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普通の人は、無意識にウソをついている…発達障害の49歳男性を苦しめる「わかります」という言葉のウソ

プレジデントオンライン / 2023年1月20日 11時15分

育ての父との写真 - 写真提供=株式会社ユードー

あなたは、自分や家族が「発達障害ではないか」と疑ったことがあるだろうか。ゲームクリエイターの南雲玲生さん(49歳)は、自身も当事者で、現在は発達障害児向けの放課後等デイサービス「ドーユーラボ」を沖縄県内3カ所で運営している。彼は講演でこのように述べている。
「取材の際、多くのメディアは――落ち着きがない、不注意、過集中――という発達障害の代表的な症状について聞きたがります。私もそれに応えようと、演技しなければいけないくらいのプレッシャーがあり、とても苦しかった。ドーユーラボに通う多くの児童は目立たなかったり、良い子すぎたり、表面的にはいわゆる“発達障害の像”には当てはまりません。知能も、標準かそれ以上です。でも内面では複雑な問題を抱えています」
2022年12月、文部科学省は「通常学級に在籍する公立小中学生の8.8%に発達障害の可能性がある」という調査結果を発表したが、南雲さんは大人の発達障害も同じくらいの割合ではないかと考えている。その中には「普通に見える人」も含まれているという。今回は南雲さんの訴える「発達障害当事者の最大の苦悩」を紹介する――。(第2回/全3回)

■小2までのいじめは「知らないフリをしろ」と制された

南雲さんが一番苦しかったのは、幼少期という。今でいう「吃音(きつおん)」、当時は「どもり」と呼ばれていたが、幼い頃から言葉が出ないことに悩んでいた。

「例えば『さくらんぼ』と言いたくても、『ささささささ』と、『さ』しかでない。柿なら『カカカカカ』とか。今の時代なら周囲はそっとしておいたでしょうが、当時は『気が緩んでいるからどもる』とか、両親も『落ち着いてしゃべりなさい』、さらには『悪魔がいる』なんて言われたりもしました」

南雲さんは複雑な家庭で育った。父親は生まれたばかりの彼を置いて去っていき、残された母親と玲生さんの生活は血のつながりがない、別の男性が支えた。

「育ての父が僕を大事に育ててくれたことは間違いありませんが、しつけは厳しかった」と南雲さんが振り返る。

「嫌なことを言葉や表情に出すことは許されませんでした。食べものを『食べたくない』といえば、殴られる。そして『おいしいです』と10回言え、と迫られる。小学生の時はテストで95点では怒られるので、毎回100点を取りました。そうなると今度は、学校のテストができない人の気持ちはわからない。なんで自分ができるのに、できないんだろう、と」

周囲を見下しているのが伝わったのだろう。南雲さんは小学2年生まで「いじめ」を受けていた。親からも、「わかっていても、知らないフリをしろ」と徹底的に制された。

■「普通の人は、無意識にウソをついている」

やがて、南雲さんはわざとテストで間違えて点数の低さを自慢するようになっていった。また親に怒られないように「良い子になりたい」と、自身を演じた。

発達障害というと「空気が読めない人」、いわゆるKYというイメージがある。しかし、中には南雲さんのように空気を読みすぎる人もいる。空気を読んで読んで、考えに考えて、その環境に合わせていくのだ。

取材中、南雲さんは「普通の人は、無意識にウソをついている」と何度か指摘した。

「定型発達(発達障害でない人)は、社会において私の存在を無にすることができて、帰属する社会や組織が何か間違っていても、その中にいる私は間違っていないと捉えられる。考えなくても合わせられて、ウソをウソと思わずつくことができます。ところが発達障害の人は考えることによって社会に合わせているので、我慢をしていることも薄々感じるし、ずれが大きいとうつや適応障害、人格障害として心の病気になると思います」

ドーユーラボについてのアイデアスケッチ
写真提供=株式会社ユードー
ドーユーラボについてのアイデアスケッチ - 写真提供=株式会社ユードー

■精神科医には「甘えている」と怒られた

南雲さんはじめ発達障害の人を取材しながら、自身を振り返ってみると、たしかにそうかもしれないと思うことが多々あった。例えば私は取材する時、取材対象者の言動に個人として共感できなくても、「そうですよね」「わかります」という言葉をよく使う。「話を引き出したい」という思いしか意識にないので、深く考えたことはなかったが、これは自動的に適応しているウソだ。日常的に発する、何かを「かわいい」「おいしい」「好き」という感想も、「元気」「大丈夫」「わかった」という返事も、相手に共感を示すためにつくウソが混じっているかもしれない。

