留学生が田舎暮らしにどっぷり浸かる…イタリアの小集落を世界的に有名にした「大学発ベンチャー」の中身
プレジデントオンライン / 2022年12月26日 9時30分
(第10回から続く)
■語学学校の経営危機に“陳情”相次ぐ
「諦めないで頑張ってほしい」「お願いだから出ていかないで」――。数年前に新型コロナウイルスがイタリア中部にある集落ウルバーニアを直撃すると、地元の語学学校「チェントロ・ステゥーディ・イタリアーニ」の2代目経営者、ジョバンニ・パゾットの元に“陳情”が相次いだ。
ロックダウン(都市封鎖)が3カ月間にわたって続き、丘陵地帯に囲まれて鉄道も走らないウルバーニアは完全に外部と遮断された。住民は家の中に閉じ込められ、特別の理由がないかぎり外出できなくなった。
チェントロも開店休業を強いられた。地域経済への影響は大きかった。ウルバーニアは人口7000人の小さな集落だ。ここに毎年500人前後の学生が訪れ、平均で1カ月間滞在していたのだから。
コロナ前、学生はアパートを借りて家賃を払ったり、スーパーで食料品を買ったり、レストランで外食したりしてお金を落としていた。それだけではない。地域に異文化を持ち込み、活気をもたらしていた。
ところが、コロナ禍で学生が街中からいなくなり、「町全体が死んでしまった」(パゾット)。結果として何が起きたのか。地域にお金が落ちなくなっただけではく、国際的なにぎわいも消え去ってしまったのである。
■地域にとってかけがえのない「財産」
間もなくして住民意識に変化が出てきた。多くの住民がチェントロの存在の大きさに初めて気付き、チェントロが地域コミュニティーと不可分の関係にあるという思いを持つようになったのだ。パゾットは「諦めないでと懇願されるなんて、開業から35年で初めてのこと」と振り返る。
パゾットは続ける。「コロナ禍が続くなか、われわれは地元の一部と認識されるようになりました。言葉遣いからも分かります。住民はチェントロに頑張ってほしいときには『あなたたち頑張って』とは言わずに『われわれは頑張らなければ』と言うようになりました。コミュニティーオーナーシップが生まれたのです」
![留学生らと歓談するパゾット氏(左から3人目)。ウルバーニア市内のカフェで](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/1/1200wm/img_c19f446fc2c6c0022abf43ba3816dfe8421768.jpg)
コミュニティーオーナーシップとは直訳すれば「コミュニティーによる所有」となる。チェントロはパゾット家のファミリービジネスであるものの、地域にとってはかけがえのない「財産」になっている。地域のエコシステムに完全に組み込まれているといえよう。
そんなことから住民はチェントロについてひとごとではなく自分事のように心配するのである。
■「この人たちは誰?」「ばか騒ぎはやめて」
「パゾット家のチェントロ」から「コミュニティーのチェントロ」へ変わるまでの道のりは平坦ではなかった。1985年にチェントロが設立された当初、パゾット家は完全によそ者扱い。パゾット夫妻はミラノで活躍していた都会人であり、チェントロ設立に合わせて一家で移住した経緯があったためだ。
そのうえ、夫妻はミラノではそろって大学教員であり、ルーラル経済を支える農業とは無縁だった。国際的でもあったことからなおさら浮いていた。夫がイタリア文学を研究するイタリア人だったのに対して、妻は科学英語を専門にするイギリス人だった。
大都会から隔絶され、英語もめったに耳にしないイタリアの片田舎。ここに大都会から国際的一家がやって来て、突如として大勢の留学生を呼び込み始めれば、必然的に地域コミュニティーに警戒心が出てくる。
実際、最初のうちは不安の声が相次いだ。「この人たちは一体誰?」「ここで何をやっているの?」「ばか騒ぎだけはやめてほしい」――。中には「よそ者に侵略されている」と感じる住民もいたようだ。夫妻の一挙手一投足に注目が集まった。
■一家が大都市ミラノを離れた2つの理由
家業を継いだミラノ生まれのジョバンニ――上から2番目の子ども――は幼かったこともあり、当時のことはあまり覚えていない。地元で有名人となった現在、どう思っているのか。
「田舎でいきなりコミュニティーの一員になるのは無理です。われわれは大都会からやって来て、毎年何百人もの外国人を呼び込んでいたのですから、なおさらです。私の両親は長年かけて一歩ずつ進み、やっとのことで信頼を勝ち取ったんですよ」
もともとイタリア北部の大都市ミラノでキャリアを積んでいたパゾット夫妻。どうしてウルバーニアへ移住したのか。
