「床にドロドロに腐った野菜、冷蔵庫でゴキブリが凍死」67歳で父親他界後、パチンコ漬けの母親が"壊れた"ワケ
プレジデントオンライン / 2022年12月17日 11時15分
■生真面目な父親と過保護な母
関東在住の大木瑠美さん(仮名・50代・独身)は、製造業に従事する父親と母親の元に生まれた。両親は友達の紹介で出会い、24歳で結婚。翌年に兄が、その5年後に大木さんが生まれた。
父親は、毎日仕事が終わると家へ直行し、20時には必ず家にいた。特に時間にはきちんとしていて、待ち合わせ時間の1時間くらい前には出かけるような非常にまじめな人。ただ、子供にあまり関心がなく、冷淡なところがあった。一方、母親は人を笑わせるのが好きな、明るくひょうきんな人だった。
5歳上の兄は、幼い頃からぜんそくを患っており、それを心配する母親は過保護の傾向があった。そのせいか、大木さんが物心ついたとき、すでに兄は家庭内で王子様のよう。自分がいつも正しいと思っており、自己中心的。誰かのために何かをしようとする気持ちがまったくなかった。
大木さんが3歳になると、母親は保険の外交員の仕事に就き、小学校に上がる頃には、帰宅が遅くなりがちに。すると、両親がいないときを見計らって兄は、妹の大木さんに暴力を奮うようになった。素手でたたいたり足で蹴ったりすることもあれば、掃除機の柄の部分で頭をたたかれ、大きなコブができたことも。
両親に兄の暴力を訴えても、「子どものけんか」と言って取り合わない。特に母親は、兄をかばい、大木さんのほうが我慢するべきだと言ってきかせた。幼いながらも理不尽に感じた大木さんが母親に反抗すると、かえって母親は激昂し、大木さんは鼻血が出るほど殴られたため、以降、兄のことで母親に反抗しなくなった。
■暴力的で自己中心的な兄
やがて中学生になった兄は、同級生と廊下でふざけていて突き飛ばされた拍子に転び、頭部を強打。意識を失い、救急搬送されると、1週間ほど国立病院へ入院。幸いなことに意識を取り戻したが、以降、以前に増して暴力的で自己中心的な性格になっていた。
「当時私は小学生だったため、詳しくはわからない部分はありますが、明らかに性格がおかしくなりました。何度か母が、『加害者は幸せに生きているのに』と不満をこぼしていましたが、たぶん頭を強打時の後遺症で兄は脳に血腫瘍ができた、その影響だと思います」
それから数年後のこと。大木さんが高校を卒業し、職業訓練校生になった年末の朝から、母親と兄が口げんかをしていた。兄が、自分のジャケットを脱ぎっぱなしにして片付けないことを、母親が注意したようだ。腹を立てた兄は、なぜか、まだ寝ている大木さんの部屋に突然入ってきて、大木さんの部屋のクローゼットに自分のジャケットをしまおうとし、その際に大木さんが大切にしていたアコースティックギターを投げ捨てた。
大きな物音に飛び起きた大木さんは、大切にしていたギターを投げ捨てられた怒りに震え、兄のジャケットをつかむと、2階の踊り場から1階に向けて投げ捨てた。振り返った瞬間、兄は大木さんの両肩を持って、突き飛ばしていた。
2階から突き飛ばされた大木さんは、そのまま背中から落下。大木さんが1階の床にたたきつけられた衝撃で、1階の床が抜けた。
救急車で搬送されレントゲンを撮ったが、診断は異常なしで、そのまま帰された。ところがその約1週間後、大木さんは体中が痛くてたまらなくなり、帰宅した途端、身動きできなくなる。そこで、たまたま帰宅していた大学生の兄の運転で病院を受診すると、胸椎圧迫骨折が見つかり、即入院が決まった。
![人体の胸部の骨格](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/d/1200wm/img_3d7608b11ca225c51b6d57d4476521cf467084.jpg)
このときばかりはさすがに両親は兄を責めた。兄からは謝罪の言葉はあったが、大木さんは、「反省しているようには見えなかった」と話す。
大木さんは5日ほどで退院し、自宅療養することに。痛みでほとんど自分のことができない大木さんは、母親に介助される毎日だった。1カ月半ほどしてようやく少し動けるようになると、友人が毎日のように家に遊びに来てくれるようになった。父親は仕事から帰宅すると、その友人を車に乗せて、友人宅まで送ってくれた。
「今思うと、父が毎晩、友人を家まで送ってくれたのは、父なりの娘への謝罪だったのかもしれません。その後、7年ほど後遺症に悩まされましたが、私は母を悲しませたくなくて、痛いかと聞かれても、『痛くない』と言い張っていました。この事件以来、私は兄と関わらないようになりました」
■養女に出されたかもしれない過去
兄ばかりが母親からひいきされているにもかかわらず、大木さんが異常なまでに母親を気遣うことが不思議だ。
「母は、あまり私をかわいがりませんでした。私を養女に出そうとしていたようです。子どもの頃の私はばかで、『良い子だから養女に出されるんだ』と思っていました。なぜなら、養女に出す先の候補の一つだったお隣さんが、とてもいい人だったからです。時々、私だけお泊りをさせてもらいましたが、隣のおじさんはお風呂に入れてくれたり、脚の上に私をのせて飛行機をしてくれたり、デパートに連れて行って洋服を買ってくれたりと、父以上にかわいがってくれました」
自営業をしていた隣のおじさんは、日中家にいることも多く、おばさんが作ってくれたお弁当を持って、3人で公園に出かけることもあった。おばさんは家で着物を作る針子の仕事をしており、夕食はいつも手の込んだおいしい手料理を振る舞ってくれた。大木さんは、自分の母親と比較していつも、「母もこれくらいできたらいいのに」と思っていた。
