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「元旦の未明にマンションの外まで響く金切り声…」妻が55歳で若年性認知症になった夫の狼狽【2022下半期BEST5】

プレジデントオンライン / 2023年1月9日 18時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Asobinin

2022年下半期(7月~12月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。老後部門の第4位は――。(初公開日:2022年10月23日)
現在60代の男性は37歳の時に3歳下の女性と出会い、事実婚状態に。しばらくは穏やかな日々が流れたが、妻が55歳のときにアルツハイマー型若年性認知症と診断された。卵パックを連日買ってきたり、夫が歯磨き中に別人格になって実弟への罵詈雑言を始めたり。豹変してしまった妻に夫はうろたえながらも、懸命にケアする――。(前編/全2回)
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないに関わらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■ボーリング大会での出会い

関東在住の河津敬郎さん(60代・既婚・仮名)は一人っ子だ。

外資系企業に勤める父親が29歳、専業主婦の母親が33歳の時に生まれた。国語と社会が得意で、理数系が苦手だった河津さんは、文系の大学を卒業すると、出版社に就職。

仕事のキャリアを積み上げること十数年。1998年、河津さんが37歳のとき、友人が幹事を務めるボーリング大会に参加したところ、後に妻となる商社勤務で3歳年下の女性と出会い、好きな音楽の話で意気投合。河津さんは、九州出身である妻の明るい性格、また何事にも一生懸命な姿に惹かれた。

翌年早々から交際をスタートし、約半年後には一緒に暮らし始める。

一方、妻は、36歳の父親、34歳の母親の元に、長女として誕生。果樹農家を営んでいた両親の間には、3年後に妹、8年後に弟が生まれた。長女である妻は、子供の頃から家の手伝いやきょうだいの面倒をみる働き者で、頑張り屋だったようだ。高校時代は15kmほどの起伏のある道のりを、雨の日も風の日も3年間、自転車通学していたという。

河津さん夫婦は、長い間事実婚状態だった。妻が「夫婦別姓がいい」「式を挙げたくない」などと主張したためだ。

それでも2人は、休みの日には近場で買物をしたり国内外に旅行へ出かけたりするなど、仲の良い夫婦生活を16年間送った。

■年金未払いから入籍

不穏な事態が発生したのは2014年の冬のことだ。以前勤務していた商社からマンションのコンシェルジュに転職していた50歳の妻は、同僚から嫌なことを言われる日が続き、ひどいときにはマンションの一室に軟禁されたこともあり、ストレスから不眠状態に。

「職場でいじめに遭っている」と相談を受けた河津さんが「上司に相談した? それでもだめなら辞めたら?」とアドバイスすると、しばらくして妻は退社。

コンシェルジュの仕事を辞めてから、すっかり勤労意欲を失ってしまった妻は、それ以降、仕事に就こうとしなくなった。気分転換が必要だと思った河津さんは、外食や一泊旅行に誘い、「しばらくゆっくりすればいいよ」と言っていた。

専業主婦になった妻は、家で過ごすことがほとんどとなり、2015年になると、だんだん同じことを何度も繰り返したずねることが増え、河津さんは気になり始める。

2016年に入ると、妻(当時52歳)はささいなことでキレて、大げんかに発展することが増えた。

「ささいなことというのは、例えば私が、『昨日、電車の中で外人さんに話しかけられてさぁ……』と話出した瞬間に、『ガイジン? 差別的なこと言って。外国人でしょう?』と声を荒らげるようなことです。こうしたことは一緒に暮らし始めた頃からありましたが、この頃から頻度が増えました」

同じ質問を何度も繰り返すことも相変わらず多かったため、河津さんは更年期障害を疑う。

2017年春には、夫婦で日帰り温泉に行ったところ、待ち合わせ時間になっても一向に妻が女湯から出てこない。河津さんは心配になったが、40分ほど遅れて出てきた妻は、少しも悪びれる様子もなかった。

温泉でゆったり
写真=iStock.com/mura
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mura

翌年夏には、夫婦で青森旅行へ行く予定だったが、妻は、前日の夜になっても持って行く着替えの服が決まらない。いつもパッキングは早い方なのに、2〜3時間経っても決まらなかったため、見かねた河津さんがすべて選んだ。

