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江戸時代の日本人は決して幸福ではなかった…明治維新を批判する人が誤解している「江戸時代の10大問題」

プレジデントオンライン / 2023年1月8日 14時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/jaimax

江戸時代の日本はどんな社会だったのか。評論家の八幡和郎さんは「安定した良い時代だったと評価する風潮があるが、実際は北朝鮮のような人権無視の社会だった。女性差別や部落差別、階級差別が深刻化したのも江戸時代だ」という――。

■江戸時代と北朝鮮はとても似ている

NHK大河ドラマは、松本潤主演の「どうする家康」だ。家康を描くのは「徳川家康」(1983年、滝田栄主演)、「葵 徳川三代」(2000年、津川雅彦主演)に次いで三度目である。

家康は「狸親父」として嫌われていたが、戦後になると辛抱強く困難を克服して出世していく姿がサラリーマンの共感を呼ぶようになった。また、江戸時代が再評価されて「江戸に学べ」という人が多くなると、家康が理想の経営者だという人も増えた。

環境重視・平和国家・地方分権だと賞賛されるのだが、江戸時代の人ははたして本当に幸福で、明治維新や文明開化のために日本は悪くなったのだろうか。

明治国家による近代化は、世界史上でもまれに見る偉業だと世界から評価されてきた。ところが、江戸時代を礼賛する人は明治以前の封建時代を褒めて学べというのである。この腑に落ちない賛辞は、「北朝鮮は地上の楽園」というのに似ている。

江戸時代と北朝鮮の現在はとても似ている。世襲権力による支配、鎖国体制、モノの不足がゆえのリサイクル、密告による体制維持などが同じだ。江戸や平壌の市民を優遇して、人々の不満が体制を脅かすのを避ける仕組みもそっくりだ。

■確かに戦争のない、安定した時代だったが…

もちろん、いつの時代にも、貧しくとも安定し変化のない時代を懐かしむ人はいる。戦前の朝鮮半島での日本統治を批判して、「苦しかったけれどもそれなりに生活していた朝鮮の農民は、昔に比べてずっと不安定な生活に落としいれられた」という陳腐な前近代礼賛論を著名な左翼知識人が主張するのにはあきれたが、この人は北朝鮮擁護の急先鋒でもあった。

北朝鮮も悪く言われすぎかもしれない。体制は安定し、治安が悪いわけでもない。教育も普及しているし、韓国と違って海外に派兵したこともない。しかし、江戸時代も北朝鮮も、自由はなく身分は固定し、世界文明の進歩とともに歩まず、その成果を国民が受けられないでいる。

戦国時代が、貧農出身の豊臣秀吉が天下を取れるような自由な社会であり、宣教師たちが驚くほど女性が輝いていた時代だったのに(拙著『令和太閤記 寧々の戦国日記』ワニブックス)、江戸時代には李氏朝鮮から導入した朱子学を公式の学問とした結果、封建主義が徹底されたのである。

■深刻化した女性差別と部落差別

江戸時代のどこが問題だったのか10点にまとめてみよう(拙著『日本人のための日中韓興亡史』さくら舎)。

①女性差別と部落差別は江戸幕府が深刻にした

戦国時代の日本女性は自由で男女差別も少ないと宣教師たちは報告しているが、江戸時代には隔離され表舞台での活躍もなくなった。穢れなどを理由とした身分差別はそれまでもあったが、厳格で服装まで区別するような極端な部落差別は江戸幕府がつくりだした。

②引っ越しや旅行は原則禁止され交通インフラは300年進歩せず

町人の旅行は比較的自由だったが、農民は引っ越しも旅行も原則禁止の藩が多く、交通インフラや通信も劣悪で、馬や馬車は使えず、関所も復活し、移動時間を短縮する方法もなかった。大型船建造が禁止されたので、岸から離れて航行できず瀬戸内海などを除いて客船もなかった。

