なぜ海自の地方トップは「防衛費増額は無条件には喜べない」と話したか…日本の防衛力を蝕む「1%文化」とは
プレジデントオンライン / 2023年1月19日 10時15分
※本稿は、香田洋二『防衛省に告ぐ 元自衛隊現場トップが明かす防衛行政の失態』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■現役海自総監は「防衛費増額は手放しで喜べない」とこぼした
「諸手を挙げて無条件に喜べるかというと、全くそういう気持ちにはなれない」
海上自衛隊呉地方総監部の伊藤弘総監が2022年7月4日の記者会見で、こう発言したと伝えられた。記者会見が行われたのは、折しも参院選の真っ最中だった。自民党は防衛費について、対国内総生産(GDP)比2%以上を念頭に防衛力の抜本強化を掲げていた。
防衛省・自衛隊も防衛費の増額を喜ぶに決まっている。だが、伊藤総監は少し毛色の異なる発言を行った。「なんだ、お前は。防衛力を強化しなくてもいいのか」と批判する人もいるかもしれないが、少し待ってほしい。
確かに伊藤総監は余計なことを言っているかもしれない。記者会見では「社会保障費にもお金が必要な傾向に全く歯止めが掛かっていない。我々がある面、特別扱いを受けられるほど日本の経済状態はよくなっているんだろうか」と疑問を呈した。
しかし、私も立派な高齢者だから言わせてもらうが、社会保障費はずっと優遇され続けてきた。1998年度の社会保障費は約15兆円だったのに対し、防衛費は約3兆円だった。これが20年後の2018年度になると、社会保障費が約30兆円に膨らんだのに対し、防衛費は5兆円だ。
■「1%文化」を変えなければ防衛力強化はおぼつかない
社会保障費が2倍になったのだから、防衛費も2倍の約6兆円でないとおかしい、と言うつもりはない。だが、この20年間、防衛費はあまりにもひどい扱いを受けてきた。特に小泉純一郎内閣の2003年度から民主党政権が終わるまで、防衛費は減少を続けてきた。この間、日本は中国にGDPで追い抜かれ、防衛費では大きく水を開けられている。そもそも社会保障費と防衛費は別の次元で考えるべきだ。対GDP比2%に関する議論に社会保障費を持ち込むのはいかがなものか、とは思う。
とはいえ、後輩だから弁護するわけではないが、私には伊藤総監の気持ちもわからないではない。伊藤総監は記者会見で「大事なのは何が必要か、持たなければならないのか、積み上げること、地に足を着けたメンテナンスにも注目してほしい」とも発言したという。おそらく、彼は「金を投下するのであれば、目に見える戦闘機や軍艦だけじゃなく、後方支援もしっかり手当をしなければならない」と言いたかったのではないだろうか。自衛隊の現役リーダーとして当然の見識である。
これは私が現役時代に言わなければならないことだった。もちろん、内部では言っているのだが、なかなか聞いてもらえなかった。それはなぜか。防衛費が対GDP比1%に抑え込まれていただけではなく、これに伴う組織文化が大きく関係している。言ってみれば、悪いのは「防衛費1%枠」ではなく、「防衛費1%枠文化」と言ったほうが正確かもしれない。私の自衛官人生は、この文化との戦いだったと言っても過言ではない。
つまり、防衛費1%を打破して防衛費を対GDP比2%にしたとしても、「1%文化」を変えなければ防衛力強化はおぼつかない。カネさえ増やせば済むという問題ではないのだ。
■自衛隊発足以来、防衛費は右肩上がりに増えていた
防衛費1%枠の歴史は、1976年11月5日までさかのぼる。時の三木武夫内閣はこの日の閣議で、防衛費は対国民総生産(GNP)比1%の枠内とする方針を決定した。当時はGDPではなく、GNPが一般的に使用されていたので、「GNP1%枠」となっていた。
それはともかく、なぜ、このような枠が必要だったのか。実は、1954年7月に自衛隊が発足して以降、防衛費は右肩上がりを続けてきた。そこで、三木内閣の前の田中角栄内閣が防衛費の歯止めとなる基準について検討を始め、後継の三木内閣で決定したのが防衛費1%だった。1986年には中曽根康弘内閣がGNP1%枠を撤廃し、実際に1%を超える(と言ってもほんの少しだけ超える)防衛費を計上してはいる。
しかし、その後も防衛費はおおむね1%以下で推移し、慣行としてGNP1%枠は生き残っている。
ここに、自衛隊の不幸な歴史の原因がある。
■「正面装備」のほかに「後方」「教育・訓練」があっての防衛力
私は野放図に防衛費を増やし続けるべきだったと言いたいのではない。そうではなくて、1%枠を達成するため、いびつな防衛予算のあり方が定着してしまったことが問題なのだ。
防衛力とは何か。そう問われると、戦車とか、潜水艦とか、戦闘機を想像する人が多いだろう。いやいや、今後の防衛力はミサイルが大事だと言う人もいるかもしれない。これらはみな「正面装備」と呼ばれる。
