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「教祖写真や教団本が散乱し、ゴキブリが繁殖」信者の母親に一切頼らず高校大学の学費を払った女性の生き様

プレジデントオンライン / 2023年1月7日 11時30分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/shaunl

ハマった宗教は社会からバッシングを浴びていたが、脱会する気持ちがなかった母親。家の中はゴミ屋敷状態で、教祖の写真や教団の本が散乱し、ゴキブリも大繁殖。幼少期から10代の間、劣悪な環境で暮らすことを余儀なくなれた現在30代の女性と2歳下の妹。いったい、どのようにサバイバルしてきたのか――。(後編/全2回)
【前編のあらすじ】関西地方在住の時任和美さん(仮名・30代・既婚)の両親は、できちゃった婚をし、時任さんが生まれた時にはすでに不仲。2歳下に妹が生まれると、父親は自分が経営する居酒屋に寝泊まりし、家に寄り付かなくなった。母親は、時任さんが3歳の時にカルト宗教に入信。自分の両親をだまして手に入れたお金を教団に寄付してしまうほどのめり込み、ついに勘当に。時任さんと妹は、教団なんかに行きたくなかったが、母親に捨てられないよう、必死について行くしかなかった。時任家の家庭のタブーはいつ、どのように生じたのだろうか。タブーのはびこる家庭という密室から、彼女はどのように逃れたのだろうか――。

■夜型生活の小学生

関西地方在住の時任和美さん(仮名・30代・既婚)と2歳下の妹が小学生に上がると、カルト宗教に入信していた母親は配送業やスーパーのレジ打ちなど、掛け持ちで仕事をした。事実上の別居生活をする居酒屋経営の父親から送られてくる生活費が足りなかったからだ。

教団施設に通うのは、いつも母親の仕事が終わる夜。しばらく施設で過ごし、帰ってから食事と風呂を済ませるため、時任さん姉妹が寝る時間は、いつも日付が変わってからだった。

土日も母親は夜まで働き、その後、教団施設に通う。たまの休日は朝から晩まで教団施設で過ごした。

時任さん姉妹が通う小学校は、朝だけ集団登校。完全に夜型生活となっていた時任さん姉妹は、朝が苦手だ。もちろん母親は朝起こしてくれず、朝食も準備してくれない。集団登校の集合時間には間に合わず、いつも姉妹だけで登校していた。

通常、小学校5年生になると、集団登校班の副班長に、6年生になると班長に任命されるが、遅刻の多かった時任さんは5年生になっても副班長に任命されず、代わりに4年生の男の子が任命された。顔を合わせれば遅刻を注意してくる男の子だったため、時任さんは校内で彼を避け続けた。

やがて自分たちでバスに乗れるようになると、土日はよく祖父母の家に泊まりに行った。昼近くまで寝ていて、夜は遅くまでゲーム。眠れなくて夜中に抜け出して公園へ行くこともある時任さん姉妹に、早寝早起きの規則正しい生活を続ける祖父母は“遅寝遅起き“と驚いた。

日曜日の22時過ぎになると、仕事を終えた母親が迎えに来る。時任さんたちは食事も入浴も済ませており、母親が夕食を食べ終わると、荷物をまとめて祖父母宅を出発。教団施設に顔を出してからやっと帰宅した。

■信仰を隠す生活

小学校の授業後は、母親は仕事で不在だが、友達たちが時任さんの家に集まって遊ぶようになった。

仕事が忙しく、片付けが苦手は母親は、家の中はいつもぐちゃぐちゃ。しかも家の中には教祖の写真や教団の本、説法のテープなどが散らばっている。絶対に教団のことを友達に知られたくなかった時任さん姉妹は、遊びに来た友達たちに見つからないように必死だった。

「その頃の教団は社会的に叩かれていて、連日ニュースに取り上げられている状態だったので、ほとんどの信者が信仰を隠していたと思います。バレてしまうと、仕事を解雇されたり、親から勘当されたり、離婚になったりと、多方面で影響が出ていました」

一緒に下校した友達は、一度家にランドセルを置きに帰った後、すぐさまやって来る。隠す物が多い上、時間もないので隠しきれていない場合も多々あり、教祖の写真を見つけた友達は、「これ誰?」と聞いてきたが、「親戚のおじさん」と慌てて嘘をついた。

古びたカセットテープと壊れたウォークマン
写真=iStock.com/Shaiith
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Shaiith

「母のたまの休みにも、構わず友達は遊びに来ていましたが、母から文句を言われた記憶はありません。ただ、子供のために自分がやりたいことを諦めることもしない母は、大きな声で教団の本を読み出したり、教祖の説法のテープを流したりし始めるので、友達たちに、『おばちゃんどうしたの⁉』と驚かれ、とっさに『お祈りしてる!』とごまかして、話題を変えようと必死でした」

わが道を行く母親は、娘たちのことには一切無関心。友達たちに話しかけたり、お茶やお菓子を出したりすることはまったくなかった。

■ゴミ屋敷状態の家

時任さん姉妹が小学生の頃は、父親は店が休みの月曜日だけ、家に帰ってきていた。

家の中はゴミ屋敷状態。冷蔵庫はいつも賞味期限が切れた食品や腐った野菜、謎の瓶詰めやビニール袋などでパンパン。調味料を入れるポケットはベタベタになっていた。

父親はたまに帰って来ると、家の中が汚すぎることに文句を言った。

リビングにある大きなテーブルも、使いかけの調味料や汚れた食器などの物があふれ、表面はベタベタ。とてもそこで食事ができる状態ではなかった。

ただ、母親は突然片付けのスイッチが入ることがあった。そうなると、時任さんたちが何をしていようとお構いなしで、強制的に片付けさせようと声を荒げる。自分の物は無視して、「これ要らないの⁉」「これは⁉」と、娘たちの物をつついた。

散らかった部屋に立っている女性
写真=iStock.com/Motortion
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Motortion

母親が満足するまで付き合わないと夕飯も作ってもらえないばかりか、ここで機嫌を直すことができなければ、しばらく無視されることになる。体罰はなかったが、時任さん姉妹は、不機嫌や無視が続くのは避けたいため、必死で片付ける。

とはいえ、部屋がきれいにならなくても、ある程度で満足する母親。だからいつも家の中はきれいにならなかった。母親だけでなく、時任さん姉妹も物が捨てられないため、結局すぐに部屋が散らかる。必要な物が必要な時に見つからず、夏休み最終日はいつも、提出物が見つからず、泣きながら探し回った。

家の中は衛生的にも悪く、ゴキブリが繁殖。部屋のあちこちでゴキブリを見つけ、棚の中や食器の上など、至るところにフンが落ちていた。そのため時任家では、「食器は使う前に一度洗う」というルールができた。

■長期休暇は教団のセミナー

夏休みなどの長期休暇も、母親は仕事でほとんど家にいない。たまに祖父母の家に泊まりに行ったりもしたが、母親がいない日はテレビが見放題だった。

夜に母親が帰ってくると、夕飯と風呂を済ませて教団施設へ行く日もあったが、母親が疲れて寝てしまう日も多かった。母親が休みの日は昼に起きて昼食を食べ、その後は教団施設で過ごした。

母親は年末年始、GW、お盆は毎回、「帰省のため」「家族旅行のため」と職場には嘘をついて長期休暇を取り、3日〜1週間ほどの教団の集中セミナーに参加した。

母親はセミナー帰りに必ず職場へのお土産を買ったが、時任さん姉妹は、旅行に連れて行ってもらったこともなければ、そのお土産すら食べさせてもらえなかった。

年末年始は父親が店を閉めていたので、母親は娘たちを父親に頼んでセミナーに出かけた。時任さん姉妹が幼い頃は、普段一緒に過ごすことの少ない父親には甘えられず、父親と過ごすことに慣れない2人は、母親不在中に「お母さんに会いたい」と泣いたこともあった。

年越しは父親の店で他のお客さんと共に過ごし、そのまま初詣へ。元旦は先に父方の実家にあいさつに行き、その後、母方の実家の集まりに参加。時任さんはこの年末年始の過ごし方が好きだったため、母親に誘われてもセミナーには行かなかった。親戚は皆、母親が教団セミナーに行っていることを知っていたが、母親のことを話題にすることはタブーになっていた。

父親の店が休みでないGWなどは、時任さん姉妹は母親についてセミナーに参加したり、子供がいる信者の家に預けられたりした。

時任さんたちは、母親のそばで過ごせるのはうれしかったが、セミナーでは基本的に食事は1日1回、睡眠時間も1日4時間と、子供が参加するには厳しいもの。参加している大人たちは自分と戦っているので、子供のことなど気にかけていない。母親のセミナー参加は、時任さんたちが小学生の間、ずっと続いたが、子供にとってとても退屈なものだった。

しかし小学校高学年くらいには、子供を対象にした「子供セミナー」ができた。

子供セミナーの食事は1日2回、睡眠は6時間程度許されていた。時任さん姉妹は、海で遊んだり花火をしたりなど、家族とはできなかった小学生の夏休みらしいことを満喫。

線香花火
写真=iStock.com/Johan Aryanto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Johan Aryanto

ただ、泊まりがけの教団イベントが、小学校の遠足とかぶったときなどは、母親に「行きたくない」と言っても聞いてもらえず、遠足を休まされたことはつらかった。

■苦学生姉妹

中学に入ると時任さんは、スカートを短くしたりピアスを開けたりと、“ささやかな反抗”をした。中学の担任や団地の友達には両親が不仲だということは話していたが、教団の話は誰にも話さなかった。

