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「決勝戦前日の無情ノーサイド」コロナ感染で公立進学校が花園消滅…なす術なく最期を迎えた選手と親の胸の内

プレジデントオンライン / 2022年12月30日 11時15分

撮影=清水岳志

新型コロナウイルスの感染拡大が始まって約3年。万全の対策をしていたものの、突如、陽性者が出ることで予期せぬ事態が起こる。福島県の磐城高校ラグビー部は今冬の全国大会出場をかけた大一番の県大会決勝戦を辞退した。フリーランスライターの清水岳志さんが選手、監督、保護者に「苦渋の決断の日」を取材した――。

■仲間と切磋琢磨した「青春の密」は報われなかった

「青春って、すごく密なので」

今夏の甲子園で初優勝を果たした仙台育英高校(宮城県)の野球部監督が言った言葉は2022年を代表する流行語になった。

野球がすごく密なら、タックルやスクラムなど体と体の激しいコンタクトプレーが連続するラグビーは“超々密”になるだろう。

年末年始恒例の全国高校ラグビー大会が開催されている。各都道府県大会で敗れた高校も代表校を応援しているだろうが、ちょっと複雑な心境で試合中継を見ている高校もある。

福島県の磐城高校(以下、磐城)である。

例年、東京大、京都大に複数人、東北大には2桁の合格者を出す進学校で、創立127年の歴史を誇る伝統校だ。

文武両道の磐城は過去に計18回、花園に出場を果たしている。昨年(2021)度は1回戦で0対45の敗戦だったが、野球同様にラグビーでも私立強豪が代表校にずらりと並ぶ中、全国大会に地方の公立進学校が出場することは快挙と言っていい。

2020年4月に入学した今の3年生はコロナに翻弄され続けた高校生活だった。磐城ラグビー部3年でキャプテンを務めた木田竜晟君が言う。

「入学した時は非常事態宣言がすぐに出て、5月までは登校もしなかったし部活も集まってはできませんでした。近所の2、3人で公園で体を動かす程度。その後もそんなことが何回も繰り返されました。平常時の部活を知らない。僕らの世代はそれが普通だったので慣れていました」

リーダーは苦笑いした。

不遇の世代ともいえる彼らだが、3年間の集大成の今冬の全国大会出場にかける熱い思いは相当なものがあったことは想像に難くない。

しかし、あと少し、ほんの少し……。最後の最後に仲間と切磋琢磨した「青春の密」は報われなかった。

■苦渋の校長「陽性者が出たので(決勝は)辞退する」

花園へ続く県大会を順調に勝ち進み、いよいよ11月12日の決勝戦を迎えようとしていた。

相手は、地元・磐城地区大会で苦杯をなめていた勿来(なこそ)工業高校。ここ数年、覇権を争ってきた宿敵だ。今年度は敵の戦力が充実して、越えられない山になっていた。それだけに決着をつける時をみすえ入念に準備をしてきた。

