なぜ野村監督は「金ピカの4000万円の腕時計」を愛用したのか…エリート嫌いなのに、ブランドが大好きなワケ
プレジデントオンライン / 2023年1月3日 12時15分
※本稿は、江本孟紀『野村克也解体新書 完全版 ノムさんは本当にスゴイのか?』(清談社Publico)の一部を再編集したものです。
■ホームランバッターはいつの時代でも人気がある
野村監督は、どうして人気があったのか?
長嶋茂雄さんのように東京六大学野球のスターであったわけでもない。王貞治さんのように甲子園のスターであったわけでもない。
それでも野村監督に人気があったのは、ホームランバッターだったからだ。あの頃も、そして今もホームランバッターはいつの時代でも子どもに人気がある。ホームランバッターの人気は、情報がいくら変化しても変わらない“永遠の真理”なのだ。
貧しかった野村家は、兄弟ふたりを進学させる余裕はなかった。母は成績がよかった兄を大学まで進学させて、弟の克也には中学を卒業したら働かせようと考えていた。ところが兄は大学進学をあきらめて弟を高校に通わせた。
高校で野球部に入った野村克也は、地元ではそこそこ名が知れた選手になったが、実績もなくプロになるほどのレベルではなかった。入団テストを受けてプロになることを決めた克也は、受験する球団を研究する。自分がレギュラーになるチャンスが大きいという視点で、一軍で活躍するキャッチャーの年齢が高いチームを探したのだ。その結果、南海が候補に挙がった。
■クビを言い渡されるも「飛び込み自殺します」
1954年、やっとの思いで南海のテストを通過した野村は、契約金なし、給料7000円で入団する。サラリーマンの平均月収が2万6000円の時代だった。ちなみにその4年後に巨人に入った長嶋さんの契約金は1800万円であった。
プロになった野村を待っていたのは「おまえらはブルペンキャッチャーで拾われたんだ。3年でクビだよ」という先輩の言葉だった。しかし現実はもっと厳しく、野村は1年目を終えた時点でクビを言い渡される。「南海電車に飛び込み自殺します」という必死の懇願が受け入れられて、なんとかクビだけは免れる。その後、野村は、肩とバッティングを鍛えて、入団3年目に一軍のキップを手にする。叩き上げのプロ野球人生の始まりである。
エリートを攻撃することで自分の存在を誇示する。その考えに凝り固まっている。それが野村克也だ。
徹底した長嶋茂雄攻撃。野村監督の野球人生のすべてといっても過言ではない。幸か不幸か、ヤクルトの監督時代は長嶋さんが巨人の監督に復任した時期と重なっていたから、とくにひどかった。
野村監督は、長嶋さんを攻撃することで自分の存在感が増すことを知っていた。自分の叩き上げが本物だということを世間にアピールするために、エリートの長嶋さんを利用していたのだ。あれだけの実績を持っていても、つねに自分の存在意義を気にしていた。
■“野村スコープ”はもっともらしく解説しているだけ
話は変わるが、1980年代に野村監督がサンケイスポーツ紙上で考案し、テレビの解説で注目を集めた“野村スコープ”を憶えているだろうか。
画面上でストライクゾーンを9分割して、配球を解説したり予測したりするシステムだが、視覚的にわかりやすく、とても好評でテレビ朝日から社長賞ももらったすぐれもの。
「社長賞は三つの番組しか受賞したことがないんや。野村スコープは『ドラえもん』と肩を並べたんや」と自慢する野村監督のうれしそうな顔がなつかしい。
野村スコープがすぐれものであることは認めるが、残念なことに解説の内容はあまりすぐれてはいなかった。
例えば、スライダーを勝負球とするピッチャーが、1ボール2ストライクと追い込んだ場面。アナウンサーが「次はなにを投げますかねえ?」と訊(たず)ねる。野村監督は外角低めに印をつけて、ちょっと間があって、ぼそぼそっと「スライダーでしょうね」と言う。するとピッチャーは本当に外角にスライダーを投げる。アナウンサーはびっくりしたように「野村さんの言う通り、外角にスライダーが来ましたねえ。やっぱり野村さんはすごいですねえ」と。
