服を脱ぎ下着姿で「この家は寒い」…65歳義母に引きずりこまれた40代妻の24時間マンツーマン介護の蟻地獄
プレジデントオンライン / 2023年1月21日 11時15分
■中学生の時に父親が死亡
関西出身で、現在は関東在住の宮畑修さん(仮名・50代・既婚)。両親は、高度経済成長期の中、父親28歳、母親21歳の時に結婚した。同じ大手家電メーカー勤務の社内結婚だったが、母親は退職して専業主婦に。翌年長男である宮畑さんが生まれ、その4年後に弟、さらに2年後に妹が生まれた。
父親は仕事でほとんど家にいない。長男だった宮畑さんはかろうじて父親に遊んでもらったことや、たまに家族でどこかへ連れて行ってもらった記憶はあるが、妹や弟はほとんどなかった。
それでも両親は、宮畑さんが「夫婦げんかをしているところを一度も見た記憶がない」と言うように、夫婦仲は悪くないようだった。
しかし父親は、宮畑さんが中学2年生の時に、膀胱がんで死亡。母親は工場やスーパーでパートを始めた。幸い夫が勤めていたメーカーでは子どもが未成年のうちに従業員が亡くなると、18歳になるまで会社から養育費が出た。そのため母親は、父親の死後も比較的余裕を持って子育てができたようだ。
やがて宮畑さんは、高校を卒業し、出版社に就職。映像関係の仕事をするようになり、23歳の時にある会社から引き抜かれ、上京。それ以降、お盆と正月は実家に帰省することもあったが、仕事が忙しい時などは何年も帰らない時期があり、家族とは疎遠になっていった。
■突然の電話
それから数十年が経った2009年の年末。
疎遠になっていた妹から突然電話がかかってきた。宮畑さんが電話に出るなり、「お母さん(当時65歳)が入院したからすぐに病院に来て!」と叫ぶように言う。
妹は取り乱した様子で、具体的なことは詳しく聞けなかったが、誰かがついていてやらなければならないような状態らしいことは分かった。
しかし、上京した後しばらくして独立し、フリーランスで映像関係の仕事をしていた宮畑さん(当時43歳)は、年の瀬は猫の手も借りたいほど忙しい。考えた末に宮畑さんは、3歳上の妻に電話をする。当時宮畑さん夫婦は信州に自宅を持ち、自身は単身赴任して都内で働いていた。妻はちょうど仕事を辞めたところで、自宅でのんびり過ごしていた。
電話を受けた妻は、宮畑さんの母親が入院する関西の病院に向かってくれた。ところが数時間後、妻からの連絡に宮畑さんは愕然とした。妻は開口一番、「もうダメかもしれない」「天井を向いてヘラヘラ笑ってて、まるで別人……廃人のよう」と信じがたい言葉を並べたのだ。
身を固くした宮畑さんは、「覚悟」というワードが頭に浮かび、電話を持つ手に力がこもった。すぐに仕事を片付け、数日遅れで関西の病院に到着した宮畑さんは、変わり果てた母親の姿に立ち尽くした。
いとこの結婚式で半年前に帰省したときに数時間だけ会ったが、母親はその時と比べてもずいぶん老け込んでいた。
数日間母親についていてくれた妻から詳しい話を聞くと、母親の入院理由は「感染性腸炎」。母親が当時一緒に暮らしていた男性が、母親が食中毒のような症状を起こしたため救急車を呼び、男性から妹に連絡が行ったとのこと。
入院先の主治医より、
「腸炎は心配ないが、認知症の症状が顕著にみられる。このまま入院を続けるとかえって認知症が悪化する。認知症の症状の原因が、お母さんが40代の頃に患った甲状腺からなのか、精神面からなのか、脳疾患からなのかは不明。なので、これまで通院治療をおこなっていた病院に連絡をとり、今後の治療方針を検討すべきでしょう」
と言われ、入院時の経過などを記載した紹介状をもらい、通院していた内科へ。
内科医はこう助言してくれた。
「お母様は数カ月前から少し変でした。転居をきっかけに症状が悪化することが考えられますので、信州へ行かれるならくれぐれも慎重に」
