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頭を引きずられ、ホチキスを打ち込まれる…パニック障害で苦しむ女性が5歳時に受けた「壮絶な虐待」

プレジデントオンライン / 2022年12月31日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/simarik

幼児期の虐待経験が、重い精神疾患や社会的孤立などの「生きづらさ」の原因となることがある。精神保健福祉士の植原亮太さんは、生活保護支援の現場でそうした事例に接し、著書『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)にまとめている。本書より、パニック障害に苦しむ26歳女性の例を紹介しよう――。

■カウンセラーを信用できない26歳女性

次に紹介するのは、パニック障害を発症した女性である。

彼女は両親から虐待を受けて生き延びてきたが、幼少期から児童相談所の介入があり、被虐待児に対する支援などを受けてきた。ところが、それがかえって彼女の支援者・専門家・治療者に対する不信感につながっていた。

「話しても、あんまり信じてもらえないかもしれないんですけど。それに、専門家やカウンセラーの方って、ちょっと苦手で……あんまり信用できないというか。すみません、批判しているわけではないんです。なんか、決めつけられてしまうのが苦手というか、いろいろとやってくださるのは、ありがたいんですけど……すみません」

そう話しているのは、中山優子さん(26歳)である。

まるで怯える小動物のように体を震わせ、視線をそらし、聞き取れないくらいの声で小さく言って、謝る必要もないのに謝っていた。

私が彼女の話を聞くことになったのは、彼女の担当ケースワーカーからの依頼だった。

生活保護を受けるようになってしばらく経つ。療養指導も就労指導も、なかなか実らなかった。それで、私が関わることになった。

「子どものころのことって、いまの状況に影響しますか?」

と彼女が、ぽつりと私に聞いた。

「ええ、影響することもあると思います」

彼女は、私の反応をうかがうように話しだした。

■母親の目を盗みゴミ箱から食べ物をあさる日々

「優子! ちょっとこい! 本当にばかだね! 何度言ったらわかるんだ! 捨てられたいのか! こんなやつに食わせる飯なんかない!」
「ごめんなさい……」

なにがきっかけで急に怒りだすのかわからない母親に怯える日々。それが彼女の人生初期の記憶だった。

母親は急に怒りだし、当時5歳の優子ちゃんを叩き、体を押し倒し、引きずり回した。そして、彼女が自分の手で用意した昼食をゴミ箱に捨てた。お腹が空いて耐えられなかった彼女は、母親の目を盗んで、こっそりゴミ箱をあさり、それを食べた。

廃棄物
写真=iStock.com/guss95
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/guss95

当時、彼女は母親と弟と3人で公営住宅に住んでいた。日常的に母親からの暴力を受けており、いつもその顔色をうかがっていた。母親を見ていると「見てくんな」と言われて叩かれた。拳が目に直撃して腫れぼったい瞼になった。すると今度は、「目つきが悪い」と言われてビンタをされた。

子どもが幼稚園に通っている様子がない、深夜にひとりで歩いている、お酒を買いにきた子どもがいる……。そんな数件の通報が児童相談所に寄せられていた。それで、ある日、彼女の自宅に児童相談所の職員が訪問してきた。その光景を、割とはっきり覚えているという。

■児童相談所の職員が自宅を訪れるも…

「ごめんください」

母親が玄関を開けると、柔和そうな女性が立っていた。その後ろに若い男性がいた。

不機嫌そうに母親が、

「なんですか」と言うと、扉の外に立つ女性が答えた。とてもやさしそうな声をしていた。

「いろいろと子育てのことで大変だと思って。少しでも力になれることはないかしら?」

母親は面倒くさそうにしていた。

「大丈夫です、間にあってるんで」

「お母さんひとりで小さな子どもをふたりも育てるのは大変でしょ?」と、その女性は言い、部屋のなかを覗き込みながら「お子さんの顔、見せてもらうことできる?」とたずねた。

「見せるから、帰ってください」

母親に玄関までくるように言われて、彼女は顔をだした。

「あら、その目、どうしたの? 腫れているじゃない?」女性職員が言った。

「きょうだい喧嘩です」と、きっぱり言いきった母親だったが、3歳になったばかりの弟がつくれるような目の痣ではなかった。

なにかを察したのだろう。女性職員が母親に向かって、とっさに言った。

「イライラしちゃうこととか、ない?」
「なんなんですか! 人の家庭に首を突っ込んできて! 迷惑なんですけど! もういいです!」

母親は急に怒りだした。その勢いに気圧されて、

「じゃあ、また失礼させていただきますね」と言って、職員たちは帰っていった。

玄関の扉が閉まった。

■わが子の頭にホチキスを打ち込む母親

「お前のせいで!」

彼女の頭に衝撃がくわわった。足元にはホチキスの本体が転がっていた。痛むところを触っていると、指先に硬いものが触れた。それを引き抜くとホチキスの芯だった。

ホチキス
写真=iStock.com/Dian Zuraida
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Dian Zuraida