多くの人は「考えずに周囲に合わせられる」のに対し、南雲さんは「周囲の状況を分析して合わせて」いた。ウソがつけないからだ。発達障害でKYとされる人も、つまりはウソがつけずに発信をしているのだから、根は同じといえる。

南雲さんは中学生になると、はっきりと周りとの違いを悟った。見た目は普通で、学校に登校できていても、ストレスから十二指腸潰瘍を患い、言葉もうまく出なかったという。その頃、こっそり精神科を受診したが、「甘えている」と医師から怒られた。

「最後の砦だった医師からそう対応されて、社会を信じられなくなりました。人は追い詰められると、この場所は現実じゃないと、乖離(かいり)的になってくるんです。当時の僕がそうで、周りの景色がビデオのように感じました。現実感がない。現実に自分が存在しているかがわからない。左手を机の上に置き、右手でナイフを持って指と指の間を順に突いていく行為をしました。自傷行為ではありません。自分が現実を、この世界を信頼しているかという覚悟を確かめるためです。指の間をパチッと切って“痛い”と感じるなら、まだ現実とつながっているんだ、と。苦しい時期でしたね」

■「ビートマニア」を企画し、20代半ばで年収2000万円超に

高校に入ると進学校だったこともあり、人からの関与や同調圧力が弱まって徐々に「好きなことしかやらなくていい」と吹っ切れたという。

「入学時に10位以内の成績は、卒業時には最下位に近いほうでしたが、楽しかったですね。小学生の頃からオーディオやパソコンが好きで親しんでいましたが、高校3年生の頃、米アップルのCMの音楽を作り、ギャラを10万円もらいました。この後、育ての父が破産し、一家は離散して両親とは連絡がとれなくなりましたが、悲壮感はなく、一人で自分らしく生きていこうとエンジョイしていました。しばらくは父の知人の港湾バイトと、グラフィックデザインなどの仕事をして、だんだん貯金できるようになり、やがて大手ゲームメーカーに就職しました」

南雲さんは音楽ゲーム「beatmania(ビートマニア)」を企画制作し、流行を生み出す。20代半ばで2000万円を超える年収を手にした。会社員生活は順風満帆だったが、勤務先でリストラをされる40代社員の様子を見て不安になり、転職を決意。今度はゲーム機本体を作っている世界企業に入社した。しかし、ここで「みんなカタカナ語ばかりで何を言っているのかわからなかった」と言う。

「周りは優秀な大学卒の人ばかりなのに、僕は高卒だから、言葉がわからないんだと、大学に行くことにしたんです」

■自分で考えたもので、お金が入る仕組みを作ればいい

その行動力には驚かされる。南雲さんは大手企業を辞め、大学生になり、同時に起業(株式会社ユードー)もした。学費はそれまで生み出した作品の印税収入でまかなえた。しかし起業後、再び壁にぶち当たる。

「会社員だった頃は自分が“いい”と思うものを作ってヒットする循環でした。殿様状態だったわけです。それが起業したら、どこかの会社の言うことを聞かなきゃいけない。資金を調達して事業をしようとしてもうまくいかなくなりました」

借金は1億5000万円にまで膨らんだ。毎月100万円の返済がある。けれども返せない。電車を見ると、“飛び込めばラクなのに”という思いが湧いてきた。

「脳内ではキンコンカンコンが連鎖する(繰り返す)んです。死ね死ね死ねという思考もループします。当時発達障害という言葉はありませんでしたが、その追い込まれた時に、何となく自分の特性がわかってきたんですね。それで“仕事をいただかなきゃいい”と思ったんです。大きな会社からお金をいただき、その会社のために仕事を提出するのではなく、自分で考えたものでお金が入る仕組みを作ればいいって。携帯のアプリが出始めた頃だったので、あれを作ろうと。そうすれば1カ月後にお金が入るから」

ゼロから生み出すことができるのが、発達障害の人の特性なのかもしれない。南雲さんはアプリを作り続け、業績は回復し、1億5000万円の借金を無事返済した。

児童にわたされた賞状には「ベストマイクロビット賞」と書いてある。
写真提供=株式会社ユードー
児童にわたされた賞状には「ベストマイクロビット賞」と書いてある。 - 写真提供=株式会社ユードー