夫妻が大家族を夢見ていたからだ。すでに子どもは就学前のジョバンニも含めて3人(ウルバーニア移住後にさらに3人生まれて子ども6人の大家族になる)。物価が高くて住居が狭いミラノは最適とはいえなかった。
それだけではない。職業の「教育」にパゾット家の「国際性」を掛け合わせて新しいビジネスをやってみたいという思いもあった。要するに、大家族をつくると同時に「大学発ベンチャー」を立ち上げて新たなスタートを切ろうとしたわけだ。
■きれいな自然と歴史的な街に一目ぼれ
ミラノを脱出するならばどこがいいのか。夫妻は物価の高さからミラノ郊外を敬遠すると、300キロメートル以上南下してルネサンスの中心地トスカーナ州を視察。ミラノ郊外以上の高物価に驚いてトスカーナも諦めざるを得なかった。
続いて、トスカーナから東へ100キロメートル以上ドライブしてマルケ州北部に入った。物価が安いうえにきれいな自然と歴史的な町があるじゃないか! 夫妻は地域一帯に一目ぼれした。歴史的な町とは世界文化遺産に登録されているウルビーノのことだ。
ウルビーノには1506年創設のウルビーノ大学がある。この点は重要だった。夫妻は大学教員らしく「田舎に住むにしても大学に近い場所にしよう。子どもが将来勉強できるように」と考えていたのだ。
■初年度の留学生はたったの4人だった
最終的に夫妻が選んだ場所はウルビーノから車で30分の集落ウルバーニアだった。
![ウルバーニア郊外のホテルからの眺望](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/6/6/1200wm/img_663afb36ac618f3e0fa53dd9c4b9b83f468082.jpg)
夫妻は大学発ベンチャーとして語学学校の設立で一致し、ウルバーニア移住後にチラシを作ってマーケティングを開始した。初年度の留学生はたったの4人。夫は事務作業をこなしつつイタリア語やイタリア文化を教える一方で、妻はホストファミリーとして食事や住居など留学生の生活面をサポートした。
その後はとんとん拍子で事が進んだ。マーケティングや口コミが功を奏してチェントロへの留学生は急ピッチで増え、数年後には早くも年300人を突破。夫妻の予想をはるかに上回る拡大ペースだった。
「小さい町で小さいベンチャー――これがカギです。留学生は地域コミュニティーとつながって多くを学べますからね」とパゾットは言う。「われわれは大都市の語学学校と競合せずに事実上の独占状態を築いたんです」
■500人の留学生を集落全体で受け入れる
地域コミュニティーとのつながりという意味で注目すべきなのは「アルベルゴ・ディフーゾ」だ。過疎対策のために1980年代のイタリアで生まれたムーブメントであり、空き家など地域に残る資産を活用して地方創生を図る点に特徴がある。
繰り返しになるが、ウルバーニアにはコロナ前までは毎年500人前後の留学生――全員がチェントロ留学生――がやって来て、平均で1カ月滞在していた。どこに泊まっていたのか。
空き家を改修したアパートの場合もあれば、空き部屋を提供するホストファミリーの場合もあった。要するに、ウルバーニア全体が一つの「分散型ホテルシステム」となり、留学生を受け入れていたわけだ。まさにアルベルゴ・ディフーゾである。
■語学学校の成功から現代的ホテルが誕生
とりわけホストファミリーを選んだ留学生はかけがえのない経験を得られる。小さな集落でイタリア人一家と長期間一緒に生活し、地域コミュニティーの一員として過ごせるのだから。
ウルバーニアにも近代的なホテルはある。第10回で紹介した米ベンチャー学会「USASBE(ユサスビー)」の一行を受け入れた「ホテル・ブラマンテ&スパ」だ。Wi-Fiを完備しているのはもちろん、各部屋にジャグジーまで備えている。
ただし、ここに留学生は泊まらない。誰が泊まるのかと言えば、留学生の親である。自分の子どもがどんな場所で長期間過ごしているのか見学しておきたい、と思う親は少なくない。
そんなことからホテル需要が生まれ、ファッション業界関係者がブラマンテを買収して全面改修した。チェントロの成功に伴ってウルバーニア唯一の現代的ホテルが誕生したともいえる。
■30歳で「第二創業」に打って出る
田舎育ちとはいっても国際的な家庭環境で育ち、イギリスのパスポートも持つパゾット。チェントロの経営をバトンタッチされるまでに豊富な海外経験を積んでいる。
まずはアメリカ。19歳でイリノイ州の名門ミリキン大学へ留学し、マーケティング専攻で2004年に卒業。その後、ロンドンに渡って英バレエ団「イングリッシュ・ナショナル・バレエ」でマーケティングを担当したり、ミラノで芸術・文化・ファッション関連のコンサルタントを手掛けたりしている。
