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負けたら選手のせい、勝ったら自分の手柄…野村監督が7年連続Bクラスでも「名将」と呼ばれた本当の理由

プレジデントオンライン / 2023年1月5日 13時15分

2009年10月22日、4回表、先制したものの、すぐその裏、日本ハムに同点に追いつかれベンチでぼやく楽天の野村克也監督(札幌ドーム)

2020年に亡くなった野球評論家の野村克也さんは、どんな監督だったのか。プロ野球解説者の江本孟紀さんは「楽天監督時代には7年連続Bクラスも経験した。それでも名監督と呼ばれるのは、勝っているように錯覚させるのがうまかったからだ」という――。

※本稿は、江本孟紀『野村克也解体新書 完全版 ノムさんは本当にスゴイのか?』(清談社Publico)の一部を再編集したものです。

■対抗すればするほどハマる「ささやき戦術」

長嶋さんと王さんには、ささやき戦術が通じなかったのは有名な話だ。

馬耳東風の長嶋さんは、とにかく人の話を聞かないので通じようがない。王さんの集中力は尋常でないので、ささやきぐらいではバッティングが乱れることはないのだ。

いろいろな選手が野村監督のささやき戦術に対抗したが、みんな敗れた。

対抗しようと思うこと自体、そもそも苦手意識があり、対策を考えようと思う時点で、すでに野村監督の術中にはまっているということなのだ。

東映の大杉(おおすぎ)勝男(かつお)は、「うるせえ!」と怒鳴った。それに対して「先輩に向かってなんてこと言うんだ!」と野村監督は怒鳴り返した。大杉さんの冷静さをなくすために、わざとケンカ腰になって挑発したのだ。カッカしてしまってはうまく打つことなんてできない。

同じく東映の白(はく)仁天(じんてん)は耳栓をして打席に入った。耳栓をしても小さく聞こえてしまうし、そんなことをしてバッティングに集中できるはずもなく、簡単に打ち取られる。

■張本さんのことはすごく怖がっていた

ある試合で、野村監督が立ち上がって両手をバタバタした。あとで訊いたらバッターが屁(へ)をしたという。ささやきに対抗しておならとは、おおらかな時代だ。

張本さんは野村監督のミットをバットで叩くという方法を取った。インコースにミットをかまえたときに、わざと空振りして左腕を伸ばしミットを叩く。野村監督はそれを何度もやられてすごく怖がっていた。ささやきに対抗というか、張本さんはそうやってきらいなキャッチャーを牽制していたのだ。

野村監督は「そうきたか。じゃ次はこうしよう」というスタンスで、ある種の余裕を持ってバッターとのかけひきを楽しんでいた。だから必死に対抗しても勝てないのだ。

そのへんは麻雀(マージャン)の打ち方と近いものがある。野村監督はわりと麻雀が好きだったので、よくいっしょに遊んだ。慎重でねちっこい麻雀だったが、強かったという記憶はない。でもボロ負けはしなかった。勝ちにこだわるよりもかけひきを楽しんでいたのだろう。ちなみに江夏は勝つまでやめなかった。

■生き残るために編み出した勝ちパターン

野村監督は勝つのがうまい。

いや、“勝っているように錯覚させるのがうまい”と言ったほうが正しい。だから彼は生き残れたのだ。

7年連続Bクラスでも、実績を残してきたような印象を与える。それが野村監督だ。実際、楽天最後の年に2位になって、過去7年間の成績をなきものにしてしまった。

もっというと、チームの勝敗など野村監督には関係ないのだ。

自分の印象を残すことさえできれば、それでいい。楽天時代のぼやき会見がいい例である。試合で負けても、勝ったチームよりもだれよりも、最後は自分が目立って終わるというのがぼやき会見の目的だから。ぼやき会見のために試合が用意されているという、主客転倒の構図をつくりあげてしまった。これが野村監督の勝ち方である。

■監督として成功する「ひとつの原則」

星野さんが監督をすると、たまにリーグ優勝する。

2003年にBクラスの阪神をリーグ優勝させると“健康上の理由”で逃げるように退任した。再びBクラスに戻ったりすると“Bクラスの阪神を優勝させた名監督”のイメージが壊れるからだ。彼は野村監督と同じようにBクラスを帳消しにするのがとてもうまい。

でも、2008年の北京オリンピックで「あれ?」ってみんなが気づいた。単発でやったら実力がバレちゃったという。

監督で成功するには、ひとつの原則がある。負けたら選手のせいにして、勝ったら自分の手柄にする。これが名監督らしく見せるコツである。

負けたときに、「これは監督である自分の責任です」などという、そんなきれいごとは高校野球まで。プロは絶対にそんなことを言ってはならない。野村監督はこの原則を徹底して守っている。

ところが王さんは、「この負けは自分の責任だ」と言う。それは「いや、そんなことないですよ」とみんなが言ってくれることをわかっているから。そういう状況を計算して“責任をかぶる王貞治”という正義の味方のイメージをうまくつくりあげた。王さんの最後の年、ソフトバンクは8月まで2位だったが最終的には最下位という成績。それでも王さんは英雄だった。

