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「40年前の写真を遺影にしてほしい」80歳で逝った母が娘にそんな遺言を託していた理由

プレジデントオンライン / 2022年12月25日 14時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/akiyoko

喪主の長女は「この写真を遺影にするのは母の希望でした。私たち子どもを育てる幸せをかみ締めていた時期の写真だからだそうです」と語った。2万人の葬儀に立ち会ったフリーの葬祭コーディネーターが語る、愛があふれる葬儀の光景とは――。

※本稿は、安部由美子『もしも今日、あなたの大切な人が亡くなったとしたら』(青春出版社)の一部を再編集したものです。

■「斎場を間違えたかもしれない!」と一瞬不安に

13時出棺の霊柩車(れいきゅうしゃ)を見送り、車で帰途についているところに司会の依頼の電話が入りました。

県をまたいだ先の、車で2時間はかかる葬儀社からの依頼だったこともあり、少々早めではありましたが、そのまま向かうことにしました。故人のお名前は伊藤キリさま、80歳の女性です。本日が通夜法要になります。

斎場に入り、まずは遺影写真にごあいさつをしようと見上げたとき、「斎場を間違えたかもしれない!」という不安が頭をよぎりました。その理由は、遺影がどうみても40歳くらいにしか見えない写真だったからです。確認のために担当者のところへと急ぎました。

「驚きましたよね? 僕たちも同じです」。焦っている私の姿を見て、葬儀社の皆さんは穏やかにほほ笑んでいます。「遺影の件はご遺族との打ち合わせで聞いてください」とのこと。私は、斎場を間違っていなかったことに安堵(あんど)して、親族控え室に向かい、打ち合わせをすることにしました。

「驚かれたでしょう?」。そう話しかけてくださったのは、故人の長女にあたる優子さま。笑みを含んだ表情で私を迎え入れてくださいます。優子さまのほかには、そのお兄さまと妹さまもいらっしゃいました。高校生2人、小学生5人、幼稚園生3人と合計10人のお孫さんも出迎えてくれました。

控え室は、ご親族だけですでににぎやかな状態。お祖母さまを見送る悲しい場ではありながら、どこかしら温かな雰囲気が広がります。お孫さんたちも、いとこ同士の触れ合いを楽しんでいるように見えました。

■親子ゲンカの決着もつけないまま…

そんな穏やかな雰囲気の中、打ち合わせが始まりました。遺影写真のことについては触れられないので、お話があるまではあえて聞かずに待つことにします。

「母ったら、親子ゲンカの決着もつけないまま死んでしまったのですよ。ずるいでしょ。いやな気持ちが残って仕方ないったらありません。本当に困ったものです」

そう話しだして涙をぬぐう優子さま。

白い菊の花
写真=iStock.com/MargarytaVakhterova
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MargarytaVakhterova

「そうでしたか。今晩お母さまと話をされたら、いくらか決着はつきそうですか?」

そう尋ねると、優子さまはふっと笑って、「今となっては、こちらから一方的にどうにでも言えますからね。すっきりはしないでしょうけれど、今夜じっくりと話してみようと思っています」と答えてくださいました。

優子さまをきょうだいが囲むようにして話が進んでいきます。写真の話はまだ出てきそうにありません。まずは、お話をじっくりと聞かせていただくことにしました。

■女手ひとつで3人の子を育て上げた

キリさまのご主人――優子さまのお父さま――が他界されたとき、キリさまは30歳。お兄さまは10歳、優子さまが8歳、妹さまは5歳でした。キリさまは女手ひとつで3人の子を育てる運命に遭遇したのです。

なりふり構わず働き詰めとなったキリさまに、まだ状況が理解できなかった幼い子どもたちはわがまま三昧だったと言います。しかし、現状を少しずつ把握しはじめたお兄さまが妹たちに言い聞かせるようになり、3人で母親を手伝うようになったようです。

とはいえ、朝から晩まで働き詰めのキリさまは疲れもあったのでしょう、気分次第で子どもたちに当たり散らすこともありました。優子さまは、そんなお母さまのことが今でもいやな記憶として残っていて、その頃のことを思い出すと許せない気持ちになると話してくれました。

お母さまのことを話す優子さまの表情は、その内容によって笑ったり険しくなったりとさまざまに変化し、複雑な胸の内が透けて見えるようです。お母さまとは、たまに時間ができたときに縁側でお茶を飲むのが幸せでたまらなかったとも話します。

■お通夜の場だから言えた子ども側の葛藤

「今思えば、母は子どもたちのために時間を作ってくれていたと思うのです。母と2人きりで過ごすときは、いつも穏やかで優しく抱き締めてくれました。でも、きょうだい3人がそろうとケンカが始まってしまうので、母も優しくしてはいられないといった状況だったのでしょう。結局、いつも怒鳴ったり怒ったりしていたように記憶しています。私たちの存在が疎ましいのかな? と思うことも多くありました。感情的になった母は『あんたたちなんていらない!』と言うこともあったからです。子どもですからね、その言葉を真に受けて『お母さんなんていなければいい』と言ったこともありました。言ったそばから後悔しましたけれどね」

母子が写っている写真アルバム
写真=iStock.com/Halfpoint
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Halfpoint

優子さまは、頭の中をぐるぐると巡る葛藤を、通夜という場で吐き出してしまおうとしているようでした

■「参列される皆さんは笑うだろうけれど…」

そしてしばしの沈黙の後、遺影写真のことを語りはじめました。

「この写真を遺影にするのは母の希望でした。母はこの写真を、『私が一番きれいに写っている』『この頃の自分の顔が好き』と言って気に入っていました。私たち子どもを育てる幸せをかみ締めていた時期に写した写真だからだそうです」