髪の毛を鷲掴みにされ、引きずられ、奥の和室へと連れて行かれた。ところどころ破れている襖、擦りきれた畳に残る赤黒くなった何日か前の血、そのうえに真新しい血が落ちた。それを、彼女はティッシュペーパーを持ってきて拭いた。汚れていると、また怒られるからだ。

暴力を振るわれているあいだ、彼女は何度も母親に謝った。「ごめんなさい」と繰り返した。が、許してもらったことはなかった。母親の気がすむまで、じっと耐えるしかなかった。

母親は、優子さんが小学校に就学するのに必要な手続きを怠っていた。この件で連絡を受けた児童相談所から、前と同じ女性職員が再び訪問してきた。母親が嫌そうに応じ、それから彼女が呼ばれ、二言、三言、会話した。

小学校は楽しかった。毎日おいしい給食を食べられた。

三度、児童相談所の職員が訪問してきたある日のこと。母親と職員が玄関で短い会話をした。その後、玄関が閉まり、母親がものすごい剣幕で彼女のほうへ歩み寄ってきて、いきなり蹴り、近くに置いてあったテレビのリモコンで彼女のことを打った。

「お前が学校で余計なことを言うから、私が虐待していると思われているだろ!」

彼女には心あたりがあるという。

「多分、私が学校の先生に、家でご飯を食べられないことがあると言ったから、それが児童相談所に伝わって、それで家にきて、ちゃんと食べさせるように言ったんだと思います。私は、ここで食べておかなきゃいけないと思って給食をたくさん食べていたので。家のことは外で話してはいけないんだと思ったことを、覚えています」

外部から不用意に刺激すると(介入すると)悪化する虐待がある。私の頭には、いくつもの児童虐待死のニュースが浮かんだ。

■なにをどうがんばれかいいのかがわからない

児童相談所が介入してくれたおかげで、弟は幼稚園に入ることができた。しかし、お迎えは彼女の役割になった。小学校からの下校途中で弟を迎えに行き、そのまま買い物をする。それが一家の晩御飯だった。母親は、まったく料理をしなかった。

それから彼女は、母親に彼氏ができたこと、その男の人がとても怖かったこと、いつの間にかその男の人は家に入り浸るようになって、やがて住みはじめたことなどを話した。

間もなく、母親と男のあいだには子どもが生まれた。女の子だった。優子さんは新しくできた妹をかわいがったが、すぐに別々に暮らすことになった。妹は、児童相談所が引きとっていった。

児童相談所の職員は、彼女が小学校、中学校と進むまで、定期的に家に訪問してきた。「がんばっていくのよ」と彼女は職員から言われた。しかし、なにをどうがんばればいいのかわからなかった。

■家を出る日に「家政婦がいなくなった」とポツリ

優子さんは、学校で必要なものを母親から買ってもらったことが、ほとんどなかった。しかし、それを学校の先生には言えなかった。そのせいで、「忘れ物が多い」「だらしない」と叱られることもあった。だから、高校生になってアルバイトができるようになったことが、とてもうれしかった。家とは違って一生懸命にやれば褒められたし、自分の意思でほしいものを手に入れることができた。そしてなにより、たとえ失敗したとしても一方的に怒られ続けることなどなかった。

ところが、ある日、貯めていたアルバイト代を母親にとられてしまった。それでも彼女はめげなかった。今度は、母親に気づかれないようにアルバイトをし、こっそりとお金を貯めた。帰宅が遅い彼女に、母親はなんの関心も示さなかった。

──目標にしていたひとり暮らしをするためのお金が貯まり、高校の卒業と同時に家を出た。就職先はなるべく親から遠く離れたところにしようと決めていた。

「家政婦がいなくなった」

彼女が家を出て行く日に、母親はそう言った。

■幼少期からの謝る癖が今なお抜けない

会社には朝一番に出勤し、夜は最後に退勤した。土日は会社に黙って出勤し、仕事をするうえで必要な資料に目を通し、暗記したり、完成させなくてはならない資料を仕上げたりした。別に、誰かの指示でも頼まれたわけでもなかったが、そうしないと周りに追いついていけないと思ったから、自らそうしたのだという。

入社して4年目の、ある朝の通勤電車内で、彼女ははじめてパニック発作を起こした。水中に沈められているのではないのかというくらいの息苦しさ、窒息感に襲われた。額に汗がにじみ、手指が震えた。なんとか職場にたどり着いたが、今度は周りの社員たちからの目が急に怖くなった。トイレに駆け込み、嘔吐(おうと)してしまった。

