なぜ妹は僕より蚊に刺されやすいのか…妹思いの男子高校生が科学に目覚めてコロンビア大学に進むまで
プレジデントオンライン / 2023年1月11日 10時15分
■研究対象は「一生に一度しか交尾をしない蚊」
米コロンビア大の学生(当時)の田上大喜さんは、コロナ禍の2020年4月に帰国。京都市の自宅からオンラインで講義を受けはじめた。
「授業は、日本時間の夜11時頃から深夜3時頃まで続きます。その後少し休んで、朝7時から昼頃まであります。午後2時から6時頃まで寝ますが、それだけでは睡眠が足りないので、夜中に仮眠を取っています」
かなりハードな生活に思えるが――。
「でも、アメリカでは自分で料理を作ったり洗濯をしたりしないといけませんが、今は親がやってくれるので、その分、楽です」
私が田上さんを取材するのは5年ぶり2回目だった。最初に会ったのは2015年で、彼が高校1年生のときである。当時、彼が取り組んでいた研究について話を聞き、週刊誌に記事を書くためだった(「スーパー・サイエンス・ハイスクール」の実態『週刊新潮』2015年12月24日号)。
その研究とは「一生に一度しか交尾をしないヒトスジシマカの雌に2時間で10回以上交尾行動を起こさせるには」。
■人間の足のニオイが媚薬の役割に
ヒトスジシマカとは、いわゆるヤブ蚊である。私はそれまでヤブ蚊が一生に一度しか交尾をしないと言われていることすら知らなかったが、田上さんの研究によれば、足のニオイを嗅がせることで10回以上に増やせるというのである。足のニオイが蚊にとって媚薬の役割を果たしているわけだ。
田上さんは2歳下の妹、千笑さんが自分よりも蚊に刺されやすく、しかも刺された跡が腫れ上がることを昔から不憫に感じていた。これを何とかしたいというのが中学3年生のときに研究をスタートさせた動機の一つだ。
研究を始めてまもなく、田上さんは大きな発見をする。
「まず蚊が好きなニオイを出すものと嫌いなニオイを出すものを探そうとしてシャンプー、肉、リンスなど家中のニオイがあるものを嗅がせてみました。その際、靴底を嗅がせてみたところ、一斉に交尾行動をしはじめたんです。
一生に一度しか交尾をしないはずの雌の蚊が、あれだけ一斉に交尾したのを見たのははじめてで、とても感動したのを覚えています。そこで足のニオイと交尾行動との関連性について調べようとしたのが僕の実験の第一歩となりました」
■妹のための研究のはずが、家族には不評
翌年、文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定され、高度な実験器具、学外の専門家からの指導などに恵まれる京都教育大学附属高校に入学し、蚊の研究を発展させる。
妹の他、高校の教師たちから足のニオイのもとである菌を採取して培養。培養した菌を蚊に近づけた場合も、足を近づけた場合と同様に交尾回数が増えるのとともに、単離培養、すなわち菌を1種類ずつ近づけても蚊は交尾行動を起こさないことを突き止めた。
この研究では、足の菌を提供してくれた28人の中で、妹の足の菌に蚊が最も強く反応する一方、田上さんの足の菌には蚊が一切反応を示さないこともわかった。対照的なサンプルが、一番身近なところで得られたわけだ。
高1の田上さんにこの研究を聞いたとき、私は、彼の探究心に感服しつつも、内心、妹が蚊に刺されるのを止めたいはずなのに、蚊の交尾数を増やすと、蚊が増えてしまい、元も子もないのではないかと思った。元も子もないどころか、田上さんは当時、蚊の飼育箱から蚊が逃げ、妹を刺すので、妹は自分の実験自体をすごく嫌がっていると語っていた。飼育箱が部屋を一つ占有するため、両親も嫌がっていたという。
■夜な夜な蚊を捕まえて交尾を観察
高校に通いながら蚊の研究にどのように取り組んでいたのだろうか。
「蚊が活発に交尾するのは、夜中です。なので午後11時頃に、スイカとかパイナップルを餌として与えて、交尾済みの雌に僕の腕を吸血させて、足のニオイを嗅がせるなどして交尾回数を数えていました。実験が終わるのは午前1時とか2時です。一番時間がかかるのは、未交尾と交尾のすんだ蚊の仕分けです。
夜に生まれることが多いのですが、1匹ずつ手で捕まえるので大変でした。大学でショウジョウバエの神経幹細胞を研究することになりましたが、その研究室では、生まれたばかりのショウジョウバエを二酸化炭素で眠らせて、顕微鏡で見ながら雄と雌を分けます。1匹ずつ捕まえるのと比べて、すごく楽です」
