なぜ女性たちは下唇にお皿をはめるのか…エチオピアのムルシ族が「身体変工」を続けている理由
プレジデントオンライン / 2023年1月28日 15時15分
※本稿は、田淵俊彦『弱者の勝利学』(方丈社)の一部を再編集したものです。
■奴隷としての商品価値を下げるためのリッププレート
エチオピア南部のオモ川流域には数多くの少数民族が散在していますが、そのうちの一つ、牛牧畜民であるムルシの人々の間には、伝統的な風習が今も色濃く残っています。
目につくのは、女性たちの「身体変工」です。ムルシの女性は通過儀礼の一種として、下唇に穴を開け、そこに素焼きや木製のリッププレートを入れています。
このリッププレートは現地の言葉で「デヴィニャ」と呼ばれています。彼女たちは15歳くらいの思春期からリッププレートを装着し始め、成長するにつれてだんだん大きなものに変えていくのです。
ムルシの人々の価値観では、大きなリッププレートをつける女性ほど美しいとされ、結婚の際に結納品としてより多くの牛を受け取れるのです。
この「デヴィニャ」の歴史は、実はそんなに古いものではありません。古代から続く風習というよりも、ムルシの人々が歩んだ悲しい歴史がこの「身体変工」を生んだのです。
16世紀あたりから、ヨーロッパ人の手による奴隷貿易が盛んになりました。そのためムルシの人々は、あえてリッププレートを入れて自分を醜く見せることで、奴隷としての商品価値を下げ、さらわれないようにしました。これが「デヴィニャ」の起源だと言われています。
「大きなデヴィニャをつけた女性ほど美しい」という価値観は、大きな身体変工をしないと奴隷として連れ去られてしまうほど美しい、という意味だったのです。
■命がけで戦う婚活儀式「ドンガ」
エチオピアのムルシの人々にはもう一つ興味深い風習があります。
それが「究極の婚活儀式」である「ドンガ」です。
「ドンガ」は毎年雨期の終わりにおこなわれます。
この儀式では、ムルシの男性同士が長さ1.2メートルほどの細長い棒、通称「ドンガスティック」を使って、命がけで闘います。
![男性同士が命がけで闘う(※写真はイメージです)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/5/1200wm/img_253bf98d9c557a28476a2696371fa5ee1236965.jpg)
ドンガでは同じ村の男性同士は戦いません。
また開催される場所や時間は、村の長老たちの会議で決められます。
戦いは、どちらかがギブアップするか、大きな怪我を負うまで続きます。
一応審判はいるのですが、ギブアップするとその後2年間儀式に参加できなくなるので、男たちは命がけで戦います。
本当に死者が出ることもあります。亡くなった場合、相手の家族に牛などを送るという賠償制度すら用意されています。
戦いに勝った男性は、村人に担がれて女性が集まる場所へと向かい、そこで待つ目当ての女性の前に、「ドンガスティック」を置きます。
もし、女性が男性を気に入れば、自分のブレスレットをドンガスティックの上に重ねて置き、これでめでたくカップル誕生となるわけです。
しかし、勝利できない男性は、いつまでたっても、女性にプロポーズする権利を得ることができません。
ムルシの男性にとって、「ドンガ」は己の勇敢さをアピールする場であり、また人生の伴侶を見つける場でもあるのです。
この「ドンガ」は、私が現地を撮影した2008年の時点では実施されていましたが、あまりにも危険な儀式ということで、2011年以降、国によって禁止されてしまいました。
しかし、ムルシの人々の要望によって、2015年より再開されることになります。
そのくらい、彼らにとっては必要不可欠な儀式だったのです。
■より強い遺伝子を持つ男を伴侶にしたい
ドンガという過酷な儀式が生まれたのは、エチオピアのムルシの人々のライフスタイルが影響しています。彼らは牧畜の民であり、一日の大半を野外で過ごすので、異性と巡り会う機会がありません。そのため、ドンガのような公開イベントが必要になったのです。
女性は、少しでも大きいデヴィニャをつけようとし、男性はドンガで命をかけて戦う。
こうしたムルシの風習について、彼ら自身はどう考えているのでしょうか。
村に住む78人の女性の約半数にあたる36人に、「なぜ、ドンガの儀式をやるのですか?」と尋ねてみました。
