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殺風景な工場地帯が、タワマン林立の高級住宅街に…武蔵小杉が「憧れの住みたい街」に変貌したワケ

プレジデントオンライン / 2023年1月25日 13時15分

2017年11月2日、高層マンションが立つ武蔵小杉(神奈川県川崎市) - 写真=時事通信フォト/朝日航洋

「住みたい街ランキング」にランクインする武蔵小杉はどんな街なのか。東急常務執行役員の東浦亮典さんは「もともとは工業地域だったが、短期間でタワマンが林立する街へと変貌を遂げた。『建てておしまい』ではなく公共空間づくりにも力が入っており、今後も人気スポットとして評価が上がるだろう」という――。

※本稿は、東浦亮典『東急百年 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。

■7年間で武蔵小杉駅の利用者は10万人増

以前から注目の街だった「武蔵小杉駅」については前著『私鉄3.0』でも触れましたが、引き続きタワーマンションが建設され、生産年齢人口や子供が増えて、駅前商業施設も活況を呈しているところなどに、大きな傾向の変化はありません。

JR東日本と東急電鉄の武蔵小杉駅の乗降人員推移をみてみると、2011年からコロナ前の2018年までの7年間で、約39万人から約49万人と約10万人も増えました。朝の通勤時間帯には、駅の入場規制を行うなど、大混雑が報道などでも話題になるほどでしたが、コロナの影響で、2021年には約22万人と半分以下に減りました。コロナが落ち着く中で、また少しずつ混雑が戻ってくるでしょう。

この10年間だけでも武蔵小杉駅周辺でタワーマンションが7本も竣工(しゅんこう)、販売されたわけですから、いかに勢いのある街であるかが分かります。

地元住民からは「もうこれ以上タワーマンションはいらない」という意見も聞かれますが、現在も新しいタワーマンション建設は続いています。

■かつては京浜工業地帯の一角を担う工場地域

2019年10月、日本各地に被害をもたらした台風19号の影響で、武蔵小杉駅前のタワーマンションでは地下の電気系統が浸水し、停電や断水などの被害にあいました。現在では人気の街になりましたが、かつて京浜工業地帯の一角を担う一大工場地域でした。

武蔵小杉が現在のように一気に発展したのは、こうした工場群が事業所統合や海外移転などによりなくなったことで、駅周辺に大規模な空地ができたからです。川崎市は武蔵小杉を市内の第三都心と位置付けて、再開発を進めてきました。都心は云うまでもなく経済と工業の中心である川崎駅周辺、副都心は住宅地として栄える溝口/新百合ヶ丘です。

これらの工場跡地をフックに大きなまちづくり構想を練り上げ、規制緩和してタワーマンションを開発誘導した効果が表れました。

■地区内初のタワマンは1995年に登場

田園都市線の沿線地域における東急のように、「武蔵小杉を開発したのはこの会社」という企業はありません。いくつもの大手デベロッパーが参入して、それぞれにタワーマンションなどの開発を進めました。

最初に1995年に地区内初のタワーマンション「武蔵小杉タワープレイス」が建設されて以降、雨後の竹の子の如くタワーマンションが林立する街へと変貌を遂げました。

建設現場
写真=iStock.com/7maru
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/7maru

武蔵小杉がある川崎市中原区は、人口増加が顕著です。タワーマンションが本格的に立ち始める直前の2006年には約21万人だった人口は、直近2022年には約27万人と、この16年で一気に約6万人も増えました。全国で人口減少が問題視されているさなか、短期間でこれだけの人口増を達成している街は他に類を見ません。

■東急も予想できなかった成長速度とその課題

実は東急はこの武蔵小杉の成長可能性を見誤り、タワマン開発競争に出遅れてしまい、いまのところ2013年に駅上のマンションと商業施設を開発したのみに留まっています。これは東急の開発嗅覚の鈍さを露呈してしまったともいえますが、昔の武蔵小杉の姿を知っていただけに、これほど短期間でいまの姿に変わるとは予想しきれなかったとも言えます。