■“凡人の野村克也”がよく見えていた

そういうものがなにもないのが長嶋さんだ。だから長嶋さんは図抜けている。

勝っても負けても批判されても“長嶋茂雄”という位置がある。この位置は決して揺るがない。長嶋さんは勝っても「自分の采配が当たった」とは言わないし、負けても「選手が悪い」とは言わない。かといって、選手が大活躍しても必要以上にほめることもしない。

「よかったですねえ」と言うだけ。

そういう図抜けた長嶋さんに野村監督はあこがれている。

野村監督には“図抜けた長嶋茂雄”“凡人の野村克也”がよく見えていたのだ。凡人は原則にのっとって生きるしかない。自分をよく見せるために、自画自賛したり選手を悪く言ったり、それがどれだけみじめな行為かわかっていても、どうすることもできない。

富と名声を十分手に入れたにもかかわらず、ずっと自分がどう評価されているかビクビクして、自分を大きく見せるために一喜一憂していた野村監督。芋のツルしか入っていない弁当を隠しながら食べた、あの貧しい少年時代の彼のほうがよっぽど気高いではないか。

■昔の監督業はGMやスカウト部長も兼ねていた

ところで監督の仕事の範囲とは、いったいどこまでなのだろう。

結論からいうと、アメリカと違って日本の場合、監督の仕事というのは非常に曖昧で、ケース・バイ・ケースというしかない。

1970年代半ばぐらいまでは、監督がゼネラルマネージャーやスカウト部長まで兼ねていた。職としてではなく影響力として。

トレードに関しても、監督が球団代表に希望を伝えて、「そんなら獲ってきましょう」と球団代表が動く場合がほとんどだった。監督が直接動くケースもあったが、これはさすがに異例。江夏と僕のトレードは、吉田さんと野村監督が直接話をしたが、これはまれなケースである。

担当者の能力は別としても、現在は編成部やスカウトというようにセクションが整理されているので、トレードは編成部長の仕事になっている。監督が率先して動くことはない。今でも監督がトレードまで仕事にしているケースもあるが、これは球団オーナーから「チームづくりからやって。金は出すよ」と言われている場合だけである。

■野村監督の守備範囲は監督業だけ

楽天時代の野村監督の守備範囲は、監督業だけだった。

だから野村監督が「あの選手がほしい」と言っても、「お金がありません」と代表がひとこと言って終わり。その選手が楽天のためにどれだけ必要か否かを検討する余地などなし。思うようにならない状況に野村監督はいつもイライラしていた。

もちろん選手獲得も重要だが、楽天の場合、宮城球場(楽天生命パーク宮城)の収容人数という大きな問題を抱えていた。

野球のフィールド
写真=iStock.com/fredrocko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fredrocko

プロ野球規定では、オールスターや日本シリーズは3万人未満の収容球場では開催しないというルールがある。当時の宮城球場は2万3000人程度。楽天は宮城球場を使用すると決めたときに、改築して3万人以上収容できるようにすると言ったが、野村監督の在任中には実行されなかった。

■これだけ球団経営に興味のない監督もめずらしい

特例扱いでオールスターや日本シリーズも開催できるようになってはいるが、日本シリーズは進出した2チームとNPBで収益を分配することになっているので、NPBとしては収容人数の少ない宮城球場で行うことになった場合、おもしろくない。札幌ドームの4万人、東京ドームの4万7000人という大きな球場でやってもらったほうがいいに決まっている。

楽天は入場料金を上げることで対応すると言っていたが、それもどうかと思った。実際に日本シリーズが開催された2013年の時点でも収容人数は約2万8000人で、2016年にようやく3万人を達成した。

江本孟紀『野村克也解体新書 完全版 ノムさんは本当にスゴイのか?』(清談社)
江本孟紀『野村克也解体新書 完全版 ノムさんは本当にスゴイのか?』(清談社)

このような球場の重要な問題について、僕は野村監督の意見を聞いたことがない。

いくら現場で勝つことだけを考えているといっても、これだけ球団の経営に興味のない監督もめずらしい。こういう話題になるたびにそう思う。経営に口を挟むようなことはしないから、球団としてはやりやすい監督なんだろうけど。

経営に興味のないことが、いいことなのかどうか。収入のない楽天において、どちらの監督の年俸も推定であるが、1億5000万円もする野村監督より4000万円ですむマーティ・ブラウンのほうがいいと言われて、野村監督は切られてしまった。野村監督も、もう少し球団の経営に関心があったら、あと数年続けられたかもしれない。

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江本 孟紀(えもと・たけのり)
プロ野球解説者
1947年高知県生まれ。高知商業高校、法政大学、熊谷組(社会人野球)を経て、1971年東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)入団。その年、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)移籍、1976年阪神タイガースに移籍し、1981年現役引退。プロ通算成績は113勝126敗19セーブ。防御率3.52、開幕投手6回、オールスター選出5回、ボーク日本記録。現在はサンケイスポーツ、フジテレビ、ニッポン放送を中心にプロ野球解説者として活動。2017年秋の叙勲で旭日中綬章受章。ベストセラーとなった『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(ベストセラーズ)、『阪神タイガースぶっちゃけ話』(清談社Publico)をはじめ著書は80冊を超える。

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(プロ野球解説者 江本 孟紀)

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