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妊娠中の妻や5歳の娘を惨殺し火を放つ…そんな米死刑囚が執行直前に日本人ジャーナリストに語った"本音"

プレジデントオンライン / 2023年1月30日 16時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ViewApart

執行前の死刑囚は死刑についてどう考えているのか。ジャーナリストの宮下洋一さんの著書『死刑のある国で生きる』(新潮社)より、家族3人を殺害したアメリカ人死刑囚のインタビューをお届けする――。

■家族3人を殺害した「真面目な男」ハメル

1975年11月4日、ジョン・ウィリアム・ハメルは、テキサス州中北部タラント郡のアーリントンに生まれた。子供時代は大人しく、誰に迷惑をかけることもなく成長した。思春期になっても友人からは「真面目な男」と言われ、悪行を働くことは一度もなかった。海兵隊時代にも、規律正しい行動で、上官との関係も良好だったという。

テキサス北部地区フォートワース地方裁判所の記録(2018年1月3日発行)に目を通してみると、事件の詳細と証人尋問や情状証人の証言内容が綴られている。

2009年12月17日、タラント郡の一家で、悲劇は起きた。当時、病院の夜間警備員だったハメルは、仕事を終え自宅に戻ると、妊娠中の妻ジョイ・ハメル、5歳だった娘のジョディ、義父のクライド・ベッドフォードの3人をバットやナイフで殺害した。その後、自宅に火をつけ、その場を立ち去った。死亡した3人の気道に煤(すす)が検出されなかったことから、放火の前に絶命していたことが分かっている。

事件前の10月から12月にかけて、ハメルは職場への道中にあるコンビニの女性店員と親密な関係を結ぶようになった。彼は既婚者であると告げていたが、携帯から頻繁にメッセージを送信するようになり、同じく既婚者であった女性は、夫と離婚の協議中にあることを伝えた。

2人は事件の1週間前、性行為をした。妻の妊娠を女性に明かしたハメルは、情事の継続を拒否されたが、電話やメッセージの送信を繰り返した。そして、事件の前日、女性から離婚が成立したことを知らされた。

事件当日、警察や消防隊が現場で消火作業にあたる中、ハメルが姿を現した。赤の他人を装い、警察に話しかけた。しかし、後の捜査で、彼の服から血痕が見つかり、犯人の特定につながった。

■ポランスキー刑務所での死刑囚の暮らしぶり

ハメルに死刑判決が下され、タラント郡刑務所からポランスキー刑務所に移送されたのは、2011年6月のことだった。タラント郡刑務所に収容されていた頃は、4つの雑居房が横に並び、向かいにも五つの雑居房があったという。近くにはデイルーム(休憩室)があり、奥にはテレビも設置されていて、一日中好きな番組を見て過ごすことができた。しかし、このポランスキー刑務所にテレビはない。

私はひとまず、事件の話題は少し後に回すことにした。

「ポランスキーの環境は、前の刑務所と違いますか」
「ラジオが与えられていて、音楽を聴いたり、トークショーを聞いたりすることができます。ラジオや新聞は、家族が申し込みをしてくれれば与えられます。基本的に私の情報源は、ラジオと受刑者たちとの会話だけです」

ハメルの英語は、とても聞き取りやすく、テキサス訛りは感じなかった。

「独房の中は寒くないですか」
「昨日はとても暑くて湿気がありました。なんだかベタベタしていました。でも急に寒くなったりもするんです。冬が近づくと、ヒーターがないので、とても寒いです」
「毛布はもらえないのですか」
「ブランケット1枚とシーツが2枚です。よく寒くなります」

■ニンテンドーが好きだった幼少期

ハメルの体格は、事件当時の10年前よりも、がっしりとしている。刑務所生活をするようになって、むしろ体重が大幅に増えたのではないかと思う。顔つきも、殺人事件を犯した直後と現在とでは、天と地の差があるように見えた。

子供の頃に、ファミコンが大好きだったということは資料で知っていたが、その話を直接、訊きたかった。私も小学5、6年生の頃まで、毎日、ファミコンで遊び呆けたものだ。同い年ということもあり、共通する話題はある。重い話をする前に、少し明るい話題を続けたい。

「昔、ニンテンドー(日本でいうファミコン)が好きだったようですね」

私がそう言うと、ハメルが微笑みながら答えた。

「アメリカに初めてニンテンドーが上陸した時、ふたつのリモコンで小さな光線銃を使ってジャイロマイトと戦うロボット(日本では『ジャイロセット』)とか、そういうものをすべて持っていました。ゼルダ(同『ゼルダの伝説』)なんかは大好きでしたね。毎日、何時間もやっていました。父親ともよく一緒に遊びました」