だが、正面装備だけで自衛隊や軍隊は戦えない。教育・訓練にもお金はかかる。さらに兵站にはもっとお金がかかる。兵站は英語でロジスティックスのことだが、要は弾薬や油、食糧や医療のことだ。戦場の最前線で戦うために必要なのが正面装備であるとすれば、後方から弾薬や油を運び込むのが兵站だ。戦闘部隊の後方支援という意味で「後方」とも呼ばれる。
何が言いたいのかというと、防衛力は「正面装備」「後方」「教育・訓練」という三本脚がそろってはじめて安定する椅子のようなものなのだ。どれか一つが欠けても椅子はグラグラしてしまう。しかし、自衛隊という椅子は、防衛費1%が形成した組織文化の影響で三脚の長さがそろわずにグラグラしたまま冷戦終結を迎え、現在に至っている。
この問題は、私も強く意識してきた。だから、海上自衛隊の予算を要望する際は、バランスよく配分しようと心がける。たとえば、「正面装備に40%、ロジに30%、教育・訓練に30%」という具合だ。しかし、これが通らない。その元凶がGDP1%枠だ。
![軍事コストの概念](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/0/5/1200wm/img_059515da869abac992b60450bda1e4f9293291.jpg)
■正面装備も人件費も減らせないから、弾薬を削る
陸海空自衛隊はそれぞれの予算要望をまとめる。しかし、これを防衛省が財務省に要求する予算として盛り込むかどうかを判断する査定は、背広組の内部部局の仕事だ。背広組はどうしても対GDP比1%に収めなければならないため、査定は厳しいものになる。
【背広組】この護衛艦は来年に回してもいいのではないか
【制服組】それでは困る。計画を達成できなくなってしまう
【背広組】では人件費を減らそう
【制服組】そういうわけにもいかない。定員も決まっているし、人がいなければ艦船は動かせない
【背広組】では何を削るのか。1%枠は守らなければならない。海上自衛隊にだけわがままを許すわけにはいかない
【制服組】……。では仕方がないので弾薬を削ります
非常におおざっぱに再現してみたが、こんな具合で査定は進む。我々は、対GDP比1%枠に合わせて予算をやりくりすることを「枠入れ」と呼んでいた。ここでのポイントは、枠入れの最終的な判断は、制服組に任されているところだ。弾薬がなければ自衛隊は戦えない。そんなことは制服組も背広組もわかっている。
■予算枠を守ることが至上命令になり、本末転倒が生まれる
だが、背広組は責任を取りたくない。最終的には「制服組がこれで大丈夫と言っています」と上司、更には政府に報告できるようにもっていきたい。だから、あくまで陸海空自衛隊の制服組による「自主的な判断」という形で落としどころを探るのだ。時代劇でいえば、悪代官がニヤリとしながら「越後屋、おぬしも悪よのう」と言うようなやり口だ。
昔は内局の官僚も、大蔵省の官僚も、戦争を経験した人がそれなりにいた。だから、軍隊の常識をある程度は踏まえた査定を行っていた。ところが、GNP比1%枠ができあがり、これを守ることが至上命令になると、軍隊の事情に理解を示すことも難しくなったのだ。
それならば、制服組が声を大にして弾薬の予算を求めればいいではないか、と思われるかもしれない。だが、それができない。そのからくりは、「防衛計画の大綱」という文書の中に隠されている。
■1%枠と同じ年に生み出された、自衛隊の戦い方を定める大綱
防衛計画の大綱とは、装備品の取得や自衛隊の運用体制構築を中長期的見通しに立って行うため、防衛の基本方針、防衛力の役割、自衛隊の具体的な体制の目標水準を示すものだ。こんな説明では余計にわからなくなるかもしれないが、要は、自衛隊がどのように戦うか、どのような装備が必要かを決める文書だ。時代により異なるが最近では2010年、2013年、2018年に改定されており、頻繁に変わる文書になっている。
ちなみに、防衛計画の大綱が最初に策定されたのは、1976年のことだ。気づいた人もいるだろう。防衛費の対GNP比1%枠が閣議決定された同じ年に防衛計画の大綱も決定されたということになる。
自衛隊が発足した当初は「ゼロからのスタート」だったため、とにかく急いで必要な装備をそろえなければならなかった。しかも当時の日本は貧乏だったので、防衛費は対GNP比で1%をはるかに超えていた。米軍のお古の装備提供を含めた上での話である。
しかし、日本がだんだんと豊かになり、アメリカとソ連の冷戦対立も一時的に穏やかになった。そもそも、日本は二大超大国の一角を占めるソ連と同じような軍事力を持つことはできない。であるならば、防衛費に一定の歯止めが必要だという話になった。
防衛費を対GNP比1%に抑えるのはいいとして、制服組からは「それでは戦えない」という批判も反論も上がった。背広組の官僚が「いやいや、そんなことはない。これで大丈夫だ」という根拠を示そうとして作られたのが、1976年の防衛計画の大綱で示された「基盤的防衛力」という考え方だった。
■「独立国として必要最小限の基盤的な防衛力を保有する」
政府は基盤的防衛力について、こう説明している。