このとき宮畑さんは、いとこの結婚式で帰省したときのことを思い出した。若い頃から料理上手だった母親は、いつもなら手料理でもてなしてくれるのに、仕出し弁当のようなものを注文してくれていた。
もともと明るい性格で、見た目はいたって元気そうだったが、食事が終わって談笑をしていると、「だるくて料理を作る気がしない」と言い出し、突然、「もう死にたい」と口走ったのだ。
「母の顔は笑っていたので、私たちは『冗談だろう』と言って流してしまいました。なぜ死にたい気持ちなのかは、当時母が一緒に暮らしていた男性もその場にいたため、突っ込んで聞くことができなかったのです。もしかしたら、その時からおかしかったのかもしれません」
■思いがけない誕生日プレゼント
翌日、少し回復した様子の母親に、宮畑さんが「何があったの?」と訊ねると、母親はきょとんとし、しばらく考えると、「嫌いな刺し身を食べて食あたりを起こした」と言った。
「一緒に帰って信州で暮らすか?」
宮畑さんがそう言うと、母親はごちゃごちゃといろいろなことを口にしたが、最終的には同意する。
「一緒に暮らしている男性はどうする?」と問いかけると、「もう、あそこには帰りたくない」と母親。
宮畑さんは驚いた。半年前の母親は男性に信頼を寄せている様子で、死ぬまで添い遂げるようなことを言っていたのだ。それなのに今、目の前の母親の口から出る言葉は、男性の悪口ばかり。
翌日、宮畑さんは、母親と男性が暮らしていた家を訪問。80代と見られる男性は、宮畑さんをにこやかに迎え入れ、数日間の経緯を話してくれた。
母親が高熱を出し、食欲がなくなり、体重がどんどん落ちてきた。水分も摂れず、高熱が下がらないため救急車を呼んだのだという。おそらく刺し身を食べて腸炎を起こしたことによる高熱だったのだろう。
さらに男性によると、母親はうつ病のような症状があったため、何年もの間、心療内科に通っていたと話し、「心療内科の担当医が変わってからおかしくなった」と怒りをあらわにする。おかしくなった母親をどうにか戻そうと思った男性は、母親が処方された薬を調整するようになったようだ。
ここで宮畑さんは、現在の母親の状況を男性に伝えた。すると男性は、「わしと暮らすようになっておかしくしてなってしまった!」と言って泣き出した。
宮畑さんが、母親を信州に連れて帰ろうと考えていることを話すと、男性は猛反対。しかし、男性は高齢でがんも患っており、足腰も悪くつえをつかないと歩けないため、母親の世話は難しいだろうと宮畑さんは思った。
男性は、「あいつの介護なんかしたらあんたらの生活が崩壊するぞ!」と口走ったが、宮畑さんには意味がわからなかった。「母がここへ帰りたくないと言っている」という言葉が喉元まで出ていたが、長年お世話になった男性にとどめを刺すようなことは言えなかった。
宮畑さんはいったん病院へ戻った。すると妻や妹のほか、母親の2人の妹とその夫が集まっており、男性とのやりとりを話すと、一同は表情を曇らせる。そんな中、男性に「二度と会いたくない!」と憤る母親に、宮畑さんの妻が、「お世話になったのだから、お別れのあいさつくらいしよう?」と促すと、母親はその言葉に応じた。
妻と妹と母親の3人で男性の家に行き、万が一に備えて宮畑さんが近くで待機していると、男性は女性ばかりが来たことをいいことに、3人を口汚く罵倒。しかし母親がはっきりと、「もう、あなたの面倒を見られません!」と男性に告げると、男性は絶句し肩を落とした。
信州へ向かう日。退院の手続きを済ませ、病院の近くのファミレスで親戚たちと食事をした後、母親の下の妹の夫が、「いい誕生日プレゼントだな。これからが長いだろうけど頑張るように」と言い、宮畑さんの肩を叩いた。
そう言われて初めて宮畑さんは、今日が自分の44歳の誕生日だということを思い出した。
■「やっていけるだろうか」
吹雪の中、高速道路を走らせ、信州の家に着いたとき、すっかり夜になっていた。
