「日本人から漢字を取り上げ、ローマ字だけにする」戦勝国アメリカが実行するはずだった"おそろしい計画"
プレジデントオンライン / 2022年12月30日 10時15分
※本稿は、保阪正康『昭和史の核心』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
■軍人の手によって一変した小学校の教科書
昭和という時代、特に戦争にゆきつくプロセスでは、教育は軍事の側からの干渉であっという間に崩壊した。昭和8(1933)年の第4次の国定教科書改訂で、「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」に低学年の教科書は変わった。大正7(1918)年の第3次改訂による市民的自覚を促す内容は一変してしまった。
なぜか。答えは簡単だ。第4次の改訂にあたっては、これからの戦争は国家総力戦だから、小学校の教科書づくりには軍人も参加させろと陸軍大臣が圧力をかけ、それを文部大臣が受け入れたのだ。軍事主導礼賛、天皇の神格化というまさに2本柱で教科書は埋まった。大正デモクラシーの片鱗はあっという間に消え去った。
■「ありのままを書いた作文」は犯罪になった
もう一つ例を挙げよう。昭和5(1930)年から8(1933)年にかけて、長野県をはじめ各県で教員の赤化事件が起こっている。狙われたのは大体が綴方(作文)教育に熱心なタイプの教師たちである。写実的、実証的な作文を書くことはことごとく文部省(現文部科学省)の視学官たちによりにらまれた。
たとえば、家の貧しさ、父母の苦しい生活をそのまま書くのは許されない。そういう作文をテコにして共産主義思想をふきこむというのである。「作文はありのままを書きなさい」ということ自体が犯罪だったのである。
これは私が昭和13(1938)年ごろに関東地方のある中小都市で小学校の教師を務めていたという老教育者から聞いた話である(その教育者はかなり保守的な教師である)。
■「あの家庭は偏っている」と校長が密告することも
この時代は天皇を神格化して教える時代に入っている。それが顕著になったのは昭和10(1935)年前後の国体明徴運動(美濃部達吉の天皇機関説を排撃する運動)のころからだという。
子供は、天皇陛下は神様であると作文に書く。家に帰って、天皇陛下は神様ですとその日に習ったことを口にする。お父さんやお母さんが受けた大正時代の教育ではそこまではいっていない。「そんなことないわよ。神様のわけないでしょう」と反論したとする。
それを子供は学校の作文で書く。なかには強い言葉で批判がましく否定する親もいるだろう。作文は、はからずも家庭の思想調査として利用されたケースもあるという。思想的偏りがあると思われるケースは、教員は校長に、校長は都道府県のしかるべき機関などに届けたり、密かに報告したりといったことも珍しくなかったのだ。
以上は戦時中に行われた極端な国語教育であるが、戦後にはこれとは全く違うドラスティックな国語教育改革が行われようとしていた。日本語のローマ字化である。
■修身教育を否定した戦後の教育制度
昭和22(1947)年4月、「6・3・3・4」制が発足した。戦前の複線型の教育制度が単線型に変わったわけだが、むろんこれは占領下日本の教育改革の第1弾であった。この制度の他に、男女共学、教育委員会の設立、教職員組合の結成、副教科社会科の導入など、連合国軍総司令部(GHQ)の命令、あるいは示唆などにより、教育の民主化が進められた。
私は昭和21(1946)年4月に国民学校に入学したが、2年生からは小学校に名称が変わったことを覚えている。
こうした教育改革は、GHQの要請で来日したアメリカ教育使節団(G・D・ストダード団長)の報告書に基づいている。教育の民主化のためにどのような改革が必要かといった視点で、日本国内を視察し、教育関係者に会ってまとめた報告書であった。実際にこの報告書の内容がほとんど採用された。
「日本の教育では独立した地位を占め、かつ従来は服従心の助長に向けられてきた修身は、今までとは異なった解釈が下され、自由な国民生活の各分野に行きわたるようにしなくてはならぬ」と否定され、それが社会科の誕生ともなった。
中学校、高校での社会科の授業は、社会生活の理解と個人の自覚を訴えており、教科内容もアメリカの教科書を参考にしていたのである。
■日本の民主化には「漢字からの脱却」が必要
実はこの報告書には教育改革の一助として「国語教育」にふれた部分で、「国民生活にローマ字を採用する」ように勧告する一節があった。
