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「患者が手足切断、心臓停止寸前でも感情はフラット」ドクターヘリの救急救命医が平常心保つためのマイルール

プレジデントオンライン / 2023年1月4日 11時15分

出典=『医学部進学大百科 2023完全保存版』(プレジデントムック)

ロシアがウクライナへ侵攻した2022年2月。直後の3月にウクライナへ赴いた日本人医師がいる。国境なき医師団の一員で救命救急医の門馬秀介さんだ。専門は、ドクターヘリによる病院前救急診療、重度四肢外傷など。戦火の現地でどんな活動をしたのか、また医師としてこれまでどのような気持ちで取り組んできたのか。プレジデントFamily編集部が取材した――。

※本稿は、『医学部進学大百科 2023完全保存版』(プレジデントムック)の一部を再編集したものです。

■2022年3月、戦火のウクライナへ赴いた日本人医師

2022年2月、ロシアがウクライナへの侵攻を開始。この原稿を書いている10月下旬の時点で侵攻はやむことなく、戦局を見通すことすら困難な状況が続いている。

侵攻開始から間もない3月、1人の日本人医師が医療支援のために現地へ向かった。「国境なき医師団」から派遣された救命救急医・門馬(もんま)秀介さんだ。専門は外傷外科、災害医療、ドクターヘリによる病院前救急診療、重度四肢外傷。救急集中治療のスペシャリストとして、これまでに多くの人の命を救ってきた。

「今回は緊急の派遣だったため、当初は活動内容が決まっていませんでした。国境なき医師団は現地のニーズに合わせ、常に必要とされることを行いますが、ロシアとウクライナとの緊張状態により最前線では活動できず、最前線に最も近い都市にて情報収集しました。ウクライナには医師を含めた現地の医療スタッフが残っていて、僕たちは彼らをサポートし医療体制の安定化や、大量傷病者発生時の対応研修などを行いました。もちろん、救命医として患者さんの治療や手術をしたいという気持ちはありましたが、現地のニーズを優先し、医療者のサポートの役割に徹しました」

■「僕が役に立つのなら、どこにでも行きたい」

国境なき医師団の設立は1971年。独立・中立・公平な立場で、医療・人道援助活動を行う国際NGO(非政府組織)だ。世界の紛争地や自然災害などの被災地で、医師をはじめとするスタッフが無償で医療を提供している。

それぞれの医師が派遣先を選べるわけではない。登録した医師や看護師のリストから、現地で必要とされるスキルを備えたスタッフに国境なき医師団の事務局から派遣の打診があり、受け入れるかどうかの判断を求められる。勤務先とのスケジュール調整がつかず派遣要請を断るケースもあるという。

門馬さんの場合、侵攻が起きた直後に来た打診は家族の状況などをふまえて断ったが、数日後に再度打診があり、「自分が必要とされるなら行こう」と決意したという。

「僕の子供は両親と安全な国で過ごしているけれど、そうした環境が整っていない子供たちや、医療資源が足りなくて困っている人たちが世界中にたくさんいる。そこで僕が役に立つのなら、どこにでも行きたいと考えています」

隣国のポーランドからウクライナに入国し、およそ1000kmの道のりを陸路で移動。東部のドニプロやヨーロッパ最大規模の原子力発電所があるザポリージャに入った。現地の医療体制に土足で踏み込んでいくのではなく、まずは現地の医療者との関係性構築のために、研修や、緊急手術を行う病院の設置準備などに携わった。

3月25日、ザポリージャ医科大学病院で現地の医療者に、多数の負傷者が一斉に運ばれてくる事態に備えた技術トレーニングを行った。
3月25日、ザポリージャ医科大学病院で現地の医療者に、多数の負傷者が一斉に運ばれてくる事態に備えた技術トレーニングを行った。出典=『医学部進学大百科 2023完全保存版』(プレジデントムック)