だけどこの場面で、真ん中にまっすぐを投げるピッチャーはいない。「次は真ん中のまっすぐでしょう」と解説する人はまずいない。だから多少なりとも野球を知っている人なら、当たり前の話を野村スコープなるものを使って、もっともらしく解説しているだけだとわかる。
■野村克也と落合博満の決定的な違い
野村監督はすごいという先入観があって、なおかつあの口調で言うから、もっともらしく聞こえるだけということなのだ。ただ話術ということでいえば、人が誘導されるような論理の組み方をするのが野村監督はうまい。その内容は、実は非常に単純なものなのだけれど。
同じような話の組み立てをするのが落合(おちあい)博満(ひろみつ)だ。だから野村監督と落合は気が合う。気が合うからといって、ふたりが似たタイプの監督かといえば、それは違う。“現役時代の実績を自慢するか否か”という監督としての生命線において、ふたりは真逆に位置している。
野村監督は現役時代の実績を自慢しない。目の前の現実しか口にしない。僕はそこが偉大だと思う。
ところが落合は、選手とコーチを見下ろして、自分の理論が絶対正しいと言い放つ。俺の考えを否定するなら、俺の現役時代の記録を抜いてから言えと浴びせる。これが落合のやり方だ。僕はそこがどうもうなずけない。
意外だと思うかもしれないが、王さんも自分の実績を背景にしている。
■長嶋さんと野村監督は、現役時代の実績を自慢しない
王さんが巨人の監督に就いて2年目か3年目だったと記憶しているが、サンケイスポーツに「鹿取(かとり)義隆(よしたか)ばかり使うな」という批判記事を書いたら、担当記者が呼ばれて「そもそも江本って何勝したピッチャーだ」と、あきらかに現役時代の実績を背景にした言い方をした。
その報告を記者から受けたとき、「あなたもピッチャーで入ったんじゃなかったっけ?」と思ったけど、僕のようなザコが口答えできるお方じゃないのでがまんした。
ところが長嶋さんと野村監督は、絶対にそういう論理でものを言わない。
だから監督としての生命線においてふたりは共通しているし、ふたりとも偉大だと思う。エリートと叩き上げ。水と油のようなふたりだが、ある角度から見ると同類なのだ。
■野球エリートじゃない僕に目をかけてくれた
東映では1勝もできなかった僕は、南海では10勝以上の勝ち星を挙げ続けた。1972年:16勝13敗、1973年:12勝14敗、1974年:13勝12敗、1975年:11勝14敗、野村監督の予言が的中したわけだ。
のちに“野村再生工場”という言葉が生まれるほど、野村監督は選手を生き返らせるのがうまい。“江本は再生第一号”などと呼ばれて、「野村監督にどういう指導を受けたんですか?」とよく訊かれた。
野村監督が僕に言ったことといえば、「俺が受けたら10勝以上するぞ」「先にエース番号をつけておけや」。そして、「ええか、ワシが出したサインを考えながら投げろ」。本当に16勝という結果がついてきたのだ。
ところで、野村監督が僕を南海に引っ張ってくれたのは、僕の野球歴に感じるものがあってのことらしい。
警察官の家庭に生まれた僕は、野村監督のような特殊な環境で育ったわけではない。だけど高校のときに甲子園の出場停止を経験して、大学のときはほとんど使われず、熊谷組でもだめで、ドラフト外でカツカツで拾われてプロ野球に入った。そういう野球エリートじゃないところに、野村監督は自分と共通するものを感じて目をかけてくれたのだろう。
■叩き上げだけど、実際はすごく繊細なタイプ
野村監督自身、テスト生で入団して二軍時代に一度クビを言い渡された経験があるぐらいだから、エリートどころかバリバリの叩き上げだ。
それに加えて貧乏な生い立ち。それで終わればまだよかったんだろうけど、プロの世界に入って世話になった監督の鶴岡(つるおか)一人(かずと)さんは、広瀬(ひろせ)叔功(よしのり)さんや杉浦忠(すぎうらただし)さんばかりかわいがり、少しも自分をほめてくれようとしない。三冠王を獲っても「なにが三冠王じゃ。チームに本当に貢献したのは杉浦だけじゃ」と言われたそうだ。
