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「ネッシー生け捕り」「ツチノコ発見」…東スポが一面見出しで"ウソのような記事"を掲載し続けるワケ

プレジデントオンライン / 2023年1月26日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Matt84

「ネッシー生け捕り」「ツチノコ発見」「妖精15センチおじさん」……。夕刊スポーツ紙「東京スポーツ」が他社とは一風変わった記事を掲載するのはなぜか。ライターの岡田五知信さんの著書『起死回生 東スポ餃子の奇跡』(MdN)より、一部を紹介する――。

■眉唾物の記事でも読者は決して怒らない

東スポが娯楽性を重視した記事を盛んに掲載するようになったのは、あのビートたけしが客員編集長に就任(1991年4月)して以降のことだといわれている。東スポのすべてを具現化しているといっても過言ではないのが一面の見出しだろう。

一度でも目にした者は必ずその場で足が止まる。その先が気になって仕方がないのだが――。一面のレイアウトは駅の売店や新聞スタンドに陳列され、折りたたんである状態であることも巧妙に計算され、手に取らないとその先が読めない仕掛けになっている。

そして購入してから毎回、気づかされる。見出しの最後に小さく“か”あるいは“説”、さらに“も”。そしてダメ押しが“?”といった疑問符や感嘆詞などの語句で締めくくられていることを――。それでも読者は決して怒ったりはしない。それが東スポの真骨頂であることを百も承知だからだ。しかし、その一方であの眉唾物の記事が実は世紀の大スクープだったなんて例も頻繁にあるから読者にとって油断は禁物だ。

■30年以上前から続く「東スポ伝説」

娯楽性を最重要視したこの姿勢をすべて体現した手法が「東スポ伝説」なのだ。このDNAはいつ頃から育まれたのか? さらに今後はどのような進化を遂げるのか? 参考までにこれまで世間を騒がせ、ファンを魅了してきた東スポ伝説の一翼を担ってきた一面見出しを次に抜粋しておく。

プレスリー生きていた?………平成元(1989)年5月14日付
人面魚が笑った…………………平成2(1990)年6月12日付
マドンナ痔だった?……………平成2(1990)年11月4日付
フセイン インキン大作戦……平成2(1990)年11月23日付
人面魚 重体脱す………………平成2(1990)年12月29日付
ネッシー生け捕り………………平成4(1992)年1月16日付
たけし和解………………………平成4(1992)年2月2日付
500歳 宇宙人…………………平成4(1992)年4月17日付
デーブ・スペクター日本人……平成4(1992)年7月9日付
マイケル錯乱……………………平成5(1993)年9月10日付

■「発見」されたツチノコ、カッパ、UFO…

ストリッパー 人質救出………平成9(1997)年1月11日付
たけし キン○マかと…………平成9(1997)年9月9日付
TMR 堺すすむ親子⁉…………平成11(1999)年6月27日付
キムタク 赤面こけし…………平成11(1999)年2月11日付
奇跡 直立レッサーパンダ……平成17(2005)年5月20日付
ツチノコ発見……………………平成20(2008)年3月7日付
カッパ発見………………………平成14(2002)年10月24日付
電線に止まったUFO……………平成19(2007)年8月30日付
小橋 乳首切断…………………平成16(2004)年6月2日付
妖怪ゴム人間 独占写真………平成19(2007)年3月16日付
超大物シンガー薬物中毒………平成25(2013)年7月24日付
プロレス オールスター戦……平成23(2011)年4月20日付
六甲山上空に龍…………………平成16(2004)年3月4日付
妖精15センチおじさん…………平成23(2011)年7月1日付
爆笑田中大的中162万…………平成19(2007)年4月17日付
猿フェラ…………………………平成15(2003)年4月6日付

(『平成をザワつかせた 東スポ1面コレクション』より抜粋)