■嫌なことや苦しい時ほど、周囲から支配されていた

その後、沖縄で出会った後藤健治医師(沖縄リハビリテーションセンター病院)により南雲さんは重度の発達障害であることが判明する。大まかにいえば「どん底だと本来の発達障害による力が全開になり、会社が安定すると組織や集団に合わせすぎて適応障害になる」という説明を受けた。

南雲さんがこう補足する。

「世の中はまんべんなく、全体を学び、努力をしなさいと伝えます。私の子どもの頃からを振り返れば、嫌なことや苦しい時ほど周囲から支配され、うつや適応障害になっていることがわかります」

取材で驚いたことがある。南雲さんが幼少期に悩んだ「どもり(吃音)」は、成長の段階で目立たなくなるが、それは治ったのではなく、重症化しているのだという。

「なぜ目立たなくなるかというと、頭の中で言葉を置き換えているんです。この文章ではここがつまるというのが、話をしながらすぐわかる。だから文章でもそうですけど、周りくどく言ったり、同じような話をぐるぐるしてしまう人は、本当は伝えたいことがあって、その単語が出ないと先読みし、回避をしながら言葉を置き換えているんです」

オンライン環境で児童に授業をする南雲玲生さん
写真提供=株式会社ユードー
オンライン環境で児童に授業をする南雲玲生さん - 写真提供=株式会社ユードー

■「コンサータ」の服薬で、驚くほどの効果があった

「思考がループする」と前述したが、南雲さんは今でも、脳内で映像や言葉、出来事がループするという。それを止めるには、「コンサータ」という薬を服用するしかない。コンサータは、発達障害の一つADHD(注意欠陥・多動性障害)の治療薬で、脳内の神経伝達物質の機能を改善する。劇的な効果を発揮することもあるが、さまざまな副作用が起きるリスクも高く、処方には注意が必要とされている。

「これを初めて服薬した時、ノイズが消えて、普通の人はこんなに頭の中が静かなんだと驚きました。社長として銀行など事務処理をする時は服薬するとめちゃくちゃはかどります。一方でこれを飲むとイメージが湧かず、音楽を作りたいという気持ちが失せる。ノイズがあるからクリエイターの仕事ができることにも気づきました。だから今はシーンに応じて使い分けて服薬します」

ほかにも一日に2回、「虚脱」の症状が起きる。コロナの後遺症の一つとして「ブレインフォグ(脳の霧)」が知られたが、それと似たような感じで集中力の低下やひどい倦怠(けんたい)感が、発作のように襲ってくるのだという。だからこの度の取材にも、南雲さんは起床時間を調整し、コンサータを服用した上で応じてくれた。

■空気を読まず、自分本位で踏ん張るほうが結果を出せる

自分の「特性」を知れば、その一部の欠点ともいえる「症状」には対応が可能だ。たしかに南雲さんがもつ才能、生み出す作品に光をあてれば、虚脱中の南雲さんも、どもっている南雲さんも、周囲の人たちは「こういう人だから」と受け入れやすい。

新しいタイプの学童クラブ「ドーユーラボ ひやごん」のスタッフのみなさん。
撮影=笹井恵里子
新しいタイプの学童クラブ「ドーユーラボ ひやごん」のスタッフのみなさん。 - 撮影=笹井恵里子

「発達障害当事者の人は、不器用に社会に合わせ、個性を殺すより、発達障害の良い部部分を社会に見せたほうがいい。場の空気を読まず、自分の直感を信じること。そして自分本位で踏ん張るほうが結果を出せるんです。発達障害全開のほうが社会とのトラブルが少なく、信頼につながることが多いのです」

本当はずっと嫌なことは嫌と言いたかった。子どもらしい振る舞いを許されたかった。誰かに命令されたくなかった。自分の好きなことだけしていたかった。その思いが、南雲さんの創設した「ドーユーラボ」に込められている。(第3回に続く)

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笹井 恵里子(ささい・えりこ)
ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)など。新著に、『実録・家で死ぬ 在宅医療の理想と現実』(中公新書ラクレ)がある。ニッポン放送「ドクターズボイス 根拠ある健康医療情報に迫る」でパーソナリティを務める。 過去放送分は、番組HPより聴取可能。

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(ジャーナリスト 笹井 恵里子)

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