ただ鶴岡さんは、ほめて伸びる選手と叱って伸びる選手を分けて、言葉がけをしていたらしい。野村監督は叱って伸びるタイプだと思われたのだ。しかし実際は違った。むしろ自分がどう思われているかということにすごく繊細なタイプなのだ。だから鶴岡さんの言動にずっと疑問や不満、そして不安を抱いていた。
不安とはどういうものか。野村監督のようにテスト生として、または僕のようにドラフト外で入ってきた選手は、監督やコーチに少しでも評価されたくて、いつも彼らの目を気にしている。「おっ、よくなってきたじゃないか」というなにげないひとことにどれだけ救われたことか。ドラフト1位のエリートとは、ここが決定的に違う。
■「4000万円の時計」をつけていた理由
とくにクビと背中合わせの二軍生活を送り、実際にクビになりかけた野村監督は、その経験がトラウマのようになっていて、ホームラン王や三冠王を獲っても、身近な監督やコーチに評価されていないと不安でしかたなかった。
そういう不安と、長嶋さんや王さんに対する妬みが絡み合って生じた複雑な負の感情。この負の感情を闘争心に変換するために、自分と同じ匂いのする人間をテリトリーに置いて起爆剤にする。同じ匂いのする人間を仲間意識だけで終わらせず、闘争心の起爆剤にしたところが、彼の成功した理由のひとつだ。
とにかく、野村監督はエリートがきらいだ。そのくせ、きんぴかの指輪や時計、スーツ、ブランドものが大好きだ。
かつて空き巣に入られて、宝石類の被害総額が当時で2200万円だったというし、ヤクルトの監督をしていたときは4000万円の時計をしていた。かなりのブランドコレクターだ。
しかしあのきんぴかのセンスは、僕にはどうしても理解できない。
■「こういうのをつけていないと安心できへんのや」
僕は指輪はもちろん時計もふだんはあまりしない。それに気づいた野村監督が「おまえらはやっぱりせんわなあ。大学出はせんわなあ。きんぴかの時計や指輪は高校出の共通点や」と例の調子でぼやいた。「ああ、そうなんすか」と答えると、「長嶋もせんやろう。こんなのをしているのは、俺とか張本とか江夏(えなつ)(豊)とか、高校出ばかりや」と言いながら左手首の時計をなでた。
きんぴかのセンスと高校出身者の関係性が理解できなくて「なんでですか?」と訊いたら、「こういうのをつけていないと安心できへんのや」と照れるように笑った。
野球は学歴でやるものではないし、まして野村監督は知性派といわれている。三冠王を獲ったスターでさえ、そういうコンプレックスが年齢を重ねてもあるんだなあと思った。
野村監督は頭のよい人だから、自分のコンプレックスを知っていた。
自覚していたから、そういう自分を客観的に分析できたし、そこを超えていたからこそ自然体でコンプレックスを人に話すこともできた。
とても複雑でわかりづらい性格である。まるで野球というスポーツそのもののような人だ。
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プロ野球解説者
1947年高知県生まれ。高知商業高校、法政大学、熊谷組(社会人野球)を経て、1971年東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)入団。その年、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)移籍、1976年阪神タイガースに移籍し、1981年現役引退。プロ通算成績は113勝126敗19セーブ。防御率3.52、開幕投手6回、オールスター選出5回、ボーク日本記録。現在はサンケイスポーツ、フジテレビ、ニッポン放送を中心にプロ野球解説者として活動。2017年秋の叙勲で旭日中綬章受章。ベストセラーとなった『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(ベストセラーズ)、『阪神タイガースぶっちゃけ話』(清談社Publico)をはじめ著書は80冊を超える。
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(プロ野球解説者 江本 孟紀)
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