話は前後するが、2016年12月、河津さんは転籍となっていた出版社の関連会社が解散となり、設計事務所に転職。その翌年、妻がマンションコンシェルジュを辞めてから約3年にわたり、国民年金を納めていなかったことが発覚していた。その頃から、おかしいと思う状況が増えていたのだ。

「妻はこれまで、経理・総務部門の勤務経験が多く、会社の年金も扱っていたため、『裏技で免除の手続をした』と言い張っていましたが、ここ数年間の妻を見てきて、『このままではマズい』と思った私は、入籍することに決めました。このときはまだ、更年期障害か認知症かの判別はついていませんでしたが、生活上の支障を回避するには、入籍するしかないと考えたからです」

同じ2018年12月、入籍。河津さん57歳、妻54歳のことだった。夫婦別姓を主張していたはずの妻は、「早く籍入れれば良かったのに……」と、ひとごとのような口ぶり。年金の未納分は、さかのぼって払える期間のものはすべて河津さんが払い込んだ。

■葬儀で激怒

同じ2018年12月。特養に入っていた妻の母親が、昏睡(こんすい)状態に陥ったため、妻の妹夫婦と弟夫婦たちと一緒に九州に帰郷。医師からは、「年は越せないかもしれない」と言われていたが、面会時に母親の意識はあり、再び持ち直したため、いったん関東へ戻ることに。

2019年1月11日。妻の母親が逝去。河津さんたちは、葬儀のため再び帰郷。妻と妹、弟の3人が喪主を務めた。

ところが告別式後のことだった。親戚一同が集い、夕食をとろうとしていたとき、アルコールの影響もあったのか、妻の妹の軽口に妻が突然激怒。泣き叫び、口角から泡が出るほどに喚き立て始めたのだ。罵詈(ばり)雑言の内容は、子供時代の出来事にまで及び、親戚一同から河津さんは、医療機関の受診を勧められた。

それから数日後のこと。関東へ戻り、仕事で昼休み中の河津さんに、妻から電話がかかってきた。朝から健康診断を受診するために出かけたが、健診場所が判らなくなり、迷子になったという。その場所は、全く知らない場所ではなく、年に何度か歩く道の途中だ。妻は、わかりにくい地図のせいにし、指定の時間に行けなかったので、健康診断を諦めたと河津さんに報告する。

すぐに河津さんは、予約を入れた健保組合支部に電話で事情を話し、謝罪した。

ところがその日の夕方、河津さんは、健保組合支部から意外な連絡を受けた。なんと妻は、健診を受けていたのだ。

健保組合の人の話によると、妻は健康診断をすべて受けたあと、オプションの子宮・卵巣検査の代金を、朝、河津さんが封筒に入れて渡していたにもかかわらず、「持ち合わせていない」と言った。そのため、健保組合の人と一緒に近くのATMへ行ったところ、暗証番号を2度間違え、何度も間違えるとロックがかかるので、健保組合の人が止めさせ、振り込み対応にしたとのこと。

このことは、最近の妻の症状が、更年期障害によるものなのか認知症によるものなのかの判別をつけるために、大学病院で検査を受けることを河津さんに決意させるには、十分な出来事だった。

健診から4日後、河津さんと妻は近くの大学病院を受診し、さまざまな検査を受ける。

その約2週間後、妻はアルツハイマー型若年性認知症と診断。その月のうちに河津さんは、妻の自立支援医療を申請した。

頭部MRIの写真
写真=iStock.com/sudok1
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sudok1

■移動ができるうちに

2019年4月、仕事で関西1泊出張に出ていた河津さんは、帰りの東海道新幹線の車内でうとうとしていると、妻からの電話で目を覚ます。携帯電話を見ると、「呼吸ができない。痙攣している。助けて!」という留守電が5~6件入っていた。

急いで妻に電話をするが、出ない。妻の妹と弟に電話をすると、弟と連絡がつく。弟夫婦が救急車を要請し、妻はかかりつけの大学病院に搬送。河津さんは病院の最寄り駅で新幹線を下車し、大学病院に直行すると、弟夫婦が到着していた。