一方で台風による水害をはじめ、問題点も浮き彫りになりました。私は前著で武蔵小杉の問題点をこう指摘しました。

・ある程度計画的に造られたとはいえ、各デベロッパーがそれぞれ計画した開発なので、街全体の連携などが弱い
・鉄道駅が朝の時間帯大混雑。交通動線は急激に増えた人口を捌ききれていない
・地域住民間のつながりが弱く、コミュニティが希薄

武蔵小杉の事例を見るにつけ、改めて開発にはスピードとバランスが大事だと感じます。デベロッパーには「狩猟型」と「農耕型」があって、東急は典型的な「農耕型」です。

東急は鉄道事業を抱えていることもあり、デベロッパーとして比較的中長期的な視点に立って物事を考えることができる数少ないプレイヤーですから、少なくとも東急沿線内においては、自分たちがやった仕事に対して、「短期的に稼いだから後は知らない」という無責任なスタンスは基本的には取れません。

■「建てておしまい」からの脱却が進んでいる

近年、「エリアマネジメント」という言葉がまちづくりの業界で広く認知されています。一言でいえば、民間セクターの団体が「地域のクリーン&セーフ(清掃と治安維持)を遂行するとともに、地域価値を高めていく一連の活動」のことです。

それぞれの地域実情に合った形で、公共空間の使い方を自治体、地域住民に諮りながら、もっと多様な使い方ができるように「開いて」いく。これにより公共空間の管理コストが下がり、かつ公共空間で一定のルールの中で行った収益事業の一部を公共還元して、税金を投入しなくても公共空間の維持や質的向上が図れるという仕組みです。

武蔵小杉にはすでに「NPO法人小杉駅周辺エリアマネジメント」という団体が組成されており、タワーマンション住民や地域団体のキーパーソンなどを中心に活発に活動をしています。

以前と比べると、「建てておしまい」ではなく、各施設とも魅力的な店舗を誘致すると同時に、豊かな広場空間を公開し、コミュニティ形成にも気を配るようになっています。

■殺風景な駅前広場を魅力的な空間に再開発

分かりやすい変化のひとつは、「こすぎコアパーク」という駅前広場活用の事例です。

この広場空間は2013年に「武蔵小杉駅南口地区西街区第一種市街地再開発事業」を施行したことによって生み出されたのですが、不必要なフェンスに囲われていて、歩行者動線が悪いうえ、広場の設えもあまり工夫がなく殺風景なものでした。たまに地域イベントを開催する時だけ賑やかになるものの、平時は駅に向かう人が通り過ぎるばかりで、非常にもったいない状態にありました。

それを解決するため、川崎市と東急で「公園施設整備等に関する協定書」を締結し、公共性を担保したうえで、「日常的な賑わいと憩いの創出」「一体的な空間利用による回遊性」「利便性の向上」を目指して2021年10月にリニューアルオープンしました。

永らく流動を阻害していたフェンス等を撤去整理して、ベンチや緑量も増やすとともに、飲食店・食物販の店舗も入り、駅前広場に賑わいと潤いが生まれ、見違えるように素晴らしくなりました。私たちの取り組みによって駅の魅力がアップした好事例です。

Jリーグの強豪チーム「川崎フロンターレ」の本拠地として使用されている「等々力陸上競技場」がある川崎市のスポーツ公園「等々力緑地」が大幅にレベルアップされることも注目です。

■エリアの価値をさらに高める等々力緑地

武蔵小杉駅周辺はタワーマンションが林立して、住居と商業施設は充実しましたが、それだけでは日々の暮らしの潤いが足りないかもしれません。元々工場地帯だった場所に、これだけ多くの新住民が定住するようになったわけですから、近場で寛げて、楽しめる広々とした空間が求められます。

もちろん自然環境として多摩川の河川敷も近いので、比較的恵まれた環境だといえますが、アフターコロナ時代には、居住エリアで過ごす時間が長くなるので、等々力緑地がより使い易く、魅力に溢れる施設に生まれ変わったら、武蔵小杉周辺の価値はさらに上がることでしょう。