しかし決戦を翌日に控えていた11月11日金曜日の夕方……。授業を終えた部員は大一番に備えて早く仕上げの練習をスタートさせたいが、監督がグラウンドに来ない。

「気が早って、始めようとみんなに声をかけたところに、ちょうど監督と講師の先生が歩いてきました。校長も一緒だったので嫌な予感がしました」

この約1カ月前の衝撃の出来事の真実を知るべく、12月半ばに同校を訪問した。木田主将が悪夢の瞬間をこう振り返った。

同校OBで1980年、初の花園出場時のメンバーだった佐藤芳弘監督(59歳、体育科教諭)も言葉を詰まらせる。

「あの日の昼間、部の関係者が具合が悪いと聞いて……。校長と歩いていって部員を見渡すと、(その表情から察するに)感染者が出たことをわかってないのだと感じました」

部員たちの表情は当初、練習に挑む前の気合の入ったものから、みるみる悲壮なものに変化した。監督も校長も同じだった。

「陽性者が出たので(あすの決勝戦は)辞退する」

校長はそう言った。副将の吉田光希君はその後の記憶がやや不確かだ。何が起こったのか理解できなかったのかもしれない。

右から吉田副将、木田主将、石川副将
撮影=清水岳志
右から吉田副将、木田主将、石川副将 - 撮影=清水岳志

「校長先生はたしか『3年生はやるせないと思うが、次の目標に向かってほしい……』と仰ってました」

木田君が付け加える。

「全員がその場で泣きました。ショックすぎて、何も考えることはできませんでした」

気丈にも木田君はキャプテンとしての務めを果たそうと今にもへなへなとなりそうな心身に鞭打って、部員たちの顔を見て話し始めた。

「今回出られなかったのは悔しいけど、3年は受験があるのでそこに切り替えてもらって……。後輩たちは僕たちの分も絶対に花園に行ってほしい、と言いました」

吉田君も同じことを言ったようだ。

「お前らなら、できる、って。ぐしゃぐしゃに泣きながら言ったと思います」

一方、もう一人の副将、石川和輝君は笑いながら振り返る。

「正月(花園出場)を見越して進む大学も(花園前に手続きを終える)指定校推薦など考えていたのに、全てが消化不良で終わっちゃった」

もはや笑ってごまかすしかないのだろう。

■「なんとか覆らないかと父兄は抵抗してくれました」

ただ、すこし時間がたって冷静になってみると、部員たちには疑問がわいてきた。

「感染していない部員で、試合はできたんじゃないか」

実は辞退決断の夜、ラグビー部員父兄が学校に集まって臨時の説明会が開かれている。学校側は部員のほとんどを陽性者との濃厚接触者として辞退を決めた。

2年半前に感染拡大し始めた頃はその通りの判断になっただろう。しかし現在は重症化率も下がり、接触者の基準も以前より厳密なものではない。ならば、陽性者以外でメンバーを組めるのではないか。出場に希望をもった父兄はそうした訴えをした。学校側との議論は日付が変わるまで続けられた。

木田君は父の帰りを寝ずに待っていた。寝られるわけがなかった。

「なんとか覆らないかと父兄は抵抗してくれたようです。日をまたぐまで話し合いが続いて、父が帰宅したのは深夜1時前ぐらい。『ダメだった』と言われました」

木田君の父親、直之さん(48歳)は磐城ラグビー部OBで外部コーチと保護者会会長でもあり、当日の説明会に参加した。

「3年生にとって、スパンと終わってしまうことを考えると……」

監督も3年生を思うと申し訳なかった、と言う。

中央が佐藤芳弘監督
撮影=清水岳志
中央が佐藤芳弘監督 - 撮影=清水岳志

「前日、前々日、決勝に勝ちたいとものすごく真剣にやっているわけで。辞退したことは間違ってはなかったなと思いますが、なにか違った方法はなかったかと。非難は学校と私が全て受ける」

感染者に非があるわけではない。どんなに対策をしても100%防止することはできないのは周知の事実だ。時間的な余裕もなかった。

それだけに学校も監督も苦渋の判断だったに違いない。最終的には部員も父兄も受け入れるしかなかった。11月11日、2022年度の磐城高校ラグビー部の選手権への道は終了させられた。その無念さは一生消えないだろう。

■デジタル端末を使ったチームビルディングをしていた

先にも触れたが、今年度は勿来工に分が悪かった。1年前の新人戦でも力の差を見せつけられて負けていた。ただ、その差を埋め、乗り越えるべく、チームは一丸となって練習に励んでいた。

ラグビーボール
写真=iStock.com/PeopleImages
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PeopleImages

磐城が取り入れたのが、経済産業省「未来の教室」事業のもとでSteam Sports Laboratory(以下ラボ)が開発した「チームビルディング」プログラムだった。PCやタブレット、スマホといったデジタル端末を使いながらプレーの課題解決やチーム内の関係を向上させるスキルを学ぶものだ。

木田コーチが導入した経緯を説明する。

「うちは進学校で部員も少なく未経験者ばかりです。ここで効率よく強化するにはミーティングが大事だなと監督とも相談して始めてみました」

木田コーチは地方創成担当の市の職員。いわき市の教育委員会がプログラミングとタグラグビーを組み合わせてスティーム教育的に去年から導入していた流れもあった。

ラボの代表で早稲田大ラグビー部元主将の山羽教文さんが学校を訪問して数回、その後はオンラインで計10回の講義をした。

佐藤監督が懸念していたのは部員が忙しいことだった。

「月曜日は部活が休みなので講義をやろうとなったんですが、普段はその時間で塾に行く子がいたり、ケガの治療で通院する子もいる。でも、先々でスマホでできるんです。時代にマッチして効率よく時間が使えた」

実際に講義を受けた部員たちは課題を自ら設定し、練習や試合を振り返り組織をビルドアップさせた。

「組織力、関係力、人材力の3つがいいチームにしていくために大事だと。部員主体にやることの重要性をあらためて学びました」

木田主将の言葉に、自分たちは確かに成長したという自信がみなぎっていた。

佐藤監督はスティーム教育で部員が各自でしっかり考えるようになったと言う。

「練習をやっていて、知らず知らずのうちにうまくなってるのが一番いいなと思っています。仕事もそう。上司にあれやれこれやれと教えられた仕事って覚えないですよね。自分で考えたことは上手くなるし強くなる。つまりは自主性です」

