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「これは実録版・半沢直樹だ」話題の『ファスト教養』著者が"2022年のベスト本"と絶賛する1冊

プレジデントオンライン / 2023年1月27日 10時15分

『キリンを作った男』の主人公・前田仁氏の部下だった漫画家のしりあがり寿氏が書き下ろしたイラスト。 - イラスト=しりあがり寿

ドラマ・映画の倍速視聴や要約・解説系YouTubeの隆盛など、教養がビジネスのためのツールになっていると指摘して話題になった新書『ファスト教養』。その著者レジー氏が2022年のビジネス書の中でベスト本に挙げたのが『キリンを作った男』(永井隆著)だ。自身もマーケティングの仕事に従事しているレジー氏が、「『半沢直樹』に勝るとも劣らないカタルシスがある」と評した伝説のマーケターの仕事ぶりとは――。

■リアルな大河ドラマ、実録版『半沢直樹』

長い時間軸の中で多くのキャラクターが登場し、それぞれの物語が交錯すること。特定のポストに対してさまざまな思惑が渦巻き、「正義」が勝つこともあれば負けることもあること――。

たとえばNHKの大河ドラマ、もしくはドラマ版の『半沢直樹』。こういったコンテンツは、いつの時代もたくさんの人の心を捉えて離さない。特に、程度やスケールの差はあれど、会社勤めを通して似たような経験をしたことのある人であれば、その没入度合いはより深くなる。

2022年5月に刊行された書籍『キリンを作った男 マーケティングの天才・前田仁の生涯』は、我々が日常的に名前を見聞きする企業の中で、大河ドラマや『半沢直樹』のような話が現実として起こっていることを教えてくれる1冊である。ビール業界を長年取材してきた著者・永井隆の筆致も相まって良質な企業小説のようなオーラをまとったこの本は、2022年に刊行されたビジネス関連の書籍におけるベスト本の1つに挙げて差し支えないのではないだろうか。

誰もが知る企業の、誰もが知るブランドの裏側を鮮やかに描き出す読み物としての面白さが図抜けているだけでなく、ライターとして活動しながら普段は一般企業で事業戦略やマーケティングに関連する業務に従事している筆者としては、前田の卓越した仕事ぶりに本書を通して何度も驚かされた。

主人公となるのは、2020年に70歳でこの世を去った前田仁。1973年にキリンビールに入社し、キリンビバレッジの社長退任後にグループを離れる2012年まで、マーケティング部門で、もしくは経営者として多くのヒット商品に関わってきた。「一番搾り」「淡麗」「氷結」など、今でも小売店のお酒コーナーで存在感を放つこれらのブランドは、前田の存在があったからこそ世に生を受けたものである。

本の帯に書かれたコピーは「どうすればヒットするか、俺には分かってしまうんだ」。不遜にも思えるこんな言葉は、前田の実績によって説得力のあるものになる。

■フィクションを凌駕するダイナミズム

一方で、花形の商品開発者として前田は決して順風満帆な会社員人生を送ったわけではなかった。そしてそこにこそ、この本の面白さがある。

前田の会社員としてのキャリアは、ビール市場における絶対的な存在だったキリンがアサヒの猛追を受けて一敗地に塗れる歴史とも重なる。1987年に発売された「アサヒスーパードライ」はマーケットの状況を一変させる商品となったが、実はキリンは発売直後にその前触れに気づいていながら明確なアクションをとることができなかった。

背景にあったのは、「ラガー」で築いてきた企業としての成功体験。取るに足らないと高(たか)をくくっていた相手に、キリンは足元をすくわれていく。

過去の栄光によって肥大化したプライド、そしてそれぞれの持ち場を守るための縄張り争い。そんな状況下において、強い意思を持った前田のような存在は疎(うと)まれる対象になる。

「一番搾り」を開発したのち、前田は権力闘争に巻き込まれてマーケティング部の本流を外されてしまう。しかし、ここからがまさに「事実は小説より奇なり」。この左遷とも言うべき人事異動によって、前田の足跡は圧倒的にドラマチックになる。

商品開発にキレがなくなり、社内の一体感も醸成できずに思うような結果を出せなくなっていくキリンは、90年代後半に勃興する発泡酒という新たな市場を前にしても有効な意思決定を行うことができないでいた。その状況を打破すべく、当時のキリンビールの社長は子会社に転じていた前田に白羽の矢を立てる。

異例の形で商品開発部の部長に最年少で就任した前田は、そこから猛スピードで「淡麗」を完成させて発泡酒市場に大ヒットを打ち立てる。

このあたりの展開には『半沢直樹』に勝るとも劣らないカタルシスがあるので、ぜひ本書を読んでご確認いただきたい。会社員の日常は、時代の大きな流れという物差しを当てることでフィクションを凌(りょう)駕(が)するダイナミズムを持つ。

