「認知症になりたくなければデンタルフロスを習慣にしたほうがいい」北欧の分子生物学者がそう説くワケ
プレジデントオンライン / 2023年1月18日 14時15分
※本稿は、ニクラス・ブレンボー『寿命ハック』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■脳細胞が死滅し記憶が消えていくアルツハイマー病
アルツハイマー病は高齢者に降りかかる最悪の不運の一つだ。この神経変性疾患に侵されると生涯の記憶がゆっくりと消えてゆき、やがて愛する人々のことさえ思い出せなくなる。長く生きた末に迎えるきわめて残酷な終焉(しゅうえん)である。
この病気の特徴は脳にタンパク質のプラークが現れることだ。このプラークはアミロイドβと呼ばれるペプチド(鎖状につながったアミノ酸)が凝集し、小さな塊になったものだ。この塊ができる理由はわからないが、これが脳内で炎症を引き起こし、やがて脳細胞を死滅させる。
そうであれば解決策は明らかだ。この塊を除去するか、そもそも塊ができないようにすればよいのだ。だが、それは言うほど簡単なことではない。なぜなら脳は血液脳関門で守られているからだ。先に述べたように、このため脳の薬の開発はきわめて難しい。
アルツハイマー病の治療薬はアミロイドβの塊を除去する以前に、まず脳内に入らなければならず、それにはベルリンの壁の生物学版を突破する必要があるのだ。
■現時点で治療法は確立されていない
このような困難にもかかわらず、製薬会社は脳内でアミロイドβの塊が形成されるのを防ぐ薬をすでに開発した。塊を除去する薬さえできている。
だが残念ながら、それらは役に立っていない。実のところ、役に立つものは一つもない。アルツハイマー病との闘いには莫大(ばくだい)な資金が注ぎ込まれ、大勢のきわめて有能な科学者たちが研究人生を捧げ、何百もの薬が臨床試験で試されてきた。しかし、膨大な努力にもかかわらず成果は出ていない。有望とされた新薬はことごとく失敗に終わった。治療薬はない。自然寛解の見込みもない。わたしたちにできるのは発病を少しでも遅らせることくらいだ。
■アミロイドβの量が増えるとアルツハイマー病になる
何か見落としているのだろうか。おそらく、アルツハイマー病の基本的な真実をまだ理解できていないのだ。そうでなければ、あらゆる試みが失敗したりするだろうか。この病が、他の事実上すべての病気と違って、人間に特有の病気であることも研究の妨げになっている。例えば、マウスはガンにはよくなるが、アルツハイマー病にはならない。
この病を研究する科学者たちは、アルツハイマー病に似た症状を持つマウスを人工的に作り出さなければならなかった。そして、その治療を通じて得た知識を人間に生かそうとしている。
もしかすると、アミロイドβの塊がアルツハイマー病に関与していると考えるのは間違っているのだろうか。しかし、その可能性はきわめて低い。ダウン症の人はアルツハイマー病になるリスクが高く、それもごく早い時期に発病する。ダウン症は21番染色体が1本多いことが原因であり、その染色体上にアミロイドβ遺伝子がある。この事実が示唆するのは、アミロイドβの量が増えるとアルツハイマー病になるということだ。
![アルツハイマー病のニューロン、脳組織におけるアミロイドプラークのイメージ](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/3/1200wm/img_c3250a8d80fb5013390ef67ec7368f3e398912.jpg)
アルツハイマー患者の脳でも同じことが起きていると科学者たちは確信している。通常より多くのアミロイドβを生成しているか、あるいは、除去するのが下手なのだ。どちらの場合もアミロイドβは一種の老廃物と見なすことができる。アミロイドβの本来の機能はわかっていない。わかっているのはアルツハイマー病との関係だけだ。つまり基本的にはこういうことになる。わたしたちは目的のないタンパク質を生成し、老年になるとそれが脳の中に塊を作り、わたしたちを殺すのである。
■アミロイドβは微生物を殺す働きを持つ
だがこの筋書きは少々信じがたい。なぜならアミロイドβを生成するのは人間だけではないからだ。
それどころか、このタンパク質は長い進化の過程を通じてきわめてよく保存されてきた。サルもマウスも持っており、魚類さえ持っている。それに、これらの動物のアミロイドβは人間のものとほぼ同じだ。こういった事実はこのタンパク質に重要な機能があることを示唆している。
もし重要な遺伝子に変異を持つ個体が生まれたら、その個体は往々にして他の個体より脆弱(ぜいじゃく)で、次世代に多くの子を残すことができない。つまり、重要な機能を持つタンパク質は進化の過程を通じてあまり変化せず、他の種のものとも似ていることが多いのだ。
ではアミロイドβが重要だとしたら、その機能は何だろうか。最も可能性が高いのは微生物と闘う武器になることだ。
微生物の培養液にアミロイドβを入れると微生物が死ぬことを科学者たちは発見した。アミロイドβは微生物の周りに凝集し、無力化して息の根をとめるのだ。さらには、念のため、厳重に保存する。このみごとなメカニズムが起きるのは実験室で培養した微生物に対してだけではない。