■文武両道の部員…睡眠時間は5、6時間だった

磐城の西グラウンドは校舎から数百メートル離れたところにあってサッカー部とソフトボール部と共用している。午後4時半ごろから練習を始めて7時ぐらいに終了。そこから塾にいく部員も多い。

撮影=清水岳志

「毎日、課題も出ますし一日の睡眠時間は5、6時間だった」と3人の3年生が言う。一昨年の部員の一人が東大に合格したというから文武両道を実践している。

部が抱える不安材料は部員が少ないこと。野球よりも部員減は深刻だ。今年度は3年生が6人。新チームでは2年生7人と1年生8人で丁度15人。中学までのラグビー経験者は各学年に一人ずつなのだという。部のツイッターには初心者歓迎を謳い、途中入部も問題ない。最近、未経験者が仮入部した。

「新人はタックルの仕方を一から始めたばかり。ルールもよくわかってないはず」と2年生の高萩康太キャプテン。新人戦が終わると辞めてしまうかも、と周囲は気をもんでいる。

佐藤監督が2年で花園に出場したときの優勝校は伏見工だった。そう、テレビドラマの『スクールウォーズ』のモデルでラグビーの人気が出てきた頃だ。そして今は忍ぶ時だ。

いずれにしろ、22年度の磐城は冬枯芝の上で、道半ばにして活動を終えた。吉田君と石川君は関東の大学でラグビーを続けるつもりだ。石川君が前を見据えて語気を強める。

「ニュースで、コロナで(他のスポーツのチームが)辞退なんて見るんですけど、自分らに降りかかってくるとは。実感がわかないっていうか、フワフワしてここまで来ちゃったような感じです。大学でラグビーを続けるのでレギュラーをとって全国大会に出たい。理不尽な終わり方を今後の糧にしないといけないので」

取材した日、グラウンドで1、2年生の練習のサポートをしていた3人は推薦入試のための課題作文などを書き終えたところだという。

「部活が終わっちゃって、数日たって、むしゃくしゃ落ち着かなかった。すぐにでもグラウンドで走りたかった」

12月に取材すると、新チームが練習していた。女子部員が2人、男子と一緒。タックルにもモールにも交じる。大学の推薦入学が決まった3年生が後輩のために引退後も手伝いに来る
撮影=清水岳志
12月に取材すると、新チームが練習していた。女子部員が2人、男子と一緒。タックルにもモールにも交じる。大学の推薦入学が決まった3年生が後輩のために引退後も手伝いに来る - 撮影=清水岳志

今夏の高校野球の奈良県大会決勝戦。一方の高校でコロナ感染が広がり、レギュラー陣を欠いて大差で勝負がついた。甲子園大会が終了した数カ月後、互いにベストメンバーで記念試合をしたというニュースがあった。

この話を彼らに振ってみたが言わなければよかったと後悔した。目の前の3人の顔が曇ったのだ。

「そんな話もありましたね。何をしても辞退という事実は消えるわけじゃない。再試合といっても……。うちらはそんな気分になれない。なんかもう、燃え尽きたので」

プライドもあるだろうし、あっけらかんと言い放って懸命に吹っ切ろうとしているようだった。

■花園に導けなかった監督…無念さを糧にリスタート

辞退から一週間の休みがあって、新チームがスタートした。2年生唯一の経験者、高萩君が他の部員から信任を得る形で新キャプテンになった。3年生からは「お前らは力があるから、来年、花園にいけ」と言われたという。

「ここまで勝ち上がって来たのに。3年生は悔しい気持ちがあるはず。それを忘れないで、来年の花園に出ようと2年と1年は決意をもっています。部活も高校生生活もその先の生き方にも生かさないと」

佐藤監督は新人戦に向けた練習を眺めながら、ふと、白い息とともに言葉を漏らした。

「やっぱ、一生かかっても償わないといけませんよねぇ。責任を被るって何ができるわけではないんですが。人それぞれ背負うものがあって、降ろしていければいいんですが。2年生、1年生が考えて来年頑張ることですね」

教え子たちを花園に導いてやれなかった無念を背負っていた。

そして練習が終わった後だった。

「もう、爺ですよ。この歳になってこの子たちと遊べること。遊べるって言いますか、ラグビーを教えられること。ドキドキしたり、泣いたり。それが一番、嬉しいんです」

老練な指揮官は原点に返っていた。新チームも1月の新人戦県大会への進出を決めている。

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清水 岳志(しみず・たけし)
フリーランスライター
ベースボールマガジン社を経て独立。総合週刊誌、野球専門誌などでスポーツ取材に携わる。

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(フリーランスライター 清水 岳志)

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