■「識字率が高かった」を信じてはいけない

③教育レベルは低かったし、識字率が高いのも嘘

科挙があった中国や朝鮮と違い武士は学問を軽視し、藩校が普及したのも幕末に近い時代になってから。しかも、漢学だけで九九も教えなかったので実務には役立たなかった。庶民が学べる中等学校(高校)もなかった。ヨーロッパの大学の学生が市民中心だったのとも大違いだ。

*ヨーロッパでは、学問や大学教育は市民層中心のもので、王侯貴族は軍人としての教育などを好んだ。イギリスのチャールズ国王は初の大卒の国王。ダイアナ妃のスイスの寄宿学校から保母さんというのこそ、伝統的な貴族のお嬢様の経歴といえる。

識字率が高いというのは、中国や朝鮮では数千字の漢字、日本では仮名だけができるかで計算した結果で比較しても意味がない。

一寸子花里画『文学万代の宝』(写真=Artanisen/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
一寸子花里画『文学万代の宝』(写真=Artanisen/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
④鎖国のために科学技術もほとんど進歩しなかった

日本人の海外渡航は全面的に禁止で、西洋のことを書いた漢籍の輸入も禁止されたので、科学技術はもちろん、それ以上に国際法や経済の知識も2世紀以上遅れることになった。

⑤鎖国のおかげで独立が保てたというのは嘘

スペイン・ポルトガルは各地に軍事拠点を確保したが、面での植民地支配は、国家未成立の地域や金属の武器がなかった中南米に限定しており、もともと日本に危険はなかった。むしろ、鎖国の結果、火縄銃の時代の軍事力のまま黒船来航を迎えたので、危うく植民地化されそうになった。

⑥武士道は明治時代になって生まれたもの

武士は戦国時代の先祖の遺族年金というべき禄を食んでいるだけに近く、軍人・官僚としての実務能力も使命感もなかった。武士道は明治になって西洋の騎士道に似たものがあったとして創造したもので、江戸時代の武士の実態とはかけ離れている。

■米のモノカルチャーで飢饉が頻発

⑦士農工商より上級武士の権力独占が問題

適材適所でなく世襲が原則で、上級武士(馬に乗れて殿様に会える)とそれ以外が峻別されていた。福沢諭吉も中津藩で下級武士や庶民から上士に昇進したのは、300年で数例しかなかったとしている。

⑧北朝鮮なみに禿げ山だらけで環境先進国は嘘

ものを大事にしてリサイクルが発達したのは事実だが、物資不足の結果に過ぎず、いまの北朝鮮と同じだ。薪や炭を燃料にしたのでほとんどの山が禿げ山に近く、洪水が多かった。

⑨餓死者が続出し東日本では人口も停滞

鎖国のためトウモロコシ、芋類など新大陸原産の新しい作物導入が低調だったのと、米に偏った税制で極端な米のモノカルチャーになった。食料の流通も諸侯に任せたので、飢饉(ききん)が頻発し人口が停滞した。江戸時代中期と同時代の清国で、康熙帝(こうきてい)など賢帝が善政を敷き、経済も人口も伸びたのと対照的だった。

天明飢饉之図(写真=福島県会津美里町教育委員会所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
天明飢饉之図(写真=福島県会津美里町教育委員会所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
⑩裁判や警察など司法の前近代性と切り捨て御免

司法制度が恣意(しい)的だった。火あぶり、磔、牛裂き、釜煎り、獄門、石子責めなどサドマゾ刑罰に拷問もやり放題。切腹はお家断絶回避を餌に無実を主張させない制度として使われた。切り捨て御免も伝説ではなくまれでもなかった。

■明治批判の裏返しとしての無理な江戸賛美

それでは、なぜ誤った江戸時代賛美論がはやるのだろうか。まず挙げられるのは、関ヶ原以前からの日本人の美点なのに、江戸時代に始まった長所と誤解しがちな点だ。民度の高さは『魏志倭人伝』も指摘しているし、仮名をほとんどの人が使うとザビエルの報告にもある。