父親の店は経営不振が続き、少しずつ母親に渡す生活費が減少。娘たちが小学生の頃には、ほとんど父親は生活費を払っていなかった。そのため母親は、パートからフルタイムへと働き方を変えざるを得なかった。

唯一、市営住宅の家賃だけは父親の口座から引き落とされていたが、それすら足りない時があり、母親が支払いの調整をしていたこともあった。

高校に入学した時任さんは、自分で調べて奨学金を数箇所から借り、アルバイトをして、高校の学費を捻出。両親からは一切学費を払ってもらわなかった。大学は看護学部に入学。在学中に就職する病院を決め、その就職先から学費をサポートしてもらう制度を利用し、アルバイトはなるべく時給の高いパチンコ屋や居酒屋などを掛け持ちした。

アルコールを消毒する女性店員の手元
写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki

そして時任さんが20歳になったとき、ついに両親が離婚。60歳の父親は赤字続きの店をたたみ、自己破産した。

翌年、時任さんは、アルバイト先で後に夫となる男性と出会い、交際に発展。大学卒業と同時に家を出て同棲を開始し、27歳で結婚。2年後に長男を、その3年後に次男を出産。

妹も奨学金をフル活用し、アルバイトを掛け持ちして大学を卒業。妹も医療従事者になった。

■時任家のタブー

筆者は、家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つがそろうと考えている。

「父は、流されるように生きてきた人で、物事を深く考えない性格。金魚が暑そうだからと冷蔵庫に入れて全滅させていました。赤字続きだった店を十年以上経営し続けて、最後は自己破産。現在は生活保護受給中です。一方、母は自分が一番大切で、子供のために自分のやりたいことを我慢することはできない人。父と同じく流されるように生きてきて、物事を深く考えないタイプ。何かにつけて人のせいにする癖があり、低所得者を特集したニュースなどを見て、政府の悪口を言っています」

時任さんが語るように、おそらく両親はずっと、「短絡的思考」で生きてきた。行きずりで妊娠・出産に至った両親は、またたく間に不仲になり、父親は店で生活し、自宅に近寄らない。子育てに追われ、社会から「孤立」した母親は、宗教にのめり込むあまり、自分の両親から借りたお金を寄付してしまい、両親やきょうだいたちとまで「断絶」。そして時任さん姉妹は、不仲な両親や宗教にのめり込む母親、貧乏な暮らしをする自分たちを「恥ずかしい」と感じていた。

「両親からかわいがってもらった記憶はほとんどありません。私たちが幼い頃の母は、子供をかわいがることもできないほど心に余裕がなかったように感じます。母は昔から何か1つのことに執着するタイプの人間で、私たちが子供の頃は教団でした。父は端っから子供をかわいがるタイプの人間ではなく、父が大切にしていたのは自分の店とお客さんでした。宗教のことは恥ずかしさうんぬんのレベルではなく、知った人が離れてしまうのでは……という恐怖が強く、今でも親友や夫にさえ話していません」

現在73歳の父親とは疎遠になっており、時任さんが結婚したことも知らない。63歳になった母親は妹と暮らしており、時任さんは定期的に子供を連れて会いに行っている。母親は、時任さんが結婚を決めたとき、「まさか結婚するなんて!」と驚いた。妊娠・出産したときも、「子供を作るなんて思わなかった!」と、イベントの度に驚いた。もしかしたら母親は、自分が幼少期の娘にしてきたことを悔いていて、それでも時任さんが家庭を持ち、子供をもうけたことを驚いたのかもしれない。

母親の指を握る赤ちゃん
写真=iStock.com/west
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/west

「母のことは、『下手くそな生き方をする人だな』と反面教師のように見ています。少なくとも現在は、私たち姉妹や子供たちへ愛情を示してくれているので、愛してくれる人を失うべきではないと判断し、交流を続けています。いまだに自己中だなと思うことはたくさんありますが、不満は妹とシェアして前向きに対処を考えています」

時任さんは母親を反面教師にして、2人の男児を育てている。

「できるだけ子供の遊びに付き合ったり、近所にお友達をつくってあげようと思って私もママ友を作ったり、子供が好きそうな場所に出かけたり……。自分が子供の頃、母や教団の大人に合わせた退屈な空間で過ごすことが多かったので、子供の時間を大切にしたいと思っています。母のことはかなり意識して、母にはやってもらえなかった“子供中心”の生活を送るように心がけています。現在は、自分たちが小学生の頃、毎日家に親がいなくて寂しい思いをしていたので、絶対に自分の子供たちには同じ思いはさせまいと、長男の小学校入学に合わせて看護師の仕事を退職する準備をしています」

次の3月で、時任さんは奨学金の返済が終わる。

近々妹が結婚するため、母親をどうするか姉妹で頭を悩ませている。幼少期から力を合わせて苦難を乗り越えてきた2人なら、この先も大丈夫だろう。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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