呼吸ができず、痙攣していた理由は、抗認知症薬を服用したために意識が遠のき、「私、ひとりで死ぬの?」と不安になった妻は、過呼吸を起こしたのだと分かった。

河津さんは、妻の手料理が大好きだった。同居を始めてからずっと、河津さんが退勤時に「これから帰る」とメールをすると、妻からは夕食のメニューが書かれたメールが返ってきていた。だが、この頃からは、体調不良を理由に、送られてきたメニュー通りに用意ができていないことが増えてきていた。

8月になると、10個入りの卵のパックを連日買ってくることや、「家の鍵が見つからない。マンションに入れないから、早く仕事から帰ってきてほしい」と連絡が来ることが続く。

10個入りの卵パック
写真=iStock.com/karimitsu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/karimitsu

そして10月。58歳の河津さんは、55歳の妻の記憶が確かなうちに、そして移動ができるうちに2人で旅行をしておこうと思い、設計事務所を退社。

「“移動できるうち”には2つの意味があります。ひとつは長期移動が可能なうちに。もうひとつは、旅の想い出を記憶に残せるうちに。旅行好きだった私の母親が、血管性認知症になってからは、外出を好まなくなったのを見てきましたから……」

河津さん夫婦は、11月、12月で、軽井沢、京都・大阪、熱海などに旅行。熱海で妻は、「迷子になる」と言って、外湯には入らなかった。熱海の帰りには、バスがトイレ休憩でPAに立ち寄ったときに、妻は財布の入ったバッグを女子トイレに忘れてきた。手ぶらで戻ってきたことに気づいた河津さんは、女子トイレに探しに行くわけにもいかず困っていると、同じバスツアーの女性客が戻って見つけてきてくれた。

「妻が女子トイレに忘れ物をするのはこれが初めてでしたが、2度目からは、トイレから出てきた女性に助けてもらう方法を覚えました。さらに、若い女性や単独行動の女性が比較的協力的であることを学びました」

■別人格に豹変

12月中旬。河津さん夫婦は居酒屋で忘年会を開催。妻はビールが飲めないので、サワー系や焼酎を2杯飲み、「もう少し飲みたい」と言ったので、河津さんは自分の酎ハイを差し出す。帰り道、妻が「飲み足りない」と言うので、コンビニで缶チューハイを1本ずつ買い、「家で飲んでお開きにしよう」と約束。帰宅すると、「ゆっくり飲む」と言ったのに、妻はあっという間に飲み、「もっと飲みたい」と言う。河津さんが「1本の約束だよ」と返答すると、妻は突然キレた。

「自由がない!」「離婚したい!」「死にたい!」などと言い出したが、帰宅後すぐに薬を飲ませていたため、10分ほどして眠ってしまった。

そんな12月下旬の深夜0時過ぎ、歯磨きのためリビングを離れた数分の間に、妻が別人格に代わっていた。妻の弟の悪口を中心に罵詈雑言を喚き立て、同じことを繰り返し、一向に寝ようとしない。

「妻のきょうだい仲は、8歳離れた弟とはあまり良くなかったかもしれません。妻の両親にとって弟は、高齢になってからやっと授かった男児なので、妻は『弟ばかり優遇されていた』と感じ、妻は弟に対して無理をして下手に出るような言動をとっていたことで、心の中に屈折した感情があったようです。家父長的なやり方を重んじる空気の中、長子として、また姉としての役割を果たさなければならないという、プレッシャーだったんだと思います」

翌日も同じだった。歯磨きから戻ると妻は豹変(ひょうへん)していて、昨日と同様、弟の悪口に加え、「私はお金がない!」「早く死にたい!」「頭がおかしい!」など、ずっと同じことを喋り続け、1時間ほどするとやっと寝つく。その間、河津さんは何をどうしたらいいかわからないまま、まさに“触らぬ神に祟りなし状態”。嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。

その月の25日は、大学病院の受診日だった。ここ最近の様子を主治医に話すと、来月から脳神経内科に加え、精神科も受診することになる。

ビールジョッキで乾杯する手元のイラスト
写真=iStock.com/Stocknick
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Stocknick

