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教員が「アイドルのコンサートに行くので授業を休みます」はありか…現役小学校教員の痛快な答え

プレジデントオンライン / 2022年12月18日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ferrantraite

「明日、家族で出かけるので学校休みます」。家族の自己都合で子供を欠席させる行為は認められるべきか。現役の小学校の教員・松尾英明さんは「どうしてもその日に休みたい必然的な理由があり、欠席した分の授業は家庭でフォローするという前提であれば許されるでしょう。今の時代、保護者も学校ももっと『休み』に寛容になっていい。教員も年休消化のためにもプライベートでの休みを積極的にとるべき」という――。

「本日、家の都合で学校を休ませていただきます」

学校には児童・生徒の家庭からこうした連絡が入ることがある。「都合」には、家庭内におけるトラブルもあれば、家族で旅行にでかける、というようケースもある。

これに学校はどう対応したらいいのか。現状、「家族で旅行に出かける」といった理由の欠席は学校から歓迎されない。だが、地方に単身赴任の父親がいて、平日しか休みがないから会いに行くとか、土曜に学校側の都合で授業があるけれど試合や外部試験に参加したいとか、やむを得えない理由がある場合もある。それ以外にも、プライベートな事情で休みたいというケースもあるかもしれない。

こうした申し出に対して、現状の学校はネガティブな反応を見せることが多いが、頭ごなしに否定せずに考え直していく必要があるのではないかというのが筆者の考えである。つまり、欠席する側だけでなく、それを受ける学校側、両方の意識改革が必要だと思うのだ。

■学校における「欠席」の扱い

学校における欠席には、「病欠」以外に、「事故欠」がある。

例えば、家族で旅行に出かける場合や、土曜日は授業参観で登校日だがクラブチームでの試合がある、塾で大事な模試があるから休む……このような自己都合による欠席が事故欠になる(「自己欠」ではない)。

ちなみに、風邪やンフルエンザ、コロナ感染時で休む場合は、「病欠」ではなく「出席停止」になる。これは欠席とはカウントされない。学級閉鎖の場合も欠席とはならず、近い親族の葬儀などによる「忌引き」も欠席にはならない。

■学校はいつまでも「皆勤が是」でいいのか?

学校には昔から「皆勤賞」が存在するように、休まず皆勤を是としてきた。年間皆勤賞だけでなく、学期ごとに細かく皆勤賞が出される場合もある

保護者もそうした常識の中で育ってきたため、子供を極力休ませたくない、皆勤賞を取らせたいと願っている場合が多い。そうなると、子供が多少の体調不良でも、無理に登校させる。中には「朝、熱が38度あったが無理矢理登校」という完全に誤った判断をする。

これは学校側として、非常に困る。朝から子供がふらふらなのである。登校してすぐに教室で吐いてしまうこともある。ノロウイルスやインフルエンザなどの感染症が広がる危険性もある。

しかしコロナ禍において、ここへの対応は一気に様変わった。コロナに感染しているかもしれないのに、「皆勤賞」を理由に無理をして登校されるわけにはいかないからである。そこで、体調が悪い場合全般が「出席停止」扱いとなった。これなら欠席にならないので、わざわざ無理をして登校することはない。ある意味、強制的に「皆勤が是」という考えを改めざるを得ない状況になったわけである。

こうなると、もはや「皆勤賞」自体に意味がなくなる。本来「欠席0」の場合に贈られるものだが、ちょっと風邪を引いて休んだ場合でも、もらえてしまうのである。こうなってくると、「賞」としての価値がない。形骸化したものは、廃止がベストである。今まで無理をし続けてきた「皆勤が是」を改めていくいいチャンスだともいえる。

■家庭教育を信頼しよう

ここまで述べたように、元来、学校という組織は自己都合による欠席を好まない。しかし、冒頭にあるように「旅行に出かけるから休みます」と学校に正直に伝えたとする。学校側、特に担任はどう受け取るかである。

学校や担任の本音は「家の人がちゃんと学校来させてよ」だろう。学校側の「子供にサボり癖がつく」とか「社会に出てからそれは通用しない」とかいった言い分は「学校は休まず来るもの」「親は学校に行かせる義務がある」という考えが前提である。

もちろん、学校では誰かが自己都合で休もうとも、授業は進めなければいけないという事情もある。一人が休んだからと全体の授業の進度を足踏みするわけにはいかないので、遅れを心配する気持ちが担任教員には生じる。

だが、逆に言えば、休んだ授業の分は家庭教育で何とかするというのであれば、それを認めればよいと筆者は考える。そうした考えを共有する教員は数多い。自己都合での休みなら、その日の授業内容は家庭側が責任を負うということにすればいい。「休んだ分を学校が補ってほしい」は通用しない、という覚悟が保護者にあれば学校も認めやすい。

松尾英明『不親切教師のススメ』(さくら社)
松尾英明『不親切教師のススメ』(さくら社)

また、教員の側の感覚だと「土日祝に出かければいい」と考えがちだが、例えば飲食業を営んでいる保護者などは、平日しか休めない場合も多い。保護者の側からわざわざ言いにくい「平日に子どもを連れて出かけたい」という申し出がある場合、何かしら事情があることがほとんどである。

