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NHK大河ドラマでは描きづらい…北条義時がライバル和田義盛にやったエグすぎる仕打ちの中身【2022下半期BEST5】

プレジデントオンライン / 2022年12月29日 15時15分

小栗旬氏。富士通のスマートフォン「arrows」シリーズ新商品、新CM発表会。東京都港区(写真=時事通信フォト)

2022年下半期(7月~12月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。歴史部門の第4位は――。(初公開日:2022年8月28日)
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公、北条義時とはどんな人物なのか。歴史評論家の香原斗志さんは「権力を脅かす存在は、かつての主君・源頼朝の遺児やライバルでも躊躇なく手に掛ける、いまでいえば殺人鬼のような男だ。ドラマで描かれているような心優しき武将ではない」という――。

■冷酷非道さでは源頼朝に劣らない北条時政・義時親子

日本史上で人気のない大物のひとりに源頼朝がいる。身内だろうと忠臣だろうと容赦なく滅ぼしていく冷酷非道な支配者というイメージが強いからだ。事実、放映中のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、大泉洋がそんな姿を好演しただけに、頼朝に目を背ける向きは多かったという。

そんな頼朝にくらべると、血で血を洗う政争が収まらないなかで、苦悩を重ねる主人公の北条義時や、義時の父でみずからの決断力には欠け、若い女房の尻に敷かれてばかりの北条時政への好感度が、相対的に増しているようだ。

しかし、史実のうえでは、冷酷非道という点でこの北条父子は、頼朝に負けずとも劣らない。むろん、先手を打って相手をつぶさなければ自分がつぶされてしまうという状況が、鎌倉にはあった。だから、頼朝は非道を完遂したのであり、北条父子もそのことを頼朝に学んだものと思われる。

とはいえ、これから大河ドラマで時政と義時が行うことは、もしストレートに描きでもすれば、ドラマがあまりにも重苦しくなりすぎてしまう、と心配になるほど凄惨なのである。

■北条時政による暴走

そんな北条時政像は、8月14日に放映された第31話「諦めの悪い男」からはじまった。2代将軍頼家が病に倒れ、助かる見込みがないと思われているなかで、頼家の乳父で後見人の比企能員(ひきよしかず)は、頼家に嫁がせた娘の若狭局が生んだ一幡(いちまん)、すなわち能員の孫への家督継承を推し進めた。

しかし、そうされては今後、北条が出る幕はなくなってしまう。そこで時政は比企能員を自分の屋敷に呼び出し、切り殺してしまう。それを知った比企一族は、一幡の小御所に立てこもるが、政子の同意を得た北条方の大軍が小御所を襲って、比企氏を一族もろとも滅ぼしてしまった。

鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻鏡』には、頼家と能員が北条氏討伐の計画を話し合っているのを、障子越しに聞いた政子が父の時政に急いで伝え、北条がやむなく反撃したように書かれている。

だが、黙っていても権勢が飛び込んでくる比企氏側に、北条を討伐すべき理由はない。実は、天台宗の僧の慈円が書いた歴史書『愚管抄』には、すべてを時政が仕かけたように書かれているのだ。

比企の変で勢いづいてからの時政の暴走ぶりはすさまじい。まず、頼家がまだ生きているのに、朝廷に使者を送って、頼家が死んだので弟の千幡による将軍継承を認めてほしい、と奏請したのだ。それが認められ、千幡は後鳥羽上皇から「実朝」という名を賜っている。

■繰り返される「冤罪殺人」

これ以後、時政は政所別当の筆頭として、まだ11歳(満年齢)の実朝に代わって新恩給与、本領安堵などに関わる公式文書を、自分の名で次々に発給している。

実朝は、政子の御所から時政の館に移り住まわされるのだが、『吾妻鏡』によれば、政子の妹(で夫の阿野全成を殺された)阿波局が、実朝を時政の近くに置いておくのは危険だと進言したため、義時らが連れ戻したという。

しかし、権勢欲をみなぎらせる時政は、実朝の御台所選びに奔走する。選んだのは公家の坊門信清の娘。じつは、後妻の牧の方とのあいだに生まれた娘が信清の次男に嫁いでいおり、時政は実朝の周りを、自分の縁戚で固めようとしたのだろう。

そして時政は、御台所を鎌倉に迎えるための使節のなかに、牧の方とのあいだに生まれ、自分の後継にしようと目論んでいた政範を送ったが、政範は上京後に急死してしまう。

時政夫妻はかなりのショックを受けたようだが、そのあたりからの時政の行動は正常とは思えない。

政範の急死直後、時政の娘婿の平賀朝雅(ひらがともまさ)と、鎌倉から上京した使節のひとり畠山重保が口論になった。牧の方が朝雅の肩をもつと、時政は頼朝以来の忠臣で畠山重忠と息子の重保を一方的に敵視。まず、娘婿の稲毛重成を使って重保をおびき出させると、鎌倉で誅殺。続いて重忠を鎌倉に呼び寄せ、義時らの軍勢が討ち滅ぼした。

