「ビッグマックが710円になるまでお金をばらまくべき」日本経済を衰退させる"デフレマインド"という病
プレジデントオンライン / 2023年1月17日 13時15分
※本稿は、井上智洋『メタバースと経済の未来』(文春新書)の一部を再編集したものです。
■人手不足でも企業が賃金を上げないワケ
賃金が上がりにくくなるメカニズムは、一見簡単に見えて若干複雑です。
賃金には「上がりやすく下げにくい」という性質があります。なぜなら、賃金を上げたら労働者が喜ぶので上げるのは簡単です。逆に、賃金を下げるときには労働者から猛反発を受けるので下げるのは難しい。例えば、これまで1000円だった時給を来月からは950円にすると言うと、誰もが怒ります。
ところが、デフレが長く続いているなかで少し景気が上向いて来たので賃金を上げようと考えても、その先景気が悪くなっても下げられなくなるので、それならもう上げるのはやめようと企業側は思ってしまうわけです。
逆にインフレならば賃金を上げたとしても、物価の方も上昇していくので、調整がしやすいわけです。賃金を据え置きにしておいて物価が上昇すれば、実質賃金は勝手に下落してきます。しかしデフレだとその調整ができないので、そもそも賃金を上げないでおこうという気持ちが働いてしまう。
要するに、デフレが長く続いたために企業は賃金を上げたくないという「デフレマインド」に陥ってしまっているのです。例えば運送業界や建設業などに多くみられるように、需要が増え、人手が不足しているにもかかわらず賃金を上げるのをためらう企業は少なくありません。賃金を上げればもっと人が来るかもしれないのに、上げずに、人手不足が続いていると言っているわけです。
これは経済学者に言わせればおかしな話です。人手が不足しているならば賃金を上げればいいと思われるのですが、それにもかかわらず上げない理由は、まさにデフレマインドにあるのです。
■平成の30年間に根を張った「デフレマインド」
デフレマインドとは、一般にデフレ不況が長く続くことによって生じる人々の心の保守性のようなものです。何か思い切りのよさがなくなって守りに入ってしまうマインドのことです。企業経営者がこのデフレマインドに浸って、賃上げしないのはその現れの一つで、他には果敢に投資をしないで、留保金をため込んでばかりというのもあります。労働者もまた、この平成の30年間で、公務員志向、安定志向になり、保守性が身についてしまいました。
さらに政府にもデフレマインドがしみついて、思い切ってお金を使わなくなってしまっていることが見て取れます。研究開発や科学技術にもお金を投じないし、教育にもお金を投じない。未来のために何か思い切ってお金を使うということをしなくなっています。
子供達一人ひとりの知的好奇心を育てるような教育を行うには、それなりにコストがかかります。お金をかけないで目に見える成果を出そうとすれば、これまで通りの詰め込み教育になってしまうでしょう。
これでは日本が発展するわけはありません。政府が未来への投資をやめれば、労働者も消費者も思い切ってお金を使わなくなります。けちけち病などという言い方もあるように、今はみんなでけちってお金を使わず、守りに入っている状態です。
■「アニマルスピリッツ」が失われてしまった
この「デフレマインド」の反対語は「アニマルスピリッツ」でしょう。これはケインズの『一般理論』に出てくる言葉です。新しい技術やイノベーションがモノになるかどうかわからないものの、企業経営者がその不確実性に思い切って賭けてみるという精神のことです。今やこの精神がすっかり失われてしまい、経営者はデフレマインドに浸ってしまっているわけです。
最近たまたまネットの記事を眺めていたら、日本映画について述べた映画監督の井筒和幸さんの言葉が目に留まりました。「日本映画は日本経済と一緒でまったくダメ。手堅く稼ごう、とにかく採算取れたらいいとしか考えてないから。映画なんてのはもともと(当たるか当たらないかの)大バクチなのに、リスクを分散させてばかりで、バクチ的な思考が消えてしまったね」(「ENCOUNT」2022・7・21)という印象的な発言ですが、これは映画に限らず、すべてのビジネスに言えると思います。
■博打を打たないと面白いものは生まれない
メタバースに関しても同じようなことが起きています。もちろんビジネス界にも行政側にも、メタバースに思い切って身を投じたほうがいいと言う人もいるのですが、ネット上の反応などを見ていると、「こんなのただのブームで終わる」「こんなブームに自分は惑わされない」といった冷笑的な人が多い印象です。
しかし「惑わされないぞ」というのは、一見自分の考えをしっかり持っているように見えて、ただデフレマインドが身についてしまっているだけではないか、とも考えられるわけです。
メタバースに関わるビジネスが当たるかどうかも博打みたいなものかもしれませんが、お金のかかる芸術やビジネスは思い切ってお金をかけてリスクをとらないと、面白いものは生まれません。
■どうやって緩やかなインフレ好況を続けるか
デフレマインドを根本的に解決するには、緩やかなインフレ好況を10年ぐらい続けるしかないでしょう。今のインフレは原材料費などの上昇や円安などで発生する「コストプッシュ・インフレ」なので景気がよくなるわけでもなく最悪です。
需要が高まって景気が良くなることによって物価が上がっていく「デマンドプル・インフレ」を10年ぐらい続ければ、出口が見えてくるでしょう。30年ぐらいかけてしみついたデフレマインドは容易に消え去るものではなく、10年単位での治療が必要なものなのです。
それでは、インフレ好況を10年続けるにはどうしたら良いのでしょうか?