ちなみに、『キリンを作った男』は、当然のことながらビール業界を「キリン目線」で語ったものであり、他社には他社の言い分がある。

たとえば前述した「淡麗」のヒットについても、アサヒサイドからは「なんのことはない。ビール減少分がそのまま淡麗〈生〉に変わっただけの話である」「ビール分野ではキリンに五六〇万函の差をつけて、業界ナンバーワンの地位に躍り出たのである。キリンが勝手に転んで、アサヒを王座に押し上げてくれたようなもの」といった声もある(松井康雄『奇跡のマーケティング 世紀の怪物・スーパードライはこうして生まれた』より。松井は元アサヒビール・マーケティング部長)。

実質的にキリン、アサヒ、サッポロ、サントリーという4社のシェア争いで成り立っているがゆえに、ビール業界は「戦い」の構図がわかりやすい。本書に関する各社の見解も聞いてみたいところである。

■ビールだけでなく空間をセットで売った

先ほどいくつか前田の関わったブランドの名前を挙げたが、前田がそれらよりも前に手掛けたのが「ハートランド」というビールである。今でも緑色のファッショナブルなビンを小売店や飲食店で目にすることができるが、この商品にこそ前田のヒットを生むメソッドが詰まっているとも言える。

ハートランドのポイントは、商品だけでなく「ビアホール・ハートランド」という空間も含めてのプロデュースワークだったことである。前田はこの「ビアホール・ハートランド」の店長も務め、日中オフィスで働いた後、夕方にはユニフォームに着替えて閉店まで店に立つ形で勤務にあたった。

「ビアホール・ハートランド」は単なるビアホールではなく、「時代を先取りする、最先端の文化拠点」(本書より)だった。そこでは音楽や舞踏、演劇などのライブイベントや現代アートなどの展示が開催されていたという。前田はビールを売るだけでなく、セットで空間を売った。そして、そこに漂う文化の香りまで含めて商品の魅力に取り込んだ。

前田はハートランドをPRするにあたって、以下の6つのポイントを定めたという。

①一つの商品にたくさんの情報価値=語りたくなる、伝えたくなる価値を盛り込む
②発信しようとする情報を受け手の身になって考える、整理する
③時代を読む
④関与者を多く作る
⑤即効性のあるメディアほど情報感度は鈍い。雑誌→新聞→ラジオ・テレビの順番を意識する
⑥追い駆けるより追い駆けさせる構造を作る

2020年代のソーシャルメディアを活用したマーケティングの原則だと言われても信じてしまいそうな考え方に、前田は1980年代の時点でたどり着いていた。

■寄り道にこそ“イノベーションの種”が潜んでいる

時代の先を読む洞察力、およびビールという必ずしも単価の高くない商品を空間と組み合わせることで文字通りの「ブランド」に昇華させる手法。こういった前田の技の背景について考えるうえで、キリン社員の興味深い証言がある。

「前田さんは幅広い知識を持っていて、普段の会話にも『リベラルアーツ』の香りが漂っていました。マーケティングについても、前田さんは一貫した哲学を持っていました。

前田さんの考えでは、マーケティングとは『ビジネスそのもの』であり、ヒット商品を作るための単なるノウハウではありませんでした。

どのようなものをお客様は望んでいるのか、それをどのような形で、どのような方法で売ればいいか。前田さんにとってのマーケティングとは、そうしたことを総合的に考える作業でした」

(本書より)

「リベラルアーツ」「総合的」。自分がいる業界に関する知識だけを追い求めていても、未来の社会について考えることはできない。ビールの開発に直接役に立つことだけを勉強していても、それはもしかしたら効率の良いやり方かもしれないが、思いもよらぬ発見とは出合えない。前田はそんなことに気づいていたのかもしれない。

では、前田はどうやってリベラルアーツを磨き、総合的な視点を養っていたのか。前田が注力していたのは、いろいろなタイプの人と会うことである。

「『自分の思考を真っさらにする』ため、前田は幅広くさまざまな人々と交流していた。田中泯のようなアーティストのほか、広告代理店、広告クリエーター、建築デザイナー、リサーチ会社の関係者など、実務家の人脈も広い」

「前田の行く先は、著名な建築デザイナーや有名広告クリエイター、リサーチ会社の幹部などの事務所が多かった。時には画家や演劇関係者など文化人のもとを訪ねることもあった。前田はそこでただ雑談を交わしていたという。話題はとりとめのないものばかりで、肝心のビールの話も、相手から求められない限りはしなかったという」

(本書より)