翌日以降、出勤することが怖くなった。続けて何日も休んだ。

上司からは休職を勧められた。彼女は必要な手続きに則って精神科を受診した。診断書をもらい、それを会社に郵送した。

休職している期間中に、症状がよくなっていくことはなかった。

このまま会社に在籍することが迷惑だと思った彼女は、退職することにした。

しばらくぶりの会社で、彼女は最後のあいさつをした。

「ろくに役に立たなかったと思います。いろいろとご迷惑をかけました。すみません……」

彼女が謝るのは、小さいころからの悲しい癖だった。

■ケースワーカーの「がんばろう」という言葉が刺さる

仕事を休んで家にいることに罪悪感があった。怠けた暮らしをしていることを誰かが監視しているのではないかとさえ思った。カーテンを閉めきり、外にはほとんど出なかった。

必要な食料品はインターネットで注文した。2週に一度の精神科への通院も、帽子を目深にかぶり、大きなサングラスをし、なるべく人目を避けた。

貯金は思いのほかに早く尽きた。家賃の支払いに困った彼女は、調べているうちに生活保護の案内へたどり着いた。

22歳のときに生活保護受給者になった。母親に相談するという発想は、彼女にはなかった。

福祉事務所で実施している就労支援を受け、面接を通り幾度も採用された。しかし、いざ仕事がはじまると長くは続かなかった。パニック発作はなんとか抑えられたが、人の視線に対する怖さが和らぐことはなかった。

変わらず続けていた精神科への通院で、医師は休むように彼女に言った。これを受けて就労支援は、ひとまず中止になった。

通院と並行して、民間のカウンセリングルームにも通った。なるべく費用が安いところを探した。彼女の管轄の福祉事務所には、自立支援の一環としてカウンセリング料金を助成する制度があった。担当ケースワーカーからの勧めで、それを利用することにした。

「がんばって、よくなっていこうね」

そんなケースワーカーからの言葉の裏に、「いつまでも怠けていないで、働けるようになって」という意図を彼女は感じた。

■カウンセラーのためにがんばらなくてはいけないのか

カウンセラーは、やさしそうな雰囲気の女性だった。家庭環境のことを聞かれた。そして、これまでの人生のことを話した。すると、涙を流しながら「大変だったわね」と何度も言ってくれた。しかし、その様子に、本当にわかってくれているのかと疑問を感じてしまった。どことなく、嘘っぽく思ったという。だから、そこに通うことはやめてしまった。

また違うところにも通った。今度は博識そうな男性カウンセラーだった。同じように幼少期からの家庭環境を聞かれた。そこで言われたのは、「過去のことは過去のこととして、生きていきましょう」だった。そうやって、前向きになろうと努力したことは彼女にもあった。だが、そう簡単に前向きになることはできなかった。

認知行動療法も受けたが、思うような効果は得られなかった。カウンセリングに通うことをやめようとしたが、「もう少しがんばってみましょう」とカウンセラーは言った。すると、カウンセラーのためにがんばらなくてはいけないような気がしてきて、ますます足が向かなくなった。

■パニック障害はがんばってきた人に発症しやすい

私は、これまでの人生のこと、そして生活保護を受けるようになってからの、彼女の数年間のいきさつを聞いて、できる限りていねいに感想を返した。

「ええっと、たしか、ケースワーカーさんから勧められていらしたのでしたね。お話をうかがいましたが、とても大変な人生でしたね。ここまで、よくひとりでがんばってきたと思います。

それと今日は、よくいらっしゃったと思います。こういう話をお医者さんやカウンセラーに何度も話すのは、結構しんどいものですよね。とにかく、いままで、よくがんばってきたと思います」

私がそう言うと、中山さんは驚いたように顔をあげた。

植原亮太『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)
植原亮太『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)

「……がんばれとは言われてきたんですけど、がんばってきたと言ってもらったのは、はじめてのような気がします」

「大変な環境だったと思います。その環境を生きてきて、それからひとりで働いて、誰にも頼らずやってきたのだから、相当な苦労だったでしょう。

パニック障害というのは中山さんのように、たくさん苦労して、その苦労を堪えて、がんばってやってきた人に発症することが多いんです。よく、がんばりが足りないからだとご本人は言うけれど、その逆です。がんばれなくなる恐怖心から、より、がんばる。その恐怖があふれだして、発作になるんです」

私がパニック障害の説明をしている最中、彼女は静かに聞き入っていた。そして、やや震えた声で絞りだすように言った。

「自分のがんばりが足りないからだと思っていました……」

■心の病は幼少期の環境が影響することが多い

がんばりが足りない。それは、被虐待者に共通する思考である。強い自己否定の結果だ。

彼女は、がんばれなくなることが怖かった。がんばり続けなければならない人生を送ってきたからだ。しかし心身は限界だった。となると、思うようにがんばれなくなってしまう。それで恐怖が襲い、パニック発作が起こる。

心の病というのは、苦しい生き方を無理にがんばって維持しようとしたことで発症する。その苦しい生き方は、必然的に苦しい環境から生まれている。だから、心の病の根っこをたどると、幼少期の環境が関係していることが少なくない。過酷な環境を生き抜くために必要だった適応の結果によりできあがった生き方には、とても強いがんばりと我慢が伴っている。それが、人生を支えている。

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植原 亮太(うえはら・りょうた)
精神保健福祉士
1986年生まれ。公認心理師。大内病院(東京都足立区・精神科)に入職し、うつ病や依存症などの治療に携わった後、教育委員会や福祉事務所などで公的事業に従事。現在は東京都スクールカウンセラーも務めている。専門領域は児童虐待や家族問題など。

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(精神保健福祉士 植原 亮太)

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