江戸時代の日本として19世紀前半(天保期から幕末)の状況を持ち出す一方、18世紀以前(フランス革命や産業革命以前)の欧米と比べる不思議な比較が多い。

明治体制を誹謗(ひぼう)し、成果を矮小化する目的で江戸時代を褒める傾向もある。戦後史観では明治賛美は御法度らしいから、成果を矮小化するため江戸時代に日本はすでにかなり近代化されていたと強弁しがちだ。

家康が再征をちらつかせて派遣させた、一種の朝貢使節である朝鮮通信使を、対等の関係の象徴と歪曲して持ち上げる一方、むしろ、近代国際法に基づく対等の外交を提案しながら大院君に拒否された明治政府の対応を高圧的だと批判したがる。

保守と左翼がいずれもユートピアと褒める不思議 

維新後に発展した日本文化を江戸時代からあったと誤解しているケースも多い。先ほども説明したように、武士道は新渡戸稲造が欧米人受けするように創ったものだし、陽明学も江戸時代に萌芽はあるが明治以降に流行したものだ。

江戸時代の民家は貧弱で、城下町の立派な町並みは明治後期から昭和初期にかけてのものだが、「小江戸」とかいって江戸時代のものと錯覚されている。時代劇は江戸の町ばかりだが、江戸は現在の平壌(ピョンヤン)と同じように別世界で、移動の自由がないなかで江戸の武士も町民も特権階級だったのに地方の惨めさが描かれない。

孔子が周王朝の初期を自分の理想を語るために理想郷としたのと同じで、理想社会を過去に求めることはよくあるが、日本では極端に顕著だ。保守は封建時代を美化し、左翼は貧しくとも安定を求むので、結果として江戸時代への賛美に収束するのだ。

■極端な修正主義史観は国益を侵害する

この風潮は、日本だけで通用する世界史への特異な理解にもつながる。フランス革命が民主主義へ世界を導いた転換点であるのは世界の常識で、200周年となる1989年には、パリで「アルシュ・サミット」が開催され、世界の首脳が人類史における意義を再確認した。

パリのシャンゼリゼ通りで毎年行われている革命記念日(7月14日)のパレードには、あのトランプ大統領も主賓で招かれ、日本からは中曽根康弘首相が希望して出席して、歴史的偉業をフランス国民とともに祝ったことがある。2018年には安倍首相が主賓として招かれ自衛隊が先頭で旭日旗を掲げて行進した(首相は豪雨災害で出席中止)。

そもそも、明治維新もフランス革命やナポレオン、あるいはそれに触発されたビスマルクが創った近代国家をめざしたものである。にもかかわらず、フランス革命の時代に英国人として難癖をつけたエドモンド・バーグとかいう英国人の著書を保守主義のバイブルとか言って、フランス革命をネガティブな出来事として糾弾するのが日本の保守派の流行というのにはあきれるしかない。

そんなことを言っていると、世界から極端な修正主義史観だと受け取られかねないし、それは日本の政治に対する信頼を失わせ、国益を侵害するものだ。

江戸時代への過剰な賛美も同様だ。NHKが大河ドラマで江戸の社会をどのように描くのかも注目だが、人権無視で世界の文明に背を向けた江戸時代について、正しく科学的な評価がされるべきである。

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八幡 和郎(やわた・かずお)
徳島文理大学教授、評論家
1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。北西アジア課長(中国・韓国・インド担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、現在、徳島文理大学教授、国士舘大学大学院客員教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。著著に『日本の総理大臣大全』(プレジデント社)』、『安倍さんはなぜリベラルに憎まれたのか』、『令和太閤記 寧々の戦国日記(八幡衣代と共著)』(いずれもワニブックス)『日本の政治「解体新書」 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』 (小学館新書)など。

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(徳島文理大学教授、評論家 八幡 和郎)

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