ハメルは、過去を懐かしむように話していた。当時は、世界のいたるところで、子供たちが同じような遊びに没頭していたのだ。幼少期から友達だったマーク・パックは、ハメルについて証人尋問で次のように語っていた。

〈引っ込み思案で、1人でゲームを楽しむ孤立した人だった。学ぶスピードは遅かった。人に暴力を振るわなかった。困惑すると顔が真っ赤になった。母親は彼に対して過保護で、学校の送り迎えや、彼に食料のデリバリーをしていた〉

■「天国に行くことができれば両親に会える」

ハメルは、「父親ともよく遊んだ」と言ったが、裁判資料を読んでみると、両親は子供たちを家に放置することが多く、父親は時々、息子に暴力を振るうことがあったと書かれている。そんな両親について、ハメルは、感情があるのかないのか、よく分からない表情で話した。

「父親は、2005年に亡くなりました。3回目の心筋梗塞で、入院して治療を受けている間に肺炎になってしまって。その疾患が重なって死んでしまいました。母親は、2017年に亡くなったばかりです。脳動脈瘤で手術をする予定だったのですが、それを待たずに亡くなりました」

できれば、2人に会って取材をしたいと思っていたが、もう叶わないようだ。資料からは、あまり順風満帆な家族生活を送ったようには思えなかったが、ハメルは、突然、こんな期待を口にした。

「でも、もうすぐ会えると思います。天国に行くことができれば、ですけれどね」

■「自分自身を制御できなくなってしまった」

残り時間、40分。そろそろ、本題に移ることにした。

ハメルの裁判記録によると、事件当日の彼の行動は、無責任で大胆極まりなかった。この記録が100%正しいかどうかは、私には分からない。当時34歳だった彼の証言を読んでみると、不自然な発言も多かった。

「あなたの犯した罪について、話を伺いたい。なぜ、殺人を犯したのですか」

ハメルは動揺してはいなかったが、初めて返答に悩んだ。

「……それは、今に至るまで、ずっと自問自答を続けていることなんです。それに対する明確な答えが見つからないんです。あまりにも困惑してしまって、自分自身を制御できなくなっていました」
「その時、あなたは、あなたでなくなってしまった、と……」
「ええ、脳のロジカルな部分がシャットダウンされていました。ファイト・オア・フライト(差し迫った状況において、戦うか逃げるかを決める生理学的反応)の状況に陥っていた。そこで逃げ道を見つけることができなかった。今、冷静に振り返ってみて、私が起こした事実を考えると、とても苦しくなるんです。自殺も考えたことがあります」

その心境を聞いた途端、ふと思った。程度の差こそあれ、人間は、「ファイト・オア・フライト」の場面に遭遇することがあるのではないか、と。その場面に出くわして、実行するかどうかの瀬戸際で、多くの人間は思い留まるものなのだろう。だが、その時のハメルには生理学的反応をうまく制御できなかった。

オレンジ色のジャンプスーツを着た若い囚人
写真=iStock.com/South_agency
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/South_agency

■犯行からわずか18カ月で死刑が宣告された

「ここにいるあなたとは違う別人がいた、ということですか」
「その通りです。あの時の私は、明らかに今とは別人です。あの頃は、無神論者でした。ストレスの出口が見つからなかった。ずっとクローン病に悩まされていて、その状態のまま仕事にも行って、4年間の毎日が辛かった。当時は、全力を尽くしていたつもりだし、すべてに必死でした。でも周りは、私の全力では不十分だと言っていた。それで、すべてが自分の責任なんだと思い込んだのです」

人間は、いつどこで何をするのか予測できない生き物だ。しかし私は、事件の真相やハメルの深層心理などの細部に踏み込むつもりはない。死刑判決を下された本人が、いかなる心境で独房生活を送り、最期を迎えるのか。そのことを知りたかった。

事件の話になると、ハメルの口数が多くなった。ハメルは、そのまま続けた。

「分からないものですね。事件前は、法に反した行動を取ったことがなかったというのに。全員にショックな出来事でしたし、自分自身にもショックでした。合理的な考えがまったくできなかった。とにかく何も考えずにそれをしてしまったのです」

そう口にすると、ハメルの頭の中に当時の光景が鮮明に甦ってきたようだ。家庭内の事情について、もう少し詳しく話し始めた。

「義父は、私の生き方に不満はなかったのですが、家のことを少し手伝ってほしいと頼んできました。しかし、私の健康状態が良くなかったので、それができなかった。義父は、私と一対一の会話を避け、妻に電話で話していました。それが彼女のストレスになり、妻が家に戻るたびに、そのストレスを私にぶつけていた。悪循環でした。だから、自分がどう努力をしても、その悪循環は尽きないと思うようになったんです」