学校の課題など、勉強をする暇がなさそうだが……。
「勉強は昼間にしていました。昼寝することもありましたが」
■ついに蚊に刺されにくくなる方法を見つける
高2のとき(2016年)の研究で、田上さんは本丸に切り込む。すなわち、蚊が人の血を吸いたくなる理由に迫り、吸血数が減る、つまり刺されにくい条件を探ったのだ。
NHK「ガッテン!」取材班の協力も得て、若手スタッフの献身(?)により様々な条件で刺されやすさが変わるのかを調べるなどした結果、明らかになったのは「足に棲む菌の種類が多い人ほど、蚊に刺されやすい」。単離培養して1種類の菌に蚊を近づけても、交尾回数が増えなかったのと同様に、吸血数が増えないこともわかった。
さらに、足を洗浄すると、足の菌が減り、蚊の交尾回数も、吸血数も減ることがわかった。ついに田上さんは、本来の目的だった蚊に刺されにくくなる方法を見つけたわけだ。
妹の千笑さんも「家の中で蚊帳を張って寝ていたこともありましたが、刺されにくい方法を見つけることができてよかったです」と喜ぶ。
何か特定の種類の菌が発するニオイに蚊が反応して交尾したくなったり、血を吸いたくなったりするなら話は簡単だ。その菌だけを狙い撃ちする薬があればいい。しかし、蚊は、特定の菌ではなく、菌の「種類の多さ」に反応するらしい。何か一つの「食材」ではなく、いろいろな食材が混ぜ合わされた「料理」の香りで、おいしそうか、そうでないかを決めているのかもしれない。
■刺されやすいかを決めるのは肌の水分量
話を戻すと、田上さんは、高3でさらに「卵」を温め、「芽」を育て、第12回「科学の芽」努力賞を受賞した(千笑さんとの共同受賞)。研究タイトルは「人間が50匹の蚊に3分間で何回刺されるのかを、肌の水分量とヒトスジシマカの交尾数により数値化する」。
足の菌の種類の多寡が、蚊の交尾回数、吸血数を左右する。それでは足の菌の種類の多寡を決める要因は何なのか。たどり着いた答えは、肌の水分量だった。田上さんは、肌の水分量から、その人がどのくらい蚊に刺されやすいかを予測する数式を作った。
私は小さいときからよく蚊に刺される。小学生の娘も蚊に刺されやすい。一方、妻はほとんど刺されない。公園に遊びに行ったとき蚊に刺されるのは、私と娘だけだ。二人に共通するのは、いつも手足が湿っていること。肌の水分量が、蚊に刺されやすいかどうかを決めるという田上さんの知見は、私の実感にも合う。
元々、蚊に刺されやすい妹のためを思ってスタートさせたのだから、刺されやすさを軽減する方法を見つけた時点で研究をやめてもよかったはずだ。しかし、田上さんは立ち止まらず、肌の水分量と、刺されやすさを数式で関係づけるところまで突き進んだ。いわば蚊の実験成果を理論化したわけだ。高校生でそこまでできるのかと驚くばかりである。
■妹と取り組んだ「おむすびころりん」実験
田上さんは幼少期からアリやミミズを家で飼うなど、生き物観察が好きだったという。そうかと言って、生き物一辺倒ではなく、高1のときには妹と一緒に「摩擦係数の測定による『おむすびころりん』が実現可能であるかどうかの検証」という物理的な実験にも取り組んでいる。
「それまでおむすびが実際に転がっている場面を見たことがなく、本当に『おむすびころりん』の絵本のように、転がるのか、おじいさんは追いつけないのか気になったんです。実際におにぎりを握って、いろいろな条件で、転がしてみたところ、おじいさんが追いつけないくらいのスピードでおにぎりが転がることは可能であることがわかりました」
疑問に思ったら、自ら調べないと気が済まない性格のようだ。科学者向きの性格と言えるだろう。しかしなぜアメリカの大学を目指したのか。
「高1でSSH発表会に参加したとき、招待されて会場に来ていた海外の高校生たちと交流する機会がありました。そのときアメリカの大学に興味を持ったんです。高2のとき、京都で開かれる学会のために来日していたカリフォルニア大学アーバイン校教授で、蚊が媒介する感染症の研究者のアンソニー・ジェームズ博士から、いろいろお話を伺ったのも、アメリカの大学で研究したいと思った理由です。
博士の科学者としての経歴、蚊の研究に携わるようになったきっかけ、また今、蚊について研究されている遺伝子の話などを伺いました。他には将来良い研究者になるために今から多くの論文を読むように強く勧めていただきました。それまで僕は自分の蚊だけをずっと観察したり調べたりしていたのですが、その後論文を読んで世界にはすごい蚊の研究をされているすごい研究者がたくさんいることを学びました」