■名誉毀損で訴えられても負けなかった

東京スポーツ新聞社取締役編集局長の平鍋幸治氏はいう。

「これまでツチノコや雪男といったUMAモノ、UFOモノの伝え方が本来、基本となって『東スポ伝説』といういわれ方をしてきたのだと思います。それから、前記のように、スクープ記事の見出しや伝え方も同様の扱われ方やいわれ方をされたことがあった。

有名なところでは、ロス疑惑の三浦和義に名誉毀損(きそん)で訴えられました。当時、『東スポの記事を信用する人間はいない』と被告である東スポが自ら証言しているんです。後になって裁判所の判決も『陳腐な記事で名誉毀損にあたらない』としている。その結果、三浦氏が裁判に勝てなかったということがありました。

このようなウソのようなホントの話が多いことから、『東スポ伝説』といった伝承がついて回ったんだと思います」

■難しい時代でも「東スポ伝説」を残す理由

「今後ももちろんUFOやツチノコといったネタは定期的に扱っていく。長年、この種のネタを愛読してくれている読者を裏切ると、結果読者離れが加速するからです。しかし、最近はこれといったネタや情報がなかなか入りにくくなった。

ネットなどにUPされてしまっている事例が多く、さすがにネットの後追いはできません。とはいっても深刻な事故や事件と同列というわけにはいかない事情もある。例えば安倍晋三元総理が銃殺されたときに、陰謀論などの記事はご法度という流れに変わっています。さすがに世間を震撼(しんかん)させる事件のときに、あまりにも柔らかい記事を掲載すると顰蹙を買ってしまうということです」

そうした中、東スポのキャラクターを形成する「東スポ伝説」に対し、次世代の経営を担う平鍋氏は次のように語るのだ。

「コンプライアンス重視と叫ばれている昨今ですが、『東スポ伝説』は確実に残していく方がいいと思います。一朝一夕で『東スポ伝説』はできません。先達の記者たちが面白いコンテンツを作り続け、それで『東スポ伝説』ができあがってきたわけですから。何度もいいますが、もちろん時流は読んでいく……。そうした自己チェックをした先に『東スポ伝説』の本来、あるべき姿があると思います。

ネット社会で互いの揚げ足取りをするような社会にクスッと笑える記事を提供していきたいと考えているんです。そうじゃないとこのコンプラ社会で皆が潰れてしまう。コロナの予防接種を受けていない人間が差別されるのと似ていますね」

■新たな伝説の幕開けとなる「東スポ餃子」

「この流れに今度は『東スポ餃子』も加わってくると密かに期待しています。『東スポ餃子』が新しい東スポ伝説の一翼を担う時代がくるわけです。そもそも『どうして新聞社が餃子を出すんだ?』と誰もが首を傾(かし)げ、不思議に思うような展開に気づくこと自体が新たな伝説の幕開けなんだというふうに仕掛けていきたい。

これからも餃子からさまざまなアイテムを派生させていく。ワンコンテンツ、マルチユースの考えです。そこに記者や事業室関係者、支局のスタッフなどのいろいろな意見がプラスアルファされればいいなと……。新しい分野で『東スポ伝説』は永遠に続いていくんじゃないかと思います」

■「日本を代表するスポーツメディア」

実はあの東スポが世界中で東京を代表する、いや日本を代表するスポーツメディアと思われていた時代があったという。「東スポ伝説」の類いではない。紙名である「東京スポーツ」には東京の首都名が入っていることから、海外メディアから勘違いされる事例が多発していたという。平鍋氏は述懐する。

「海外で名刺を出すとものすごく待遇がいいんです。日本を代表するスポーツ紙との評判も囁かれているんです。これは本当の話。今だからネタをばらすと、オリンピックや国際的イベントの試合などを取材するときには、主催社や海外の選手たちが東京を代表するスポーツ紙と勝手に勘違いしてくれるんです。結果、海外の選手たちは、これでもかというくらい、多くのことを話してくれました。

2004年のアテネオリンピックのときのことです。オリンピックの開幕前に現地の街ネタを探し、いわゆる風俗を含む歓楽街の街レポート取材や麻薬売買の中心地といわれるエリアで写真の隠し撮りしていたところ、地場の用心棒のような男が近づいてきて、

『お前たちは何者だ! どこからきた⁉』

と凄んでくるわけです。そこで、

『〈東京スポーツ〉だ』

と答えたら急に態度が変わりました。

『ここは安全な場所だ。俺たちはここでヤクを売ったりしていないから』

とか何とか言い訳をしていましたが、東スポに救われたんです。『東京スポーツ』は本当にいいネーミングですよ(笑)。当然、今もまだ、東スポの神通力はまだまだ通じますよ」

シティーを歩く写真家
写真=iStock.com/LDProd
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/LDProd

■破天荒な東スポからエッジが消えた東スポへ

過去の取材姿勢や掲載した記事の編集過程を聞いていると、昭和、平成と相当破天荒な記事作りが東スポの中核を形成していたことが分かる。まさにギリギリのうさん臭さを報じる一方で、綿密な取材に基づいた情報収集能力という微妙なバランスが東スポのキャラクターを培っていた。

しかし、東スポはデジタル媒体の事業展開に際し、他のスポーツ紙と比較して大きく後れをとることになった。2019年の5月決算では純利益で約20億円近い赤字を計上してしまった。さらに総資産の簿価が約65億円程度(最盛期300億円程度)にとどまることまで公表した(2020年4月官報掲載)。

デジタル媒体の展開に本腰を入れ始めた2020年――、デジタル事業部門の売り上げは前年比の3倍以上に増えたものの部数を著しく落としリストラを強行する。まさにわずか4年間で東スポは創業史上、例のない改革と変化を迫られたのだ。そんな東スポにとって大きな障害がコンプライアンスだったという。

■東スポだからこそ、細心の注意を払う

平鍋氏はいう。

「本音をいえば、今はそんなにハチャメチャにはできないですね。以前、うちにいた記者が聞いたら驚くような人事教育をいまは実践しています。とにかくコンプラははずせない。世の中の風潮が変わってきたのが10年くらい前からですね。特に2011年の3.11の後からですね。ふざけたニュースは不謹慎だといった風潮が大きく広がっていきました。

岡田五知信『起死回生 東スポ餃子の奇跡』(MdN)
岡田五知信『起死回生 東スポ餃子の奇跡』(MdN)

それから、ジェンダー問題を含む差別問題だとか、デリケートでなかなかニュースにし難い話や記事にできない物事がどんどん広がっていき、それに加えてコンプライアンス(法令遵守)といわれ始め、次第に過去のような報道や記事作りができなくなってきました。

東スポだからこそフェイクニュースには細心の注意を払っているんです。東スポ伝説を実践し記事にするためにもファクトチェックをしたうえで掲載します。あえて確信犯で記事を掲載するのと、まったく知らないで記事を書くのとでは意味合いが違ってくるのです。

あえて誤解を恐れず、大胆な意見をいえば、仮に明日、うちの記者に朝日新聞や読売新聞で社会面の記事を作れといっても十分に対応できると思います。東スポはそうした一線の記者を育成しているということです。社内教育には自信があります」

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岡田 五知信(おかだ・さちのぶ)
ノンフィクションライター
早稲田大学卒。徳間書店『週刊アサヒ芸能』編集部や新潮社『フォーカス』編集部で編集記者を経て1997年に在京キー局に中途入社。バラエティー番組や情報番組、特番などでディレクターやプロデューサーを担う。その後、報道局、コンテンツ事業局、宣伝部などを歴任し現在は配信系事業を担務する。その傍ら大学院においてコンテンツツーリズム、地域再生、メディア文化論などの研究に携わる。著書に『起死回生 東スポ餃子の奇跡』(MdN)がある。

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(ノンフィクションライター 岡田 五知信)

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