マウスの脳に細菌を注入するとアミロイドβはさっそく活性化し、細菌の周りに集まって塊を作る。そのため、アミロイドβを持つマウスは細菌を注入されても生き残りやすいが、アミロイドβを持たないマウスは細菌によって死ぬ。さらに、アルツハイマー病の遺伝子研究から、この病気の発生に免疫システムが何らかの役割を果たしていることがわかっている。
■ヘルペスウイルスとアルツハイマー病の密接な関係性
つまり、アルツハイマー病に微生物が関与しているという決定的な証拠があるのだ。残された謎は、その微生物の正体だ。
台湾で行われたある研究が、最も疑わしい容疑者を突き止めた。この研究者たちは、ヘルペスウイルスの感染者が抗ヘルペス薬を服用しなければ、非感染者の2.5倍もアルツハイマー病になりやすいことを発見した。抗ヘルペス薬はヘルペスウイルスを抑制し、興味深いことに、アルツハイマー病になるリスクも正常レベルに戻す。また、アルツハイマー病で亡くなった患者の脳組織にはヘルペスウイルスの痕跡が大量に見られるが、対照群の脳には見られない。これを複数の研究グループが確認したことはヘルペスウイルス説を補強する。
加えて、ある研究では、アルツハイマー患者の脳のアミロイドβ塊の中にこのウイルスが発見された。抗ヘルペス薬の効果は実験室でも再現できる。
培養した脳細胞にヘルペスウイルスを感染させ、抗ヘルペス薬を加えないと、アミロイドβの凝集塊が現れるのだ。この相関性はアルツハイマー病のリスク遺伝子に関する謎の答えにもなる。アポリポタンパク質E(APOE)遺伝子という遺伝子の特定の変異は、アルツハイマー病になるリスクを高める。同じ変異がヘルペスウイルス感染者の口唇ヘルペスになるリスクを高めることがわかっている。この変異は、ヘルペス感染症と闘う能力を下げることで結果的にアルツハイマー病になるリスクを高めているのかもしれない。
■病原体が病気を引き起こすわけではない
アルツハイマー病のヘルペスウイルス説を批判する人々は、ヘルペスウイルスに感染してもアルツハイマー病にならない人がいることを指摘する。だが、これまでに学んだ通り、それはごく当たり前のことだ。
ピロリ菌に感染しても、消化性潰瘍にならない人がいる。エプスタイン・バーウイルスに感染しても、多発性硬化症を発症しない人がいる。どちらのケースも、病気は感染の副産物として生じるのであって、病原体が病気を引き起こしているのではない。病原体が、ある人には病気を引き起こし、他の人には起こさないのはそのためだろう。遺伝子、ウイルスの株の種類、感染の程度、偶然や運も影響する。
■歯周病予防のデンタルフロスとアルツハイマー病の関係性
しかし、次の批判は、より妥当である。それは、アルツハイマー病の発症と関係のある病原体はヘルペスウイルスだけではない、というものだ。
2番目の容疑者になる細菌は通常、口中に棲んでいるポルフィロモナス・ジンジバリス(P・ジンジバリス)だ。P・ジンジバリスもアルツハイマー病で亡くなった患者の脳組織で見つかっている。この細菌は歯周炎と呼ばれる口の中の深刻な炎症を引き起こすことがある。そして歯周炎はアルツハイマー病(と心血管疾患)のリスクの高さと関連がある。
実際、60代の高齢者、8000人を対象として歯科検診を行った研究では、歯周病になっている人は20年後に認知症になるリスクが高いことがわかった。因果関係があるかどうかはともかく、デンタルフロスは有益だ。
![デンタルフロスをする中年のカップル](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/2/1200wm/img_d2e6da7fd44aace91f73fb501bf4a2f4408822.jpg)
![ニクラス・ブレンボー『寿命ハック』(新潮新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/d/1200wm/img_4dddeb716ed4c0ed193dee8a2c3c4bc8409973.jpg)
容疑者リストのかなり下に、細菌のクラミジア・ニューモニエ(性感染症の病原菌クラミジア・トラコマティスと混同しないこと)や、カンジダ・アルビカンスのような真菌がいる。この二つも、アルツハイマー病で亡くなった患者の脳で見つかり、対照群の脳では見つかっていない。
現時点で最も有力な証拠はヘルペスウイルスを指しているが、微生物によるダブルパンチは珍しくない。犯人は単独の微生物かもしれないが、複数の微生物が絡んでいるのかもしれないし、微生物は無実だったという可能性もある。真相は不明だが、アルツハイマー病が今のところ治療できないことを考えると、微生物説を真に受けても損はないだろう。
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1995年生まれ。コペンハーゲン大学の分子生物学博士課程に在籍し、若手研究者として活躍中。著書に『TOP STUDENT』、Lars Tvede氏との共著『SUPERTRENDS』がある。
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(分子生物学者 ニクラス・ブレンボー)
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