金融政策でインフレ率を上げるというのが主流の考えですが、すでに金利はゼロにまで至っています。だから、量的緩和政策をやってももはや銀行にお金がたまるだけで、銀行から企業、企業から家計にお金が流れていかない状況にあります。要するに、これまでの日本経済では、お金の流れが「民間銀行から企業」と「企業から家計」の二カ所で目詰まりを起こして滞っているのです。図表1の×をつけたところです。
そこで、私は政府が家計に直接給付するしかないと考えています。それはちょうど図表1の「お金(現金給付)」と書いてある矢印に相当しています。今でも日銀が上場投資信託(ETF)などを買って上場企業とその株式にお金をばらまいているので、そんなことをするくらいなら国民に平等にばらまけよという主張でもあります。
■日本の庶民の暮らしをより楽にする方法
ちなみに今の円安は主に日米の金利差によってもたらされたのであって、日本政府によるお金のバラマキによってもたらされたわけではありません。むしろ、より多くばらまいたのはアメリカであって、大規模な現金給付を3回も行っています。さらに、失業手当の拡充などでインフレ率が高まり過ぎたので、金利を引き上げることで抑制しようとしたのです。
だから、金利差を縮めて円高に誘導するには、日本もアメリカに負けじとバラマキを行い、景気を過熱させたうえで、金利を引き上げればいいのです。ただし、バラマキによって物価が上がれば長期的にはさらに円安が進む恐れがあります。
しかし極端な話、家計にお金をたくさん配ることにより物価が2倍になったとしても、対ドル円相場はおそらく2倍にはなりません。例えば、1ドル=140円から1ドル=280円になるかと言えば、一般的にはそこまでいきません。
仮に物価が2倍になり収入も2倍になって、対ドル円相場が1.5倍にしかならなければ、日本の庶民はパンとか電気、ガスなどをより楽に買えるようになります。
■「ビッグマック710円」までお金をばらまくべき
要するに、家計にお金をたくさん配って物価を上げることにより、対外的な円の価値「実質実効為替レート」を上昇させることができるのです。逆に言うと、「円の実力」とも言われるこの実質実効為替レートが1995年から趨勢的に下落し続け、日本の物価が東南アジアの発展途上国並みになった主な原因は円安ではなくデフレです。
実際、2022年の日本のビッグマック指数は41位で、40位のベトナムより低い。これは、日本のビッグマックがベトナムのビッグマックよりも安いことを意味しています。日本はデフレにより「安い国」になってしまったのです。
日本のビッグマックの値段が、アメリカの値段である710円近くになるまで、お金をばらまいて物価を上昇させるべきです。デフレがなければ、日本もそのくらいの物価になっていたはずです。政府は、そうして日本を「安い国」から「高い国」にすることを、経済政策の目標として掲げるべきだと思います。
しかし、今の政府ではバラマキによるインフレ好況は期待できないでしょう。日本人は今すぐにでもアニマルスピリッツを取り戻さなければならないにもかかわらず、そういう反緊縮政策が実行に移されないことが残念でなりません。
■メタバースは日本経済逆転のラストチャンス
今思い切ってメタバースに投資していかないともったいないからで、これは日本経済逆転のラストチャンスのようなものです。なぜならすでに何冊ものメタバースに関する本に書かれているように、メタバースは日本にとってすごく有利だからです。日本には何しろ、漫画やアニメなど、メタバースにふさわしいコンテンツがたくさんあります。
バーチャル渋谷のように現実そっくりの「デジタルツインズ系」も増えていく一方で、現実世界とかけ離れたアニメや漫画のワールドである「異世界系」も大いに発展の余地があって、日本の未来は後者の方にあるのではないかという気がしてなりません。
もうすでに、VRChat上に『新世紀エヴァンゲリオン』や『鬼滅の刃』のワールドがありますが、人気アニメ、人気漫画の数だけワールドがつくれると言っても過言ではないでしょう。しかも日本にはファイナルファンタジーやドラゴンクエストのように、ほとんどメタバースに近い、高解像度の巨大なゲームをつくる能力があるので、エンジニアがそろっているという優位性もあります。
AIに関しては日本の優位性は特にありませんでした。1980年代の第二次AIブームのときに活躍した当時の研究者がみなさん高齢になっており、若い研究者が育っていなかったからです。
しかし、メタバースについては、かなり強力なはずで、日本にとっては本当にラストチャンスです。これに失敗したからといって未来永劫(えいごう)日本経済は衰退したまま、とまでは言い切れませんが、少なくとも第四次産業革命の技術の中で、AIやロボットといった分野では、すでにアメリカや中国が優位に立っています。日本に残された最後の可能性がメタバースとも言えるので、そこに賭けてほしいと思っています。
