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イェール大名誉教授「日本人はなぜノーベル経済学賞を受賞できないか」

プレジデントオンライン / 2023年1月6日 9時15分

2016年7月に、安倍晋三元首相を表敬訪問したベン・バーナンキ氏。(時事通信フォト=写真)

■経済学の常識一変も日本だけ旧態依然

米国大統領経済諮問委員会委員長や連邦準備制度理事会議長を務めたベン・バーナンキ氏が、ノーベル経済学賞を受賞し、2022年12月10日にスウェーデンのストックホルムで授賞式が行われた。米国そして世界の経済政策に重要な役割を果たしたバーナンキ氏の栄誉ある受賞を喜びたい。

バーナンキ氏と日本経済とは深い関係がある。1999年にプリンストン大学部長だったときに来日し、当時の日本銀行の緊縮的すぎる金融政策を批判して「日本がデフレを脱せないのは経済状況のせいではなく、日本銀行の政策が自縄自縛に陥ったからだ」と批判した。

日本のマスコミは彼の言葉である「self-induced paralysis」を「日本銀行が機能不全に陥っている」と訳したが、これでは彼の真意は十分に伝わらない。直訳は「自ら招いた麻痺」。彼も後の回顧録では言いすぎたかなと気にしているようだが。

2017年、日本銀行金融研究所主催の国際会議で、バーナンキ氏が「インフレ目標を追求し続けるべき」との講演を行ったとき、インフレ目標を追求するのは手段にすぎず、本来の目標は失業率の改善であると私は考えていた。

そこで「アベノミクスにより雇用が大幅に改善している日本でインフレの数値にそれほどこだわる必要がありますか」と私は質問した。バーナンキ氏は「その必要はある。それに各国が2%程度のインフレ目標を実現することで、為替市場も安定する」と答えたように思う。

■彼の学問的知識で、世界は恩恵を受けている

ノーベル賞に話を戻すと、2人の共同受賞者(ダグラス・ダイヤモンド氏とフィリップ・ディビグ氏)は理論家で、恐慌のときに銀行の取り付け騒ぎがなぜ起こるかを解明した。バーナンキ氏の受賞理由は、大恐慌のときになぜ恐慌が激化、継続したかを歴史的に解明したことだ。

ノーベル平和センター
写真=iStock.com/rrodrickbeiler
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/rrodrickbeiler

経済学賞は学問的業績に与えられるため、授賞理由には経済政策を自ら行った功績は含まれていないが、彼の学問的知識を政策の実践で活用した業績も大きく、それにより世界は恩恵を受けているはずである。

経済学では自然科学分野と異なり、真理であるか否かの評価が確定しないこともある。正反対の経済理論が、同時受賞したことも幾度かある。たとえば、13年に「市場は経済合理的に価格形成を行う」とするシカゴ大学のユージン・ファーマ氏と「市場では人間の情熱や恐怖により非合理な価格形成が行われる」とするイェール大学のロバート・シラー氏が同時に受賞している。

経済学は「数量」を分析し、国や世界が閉じていることを考慮したうえでの「方程式」も用いる。そして、人々がおおよそ合理的に行動していると仮定すると、その「最適化」を示すのに数学の応用が有効になる。そうした結果、経済学の科学性が強調されたこともあった。しかし、さまざまな経済現象の理解には、さほど数学が重要でないこともある。

バーナンキ氏の金融政策上の活躍からもわかるように、経済学は科学性を重んずるとともに、実社会に役立つ学問であり、経済政策にも役立つ学問であるべきだと思う。必要なときには、数学はもとより歴史学、社会学、政治学、心理学、あらゆる分野の助けを借りて、より総合的・学際的な学問に発展させていく必要がある。もちろん、他の学問との関連を示すだけでは不十分で、他の分野の知見が経済分野の問題解決に具体的に役立つことを示すことが、よりよい業績となる。

ノーベル賞に経済学賞が加わってから半世紀以上経っているが、それは次のような意味で学界に好影響を与えている。かつて経済学界で評価されるのは、往々にして1つの学派を形成した人、俗にいえば学界のボスであった。しかし、ノーベル経済学賞の設立によって、個々の経済学者が具体的なテーマにおいて新しい知識を世界にもたらし、それがどう人類に役立っているかを、正当に評価する機会を与えてくれるようになった。デジタル社会において、経験豊富でたくさん物事を知っているだけでは、学者が尊敬されないようになりつつある。ノーベル賞はその傾向を促進し、経済学界の広い意味での民主化に役立っていると思う。

日本の学界、特に私の知る文科系の学界で感ずることは、日本でなかなか独自の業績が生まれない背景には、知識を外から学んで記憶し、それを正確になぞらえることを偏重する傾向が強いということがある。日本の若い学者には「よい経済学者とは自らが思考、体験を通じて意味のある問題を発見し、できれば世の中に解決を与えようとする者である」と言いたい。

アメリカの教育法はプラグマティズムにも通じるが、知識を外から与えるのでなく、基本文献を理解した後は、少なくとも経済学において何か意味のある有用な問題を見つけ出し、それに解決法を考えることに集中する。

私が「イェール大のPh.D.」といったら、ある日本の記者は「いつ博士課程を修了されたのですか」と質問してきたが、講義を受ける課程を重んじる伝統からの質問だったのだろう。米国の大学院教育では、教室で講義を受ける課程に比べ、研究指導で博士論文を作成する過程がより重要視される。先行研究に頼るよりも自分で問題を考え、考えた結果をどう自分の文章で表現するか、この修練の過程で学者になる基礎が養われるのだ。

また、日本では「先生」という言葉が使われすぎるのも気になるが、これは本連載で触れたことがあるので、ここでは繰り返さない。

■日本の大学も経済学部の改革を

多くの個性が集い、自由闊達な議論を交わすなかから、新しい発想や価値観が生まれるというのが、ヘーゲル、マルクスを通ずる弁証法の知恵である。しかし、私が教養学部の学生のころ、ドイツ留学帰りの先生に、ある学生が質問したら先生が顔色を変えてしかりつけた。いまでも日本のある法学部の教授は「学生の質とは何分間講義に静かに座っていられるかで決まる。よい大学では講義が1時間半でも静かに聞いているが、他の大学に行くと1時間も経たずにざわつく」と言われているそうである。

その教授が米国の名門大学の様子をご覧になったら、さぞ驚かれるだろう。私の師であるジェームズ・トービン教授の講義も、教授の講義は半分程度もなく、あとは学生に質問して議論させる。教授の役割は、学問の大筋を外さないような議論の主導と巧みな整理が主である。ロー・スクールの講義も同様である。

明治以降、日本は学問分野で後発国だったから、まずは海外からの知識を取り込むことを優先した。ある意味で賢い知恵だったかもしれないが、いまでは日本人の知性、個性、独立性を阻害していないだろうか。

今後の日本発展のために、「知のインフラ投資」が必要だ。創造性こそがこれからの成長の原資になる。それは知識を多く詰め込んでも生まれない。世界的に多くの優れた業績を上げた経済学者の根岸隆氏によれば、「創造するためには頭を白紙の状態にしなくてはならない」のである。

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浜田 宏一(はまだ・こういち)
イェール大学名誉教授
1936年、東京都生まれ。東京大学法学部入学後、同大学経済学部に学士入学。イェール大学でPh.D.を取得。81年東京大学経済学部教授。86年イェール大学経済学部教授。専門は国際金融論、ゲーム理論。2012~20年内閣官房参与。現在、アメリカ・コネチカット州在住。近著に『21世紀の経済政策』(講談社)。

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(イェール大学名誉教授 浜田 宏一 構成=渡辺一朗 写真=時事通信フォト)

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