隣のおじさんは大木さんを、「うちの子に迎えたい」と大木さんの両親に懇願。だが、大木さんの父親は拒み、母親は、「大人になってから娘に恨まれたくないから」と言って断ったという。
![ブランコで遊ぶ少女の影](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/f/b/1200wm/img_fbcb253e48dda4b20426bb12996f578d484364.jpg)
「母は兄をひいきして育てたとは思っていません。たぶん母自身が育った家庭の影響で男尊女卑みたいな考え方が根付いていて、女の子は我慢、長男は格別に大切にするものだと思っています。そのせいか、母方の親族の男性にはロクな人がいません。母は、兄がおかしな性格になったのは、頭を打ったせいだと思っています」
一方、父親は兄を、「理屈っぽい弱い男だ」と言い、大木さんと兄のことを、「性別が逆に生まれて来れば良かったのに」と言ったことがあるという。
兄は大学に進学したが、大木さんは短大進学さえ許されず、1年制の職業訓練校にしか行かせてもらえなかった。
「母を恨むことは、感覚的に自分にはありません。母は、母なりに私に愛情を与えてくれていましたし、隣のおじさんとおばさんからも愛情をもらえていて、どこかでバランスが取れていたのだと思います」
■父親のがん
大学生になった兄は、実家を出て一人暮らしを開始。大学卒業後はIT系の企業に就職したため、両親とは疎遠になる。
高校卒業後、職業訓練校で1年間事務を学んだ大木さんは、外資系の医療機器メーカーに就職。27歳になると、実家から車で30分くらいの場所にマンションを購入し、一人暮らしをスタート。さらに38歳になると医療機器メーカーを退職し、米国に語学留学した。
一方、若い頃からドライブが好きな両親は、父親の60歳の定年後、夫婦でキャンプに出かけるようになっていた。
大木さんファミリーに暗雲が垂れ込め始めたのは2004年のこと。この年の7月、66歳の父親が熱発。異様にトイレが近くなっていたものの、病院嫌いなため「歳のせいだ」と言い張り病院に行かなかった。一向に熱が下がらないため、しぶしぶ病院を受診したが、2カ月経っても病名がわからず、母親が入院を懇願するも、受け入れられなかった。
ところが、病院へ通い始めて3カ月ほどたった頃、熱発の原因は前立腺がんだったことが判明する。通院中の病院への不信感が募った母親が別の病院を探し、国立病院を受診したが、もうすでに手術はできないほどがんは進行していた。
![腹部のCT画像](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/a/1200wm/img_aa397f5cd3e07b2d96dd9317ac5c8128440230.jpg)
「自動車整備士だった父親は、仕事で身体を自然と鍛えているような感じで、若い頃から病気らしい病気をしたことがありませんでした。病院嫌いになったのは、高校生の頃、結核の疑いで1年近く入院させられたのに、結局結核じゃなかったことがあったせいだと聞きました」
緩和ケアに移行した父親は、2005年7月30日、67歳で死去。くしくもその日は母親の誕生日だった。その後、父親の死亡保険金が下りたが、兄はのちに「なぜ、(保険金が)自分のものではないのか」と大騒ぎした(そのことについては後編で詳しく説明する)。
■母親が自暴自棄に
家族は3人になった。
父親が亡くなる少し前、30代後半の兄はそれまで勤めていたIT系の会社を辞めて、突如フランスへ。ところが旅行中に強盗に遭い、身ぐるみ剝がされ命からがら帰国。一文無しになり、仕事も辞めてしまっていたため、一人暮らしが継続できず、実家に戻って派遣会社に勤め始めた。
一方、66歳の母親は父親が亡くなった後すっかり自暴自棄になり、保険の外交員の仕事はそこそこに、パチンコばかりに明け暮れる日々。もともと片付けが苦手だった母親は、年に数回部屋が汚いせいで父親とけんかになっていた。きれい好きな父親が存命中はある程度片付けてくれていたが、父親が他界後の実家は完全なゴミ屋敷に。足の踏み場のない台所の床には、いくつもの野菜が袋に入ったままドロドロに腐り、冷蔵庫ではゴキブリが凍死していた。
![蛍光灯をつけた夜のキッチン](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/6/1200wm/img_a6710569c0e1fd75625f202521e63689462894.jpg)
戻ってきた兄は、そんなことは気にもとめずに、テレビとエアコンのあるリビングに居座るようになる。床に布団を敷き、家の中心を占領した。
翌年2005年11月。母親はパチンコからの帰宅途中、坂道を自転車で上る時にバランスを崩して転倒。なんとか家までたどり着けたものの、トイレを利用した後に倒れて起き上がれなくなっていたところを運よく兄が帰宅して気付き、救急車を呼んだ。
母親は健康を取り戻すことができたのだろうか。この後、大木さんの人生は、軌道修正を余儀なくされるのだった。(以下、後編へ続く)
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ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。
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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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