■メタバース先進国になるにはどうすればいいか
日本がメタバース先進国になるのに一番重要なことは、アニマルスピリッツを取り戻すことです。技術や元になるコンテンツはすでにあるので、あとは資金を思い切って投入して実行に移すだけです。
もちろんベンチャー企業が育ちやすいようなエコシステム(ビジネス的な生態系)の整備などは必要でしょう。実際に、AIに関しては東大の近くにAI関連企業が集積する「本郷バレー」があるように、エコシステムが機能するような場所をつくって企業を誘致するということは政府の役割としてあり得るとは思います。ただ、政府が主導してそのような場をつくらなくても、おそらく思い切りさえよければ、民間企業主体でどんどん進んでいくはずです。
■いま投資しないとアメリカと中国に後れを取る
確かなのは、このタイミングで景気を良くして投資を盛んに行っていかないと先がどん詰まりだということです。メタバースにも結局あまり投資をしなかったがために、アメリカと中国が主導権を握り、日本がいつものように後れを取るということになりかねません。
しかも、メタバースそのものは独占的競争状態、要するに個々の企業やサービスが個性を競い合い、それぞれが差別化された状況になる可能性が高いはずです。
もちろん、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)やスマートグラスなどデバイスについてはすでにメタやアップルが主導権を握りつつあり、独占的になることが予想されます。
ただし、HMDについて言えば、中国のピコ・テクノロジー社が提供する「ピコ(※1)」が利用者数を増やしていたり、同じく中国のピーマックス社が「パイマックス・ポータル(※2)」というHMDにもなるゲーム機を先行発売し、人気が爆発しそうな予感があったりして、まだメタの覇権が確立したわけではありません。
(※1) ピコ(Pico) 中国発のVRヘッドセットのメーカー、ピコ・テクノロジー社による両目で4Kの解像度を実現したヘッドマウントディスプレイ。
(※2) パイマックス・ポータル(Pimax Portal) VRヘッドセットのパイマックスシリーズを手掛けるピーマックス社の携帯型ゲーミングデバイス。
■日本企業が狙っていくべきはハードウェア
スマートグラスも次世代のデバイスでまだ可能性が残されているはずなので、ぜひ日本企業に頑張ってほしいところです。すでにエプソンなどがスマートグラスを製品として出しているものの、OSがアンドロイドであるという問題があります。OSを握ることを日本企業は不得意とするのですが、実はOSこそが覇権争いの要だとも言えるからです。
アップルグラスの発売を予定しているアップルはハードウェアとOSの両方を握ろうとしているし、メタ社はメタ・クエスト2にも独自OSが入っているので、すでにOSも握っています。さらにアンドロイドのOSはグーグルのもので、マイクロソフトもマイクロソフトレンズを出しているように、GAFAMの内すでにアマゾン以外は次世代のOSの土俵でカードを切っています。
日本企業が今後スマートグラスをつくっていくとしても、おそらくすべてアンドロイド搭載のもので、OSを握ることは難しいでしょう。だから、もう資金を投じるのはやめましょうというのはそれこそデフレマインドの現れです。ハードウェアだけでも頑張って欲しいところです。
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駒澤大学経済学部准教授 経済学者
慶應義塾大学環境情報学部卒業。IT企業勤務を経て、早稲田大学大学院経済学研究科に入学。同大学院にて博士(経済学)を取得。2017年から現職。専門はマクロ経済学、貨幣経済理論、成長理論。『人工知能と経済の未来』(文春新書)、『ヘリコプターマネー』〔日経BPマーケティング(日本経済新聞出版)〕、『純粋機械化経済』(日本経済新聞出版)、『AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社新書)、『MMT』(講談社選書メチエ)、『「現金給付」の経済学』(NHK出版新書)など多数の著書がある。
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(駒澤大学経済学部准教授 経済学者 井上 智洋)
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