「我が国に対する軍事的脅威に直接対抗するよりも、自らが力の空白となって我が国周辺地域の不安定要因とならないよう、独立国としての必要最小限の基盤的な防衛力を保有するという考え方である」
つまり、日本があまりに弱すぎれば、外国が「これは侵略できるぞ」と思うかもしれない。だから、必要最小限の防衛力だけ持っておこう、というのが基盤的防衛力だ。
具体的には「限定的かつ小規模な侵略」が起きても、自衛隊だけで敵を排除する能力だけは持っておき、米軍が助けに来てくれるのを待とうということになった。もっと大規模な侵攻が発生しそうになれば、自衛隊も急いで防衛力を拡張(エキスパンド)して敵を迎え撃つ。この考え方も防衛計画の大綱に盛り込まれ、「エキスパンド条項」と呼ばれた。
■自衛官の定員数と正面装備の内容だけを定めた別表の存在
防衛計画の大綱は、自衛隊にとって呪縛のような存在になる。その理由は、最後に掲げられた「別表」だ。この別表には、基盤的防衛力として必要な装備とその数が書いてある。たとえば、一番最初の1976年の防衛計画の大綱の場合は、自衛官の定数は18万人で、護衛艦(当時の用語では対潜水上艦艇)約60隻、潜水艦16隻、と書いてある。陸上自衛隊なら12個師団・2個混成団を擁し、航空自衛隊は作戦用航空機約430機を持つことになった。
この別表があるおかげで、防衛省は計画的に装備を取得できる。なにしろ、閣議決定された文書なのだ。財務省にも「別表に書いてあるから、ちゃんと予算をつけてもらわなければ困る」と言いやすくなる。逆に言うと、この目標数値さえ達成できないのであれば、自衛隊は最低限の防衛力、つまり大綱で定めた「基盤的防衛力」さえ持ち合わせていないことになる。
この別表に書いてあるのは、正面装備と定員だ。弾薬や燃料については書いていない。軍事的常識を踏まえれば、正面装備だけそろえて弾薬や燃料はすぐに枯渇してしまう軍隊では軍隊の体をなしていない。だが、東京で防衛力整備や予算を担当する自衛官の心理としては、別表の目標を達成できない事態だけは何としても避けたい。この結果、正面装備至上主義が生まれてしまう。
■別表の数字さえ達成すれば仕事をしたことになってしまう
![香田洋二『防衛省に告ぐ 元自衛隊現場トップが明かす防衛行政の失態』(中公新書ラクレ)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/9/1200wm/img_b92b656a19396df01d45ecadf1ce335a266343.jpg)
本来であれば、自衛隊は来るべき戦争に備え、必要な防衛力を保持しなければならない。ありとあらゆる事態を考え、綿密に準備する。これは相当な労力を要する。ところが、別表があると頭を使わなくなる。別表の数量さえ達成していれば仕事をしたということになるからだ。
私自身も当事者だったので、その心理はよくわかる。だから、海上幕僚監部の防衛部長として予算要求とりまとめの責任者となった際には、この文化を変えようと思った。
「予算が足りないのであれば、別表に書いてある数以下に削っても別にいいんだよ」
私がこう言うと、部下の若い者たちはギョッとした表情を浮かべる。みんな必死で別表の目標数値を守ろうとする。そして、背広組の圧力を受けると「それでは弾薬を削ります」と言って帰ってくる。「たまに撃つ弾がないのが玉にきず」。自衛隊のお寒い実態は、このようにして変わることはなかった。
■本当に必要なのは組織文化の変革だ
海上自衛隊呉地方総監部の伊藤弘総監が防衛費の対GDP比2%以上の増額について「諸手を挙げて無条件に喜べるかというと、全くそういう気持ちにはなれない」と述べたことについて、その気持ちは私もわかる、と述べた。
繰り返しになるが、防衛予算には対GDP比1%枠があり、陸海空自衛隊は対GDP比1%をはみ出さないように予算要求項目を調整する「枠入れ」を行う。一方、防衛計画の大綱の別表には基盤的防衛力を維持するために必要な正面装備の数が書いてある。これを達成するためには、どうしても弾薬が削られてしまう。このような組織文化が見直されなければ、対GDP比2%にしても自衛隊は戦えない軍隊のままである。
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元・海上自衛隊自衛艦隊司令官
1949年、徳島県生まれ。72年防衛大学校卒業、海上自衛隊入隊。92年米海軍大学指揮課程修了。統合幕僚会議事務局長、佐世保地方総監、自衛艦隊司令官などを歴任し、2008年退官。09年~11年ハーバード大学アジアセンター上席研究員。著書に『賛成・反対を言う前の集団的自衛権入門』『北朝鮮がアメリカと戦争する日』(ともに幻冬舎新書)がある。
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(元・海上自衛隊自衛艦隊司令官 香田 洋二)
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