拙著『不親切教師のススメ』(さくら社)にも書いたが、学校は本来、家庭教育の方針に首を突っ込むべきではない。そういう境界線を越えた“領海侵犯”みたいなことをするから、家庭の側からも学校教育の方針にやたらと首を突っ込まれるのである。家庭教育への信頼をし、その境界線を越えないことがポイントになる。

■教員が「プライベートで休みます」は許されるのか

では、教員が「来週、大好きなアイドルグループのコンサートに行くので、休みます」といったケースはどうだろうか。

同僚の教員目線でいえば、恐らく「許せない」あるいは「その理由ではとてもではないが休めない」という人もいるのではないだろうか。一般の人々も、同じように感じるかもしれない。なぜ許せない、あるいはその理由では休めないという心理になるのか。単純に「ずるい」あるいは「周りに迷惑をかけるのは申し訳ない」と感じるからである。自分は学校に出てがんばっているのに、と。周りもきっとそう思うだろう、と。また、保護者目線でいえば、子供をほったらかしにして授業はどうするんだ、と身勝手さに憤慨することもあるに違いない。

だが、ここに大きな誤り、落とし穴がある。

要は「自分もがんばっているから、あなたもがんばるべきだ」という、自己中心的な、道連れ的な発想である。これを、逆にして「自分も楽しむからあなたにも楽しんでほしい」とすれば全ての人にとっての幸せベースの発想になるのではないか。

この発想で、子供が休むのを「楽しんできてね!」と受け止める。あるいは、同僚がその理由で休むのを気持ちよく見送る。教員に限らず働く大人は、これからは互いにそうしたスタンスが必要だ。

コンサートを楽しむ観客
写真=iStock.com/gilaxia
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gilaxia

実際、私の尊敬する同学年の先輩教員が、これを理由に年休を取ったことがある。ちなみにこの教員は、担任であり学年主任である。当時の同学年のメンバーはみんな笑顔で「いいなぁ!」「すてき!」「楽しんできてくださいね!」と送り出した。

しかし、どの学校・組織でもこのようにはいかないかもしれない。「残された子供たちはどうなるんだ」「担任なのに無責任だ」という批判が予想されるからだ。

逆なのである。年休を取って自学級を自習にするぐらい、当たり前のことになるべきなのである。もちろん、あまり頻繁にそうしたことがあると問題だろうが、たまに、「今日は自習デー」を実行できる学級に育てることが、教員としての理想的な仕事の在り方と言える。

近年、精神疾患で病休する教員が増えているが、以上のような意識変革が、教師の、そして社会全体の本質的な働き方改革にもなると筆者は信じている。

「私の学級は私が全て面倒を見なければ」という強すぎる責任感が、病休者を生み続ける。子供は本来学校全体で預かっているのであり、担任の所有物ではない。そしてその偏狭な考えはそのまま、同僚や担任する子供たちなど、周囲の人々にも適用される。

「銀座まるかん」創業者の斎藤一人さんの言葉に「自分に厳しい人は、他人には倍厳しい」がある。そして、お互いに休みがとれず、首を絞め合い続ける結果になる。当然、子供の「家庭の都合による欠席」に対しても、不寛容になる。

■人間、休めば元気になる

世の中には「新婚旅行に行くなら全ての仕事を完璧に片付けてからいけ」という言葉をかける、鬼のような管理職が存在すると聞く。このような人の態度は、職員の出産や育児、介護等のやむを得ない事情に対しても、推して知るべし、である。当然、子供が学校を欠席することに対しても否定的だろう。

一方で、平常の年休消化を促進するために、全ての職員に「通常の平日に必ず年休を取ること」を義務づけているという管理職が存在する学校もある。教師はたいていが真面目なため、放っておくと自分から休まない。そのため事前にどの日に休むかまであらかじめ約束させておくのである。しかも「その日は自分のためにどこかへ遊びに行け」と指示を出す。こんな職場で働いていたら、みんな元気になるに決まっている。

長期の病休者が出るのは、普段から休ませないからである。普段から気軽に休める状況があれば、回復ができる。長期に蓄積してしまったダメージの回復には、長期の時間がかかるのである。

■学校も保護者ももっと「休み」に寛容になろう

今は、個別最適化が求められる時代である。授業を直接受けられない場合も、動画などで自ら学ぶことが十分にできる環境にある。タブレットの一人一台配付は、そういう面でも大きな力になる。

今の時代、学校は「休み」ということにもっと寛容になるべきである。保護者も社会も、学校への寛容度を高めていくべきである。社会に出てから真面目すぎて途中で燃え尽きてしまう人間を育てるよりも、人生100年時代を軽やかに明るく生きていける人間を育てていきたい。

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松尾 英明(まつお・ひであき)
公立小学校教員
「自治的学級づくり」を中心テーマに千葉大附属小等を経て研究し、現職。単行本や雑誌の執筆の他、全国で教員や保護者に向けたセミナーや研修会講師、講話等を行っている。学級づくり修養会「HOPE」主宰。『プレジデントオンライン』『みんなの教育技術』『こどもまなびラボ』等でも執筆。メルマガ「二十代で身に付けたい!教育観と仕事術」は「2014まぐまぐ大賞」教育部門大賞受賞。2021年まで部門連続受賞。ブログ「教師の寺子屋」主催。

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(公立小学校教員 松尾 英明)

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