何かの答えを得るためでなく、むしろ短絡的な答えから距離をとるため、自分の思考を常にニュートラルに保つために、前田はたくさんの才能との交流を通じて多様な情報や文脈に身をさらした。そこでの蓄積は、商品のアイデアを生むだけでなく、その商品のまとう空気にも大きな影響を与えたはずである。前田の立ち居振る舞いは、ある種の寄り道にこそイノベーションのタネが潜んでいることを我々に教えてくれる。

■「人」にフォーカスする

さまざまなタイプの人と会うことで自身の直感を磨いていたという行動に表れている通り、前田は「生身の人間にフォーカスする」ことを何よりも重視していた。

先ほど触れた「ビアホール・ハートランド」も、ビールをブランディングするための武器であると同時に、前田にとっては生身のユーザーを知るための場でもあった。店長として店に立ちながら、前田はどんな人たちがどんな表情でビールを飲んでいるかを肌で理解していった。

近年、マーケティングという考え方における定量的な側面が強調されつつある。あらゆるものがデータ化できる時代において、「数字で分析できないものは価値がない」といったスタンスを表明する人も多い。

こういった発想は、ある側面においては正しい一方で、個別具体的な情報をカットすることで生々しい現場のありようをわかりづらくしてしまうという問題もある。ビールを飲む人一人ひとりの実感を大事にした前田は、数字だけに頼る弊害を感覚的に理解していたのではないか。

そして、そういった思考プロセスや現場の出来事を観察することで洞察を得る手法が「エスノグラフィー」「デザイン思考」「N1分析」などの形で体系化されてきているのもまた現代のマーケティングのトレンドである。前述したPR手法のみならず、顧客分析のアプローチにおいても前田は時代の先を行っていたとも言える。

■消費者理解の核心は「ズレ」

もっとも、前田は最初から百発百中のヒットメーカーだったわけではない。キャリアの初期に前田が開発したいくつかの清涼飲料は不発だったという。こういった失敗も重ねながら、前田は商品開発におけるある種の真理にたどり着く。キーワードは「ズレ」である。

「一般の消費者は『ビールのプロ』ではない。それゆえ、消費者の感覚は、往々にして『ビールのプロ』の意見とはズレる。

こうした『ズレ』を捉えることこそ、消費者理解の核心であり、ヒットを生むコツだと、前田は考えていた。

そうした前田の狙いが最高度に発揮されていたのが、『淡麗』というネーミングだった。

『発泡酒は本来使うべき麦芽をケチった、安いビールだ』

キリン社内の人間も、発泡酒のことをこう考えていた。一方、前田は、『消費者は「安物」を求めていない』ことを見抜いていた。

(中略)

『ビールにあまりお金をかけたくないが、できるだけ本格派のビールが飲みたい』

その微妙なニュアンスを、前田の鋭敏な感性は見事に洞察していた。

その結果、前田はあえて、カジュアルさを排した漢字2文字の商品名を採用したのである」

永井隆『キリンを作った男』(プレジデント社)
永井隆『キリンを作った男』(プレジデント社)

(本書より)

商品を購入する人の繊細な心境は、実はいわゆるマーケティング調査には表れないケースも多い。回答者は常に質問側の意図を読み取ろうとする(つまり質問側の欲しい答えを勝手に先回りして「正解」を答える)だけでなく、匿名のアンケートであっても人には言えない好みを正直に回答してくれるケースは稀(まれ)である。

調査結果に従って作った商品が実際の市場では鳴かず飛ばず、といった状況はマーケティングを巡るこういった綾(あや)から生じる。

数字の裏側には必ず人がいる。ともすれば忘れがちなこの原理を前田は大事にしていた。だからこそ前田の商品開発では、人と会い、人の心を洞察し、人の本音に迫ることが重視された。そしてそういった哲学は、部下を守るためには自身の懲戒も恐れないという組織マネジメントの姿勢にも貫かれていたと言える。

レジー『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社)
レジー『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社)

前田の死去からまもなく3年、ビール業界における激しいシェア争いは今も続いている。直近の発表によると、2022年のビール系飲料全体のシェアはアサヒが36.5%で35.7%のキリンを上回ったという。

今年もたくさんの商品が発売され、その裏側でたくさんのドラマが人知れず生まれているだろう。そんなことに思いをはせることで、日々何気なく飲んでいるアルコールの味わいも変わってくるのではないか。

時に爽快で時に苦みのあるビールの味は、その商品を苦しみながらも生み出したメーカーのストーリーそのものなのかもしれない。本書を読んで、そんなことを思った。

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レジー(れじー)
ライター/ブロガー
ライター・ブロガー。1981年生まれ。一般企業で事業戦略・マーケティング戦略に関わる仕事に従事しながら、日本のポップカルチャーに関する論考を各種媒体で発信。著書に『増補版 夏フェス革命 音楽が変わる、社会が変わる』(blueprint)、『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア、宇野維正との共著)、『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社新書)。

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(ライター/ブロガー レジー)

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