すると27人は、以下のように答えました。
「強い男に求愛されたい。そのために美人になりたい」
![「強い男に求愛されたい。そのために美人になりたい」(※写真はイメージです)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/6/1200wm/img_266294772e10ee69abb520cf9f75603c2622271.jpg)
一方、ドンガに参加するオルデセニという青年の母親に、「息子さんが命がけの闘いに参加して心配ではないのですか?」と尋ねたところ、以下のように答えてくれました。
「心配だけど頑張ってほしい。でないと、息子は一生結婚できず、家系も途絶えてしまう」
自分の子孫を残すために、より強い遺伝子を持つ男を伴侶にしたい。そのために、女性は自分の身体を傷つけてでも美しさを追求する。
男性は、美しい女性を妻にするために命をかけて戦い、勝ち残った者だけが求愛の資格を得る。
図式としては動物行動学の原理そのもので、究極的にシンプルです。
■「強い」ことが、「男性として高評価」
同じエチオピアに住む民族で、農耕民のハマルにも、「牛跳びの儀式」という通過儀礼があります。
この儀式は、10頭の牛の背中の上を、全裸で2往復するというものです。これに成功しなければ、ハマルの男性は大人とは認められず、結婚もできません。
![田淵俊彦『弱者の勝利学』(方丈社)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/3/1200wm/img_1316cc210b7d7997ac82658ab4a333e3265495.jpg)
アフリカの牛は痩せているので、背中は骨ばってゴツゴツしています。日本の牛のように充分に飼料を与えられ、栄養が行き届いて太ってはいません。
そんな牛の背中を、裸で走って渡るのには、かなりの危険がともないます。
牛の背中を踏み誤って転んで大怪我をしたり、牛の角に刺されて死ぬ者も、少なからずいるそうです。
そうした危険があることを承知で挑戦する勇気と、跳躍力をはじめとする身体能力をテストし、男性としての成熟度や強さをためす儀式なのです。
大自然で暮らす少数民族の成人や結婚にまつわる儀式の中には、「体力テスト」に近いものが多数見られます。
「強い」ことが、「男性として高評価」となるのは、日本人の感覚からはれっきとしたジェンダーバイアスとされてしまいそうですが、ある意味、生物学的には当然のことでもあります。
過酷な自然の中で、自分の遺伝子をどうやって残していくかが、生きものにとっての最大のテーマです。
その際に重視されるのが力なのか、あるいは技能や知恵、外見なのかは、それぞれの風土や自然環境によって違ってきます。そこにこそ、それぞれの民族の個性があらわれているのではないでしょうか。
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テレビ東京制作局企画委員
1964年兵庫県生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、(株)テレビ東京に入社。主として世界各地の秘境を訪ねるドキュメンタリーを手掛けてきた第一人者。訪れた国は100カ国以上。一方、社会派ドキュメンタリーの制作も意欲的に行い、「連合赤軍」「高齢初犯」「ストーカー加害者」などの難題にも挑む。現在は、(株)テレビ東京制作局企画委員、プロデューサー。多くの大学の非常勤講師として、「コンテンツプロデュース」「メディア論」「メディア・リテラシー」などの講義も継続している。日本文藝家協会正会員、日本映像学会正会員、芸術科学会正会員、日本映画テレビプロデューサー協会会員。著書に『弱者の勝利学』(方丈社)、『発達障害と少年犯罪』(新潮新書)、『ストーカー加害者 私から、逃げてください』(河出書房新社)、『秘境に学ぶ幸せのかたち』(講談社)等。発売されている映像作品に『世界秘境全集 第一集、第二集』『黄金の都・バーミヤン~三蔵法師が見た巨大仏』『風の少年~尾崎豊永遠の伝説』他。
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(テレビ東京制作局企画委員 田淵 俊彦)
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