「父が亡くなって、生きていくのに必死だった数年間が過ぎ、子どもたちがいくらか成長して手伝ってくれるようになったとき、『ああ、この子たちと生きてきてよかった』と心から思ったそうで。『いつか、子どもたちが巣立つ日がくることを思って泣くこともあった』とも言っていた母は、『どんなに苦労をしても、一緒に泣いたり笑ったりケンカしたりできることは幸せだ』とよく言っていました」

「それを実感していたのがこの遺影の写真の頃、40歳くらいのときだったようです。『参列される皆さんや葬儀社の皆さんは笑うだろうけれど、お葬式はあなたたちが出してくれる、私への最後の贈り物でもあるから、私の願いを聞いてほしい』それが母の遺言でした。だから、堂々と飾らせてもらっています」と、優子さまは涙声で話してくださいました。

隣で、お兄さまも妹さまも泣いています。近くにいた高学年のお孫さんたちも、泣いている親の姿に一緒になって泣きじゃくっています。意味のわからない小さなお孫さんたちは、ただ驚いている状況でした。

■「実は、父は亡くなったのではありませんでした」

ここまで関係性のよい家族が、なぜケンカしたままのお別れになったのだろう? と訝(いぶか)しんでいると、優子さまは孫たちを「向こうの部屋に行きなさい」といった手振りでその場から遠ざけ、お父さまの話を始めました。

安部由美子『もしも今日、あなたの大切な人が亡くなったとしたら』(青春出版社)
安部由美子『もしも今日、あなたの大切な人が亡くなったとしたら』(青春出版社)

「実は、父は亡くなったのではありませんでした。両親は離婚だったのです。その話を聞いたのはつい最近でした。そのことで口論になったのです。私が『お父さんに会いたいから、連絡先を教えてほしい』と言うと、そのときはすでに亡くなったあとだったんです。悔しいし、悲しいし……。『なぜ、早く言ってくれなかったの?』と母に怒ってしまったのです」

「母は泣きそうになりながら、こう言いました。『どうにもしようがなかったのよ』と。いつもならもっと言い返してくる母だっただけに、妙に悔やまれて気持ち悪いままなんです」

そう言ってため息をつく優子さまに、お兄さまが寄り添います。そして、実は母から聞いていた話があるのだと言って、お兄さまが話しはじめました。

「僕は聞かされていたよ。でも、お母さんから、優子たちには言わないでほしいと言われていたから言えなかったんだ」

そう言って、キリさまの写真を見ながら、「もう話すよ。いいよね? 母さん」と言って、話しはじめました。

■亡き母が本当のことを言わなかった理由

「お父さんはほかに好きな人ができて、幼い僕らを置いて出ていったんだ。お母さんはそれでも、お父さんを好きでいつづけたって。そして、一人で僕たちを育ててくれた。僕たちの記憶の中に、美しい思い出としてお父さんがいるから、そのままにしておいてあげたいと思って、本当のことを言わないでいたって……。そんな母さんの気持ち、わかってあげられるよね?」

「優子、ケンカのことはもう忘れなさい。大丈夫、母さんはなんとも思っていないよ。母さんはいつも、『優子はありがたいよ、よくしてくれる』って話していたよ。『優子は近くに住んでくれて、ケンカしながらでも気遣ってくれる優しい子だ、ありがたい』ってよく言っていた。もう自分を責めなくていいよ」

■後悔の涙が幸せの涙に

お兄さまの言葉を受けて、優子さまは息ができないほど激しく泣き出しました。その場にいた誰もが泣いていました。いつしか部屋に戻ってきていたきょうだいのお子さまたちも、優子さまの背中をさすって心配しています。ふと気づくと、あれだけにぎやかだった控え室が静かになり、愛情に満ちた涙に包まれていました。

後悔の涙が幸せの涙に変わったことで、この後のお通夜も翌日のお葬式も、温かい雰囲気の中で、安堵の笑顔と感謝の涙でのお見送りがかないました。

家庭には、多かれ少なかれ何かしらの問題があります。そういう場合、言いたいことをため込んで爆発させてしまうのではなく、定期的に話し合って思いやりのある吐き出し方をすることも大切で。さらにつけ加えると、そこから相手の本当の思いを聞き出すことも重要です。

相手の心をグサグサと刺しただけでは何も生まれません。ましてや今回のように、相手がそのまま亡くなってしまっては、この先を歩む人がずっと後悔を抱えて生きていかざるを得ず、苦労をすることでしょう。

そういった事態を招かないためにも、普段からケンカ別れをしない心がけは必要です。今回は、母親が息子に言葉を遺しておいたことが、優子さまの心を救いました。母親の本心、真実を聞けたことによって、ご遺族のこれからの生き方がよき方向へと変わることは言うまでもないでしょう。

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安部 由美子(あべ・ゆみこ)
葬祭コーディネーター
鹿児島県出身。看護師として働いたのち葬儀業界へ移り、葬儀社と遺族の想いを繋ぐ役割を担い続けて22年、関わった葬儀件数は2万件を超える。2014年に一般社団法人日本葬祭コーディネーター協会を設立。葬儀の司会をしながら、全国JA葬祭事業や全国の葬儀社にて、セレモニーアシスタントのスキル向上や接遇研修、サービスの質を高めるためのコンサルティングや個人向け終活セミナーの講師を務める。

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(葬祭コーディネーター 安部 由美子)

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