その数日後、かつての仕事関係の忘年会に呼ばれたため出かけると、妻は、「楽しんできて!」と明るく送り出してくれた。しかし、現地に着く直前に支離滅裂な電話が入り、やはり弟の悪口が始まる。忘年会中も留守電には意味不明なメッセージが数件入っていた。中には、「私、離婚することにしたから。今後迷惑をかけるようになると思うので、身を引くことにしたから」というメッセージもあった。

■妻は靴を履いたままリビングで転がっていた

筆者が考えるに、妻が「早く死にたい」「頭がおかしい」「私、離婚することにしたから。今後迷惑をかけるようになると思うので、身を引くことにしたから」と口にしたのは、まだ正気の妻が残っていて、認知症になったことでコントロールできなくなっていく自分を客観的に見ての言葉だったのかもしれない。河津さんに迷惑をかけてしまうことが申し訳なく、「自分から身を引く」と言ったように感じられる。

忘年会が終わり、帰路についた河津さんがスマホを見ると、「鍵を家に忘れたまま外出して、エントランスから先に行けない」とのメッセージが届く。自宅に到着すると、なぜか妻は家の中にいて、靴を履いたままリビングで転がっていた。

帰ってきた河津さんに気づくと目を覚まし、再び弟の悪口が始まる。河津さんが布団に移動させようとすると、妻は突然嘔吐し、髪もじゅうたんも吐瀉物まみれとなる。このとき河津さんは、キッチンにカップ焼酎の空き瓶が1本置かれていることに気づく。妻は泥酔状態で何度か嘔吐した後、河津さんの母親や、自分の姪っ子の悪口まで吐き散らし、深夜0時過ぎにようやく寝付く。

「妻は、これまで必要以上に強気でカバーして生きてきたようです。正気ならば、『自分から身を引く』と、淡々と静かに言えばいいのですが、自己誤謬を受け入れられず、自己防御の気持ちが先に立ち、身を引くと言いながら、自分は悪くないという強気な物言いになったのだと思います。しかも、心が弱いのでお酒の勢いを借りてしまったのでしょう」

その2日後の夜、またもや弟の悪口が始まる。河津さんが、「だったら電話してみれば?」と言うと、妻は本当に電話し、電話口で激しく怒鳴り散らし、肩を震わせた。電話を切った後もしばらく怒りが収まらず、「私は悪くない!」「ばかにされている!」などと吐き捨てるようにつぶやいていた。

そして31日の夜。NHKの紅白歌合戦を見ていると突然、「つまらない、生きていても仕方がない、死にたい、別れて……」と妻が言い出し、好きだったはずの竹内まりやの出番になっても、ウジウジモードが続く。

気分転換になればと、紅白後、河津さんが初詣に誘うと、妻はしばらく渋っていたが立ち上がり、2人で近所の寺に行き、鐘をついた。

初詣から戻ると、「おとそを一杯だけ飲んだら休む」という約束で乾杯するも、妻は2杯目を要求。河津さんが「これで終わりだよ」と言うと、「わかった」との返事。だが、3杯目を求めたので断ると、「正月に飲む自由もないのか!」と突然キレ、河津さんに罵詈雑言を浴びせ始め、収拾がつかなくなる。

新年のおとそ
写真=iStock.com/shironagasukujira
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/shironagasukujira

河津さんが一度家を出ることで、妻が頭を冷やしてくれるのではと考え、外で時間を潰して1〜2時間後に帰宅するが、マンションの外まで聞こえるような金切り声が漏れてくる。元旦の未明のことだ。きっと寝静まった周囲の家にもその声は届いているに違いない。慌てて玄関を入ってきた河津さんを見ると、妻は再びヒートアップ。河津さんはやむなく再度、家を離れた。約2時間後の6時ごろ家に戻ると、妻はいびきをかいて寝ていた。

その日の夜、河津さんが忘年会で不在にしていた日のことと昨夜の件を話すが、妻はまったく覚えていないと言う。しかし妻は反省したのか、これを機に飲酒をやめた。

アルツハイマー型若年性認知症と診断された3歳下の妻と過ごす時間を優先し、58歳で仕事を辞めた河津さん。

この後、妻の症状は目まぐるしく変化し、河津さんの手に負えないほどになっていく。

夫はどのようにして妻を支え、苦難を乗り越えていくのだろうか。(以下、後編へ続く)

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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