「いちばん印象的だったのは、多くの街では皆が普通の生活をしていること。そして、そのすぐ隣で戦争をしているという事実でした。日本のニュースでは爆破された建物ばかりが映されるけれど、すべての建物が破壊されているわけではない。その周りには生活を営み、破壊された街を復興しようとがんばっている人がたくさんいる。現地の医療従事者たちも同様です。『我々は医療で戦う。たとえロシア兵が負傷して運ばれて来ても全力で治療する』と、みんなが言っていました」

幸い、派遣期間中に命の危険は感じなかったというが、昼夜問わずスマホからは警報が鳴り響き、眠るときはいつでも逃げられるような服装で過ごした。これまで恐怖やストレスに対してどのように向き合ってきたのだろう。

「普段は感情を豊かに持ちたいですが、病院前医療や災害や紛争地派遣ではなるべく感情を挟まないようにしています。ドクターヘリでかけつけた現場で、手足が切断されてしまった人や心臓が止まりそうな人たちを何度も目の当たりにしてきました。そこでは、今できる限りのことを一刻も早くやるしかない。危ないとか恐いとか、余計なことを考えているヒマがないんですね。動揺することもありますが、それに影響されて医師として必要な判断力が削られてしまうわけにはいかないのです」

■医師の心を整え、国境なき医師団に応募

門馬さんには災害支援での苦い経験がある。医師になり数年過ぎた頃、東日本大震災が発生。災害派遣で岩手県沿岸部の被災現場に入った。

「現地は混乱の極み。そうした中で自分なりに動いたものの、サポートする側にうまく回れなかったんですね。自分の思い描いていた医療行為ができないまま東京に戻され、次に派遣される医師にフラストレーションをぶつけたこともありました。『なんでおまえが行くんだ、必要なのはオレの能力だろ』って。今にして思えば、被災地の人たちが望むことに寄り添えず、自分のやりたいことだけを主張していた。反省しかありません」

このときの経験から、相手が望む医療を提供するのが大事だということに気が付いた。その後、国境なき医師団に参加。2019年にパレスチナのガザ地区で医療支援を行った。

「もっと早く参加すればよかったと思うこともあるけれど、岩手での経験がなかったら、自分のやりたいことだけやって帰国して、オレってすごいだろう、みたいな感じだったでしょうね」

これから医師を志す人には「前を向いて自分を試し、磨いてほしい」と声援を送る。

「結局のところ、医師として大事なのは人間性だと思うんです。どれだけ技術や知識があっても、会話がきちんとできないとか、信用できない医師は患者さんに悪影響を与えます。周囲との関係性が構築でき、普通以上の医療が提供できれば、スーパードクターは不要でしょう。そのために学生時代も含めていろんな経験を積むことが大事です。失敗を恐れずに前に進むことを意識すれば必ず失敗からでも学べることがあります。答えは常に前にあると思うんです。いろんな経験をし、時には失敗も恐れず進むことが、人間性を磨くことにもつながり、いつか必ず医師になってから活きてきますよ」

3月26日ドニプロの避難所にて。
3月26日ドニプロの避難所にて。マリウポリから逃れてきた人たちに対し、急きょ頼まれて診察を引き受けた。5歳の子供から80代の高齢者まで計9人を診察。高齢の男性は1週間続いた避難生活で靴を脱げなかったため、足に潰瘍ができていた。出典=『医学部進学大百科』

■門馬さんの経歴

2001年〜
『医学部進学大百科 2023完全保存版』(プレジデントムック)
『医学部進学大百科 2023完全保存版』は「スーパー医学部生5人の24時間おススメ勉強法」「医学部に強い高校ランキング」「偏差値・倍率・試験科目全公開!全国82医学部 最新データ」「奇跡の合格をした超効率学習メソッド3」などを掲載。

国内大学の医学部卒業。救命救急センターで研さんを積む。その後、国内大学病院救命救急センターに所属し救命集中治療に従事しつつ、災害派遣やドクターヘリ、ドクターカーなどの病院前診療にたずさわる。

2017年

国境なき医師団に登録。

2019年

パレスチナ・ガザ地区で外傷治療プロジェクトに参加。

2022年

ウクライナで緊急医療援助プロジェクトに参加。

(国境なき医師団・救命救急医 門馬 秀介 文=尾関友詩 撮影=堀 隆弘)

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