3人を殺害したこの事件は、テキサス州ダラス近郊のトップニュースになった。犯行からわずか18カ月で、ハメルに死刑が宣告された。

話を聞く限り、ハメルはとても落ち着いた様子で過去の自己分析を行ない、反省とも取れる言葉を口にしていた。言い訳も、ほとんど聞こえてこなかった。過去の罪を認め、悔やむこの男に死刑は本当に必要なのか。そんな思いが、私の心の中に浮かんでいた。

■「刑務所では何一つ悪事を働いていない」

とはいえ、ストレスを抑制できず、凶悪殺人事件を起こしてしまった人間に同情などしていいのだろうか。殺害方法はあまりに残酷だ。ハメルは私に想像できるような人格の持ち主ではないのかもしれない。一部の証人は、彼を「善人」と語っているが、一部の証人は「悪魔」だと話している。ところが、これまでのところ、彼から悪魔の匂いがまるでしてこなかった。

全米でもっとも治安の悪い刑務所のひとつといわれるポランスキー刑務所で、死刑囚監房は特に荒れているのではないか。ハメルは、ここに送られてきてから、本当に一度も問題を起こしていないのか。事件内容や死刑判決を考えると、彼にはもう一つの顔があるのかもしれない。

裁判資料の中で、高校時代に1年間ほど付き合った恋人のステファニー・ベネットが、若かりし日のハメルについて、こう語っている。

〈結婚を持ちかけられ、私から別れることになってしまったのですが、彼が暴力的になっている姿は見たことがなかった。私にも普通に接してくれていました〉

その証言に嘘はないだろう。窓越しのハメルからは、威圧感が漂ってこない。わざわざスペインからやってきて面会する、見ず知らずのアジア人の不慣れな英語にも、真剣に耳を傾けてくれていた。ハメルは、私に言い聞かすように、こう繰り返した。

「(タラント郡での経験も含め)刑務所に入ってからは、何ひとつ悪事を働いていません。刑務官に命じられたことはちゃんとしてきました。仲間の闘争にも関心がないし、刑務官に迷惑をかけたこともありません」

面会を除き、刑務所内の取材は禁止されている。現役の刑務所長や職員らへの聞き取り調査も許可が下りない。受刑者が実際にどのような獄中生活を送っているのかを見たい気持ちもあったが、それは不可能だった。

ネット上には、ポランスキー刑務所の独房写真がいくつか公開されている。白壁で囲まれた独房には、蛍光灯がひとつ。テレビボードのような木製の台があるが、これがベッドだ。その上に布団が置かれ、下のスペースにはシーツや食料や靴などが無造作に突っ込まれている。

■刑務所で祈りを捧げる毎日

ベッドの横には、刑務所専用のステンレス鋼トイレが設置されている。洗濯した白い囚人服は、狭い壁と壁の間に伸びた針金に引っ掛けて乾燥させている。天井すれすれの壁には、横1.5メートル、縦5、6センチほどの穴がある。通気口の役目を果たすだけで、外を眺めることはできないだろう。

頭がおかしくなりそうな独房である。死刑囚でなくとも、この中で5年も10年も暮らすと考えるだけで、精神を病んでしまいそうだ。尊厳のない劣悪な条件の中で、彼らは「生きている」のだ。

ハメルは先ほど、「以前は無神論者だった」と言った。では、「今は、毎日、祈りを捧げているのか」と尋ねてみた。それ以外、救いの道がないと思えたからだ。

「ええ、毎朝、お祈りしています。私は、無教派(Non-Denominational)のクリスチャンです」

祈る囚人
写真=iStock.com/Juleta Martirosyan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Juleta Martirosyan

「無教派」とは、特定の教派や教団に属さないことを意味する。アメリカ南部は信仰に篤い土地で、テキサス州には、ありとあらゆる場所に教会が点在する。それこそ、数百メートルに1軒のペースで、三角形の大きな建物が視界に入ってくる。「無教派」の大型教会も多数存在する。

毎日、祈り続ければ、独房の中でも健全な精神状態を維持できるのか。少なくとも、ハメルの精神状態は乱れているように見えなかった。私は、「ストレスを抱えていないのか」というありきたりな疑問を投げてみた。すると、事件を話す時の様子とは違い、柔らかい表情で語り始めた。