しかし、畠山父子はどう見ても冤罪だった。そういう評判が広がると、時政は形勢を挽回しようとして、利用するだけ利用した娘婿の稲毛重成を、重忠を陥れた罪で殺してしまうのである。

「大日本六十余将」より『伊豆 北條相摸守時政』、大判錦絵(図版=東京都立図書館/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)
「大日本六十余将」より『伊豆 北條相摸守時政』、大判錦絵(図版=東京都立図書館/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

■父親以上に冷酷な義時

さながらシェイクスピアの『マクベス』である。国王を殺して王位に就いたばかりに、政敵を絶え間なく殺さざるを得なくなり、ついには自分が滅ぼされるマクベス。時政は夫人にそそのかされるところまでそっくりだ。

『吾妻鏡』によれば、追い込まれた時政は、実朝を将軍の座から降ろして、娘婿の平賀朝雅を立てることを企む。そして、実朝の身柄を確保しようとしたが、緊急事態に政子の判断で御家人たちが義時邸に集結。実朝をそこに移して守った。企てが失敗した時政は出家し、翌日には伊豆に幽閉させられ、二度と復権することはなかった。

この失脚劇が『マクベス』と異なるのは、身内によって追放されていることだ。時政の暴走ぶりを見れば致し方ないとはいえ、実の娘の政子と実の息子の義時によって追い払われたのである。

その後、息子の義時は在京御家人に命じて、平賀朝雅を討ち取らせている。自分の娘婿を将軍にしようと考えた時政夫妻が浅はかなら、すかさず将軍候補を討ち取る義時は冷酷だ。翻弄された挙句、殺されてしまった朝雅が気の毒である。

■2代将軍親子を殺害

だが、実は、義時の冷酷さは、それ以前にもいくつも見てとれる。

たとえば比企の変の直後。『吾妻鏡』では、頼家の子の一幡は、小御所を攻められたときに比企一族と一緒に命を落としたことになっているが、『愚管抄』には、その場は脱出できたと記されている。そして、2カ月後に義時が探し出して殺害したというのだ。

さらには、頼家の殺害を指示したのも義時だといわれている。奇跡的に回復しながら将軍職を追われ、伊豆の修善寺に幽閉された頼家は、送られた刺客と激しく戦った末に殺されている。あたらしい鎌倉殿に、そして北条に恨みを持ちかねない人間は、今後の紛争の根を断つために殺すしかない――。頼朝譲りの冷酷非情な哲学である。

■ライバルに行った非情な仕打ち

さて、時政が失脚したのが元久2年(1205)で、その後、御家人中の最高権力者は、父親に代わって政所別当に就いた義時だったが、その最大のライバルが和田義盛だった。実朝も直情径行な義盛をおおいに信頼したという。

和田義盛(図版=前賢故実/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)
和田義盛(図版=前賢故実/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

そこで義時は一手を打っている。安念という僧が謀反の存在を白状した際、関係者として捕縛された人物に、和田義盛の子の義直と義重、そして甥の胤長(そねなが)がふくまれていた。

もっとも、冤罪の可能性が指摘され、義盛の2人の息子はすぐに赦免されたのだが、甥の胤長はひとまず留め置かれた。そこで義時は、いまがチャンスとばかりに義盛を挑発した。

義盛は実朝の御所を訪れて胤長の放免を申し出たが、その際、義時の家人が預かっていた胤長を、後ろ手で縛ったまま義盛らの前をわざと歩かせた。

プライドが高い義盛はそれを屈辱だと受け取って、建暦3年(1213)5月2日、ついに決起。御所を襲って実朝の身柄を確保しようとするが、翌3日、義時らの軍勢に滅ぼされてしまった。

■川べりにさらされた234もの首

翌日、義盛をはじめ和田方の首が片瀬川の川べりにさらされ、その数234。流罪になっていた胤長も5日後に斬られている。

苦悩を重ねてやむを得ず判断を重ねる、というドラマが描く義時像と違って、自ら仕かけてライバルを一族もろとも滅ぼすなど、殺人合戦がじつに激しい。

しかも、所詮は失脚する父親と違って、義時は徹底していて隙がない。事実上の専制君主として北条氏が君臨する基礎を築いた男。きれいごとで済んだはずがないのである。

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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。小学校高学年から歴史に魅せられ、中学時代は中世から近世までの日本の城郭に傾倒。その後も日本各地を、歴史の痕跡を確認しながら歩いている。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。著書に『イタリアを旅する会話』(三修社)、『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)がある。

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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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