■オーストラリアの「モンテッソーリ教育」
日本の大学を経由せずに、進学先にアメリカの大学を選んだのは、父親の転勤で海外で長く暮らした経験も関係しているかもしれない。
田上さんは1999年にアメリカのシカゴで生まれ、2歳でオーストラリア、10歳でシンガポールに移り、14歳のときに日本に来た。最も長く過ごしたオーストラリアでは、生徒の自主性を重んじて、知的好奇心を育むカリキュラムで知られる「モンテッソーリ教育」を取り入れた幼稚園、小学校で教育を受けている。中3から高3まで日本で教育を受けているが、高2の夏から高3の夏まではオーストラリアに1年間留学している。
蚊の研究をはじめたのは、シンガポールでの経験も関係しているという。
「シンガポールでは、蚊が媒介するデング熱が大きな社会問題になっていて、毎週あちこちで殺虫剤が撒かれていました。蚊が卵を産まないように植木鉢の底の水を空にしておくようにと呼びかける政府のポスターもよく見かけました。
妹が小さいときからよく蚊に刺されるのがかわいそうだと思っていましたが、シンガポールの状況を見て、日本に移ったとき、蚊の研究をはじめるなら今だと思ったんです」
■家族から影響を受けた「3つのもの」
5年ぶりに田上さんを取材するに当たって、親御さんにもお話を聞けないか打診したが、NGであった。田上さんに続いて、2020年9月には妹の千笑さんもコロンビア大学に入学している。子どもが二人ともアメリカの名門校に合格するというのは普通ではない。もしノウハウのようなものがあるなら聞いてみたかったが、後から浅ましい考えであったと思い直した。
田上さん自身は、家族から受けた影響が3つあるという。
「一つめは、絵本です。母は小さいときから毎日絵本を読んでくれていつも周りに本がありました。そのときから本が好きになって、アメリカの大学で大変なときにもいつも僕の心の支えになってくれています。
二つ目はそろばんです。母はそろばんを持っていて物心がついた頃には毎日少しずつそろばんと暗算を教えてくれていました。そのときから算数が好きでそれが今の数学への情熱に繋がっています。
三つめは家族とのリビングでの時間です。僕は自分の部屋を持ったことが無かったので、いつもリビングで勉強をしていました。ふと顔を上げると家族がそばにいたので励みになりました。家族に感謝しています」
■研究を続ける理由は「蚊って面白いんです」
私が田上さんに台所のテーブルで話を聞いているうち、時折、取材に同行したカメラマンの東谷忠さん(連載記事用の写真撮影を担当された)と談笑する千笑さんとお母様の声が聞こえてきた。その内容は、光の量の調整とか陰影といった撮影技術に関するものだった。田上家からの帰りがけに聞くと、東谷さんは二人から質問攻めにされたという。家族揃って好奇心旺盛であることがよくわかった。なお千笑さんは、兄の蚊の実験を手伝ったのがきっかけで、大学では環境問題を学びたいという。
蚊の研究は今も続けている。
「蚊って面白いんです。大学で学んだことを活かして研究しています」
田上さんは、教授たちの推薦を受け、2020年11月の受験に合格し、2021年1月コロンビア大学院修士課程に進学。さらに22年5月には同大学の学士号と修士号を同時に取得して、10月にはオックスフォード大学博士課程に進むため渡英した。彼の活躍が今後も楽しみでならない。
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サイエンスライター
1976年、大阪府生まれ。出版社勤務後、月刊誌記者を経てフリーに。科学技術を中心に取材・執筆活動を続けている。著書に『消えた伝説のサル ベンツ』(ポプラ社)、『認知症の新しい常識』(新潮新書)、共著に『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』(講談社)、『ウイルス大感染時代』(KADOKAWA)、翻訳に『「数」はいかに世界を変えたか』『「代数」から「微積分」への旅』(共に創元社)など。
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(サイエンスライター 緑 慎也)
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