■「死刑はもっとも凶悪な犯罪のためにあるものです」

「もう人生にストレスはありません。物事に対してくよくよ考えないのです。物事がより悪化することもないし、驚くようなこともない。ストレスを受け入れるだけですから」

ハメルは毎日、聖書を読み、牧師と面会を重ねることで、生きる価値を見出してきたようだ。彼の生き方は、囚人になる前と後では、墨と雪のようである。そのことを本人は、どれくらい自覚しているのか。獄中生活を送る前の暮らしぶりについて、ハメルは10年の年月を重ね、悔悟の念を抱くことは当然あるはずだ。

「あの頃に信仰していれば、あのような事件は起こさなかったはずです。クリスチャンが持つ道徳があり、神の助けが私を強くしてくれた。この信仰を持っていれば、ストレスを解放させることだってできるのです」

人は大きな過ちを犯し、自由を剝奪されることになって、突如、後悔の意味を知る。なぜあの時、ブレーキが利かなかったのか、なぜアドレナリンを抑えられなかったのか、と。

死をもって償うことなど、ハメルには予測できなかったはずだ。年間1403件(1日約4件)もの殺人事件が相次ぐテキサス州で、わずか200人しかいない死刑囚監房に送られるとは夢にも思わなかっただろう。「予告された死」を全うせねばならぬ運命に迫られた彼は今、どのような思いでいるのか。

「死刑はもっとも凶悪な犯罪のためにあるものです」

ハメルは、当然のような口ぶりでそう言った。家族3人を殺し、放火して逃げた人間が、そう言い放ったことは驚きだった。彼にとって、何が凶悪犯罪なのか。少なくとも、自ら犯した事件は死刑に当たらないということだろう。そこには、彼なりの理由があるようだった。

■「私は過ちは繰り返さない人間だ」という主張

「あの事件以外は、人生で何一つ悪いことをしていないのです。仮釈放なしの刑(絶対終身刑)であれば、周りと問題になることはない。それが、私に与えられるべき最悪の刑だと思うのです。だから、死刑と言われた時には、とても驚きました。もう危険人物にはならない。危険なことをするとすれば、ここの仲間との闘争で自己防衛する時くらいです。でも、自分から誰かに危害を加えるようなことはしない。私は、暴力的な人間ではないのです」

亡くなった、いや、彼が殺した妻と出会う前、ハメルはホームレスだったレッティ・バンディットという女性と交際していた。彼女も彼の友人や教師たち同様、証人尋問で、恋人だったハメルについて、このように振り返っていた。

〈常に人を思い、(別の男性の子を)妊娠していた私にも強い関心を抱き、世話をしてくれた。乱暴されることなどなかった。産まれた子には、彼の姓を授けた〉

2人が家族を育まなかったのは、ハメルが「父親になる準備ができていない」ことが理由だった。彼女の元を黙って去ったハメルは、その裏で、酒、ストリップクラブ、麻薬といった快楽に溺れていたという。

宮下洋一『死刑のある国で生きる』(新潮社)
宮下洋一『死刑のある国で生きる』(新潮社)

彼は人を傷つけることを嫌い、優しくあろうとする。しかし、それは恋愛や夫婦関係において、拗(こじ)れをもたらしかねない行動心理だ。面倒な争いや議論など、苦手なことはなるべく避けたい。だからこそ、禍根(かこん)を残してしまうのだ。もちろん、この性格と事件を直接結びつけるつもりはない。それに、ハメルが強調したい点は、そこではない。

受刑者の大半は、仮釈放中に再犯をしたり、刑務所の中で刑務官を殺害したりするなど、2回以上の過ちを繰り返すことで、死刑判決が下されている。ハメルが終身刑を望み、「死刑はもっとも凶悪な犯罪のためにある」と主張する裏には、おそらく「犯罪を犯したのは一度きりで、過ちは繰り返さない人間」であることを抗弁したい気持ちがあるのだろう。

無論、ハメルは冤罪(えんざい)に当たらない。彼は、それを訴えているわけではないが、処刑台に立たされることに異議を唱えているのだ。

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宮下 洋一(みやした・よういち)
ジャーナリスト
1976年、長野県生まれ。18歳で単身アメリカに渡り、ウエスト・バージニア州立大学外国語学部を卒業。その後、スペイン・バルセロナ大学大学院で国際論修士、同大学院コロンビア・ジャーナリズム・スクールで、ジャーナリズム修士。フランス語、スペイン語、英語、ポルトガル語、カタラン語を話す。フランスやスペインを拠点としながら世界各地を取材。主な著書に、小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞した『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』など。

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(ジャーナリスト 宮下 洋一)

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