から母親がそんな感じなのかと聞くと、そうだという。彼が話すことを信じきれなかった私は、言い回しを変え、聞き方を変え、表現を変えながら質問を繰り返したが、彼の返事は一貫していたし、整合性があった。矛盾する点もなかった。

そこでわかったことは、母親は無職で彼の稼ぎを頼りに暮らしていたことだった。

しばらく経って、彼の母親も生活保護の申請をしてきた。申請理由は「息子から経済的な虐待を受けている」だった。

■小5で児童養護施設、18歳で生活保護に行き着いた男性

事例C どう生きればいいのか、わからない

高山祐介さん(27歳)は、18歳という年齢で生活保護を受けることになった。彼は、母親からの虐待がきっかけで小学5年生のときに児童養護施設へ入所した。彼の入所後、母親が会いにきたことは一度もなかった。

もともと人間関係が苦手だった彼は、それから不登校になった。小学校、中学校へ登校することは、ほとんどできなかった。周囲からの説得もあって高校へは入学した。しかし、その高校へも通うことはできなかった。

施設を退所したあとの生活を見据えて、働いて生計を立てていく試みをいくつかしたが、奏功せず時間だけが過ぎた。

現在は、施設に入所していられるのは原則18歳までで、必要に応じて最長で22歳になる年度末まで措置延長できる場合がある(「社会的養護自立支援事業等の実施について」厚生労働省雇用均等・児童家庭局長、2017年3月31日付の通知による)。だが、これでは十分な支援だとは言えず、2022年6月8日に改正された児童福祉法では(令和6年4月に施行予定)、本人の自立度を考慮して退所の時期を検討するなど、年齢制限の緩和などが盛り込まれた。

しかし彼が入所していた当時は、18歳になると退所しなければならない原則があった。

退所の期限は近づいた。施設側の提案はこうだった。

「生活保護の力を借りて、生きていきなさい」

こうして、彼は児童養護施設の職員に伴われて生活保護の申請に訪れた。

その申請の際に彼はこう言ったという。

「どう生きればいいのか、わからない」

■社会で生きていく術を知らない若者たち

2021年3月に、「児童養護施設等への入所措置や里親委託等が解除された者の実態把握に関する全国調査(令和2年度子ども・子育て支援推進調査研究事業)」が公表された。こういった調査が行われたのははじめてのことだった。本書では詳しくとりあげることはしないが、この調査で浮き彫りになった問題のひとつに、高山さんが経験したような社会的養護のあとに待ち受ける貧困問題がある。

彼以外にも、生活保護を受けている人のなかには児童養護施設などの出身者が少なからず存在している。彼らは一様に、社会で生きていく術を知らないようだった。

事例Aで紹介した佐々木さんは、病気の治療と、それに伴う療養が一度に重なって仕事を続けられなくなった。普通なら、そこで親に頼るだろう。きょうだいにも親戚にも頼るかもしれない。しかし、彼女にはそれがない。友人や知人にも相談する発想がなかった。むしろ、そうすべきではないと思っているようだった。

事例Bで紹介した中田さんは、乱暴な母親に忍従するだけだった。彼の話を聞くと、「母親の言うことなんて聞かないで、自分の思う通りにすればいいのでは?」と、思わず口から出てしまいそうになる。

事例Cで紹介した高山さんにいたっては、そもそも自分の人生を能動的に考えていこうとする姿勢すらないように見えてしまう。多くの場面で彼に対する誤解が生まれてしまうだろう。それは、「やる気がない」「怠けている」などである。

■国の福祉制度は「助けあえる家族」が前提で作られている

ここまでに事例を三つ紹介した。彼らの共通点は、

子が親に頼らない、頼れない
親が子の窮状に無関心で、共感がない

というものだった。なかには自分の子に対して積極的に攻撃する親もいたが、そうすることによって自分の子がどんな気持ちになるのかという視点がない。だから、これも自分の子に対しての一種の無関心と言える。

彼らの家族の影は薄いか、気配をまったく感じさせない。

それに付随するように周囲にも人がいない。実際にはいたとしても、危急が差し迫っても頼ろうとせず、彼らは、まるで人や社会を避けているかのようである。

植原亮太『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)
植原亮太『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)

虐待を受けてきた彼らの自己主張は弱く、受身的だった。人と関わり、社会のなかで適応していくことに心理的な困難を抱えているようだった。これらの特徴を、三つの事例を通して述べてきた。

しかし、さらに輪をかけて彼らを追いつめているものがある。

それは、この国の福祉制度である。

行政が行う公的支援は、家族を単位にして考えられている。しかもその家族の前提は、相互に支えあう機能を持っている(虐待が起きない)、いわゆる「普通」の家族である。だが、虐待を受けてきた彼らは、家族の支えや助けあいとは程遠いところで生きている。

----------

植原 亮太(うえはら・りょうた)
精神保健福祉士
1986年生まれ。公認心理師。大内病院(東京都足立区・精神科)に入職し、うつ病や依存症などの治療に携わった後、教育委員会や福祉事務所などで公的事業に従事。現在は東京都スクールカウンセラーも務めている。専門領域は児童虐待や家族問題など。

----------

(精神保健福祉士 植原 亮太)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください