日本は「過去最大の国家予算」を組むのに…インフレ地獄のイギリスが「人気のバラマキ」に手を出さないワケ
プレジデントオンライン / 2022年12月23日 19時15分
■イギリスが直面する深刻なインフレ
2022年は歴史的なインフレの年だった。低成長・低インフレが定着している日本でも、消費者物価は11月に前年比3.8%上昇し、約32年ぶりの伸び率となった。
とはいえ一時期に比べると商品市況は安定しているし、また年明け以降は家計向けの電気料金の補助金が給付される。電気料金を2割程度引き下げる効果が期待される。またガソリン価格にも補助金が給付されるため、インフレは今後、落ち着いてくるだろう。
確かに諸外国と比べると、日本のインフレ加速は限定的だ。しかし日本の場合、潜在成長率が低いという問題がある。そのためインフレ率の水準が低いからといって、他国に比べるとインフレが経済に与える影響が軽微だとは必ずしもいえない。名目の所得が増えにくい分、インフレが軽微でも、実質の所得は目減りすることになる。
日本以外を見渡すと、インフレが最も深刻な地域は欧州だったといえよう。
最新11月の欧州連合(EU)の消費者物価は前年比11.1%上昇となった。またEUと袂を分かった英国の消費者物価も同10.7%上昇と、伸び率は依然として歴史的な高水準である。ロシアのウクライナ侵攻を受けて生じたエネルギー不足が、インフレ加速の主因となった。
![【図表】英国のインフレ率](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/f/1200wm/img_dff6231f2e7a5b4a86074097ef5d0c6f163095.jpg)
英国の場合、消費者物価の先行指標となる生産者物価の前年比上昇率が夏にピークを付けた(図表1)。しかしその後の生産者物価の上昇率の低下ペースは鈍いため、消費者物価の上昇率の低下もまた鈍いものとなる。事実、イングランド銀行(中央銀行)も最新11月の見通しで、2023年末の消費者物価上昇率が5.2%になると予測している。
深刻なインフレを受けて、賃上げデモやストライキも生じている。郵便会社ロイヤルメールは、クリスマスの直前の12月23日から24日まで、ストライキを決行する予定だ。年末にかけて休暇に入るため、物流が急増するタイミングでロイヤルメールの職員のストライキを予定していることは、英国民のフラストレーションの強さをよく表している。
■電気・ガス料金が3倍に膨れ上がる異常事態に…
英国の消費者物価は2022年1月から11月まで前年比で8.9%上昇したが、特にエネルギー価格は46.3%も上昇した。
うち電気は62.4%、ガスは73.5%、液体燃料(ガソリンや灯油など)は実に110.9%も価格が上昇した。10月には政府が家庭の電気・ガス料金の上限を80%引き上げており、光熱費の上昇になおさら弾みがついた。
英ガス電力市場監督局(Ofgem)は来年1月の料金改定で、標準世帯に対する電気・ガス料金の請求額の上限を年4279ポンド(約70万円)に引き上げた。2021年の請求額の上限が1277ポンドだったため、3倍以上の請求増である。実際は、英政府の特例措置を受けて、家計の年間の負担額は2500ポンド(約42万円)程度に抑えられている模様だ。
※編集部註:初出時、「標準世帯の電気・ガス料金の年間の支払額」としていましたが、正しくは「請求額の上限」の誤りでした。「3倍以上の負担増」は「3倍以上の請求増」、「家計の年間の支払額」は「家計の年間の負担額」の誤りです。いずれも訂正します。(12月26日12時20分追記)
政府が4割以上、家計の電気・ガス料金の負担を肩代わりしている。しかし英国立統計局(ONS)によると、英国の標準的な世帯の可処分所得(税金や社会保険料などを除いた所得、いわゆる手取りの収入)は2021年時点で3万1400ポンド(約520万円)だった。そのため2500ポンドでも、家計の負担はかなり重たいままである。
![ウェストミンスターブリッジから見るビッグベン](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/5/a/1200wm/img_5a654deedb26bb7a84c17cc75bd94ed6473315.jpg)
またこの措置は、わずか45日での退陣を余儀なくされたトラス前政権の下で実施が決まったものだ。当初は2022年10月から24年9月までの2年間にわたって適用される予定だったが、後任のスナク新政権で見直しが進み、2023年4月からは年間の支払額が3000ポンドに引き上げられ、政府による助成が縮小されることになった。
負担の増加に抗議する不払い運動も起きている。Don't Payという運動が20人ほどの活動家によって立ち上げられ、12月1日時点で25万7848人の賛同者がこの運動に参加している。かつて人頭税が導入されたことに国民が反発し、その廃止とサッチャー元首相を辞任に追い込んだ経験に準え、エネルギー価格のさらなる引き下げを要求している。
■必要なのは的を絞った対策だ
英国のみならず、世界的に加速した今年のインフレの本質は、エネルギー不足という外生的な負の供給ショックにあった。この場合、政府はエネルギーの供給を増やすための取り組みに努める必要があるが、それが効果を持つには時間を要する。しかし時間がかかるとはいえ、インフレで所得が目減りすることを放置するわけにもいかない。
そのため、政府は補助金の給付を通じてエネルギー価格の上昇を抑制し、インフレの加速にブレーキをかける必要があった。つまりトラス前政権が電気・ガス料金に上限を設定したこと自体は、まっとうな政策だった。欧州連合(EU)から離脱したことも、その財政ルールに縛られずに済むため、電気・ガス料金に補助金を与える上で好都合だった。
トラス前政権の失敗は、需要の刺激につながる大減税を試みたことに他ならない。エネルギー供給が不足し、それがモノやサービスの生産コストを押し上げる環境の下で、大減税で需要を刺激すれば、インフレは安定するどころかさらに刺激される。そして家計や企業に強いインフレ期待が根付いてしまい、深刻なインフレが長期化する。
当然、大減税によって財政も悪化する。こうした展開を嫌気した投資家が、金融市場で英国の国債や通貨、株式に売りを浴びせたわけだ。このトラス・ショックによる混乱は、スナク新政権が財政健全化路線を打ち出したことで収束したが、この英国の経験は財政出動が万能薬ではないことを内外に知らしめる好機になったといえよう。
![トラス前首相(右、在任:2022年9月6日~2022年10月20日)と、後任のスナク首相(2022年10月25日~)=2022年8月31日、イギリス・ロンドン](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/7/1200wm/img_974b66115c005eb7d1199e5d276e1b2c491730.jpg)
■「失敗の教訓」を生かすイギリス
スナク新政権は2023年4月より家計の電気・ガス料金の支払い負担に対するサポートを縮小する予定だが、エネルギー価格の動き次第では、むしろ拡充されるかもしれない。巨額の歳出が生じるとはいえ、これは必要な政策だろう。言い換えれば、エネルギー対策の必要があるからこそ、広範なバラマキ策などもってのほかであるということだ。
インフレ対策の観点から英中銀(BOE)は、12月の金融政策委員会(MPC)でも利上げを行い、政策金利(バンクレート)は3.5%まで引き上げられた。
こうした金融引き締めに加えて、スナク新政権は慎重ながらも財政引き締めを進めて、企業や家計のインフレ期待を鎮めようと腐心している。そうしないと、高インフレが需要面から定着してしまうためだ。
物価高を放置すれば、実質所得が目減りして低成長が定着することになる。中長期的なコストを支払うくらいなら、短期的な痛みを負って調整を早く済ませてしまいたいというのがスナク新政権の政策判断となる。そうした政策は不人気であるが、スナク新政権に腹をくくらせたのは、トラス前政権による失敗の経験だったということだろう。
■日本は「円安の危機」から何を学んだのか…
日本では需要が不足していることを理由に、財政拡張と金融緩和が常態化している。そうした状況の中で、利上げが先行する米国との間で金利差が拡大し、今秋には1ドル150円を超える歴史的な円安を経験した。このように市場は日本に対して厳しい評価を下したにもかかわらず、日本では財政拡張と金融緩和を見直す議論が遅れた。
その後、円相場が1ドル130円台半ばまで戻したことから、危機感が薄らいでしまったきらいが否めない。来年度の一般会計予算は過去最大となる114兆円規模での調整が図られており、岸田政権は拡張財政路線を突き進んでいる。急速な円安は今年最大の問題だったはずだが、日本では楽観的なムードが支配的である。
とはいえ、このまま財政拡張と金融緩和の在り方を見直すことを回避し続ければ、市場は円相場の暴落という評価を突きつけかねない。
(寄稿はあくまで個人的見解であり、所属組織とは無関係です)
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三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員
1981年生まれ。2005年一橋大学経済学部、06年同大学院経済学研究科修了。浜銀総合研究所を経て、12年三菱UFJリサーチ&コンサルティング入社。現在、調査部にて欧州経済の分析を担当。
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(三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員 土田 陽介)
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