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なぜ松田直樹選手は34歳で亡くなったのか…Jリーグの村井チェアマンがいつも「AED」を背負っていた理由

プレジデントオンライン / 2023年2月10日 8時15分

サッカーW杯日韓大会決勝トーナメントのトルコ戦で攻め上がる日本代表DF松田直樹(2002年6月18日、宮城スタジアム)(写真=時事通信フォト)

Jリーグは、各スタジアムに自動体外式除細動装置(AED)を常備しているほか、AEDの使い方を学ぶイベントを行っている。チェアマンを4期8年務めた村井満さんは、通勤の際、リュックにかならずAEDを入れていたという。なぜそこまでやるのか、ジャーナリストの大西康之さんが聞いた――。(第15回)

■練習中に突然倒れ、帰らぬ人となった

――今日はかつて日本代表、横浜F・マリノスのディフェンダーとして日本のサッカーファンに愛され、34歳の若さで亡くなった松田直樹選手のお話を伺います。

【村井】前橋育英高校でプレーしていた頃からU-16の日本代表に選ばれ、18歳で横浜Mに入団。マリノスの象徴のような選手でした。とにかく熱い男で、審判の判定にも食ってかかる。フル代表ではフィリップ・トルシエ監督やジーコ監督とも衝突し、周りをヒヤヒヤさせましたが、サポーターには誰よりも愛された。

「永久にマリノス」と言っていましたが、出番が少なくなると「マジでサッカーが好きなんで、サッカーを続けさせてください」とサポーターに頭を下げ、2011年にJFL(日本フットボールリーグ)の松本山雅に移りました。

――事故が起きたのは移籍から半年ほどたった頃でしたね。

【村井】松田選手が急性心筋梗塞で倒れたのは2011年の8月2日。亡くなったのは8月4日です。松本市のグラウンドで練習中に倒れて救急搬送されました。実は私の誕生日が8月2日で、誕生日が来るたびに松田選手のことを思い出します。

村井満さん
撮影=奥谷仁

■倒れた場所には「AED」がなかった

【村井】松田選手のお姉さんの真紀さんは看護師で、一報を受けた時は「何が起きたか分からなかった」と言っていますが、救急車が来るまで、その場にいた看護師の方が胸骨圧迫という適切な処置をしてくれたため心拍が残り、2日間は命をつなぐことができた。そのことについては「とても感謝している」とおっしゃっていました。

真紀さんはNGOで「命つなぐアクション」というAED普及のための活動をされていて、イベントで日産スタジアムを使ってもらったりしています。

【連載】「Jの金言」はこちら
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――松田選手が倒れた場所には自動体外式除細動装置(AED)がなかったと聞きます。

【村井】グラウンドに常備されていたAEDがたまたま貸し出されていたそうです。当時、Jリーグのクラブは試合や練習の会場にAEDを常備していましたが、JFLはまだそうなっていませんでした。日本では年間に約6万人が心臓が原因の突然死に見舞われていますが、その場にAEDがあればその中のかなりの部分の人は救うことができます。松田選手の死は、この問題を全国に提起することになりました。

AED普及のきっかけになったのは2002年の高円宮憲仁親王の薨去(こうきょ)です。カナダ大使館でスカッシュの練習をされている際に心不全で倒れられ、慶應義塾大学病院に搬送されましたが蘇生措置のかいなく、47歳の若さで薨去されました。その場でAEDを使っていれば助かったとの指摘があり、2004年には医療資格を持たない一般人によるAEDの使用が認められる契機となりました。

■心臓突然死で亡くなったわが子のためにも

――高円宮親王妃の久子さまは日本AED財団の名誉総裁としてAEDの普及に力を尽くされており、村井さんもこの財団の顧問をされています。松田選手のことがあったからですか。

【村井】それもありますが、実は私も心臓突然死で子供を亡くしているんです。当時の私は猛烈社員で、毎晩、朝帰りの状態でした。その日も朝の4時に帰宅して、母親と一緒に寝ていた子供をベビーベッドに移した後、自分のベッドに倒れ込みました。朝8時ごろ目を覚ますと、子供は母親のベッドに戻っていたのですが、息をしていなかった。

大慌てで救急車を呼んで、病院に運ばれた子供はAEDの処置を受けました。小さな体が電気ショックのたびにバーン、バーンと跳ねるのを呆然と見つめていました。

――つらい記憶ですね。

【村井】はい。自分の誕生日の8月2日が来るたびに、子供のことと、松田選手のことが重なって思い出されます。1996年のアトランタ五輪で、松田選手が3バックの一角を担う日本代表がブラジルを破った「マイアミの奇跡」が7月21日。2021年の東京五輪で53年ぶりの銅メダルを目指した日本代表がメキシコに負けたのが8月6日。毎年、この時期になるといろんなことが頭の中を駆け巡ります。

■毎日、リュックにAEDを入れて通勤した

――そうした想いを忘れないために、村井さんはあることをされてきました。

【村井】Jリーグのチェアマンだった期間、リュックにAEDを忍ばせて出勤していました。AEDの重さは約1.5キログラム。これが私にとっては「命の重さ」です。

リュックを背負って電車に乗っている時、ふと思います。今、ここで誰かが、特に女性が心不全を起こしたら、私はその女性の上着を脱がせてAEDの処置を施すことができるだろうか。ちゃんと胸骨圧迫ができるだろうか、と。

――医療資格がないと、どうしてもためらってしまいますね。

【村井】今のAEDはスイッチを入れれば機械が使い方をナビゲートしてくれますから、その通りにやるだけでいいのです。しかも、下着を着たまま、少しずらすだけでもAEDは使えます。

でも、公衆の面前で男女問わず面識のない方を下着にするのには勇気がいります。AEDを使うことで「かえって病状を悪化させてしまうのではないだろうか」とか「胸骨圧迫で骨折させてしまったらどうしよう」とか、誤った知識だと不安になるのは当たり前です。高円宮さまや松田選手の事故をきっかけにAEDの設置箇所は増えていますが、いざという時に使えるかどうかは、また別の問題です。

■Jリーグだからこそ普及を進めていかなければ

【村井】しかし心臓突然死の場合、発作から1分が経過するたびに生存率が10%下がります。通報を受けてから救急車が到着するまでの平均時間は8分なので、救急車が来るのを待っていたら生存率は80%も下がってしまう。胸骨骨折で死ぬことはありません。一瞬でもためらっている時間はないのです。

――訓練で一度使っておくと、いざというときにはずいぶん違うでしょうね。

【村井】そうですね。Jリーグでは、真紀さんの「命をつなぐアクション」をはじめとするAEDボランティアの皆さんに全国のスタジアムを巡回してもらい、AEDの使い方が体験できるイベントを続けています。

中村憲剛選手が登場した「シャレン(社会連携)」の回でも言いましたが、Jリーグの価値は社会への発信力だと思っています。Jリーグの選手は社会に対する影響力を持っています。彼らの力を借りながらAEDの普及を進めていきたいと考えています。

2021年8月6日の色紙
撮影=奥谷仁
【色紙の言葉】私たちにも救える命がある。松田直樹さんありがとう。2021.08.06 - 撮影=奥谷仁

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大西 康之(おおにし・やすゆき)
ジャーナリスト
1965年生まれ。愛知県出身。88年早稲田大学法学部卒業、日本経済新聞社入社。98年欧州総局、編集委員、日経ビジネス編集委員などを経て2016年独立。著書に『東芝 原子力敗戦』ほか。

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(ジャーナリスト 大西 康之)

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