![ローマ字を書く子供](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/5/9/1200wm/img_59d5e1b4d8903e32fbb50ffd9520993b397653.jpg)
この背景には、日本が国粋主義に走るのは漢字文化がもとになっているのであろうから、この意識を民主的に変えるためには「漢字から脱却」させる必要があるとの考えがあったらしい。同時に日本には伝統的にローマ字論者がいて、そのグループが使節団に強硬に働きかけたとの説もある。
使節団は日本の教育現場をローマ字化するだけでなく、社会全体でローマ字が漢字や仮名にとってかわるよう訴えている。使節団に対応した南原繁・東京大学長らの日本側教育家委員会は、この考えに異議を唱え続けて翻意を求めている。そのため、小・中学校でもローマ字教育は行うが、それはあくまでもカリキュラムの一環ということになったようだ。
■ローマ字化計画の根拠は「識字率の低さ」
この教育使節団には、第1次と第2次があり、ストダード団長の第1次は報告書を提出して教育改革を勧告したのだが、第2次教育使節団(W・E・ギブンス団長)は昭和25(1950)年8月に来日して、勧告が生かされているかを点検している。この第2次使節団来日の間に、実はGHQのローマ字論者と日本の国語学者との間で激しいつばぜり合いがあった。
この件について私は、かつて国立国語研究所の元所長・野元菊雄に詳しい事情を確認したことがある。野元の話やさらに一部の国語学者の証言をもとにこの駆け引きを改めて整理していきたい。
GHQ内部や日本国内のローマ字論者は、日本人の識字率は決して高くないのだから、ローマ字導入は今がチャンスと主張を続ける。この場合の識字率の低さというのは、漢字を読めてもその意味を理解していないことであり、それが狂信的なファシストを生むもとだということにもなる。
この一派には、単に教育使節団に食い込んだだけでなく、占領下に日本社会はローマ字化すべきだといって、東京都内の一等地を確保し、そこにローマ字の印刷機器も揃えて脱漢字の時代に備えるグループもあったという。野元は、ローマ字時代は決して遠い話ではなかったと述懐していたほどである。
■日本語を救った「国語テスト」の結果
そこで国語研究所はGHQと共催の形で、昭和23(1948)年に全国各地で老若男女さまざまな人々に漢字の理解度を確かめるテストを行った。1万7000人が対象で、90点満点で平均点は78.3点だった。たとえ問いに対する答えは誤っていても、識字率そのものはほぼ100%に近かったのである。
![保阪正康『昭和史の核心』(PHP新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/7/d/1200wm/img_7d987a394eb986c927d00bdbc5569048360024.jpg)
この結果は、GHQのローマ字論者を黙らせるに十分であった。平均点が50点以下なら、ローマ字社会になっていたかもしれないと語りぐさになっている。
これは裏話になるが、問題を作成した国語学者たちは「実は平均点が上がるよう、難しく見えるが易しい問題を出した」とこっそり漏らしていた。
とにかくこうしてローマ字社会にはならなかったのである。第2次使節団の報告書は、小・中学校でローマ字が教えられることになって「ローマ字使用は増加」と、漢字や仮名の補完物でよいと結論づけている。
こうした例を見ると、70年前の「教育改革」はGHQへの抵抗を含めながらバランスを保ち、国民に全面的に受け入れられていったと見ることができるだろう。
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ノンフィクション作家
1939年、札幌市生まれ。同志社大学文学部卒業。作家、評論家。2004年、一連の昭和史研究で菊池寛賞、他に『ナショナリズムの昭和』で和辻哲郎文化賞、『石橋湛山の65日』で第1回石橋湛山和平賞などを受賞。近現代史の実証主義的研究のために、これまで延べ4000人の人々に聞き書き取材を行なった。著書に『昭和陸軍の研究』『東條英機と天皇の時代』『吉田茂 戦後日本の設計者』『昭和史 七つの謎』『あの戦争は何だったのか』『近現代史からの警告』『世代の昭和史』など多数。
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(ノンフィクション作家 保坂 正康)
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