1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

「オレたちが高齢者なら、若いやつは低齢者だ」101歳まで生きた反骨のジャーナリストが怒った"年齢差別"

プレジデントオンライン / 2023年1月4日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kali9

脳の老化を防ぐにはどうすればいいか。医師の和田秀樹さんは「反骨精神を持ち自分の意見をはっきり言う人はボケない。101歳まで生きたむのたけじさんは『高齢』という言葉に怒り、生涯かくしゃくとしていた」という――。

※本稿は、和田秀樹『60歳から脳を整える』(リベラル文庫)の一部を再編集したものです。

■「いい歳をして、わがままをいう」は悪なのか

長く会社勤めをしていると、人間関係に大切なのは協調性だと思うようになります。

とくに管理職になるとその傾向が強まります。

「あいつは仕事はそこそこできるけど、協調性がないからチームワークを乱してしまう」
「若い社員は自分のプランにいつまでもこだわる。みんなに合わせないと仕事が進まないじゃないか」

そんな不満を持ちますが、自分が若いころはどうだったかといえば、協調性があったとはいえません。まさに「自分のプランにこだわり」、やりたい仕事で結果が出せればそれで満足だったのです。

わたしたちはどうも、歳をとると自分の考えにこだわるより相手や周囲に合わせるのが大人だと思うようになってきます。「いい歳をして、わがままをいうのはみっともない」と考えます。

まして定年で仕事を退いてしまうと、「もう現役じゃないんだからあまり出しゃばらないようにしよう」と考えがちなのです。近所づき合いも無難にこなそうとするし、友人知人とも争わずに丸くつき合おうとします。

それはそれで、穏やかな定年生活ということになりますが、あんまり丸くなってしまうとなんだか隠居したみたいです。

それに感情が刺激されることもなくなります。

丸くなって怒ることもないんだからいいじゃないか、と思うかもしれませんが、それでほんとうに気が済むのかということです。まだ60代、仕事は一線から退いてもやってみたいことはいくらでもあります。

あるいは頭がしゃんとしているなら自分の意見も判断もあります。

それが相手や周囲とぶつかる場合も当然、あるはずです。

そこでもし、「へたに逆らっても気まずくなるだけだな」とか、「わたしが我慢すれば済む話だな」といった協調性にこだわってしまうと、結局はもやもやした感情だけが残ってしまいます。

これでは脳は欲求不満に陥りますね。

そしてもっと困るのは、人づき合いが面倒になることです。相手に合わせてばかりいると、あまり楽しくないし疲れてしまいます。

■「わたしはこう思う」という人はボケない

現代俳句の重鎮として活躍した俳人の金子兜太氏は、1919年に生まれ、2018年に98歳で亡くなりました。

生前は、90歳を過ぎてから毎週、全国紙の俳壇の選者をつとめ、句会で各地を動きまわり、ご自分が主宰する俳句結社の投句にもすべて目を通したそうです。

ものすごいエネルギーですが、記憶もしっかりしていて古今の俳句はもちろん、結社の同人の作品でも好きな句はたちまちそらんじてしまいます。

その金子兜太氏は句会のときに、出席者の句の中で自分が好きな句、いいなと思った句をまずはっきりと「いい」といったそうです。あるいはみんなの選んだ句が出揃ったあとでも、「わたしはこの句が好き」とはっきりいったそうです。

習字をするシニアの手元
写真=iStock.com/GentleAssassin
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/GentleAssassin

そういう独断的なところは若いときからあって、とにかく「いいものはいい」「悪いものは悪い」とはっきりさせました。

これは敵を作りやすい一方で、信奉者もできるということです。周囲に「いい顔」をして敵を作らない生き方というのは、一見、人間関係がうまくいくように思えますが、存在感がありません。

それからとくに好かれたり、頼られたりすることもありません。

ということは、つき合いが広いようでも希薄になってくるということです。これではサラリーマン時代の職場の人間関係と同じです。協調性を前面に出せばどうしてもそうなってしまいます。

定年後の人間関係は、広く浅くと考えなくてもいいのです。みんなとうまくやろうなんてあまり考えないでください。

それをやっても脳は退屈します。「またこういうつき合いか」と思うでしょう。

それよりむしろ、自分のいいたいことははっきり口に出して、「わかるよ」とか「わたしもそう思う」という人間とつき合ったほうが楽しいし、おたがいの刺激にもなります。

実際、80代とか90代とか、高齢になっても頭のシャンとしている人は、自分が正しいと思った考えや意見をはっきりと口にします。黙りこくってその場の結論に従うような人は、いつのまにか人づき合いが苦手になって家に閉じこもってしまいます。

■「高齢」という言葉に怒った反骨じいさんの生涯

90歳を過ぎてもなお、かくしゃくと生きている人には闘争本能が強く残っています。権威に負けないとか、自分の信念を曲げないとか、世の中の風潮に平気で逆らうといったことですが、わたしの実感としてもこのことは認めます。

たとえば70歳ぐらいで妙に丸くなったり、周囲に遠慮する人のほうがボケやすいのです。

むしろ、派手なシャツやセーターを着込んで街を歩いたり、若い女性と楽しそうにお茶を飲んでいるような人は、たとえ家族に「いい歳をして恥ずかしい」と思われても脳は溌剌としています。

むのたけじさんというジャーナリストは1915年生まれで2016年、101歳で亡くなりましたが、ある雑誌で「高齢」ということばに怒っていました。

「オレたちを高齢者っていうなら、わかいやつは低齢者と呼べ」

この主張は鋭いです。

高齢ということばしかないから、年寄りはなんだか弱者のような邪魔者のような印象を与えてしまいますが、低齢ということばがあれば逆に、高齢は偉いというイメージになります。若者なんて低齢者だと考えれば、頭の悪いのは若者ということになります。

だから「後期高齢者」ということばを国が使い始めたときに、このむのさんというジャーナリストは「ほらみろ」と指摘しました。

「やっぱり国は年寄りをそういう目でしか見ていない」というのです。

デニムシャツと眼鏡をかけた年配の男性があごに手を置いてほほ笑んでいる
写真=iStock.com/izusek
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/izusek

■世間の常識に従う60代は先が見えてしまう

あるいは「老後」ということばにも噛みついていました。

和田秀樹『60歳から脳を整える』(リベラル文庫)
和田秀樹『60歳から脳を整える』(リベラル文庫)

「『老い』はわかる。だけど『その後』ってなんだ。ただの老いでいいじゃないか」

この主張も鋭いです。「老後の人生」といえば、老いてその後の人生ということですから、死を待つだけになってしまいます。「老いの人生」でいいはずです。

こういう、90歳を過ぎてもまだ闘争心旺盛な人というのは、ボケとまったく無縁に生きています。60代の男性が、闘争心をなくして世間の常識に従ったり、周囲に遠慮するようになってしまったら先が見えてきます。

当分の間、反骨じいさん、反骨ばあさんを目標にするというのはどうでしょうか。

----------

和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
1960年、大阪市生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。ルネクリニック東京院院長、一橋大学経済学部・東京医科歯科大学非常勤講師。2022年3月発売の『80歳の壁』が2022年トーハン・日販年間総合ベストセラー1位に。メルマガ 和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」

----------

(精神科医 和田 秀樹)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください