「白バイを抜け」駒澤・大八木にあって青学・原にないもの…選手の人生を背負う大学駅伝監督という稼業の採点簿
プレジデントオンライン / 2023年1月5日 15時15分
■大八木節炸裂「白バイを抜け」「追え、追え、追えだぞ」
第99回大会の箱根駅伝は駒澤大が完勝した。10月の出雲駅伝、11月の全日本大学駅伝に続く優勝で、悲願の“3冠達成”となる。
レース直後、タスキをつないだ10人の選手とともに登壇した大八木弘明監督(64)。往復計200km余りを疾走する選手の後方から「男だろ」「信じてるぞ」といったゲキを飛ばすことで知られる大八木だが、今回もそうした“定番”のセリフに加え、「白バイを抜け」「追え、追え、追えだぞ」「何がガッツポーズだ! バカヤロー!」といった“名言”で選手を鼓舞し続けた。
優勝校会見は例年通りに進んだが、最後にサプライズがあった。監督自らマイクを握り、こう語ったのだ。
「私事なんですけど、今年で監督を退きますので、よろしくお願いいたします。3月で終わりですね。藤田(敦史)と代わります」
母校・駒大の指導者になって29年。学生駅伝で27ものタイトルをもたらした男の引き際だった。このタイミングでの退任について、大八木は中国の古い詩の一節にある「百里を行く者は九十を半ばとす」という言葉を使って、現在の心境を明かした。
「箱根駅伝は来年、100回大会を迎えますけど、その前の99回で半ばとして新たな世界に私自身が入っていきたいなと思ったんです」
もう1年やれば指揮官になって30年。65歳という年齢で第100回の箱根駅伝を迎えることになる。完璧な節目となるような気がするが、大八木にはやり残したことがあるという。いや、2023年からスタートしなければいけない「ラストチャレンジ」があるのだ。
■常勝軍団を一から作った大学駅伝監督の指導術
大八木が母校・駒大のコーチに就任したのは1995年春。筆者も同時期に箱根駅伝出場を目指して東京農大に進学したが、当時は東農大の方が強かった。筆者がアンカーを務めた1996年の箱根駅伝は東農大が8位、駒大は12位。しかし、ここから駒大は急激に強くなっていく。
エース藤田敦史を擁して、わずか数年で低迷していたチームを学生駅伝の“主役”に押し上げたのだ。最初のタイトルは就任2年目の箱根駅伝(97年)。大八木は“狙い撃ち”での復路Vを果たす。そして就任3年目に出雲で学生駅伝初Vを飾ると、エース藤田が最上級生になった翌年度には出雲を連覇して、全日本大学駅伝で初優勝。箱根駅伝は9区の途中までトップを駆け抜けて、2位に入った。箱根は藤田が卒業した翌年の2000年に初優勝すると、2002~2005年には4連覇を達成。駒大は「平成の常勝軍団」と呼ばれるようなチームになった。
「初めの方は箱根のことで目いっぱいでしたね。とにかく箱根優勝の常連校にしたいと思ったんです。子どもたちは箱根を走りたい、箱根で優勝したい、という思いで入学しているので、それに応えないといけない。就任5年目で優勝しましたし、その後、4連覇もしました。その時期はもう本当に箱根、箱根という感じでしたが、そこから少しずつ変わっていったんです」
![写真=駒澤大学 陸上競技部ホームページより](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/c/1200wm/img_1c542f237ebffe900f52a0f36d06c34f331474.jpg)
大八木は頑固一徹のイメージがあるが、柔軟な面も持ち合わせている。ひとつの「成功スタイル」に当てはめるのではなく、選手たちのカラーに合わせて、練習を組み替えてきた。
「当初はスピードのない選手が多かったこともあり、トラックというよりも、マラソンのことばかり考えていました。その後は、スピードのある選手も入ってきたので、選手の能力や性格などを判断しながらやってきたんです。選手の特性に合う育成の仕方があるので、そういうのが割とうまくやってこられたかなという感じはしますね」
■青学大・原監督になくて駒大・大八木監督にあるもの
スピードランナーが育ったことで、駒大は全日本大学駅伝で圧倒的な強さを誇るようになる。大八木が指揮を執るようになって27年連続出場して、15度の日本一。2011~2014年には4連覇も達成している。
一方で前回まで7度の優勝を飾っていた箱根駅伝は苦戦した。2009年以降の制覇は創価大が10区で大失速した2021年の一度だけ。原晋監督率いる青山学院大が初優勝した2015年からの8年間で6勝を積み重ねた裏で、かつての王者は苦悩の時代を過ごした
「箱根で勝てるようになった後は世界に通用する選手を育てたいという思いが強くなったんです。一時期、勝てなくなった時は、箱根で勝負して、世界で活躍できる選手も育てる、この2つをやろうとして、なかなか難しかったなという部分はありますね」
![1月2日のJR埼京線車両内](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/4/1200wm/img_2492b92ae2c4bd6b0c33ed35955cc4f6490329.jpg)
大八木の教え子は、日本代表として世界選手権やオリンピックに8人も羽ばたいている。なかでも特別な存在が藤田敦史と中村匠吾だろう。ふたりは大学卒業後も母校を練習拠点にして、大八木から指導を受けていた時期があった。そして藤田は男子マラソンで2時間6分51の日本記録(当時)を樹立。中村は東京五輪の男子マラソンに出場した。
一方、青学大・原晋監督は箱根駅伝で圧倒的な結果を残しているが、全日本大学駅伝の優勝は2回だけ。教え子たちのなかに世界選手権やオリンピックに出場した選手はまだ出ていない。
大八木の指導者としての“すごみ”を数字が証明している。そして陸上の神様からさらに特別な選手を授かることになる。それが現在4年生の田澤廉だ。
田澤は箱根駅伝の優勝を目指しながら、同時に世界を本気で狙ってきた。全日本大学駅伝は4年連続で区間賞を獲得して、チームの3連覇に貢献。箱根は3年連続で花の2区を務めて、2度の総合優勝をもたらしている。田澤のすごいところはトラックでも日本トップクラスの活躍を見せたことだ。3年時は12月に10000mで日本歴代2位(日本人学生最高)の27分23秒44をマーク。昨夏はオレゴン世界選手権10000mに出場した。
田澤のスケールの大きな走りと、世界と本気で勝負するんだという気迫に大八木の心は大きく揺さぶられることになる。
■大八木監督の涙と新たなる野望
大八木が監督退任を考えたのは田澤が3年生の時だった。「大学卒業後も大八木監督の指導を受けたい」という言葉を聞き、大八木は決断する。
「昨(2022)年の4月には今季限りでひとつの区切りにしようと決めました。4年生が春に『今季は駅伝3冠を取りたい』という目標を立てたので、俺も本気になってやることを彼らに誓ったんです」
監督退任を選手に告げたのは夏合宿の最終日だった。主将・山野力と副主将・円健介、それとエース田澤の3人を部屋に呼んで、今後の去就について話をしたという。そのとき大八木の瞳からは大粒の涙がこぼれた。
駅伝シーズンに入ると、「駅伝3冠」を目標に掲げた駒大はとにかく強かった。出雲と全日本を大会新で独走。最後の箱根に向けても、珍しく大八木は強気な言葉を発している。
「3番以内というのが口癖だったところもありますが、今季は選手たちが『3冠』という目標を立てていますから、全部取りに行かないと、選手たちに申し訳ない。昨年と比べたら選手層は厚いですし、選手の質も高い。今回は優勝を狙っていかなくちゃいけないなと思います」
しかし、大八木にとって最後となる箱根駅伝は厳しい状況が待っていた。12月初旬にエース田澤がコロナに感染。全日本8区で区間賞を獲得した花尾恭介(3年)も胃腸炎でダウンした。出雲と全日本で区間新の快走を見せた佐藤圭汰(1年)も腹痛で欠場を余儀なくされた。それでも駒大は魂の継走を見せる。
![1月2日のJR埼京線車両内](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/5/1200wm/img_454f50fa0f7dd7621ca9412942197f1e477335.jpg)
今回、王者の背中を追いかけ続けた中大・藤原正和駅伝監督は駒大の強さを肌で実感した。
「大八木さんの指示だと思うんですけど、最初は速めに入って、中盤は少し落とさせて、終盤また頑張るというスタイルで少しずつビハインドを築かれてしまった。1年間、『3冠』を目指してきた学校と、1年間、『3位以内』を目指してきた学校の差と言いますか、執念の差があったと思っています」
2区田澤でトップ争いに加わり、4区鈴木芽吹(3年)で首位に立った駒大。レースのキーである山の上りと下りを託した1年生コンビも快走して、復路はトップを悠々と駆け抜けた。そして大手町では大八木が選手たちの手で3度宙に舞った。
2日間の激戦を終えて、大八木は穏やかな表情をしていた。
「子どもたちは本当に素晴らしいプレゼントをくれましたよ。29年間、駒大でやってきて、箱根と全日本で4連覇できて、世界陸上に行き、オリンピックにも行けた。最後にやり残したことが3冠だったんです。これを達成できたので、大学の監督として、すべてやれたのかなと思います。もう恵まれすぎですね。選手たちに本当に感謝したいです」
■64歳でも「道半ば」…指導者のさらなる高みを目指す
大八木は今季限りで監督を退任して、4月からは「総監督のような立場」に就きたい考えだ。藤田次期監督をサポートしながら、新たな夢を追いかける。それはエース田澤の“世界挑戦”だ。田澤は4月からトヨタ自動車の所属となるが、今後も駒大を練習拠点に、大八木から指導を受けることになる。
「今後は田澤と世界を見つめてやっていきます。選手50人の面倒を見るのは体力的にもきついですけど、数人見るくらいならちょうどいい。駒大の上の選手も一緒に練習できるでしょうし、他の実業団チームに進んだ選手。私の指導を受けたい選手がいれば、駒大OB以外も見たいなという気持ちがあります。とにかく、これからは世界と戦えるような選手を育てていきたい」
男子10000mの参加標準記録は、今夏のブダペスト世界選手権が27分10秒00で、来夏のパリ五輪が27分00秒00。日本記録(27分18秒75)を大きく上回っており、世界大会に参戦するのは非常に難しくなってきている。それでも大八木は田澤と自身の可能性を信じて、突き進んでいくつもりだ。
「世界大会で入賞争いぐらいまではできるような選手にしたいなと思います。近年はレベルが上がっているので、出るだけでも大変ですが、世界で戦うことを目指して指導していきたい。それを人生のラストチャレンジにしようかなと思います」
64歳になっても「道半ば」と考えて、指導者としてさらなる高みを目指していく大八木。人生のクライマックスはまだ先のことになりそうだ。(本文一部敬称略)
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スポーツライター
1977年、愛知県生まれ。箱根駅伝に出場した経験を生かして、陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』をはじめ様々なメディアに執筆中。著書に『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。最新刊に『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)
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(スポーツライター 酒井 政人)
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