公園の緑
写真=iStock.com/dar_st
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/dar_st

ところで、等々力緑地はもともと東急電鉄の前身、東京横浜電鉄が関東大震災によって被害を受けた東京の都市再生のための砂利需要の増加を受けて、砂利採取をしていた「新丸子採取場」でした。砂利採取をした後の穴に水が溜まり、そこが「東横池」と呼ばれていたようです。

■砂利採取場→釣り堀→グラウンド→売却

戦後は砂利採取も禁止されたので、池は釣り堀として営業し、「東横水郷」と改称しました。さらに1953年には池の一部を埋め立てて、「新丸子東急グラウンド」という東急電鉄の福利厚生施設となりました。私も入社した頃は、このグラウンドで会社の運動会なども開催されましたので、よく体を動かしに行ったものでした。

東浦亮典『東急百年 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ』(ワニブックス)
東浦亮典『東急百年 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ』(ワニブックス)

しかし、バブル崩壊後のグループ経営危機の際、すでに隣地で都市計画公園として等々力緑地を整備していた川崎市へ1994年に売却することになり、その後現在の形になったという経緯があります。東急とはとても縁が深い場所なのです。

それ以来、川崎市民がスポーツと文化を親しむ場所として永らく利用されてきましたが、多少駅から離れていることもあり、フロンターレの試合などイベントがある日以外は閑散としています。

施設の老朽化なども問題になっていましたが、特に影響があったのは、2019年の台風19号の甚大(じんだい)な浸水被害でした。等々力緑地内にある「川崎市民ミュージアム」が浸水し、収蔵品や設備系統にまで被害が及ぶなど、大変な被害を受けたことでした。

■2023年から約30年間かけた一大整備事業

そういった経緯もあり、川崎市では民間資金等を活用した公共施設等の整備を実施するはこびとなり、2022年11月に東急を代表とする企業コンソーシアム「Todoroki Park and Link」が落札することに決定しました。

事業期間は2023年春からの約30年間。時間をかけて運動施設の新設、インクルーシブパークを含む広場空間などの整備、レインガーデン機能を有した親水空間づくり、飲食、物販施設などを順次整備します。

これが実現すれば、従来の施設が更新されるだけでなく、民間企業が提案する、時代に合った魅力ある施設が設置でき、多くの市民に親しまれる等々力緑地に全面リニューアルされることでしょう。

■再び「住みたい街ランキング」上位に入るはず

武蔵小杉エリアは、住宅情報誌「SUUMO」の「住みたい街ランキング」でもずっと右肩上がりで人気が上昇してきた街で、コロナ前の2018年には第6位にランキングされていました。

しかし、2019年10月にやってきた台風19号の大雨の影響により、内水氾濫が発生し、一部のタワーマンションが浸水によって電気設備が故障して、長時間停電になるなどの大きな被害を受けました。そうした防災面の脆弱(ぜいじゃく)性が露呈した影響もあったせいか、2022年の「住みたい街ランキング」ではベスト10圏外の第14位に大きくランクを下げています。

台風19号の被害をきっかけに自治体も住民も平時からの防災意識は格段に上がったと思います。これに加えて等々力緑地の再整備が完成すれば、武蔵小杉駅圏は再び人気スポットとなり、評価を上げていくことでしょう。

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東浦 亮典(とううら・りょうすけ)
東急常務執行役員
1961年東京生まれ。1985年に東京急行電鉄入社。自由が丘駅駅員、大井町線車掌研修を経て、都市開発部門に配属。その後一時、東急総合研究所出向。復職後、主に新規事業開発などを担当。現在は、東急株式会社常務執行役員、フューチャー・デザイン・ラボ、沿線生活創造事業部長。著書に『私鉄3.0』『東急百年 私鉄ビジネスモデルのゲームチェンジ』(ワニブックス)がある。

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(東急常務執行役員 東浦 亮典)

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