30歳で父親からチェントロを引き継ぎ、「第二創業」に打って出た。語学学校という枠から飛び出し、グローバルな「大学ハブ」の構築を目指し始めたのだ。イタリア語とイタリア文化に加えルーラルをセールスポイントにして差別化し、世界各地の大学をつなげてネットワーク化する――これが最終的な狙いだ。
![チェントロ本部で留学生と一緒に](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/3/1200wm/img_c30fb5beb03c4a57aa9624a6ae2d3c31507919.jpg)
■米MBA学生が地元企業をコンサルティング
新規事業の一つが母校ミリキン大との提携で2012年にスタートした「ビジネスコンサルティング」コースだ。
同コースはルーラルと密接に結び付いている。ミリキン大ビジネススクールの学生グループがウルバーニアを訪れ、地元企業に対してプレゼンをするという内容になっているのだ。
プレゼンを受けた企業の一つがTVSだ。ウルバーニアから車で20分足らずのフェルミニャーノに本社を置く老舗料理器具メーカーで、イタリアならではのデザイン性を売り物にするフライパンや鍋で知られている。
アメリカ市場でどのように拡販したらいいのか――これがTVSにとって大きな課題だった。そんなときにパゾットから「アメリカのMBA(経営学修士)学生からコンサルティングを受けてみませんか?」と声を掛けられた。同社経営陣は二つ返事でOKした。
その後、学生グループはTVSの経営を調べ上げ、事業戦略を携えてイタリアへ飛んだ。チェントロはミリキン大とTVSをつないだほか、学生グループによるイタリア訪問に絡んだロジスティックスも担当した。
■小さな集落ににぎわいをもたらす存在に
USASBEとの提携も大きな一歩だった。2022年7月にウルバーニアにやって来たUSASBEの一行は学生ではなく教員であり、テーマは「ルーラル起業」。チェントロはルーラルという強みを存分に生かしつつ、潜在顧客として学生に加えて教員まで取り込むきっかけをつかんだ。
コロナ禍で疲弊していたウルバーニアも2022年7月には徐々に平常を取り戻しつつあった。レストランやカフェは通常通り営業し、街中ではマスク姿もまばらになっていた。
USASBEの研修プログラムが最終日を迎えると、パゾットはブラマンテの中庭に現れた。プログラム参加者全員に修了証書を手渡すためだ。終始笑顔で、みんなにハグしていた。「皆さんと一緒の10日間はとても楽しかったです。また来てくださいね」
道行く人々はパゾットを見掛けると、大きく手を振ってあいさつしていた。彼のおかげでUSASBEがやって来て、ウルバーニアににぎわいをもたらしていると分かっているのだ。コミュニティーオーナーシップがあるからこそ住民は彼に全幅の信頼を置き、期待を掛ける。
■日本でも「人文系ベンチャー」は花開くか
地球の裏側では岸田政権が「日本をアジア最大のスタートアップハブにする」と宣言し、総額10兆円のスタートアップ育成計画をぶち上げた。ここで主に想定されているのはIT(情報技術)やバイオをはじめとした研究開発型ベンチャーであり、教育や文化といった人文系は二の次にされがちだ。
その意味で、パゾットが事業継承した大学発ベンチャーのチェントロは斬新に見える。百パーセント民間主導で百パーセント人文系。それでありながら「第二創業」を経てウルバーニアに大きな活気をもたらし、地方創生のお手本となっているのだ。(文中敬称略)
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ジャーナリスト兼翻訳家
1960年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業、米コロンビア大学大学院ジャーナリズムスクール修了。1983年、日本経済新聞社入社。ニューヨーク特派員や編集委員を歴任し、2007年に独立。早稲田大学大学院ジャーナリズムスクール非常勤講師。著書に『福岡はすごい』(イースト新書)、『官報複合体』(河出文庫)、訳書に『トラブルメーカーズ(TROUBLE MAKERS)』(レスリー・バーリン著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『マインドハッキング』(クリストファー・ワイリー著、新潮社)などがある。
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(ジャーナリスト兼翻訳家 牧野 洋)
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