母親はリビングのソファに腰を下ろすなり、テーブルの上にスリッパを履いたまま足を投げ出す。それを見た宮畑さんの妻は、かすかに顔を歪めた。
宮畑さんは妻の「やっていけるだろうか」という不安な気持ちを感じ取ったが、「今さらもう引き返せない」と思った。
母親に、親戚たちに無事着いたことを連絡するように言うと、母親は電話が通じた途端、お礼も言わず、親戚たちに対するありとあらゆる文句や不平不満を並べ出し、宮畑さんと妻はびっくり。母親のぞんざいな態度と罵詈(ばり)雑言を目の当たりにした宮畑さんは、早速、家に連れてきたことを後悔した。
母親によるトラブルはまだ序の口だった。翌日から宮畑さんと妻は、母親のわがままや無理難題に振り回されることになる。
「あれが食べたい、これは食べられない。こんな服や靴下じゃ寒いから買ってくれ、この部屋は寒い、トイレについて来てくれ、誰か一緒に寝てくれ……。何もわからない私と妻は、母の言葉にいちいち反応し、満足させようと走り回りました。男性との生活について聞いてみたところ、虐待に近い扱いをされていたと話していたので、母がおかしくなってしまったのは男性のせいだと思いました。原因となった男性から離せば、母は少しずつ元に戻るのではないかという希望にすがり、必死にケアしました」
信州では、知人に紹介してもらった甲状腺の病気に詳しいと評判の病院に母親を連れて行き、これまでの経緯を説明。
「甲状腺も心配ですが、医薬品乱用の疑いも拭い切れない。まずは、薬の整理をすべきです。甲状腺、精神面、老人医療を考えると、まずは精神科で現在の状態を診てもらい、医薬品による影響を判断し、整理をすることが先決でしょう」
と医師に助言され、12月末に精神科を受診。脳や血流、認知症の検査などを一通り受けた。
数日後、宮畑さんは妻と母親を残し、年末の仕事を片付けるために、単身赴任先である東京へ戻った。
■嫁と姑との時間
宮畑さんが東京へ戻った翌朝、宮畑さんの妻は、朝7時に義母に起こされた。義母は7枚も着込んでいるのに、「寒い寒い!」「コタツが欲しい!」と言うため、コタツを買いに行き、帰宅するなり義母が自分でセットする。すると突然ブレーカーが落ちた。
それからというもの、義母は「怖い怖い!」と連発し、宮畑さんの妻にまとわりつき、10分と離れようとしない。
妻が掃除や洗濯をすると、義母は手伝った。その後「散歩がしたい」と言うので妻は付き合い、帰宅後、「昼ごはんにうどんが食べたい」と言うので妻はうどんを作る。つゆの味を義母に味見させたところ、いつもより薄めにしたのに、「からい! からい!」としつこく言い、薄める。義母は長ネギを見ると、「国産じゃないと食べない」と言い、食べ始めると、「食べる前に外出をすれば良かった」と言い出す。
食事後、妻がトイレに入っていると、「早く外出しよう」と急かす。スーパーで買い物をしているときは自分でスタスタ歩くのに、人が多いところだと重病人のようにべったりと妻に絡みついてくる。
帰宅後、足のむくみなどまったくないのに、「象さんの足だから!」と言い張る。暑いと言って上着を脱いで下着のみになっているのに、「この家は寒い」と言うので、「さっきお義母さんが暑いと言ったから暖房を切ったのよ」と言ったら、「そんな怖いこと! 私のこといじめるのか! なんでそんなことするんだ!」と大騒ぎ。「私は団子なんて食べへんで!」と言いつつ、パクパク。すべてが支離滅裂だった。
「夕食は卵のおじやにしよう」と言うので、味付けを任せたところ、味がない。近所からもらった野沢菜漬けの塩抜きをして少し食べてもらった途端、「からい! からい!」と叫び、「だから田舎の人はいやだ!」とぶつぶつ。
入浴は嫌がる。新しい下着に着替えるよう促すと、「病院でもそんなに着替えていないし、洗濯もせんでええ」と不満顔。「息子は一緒に寝んでもええと言ってたけど嫌だ。一緒に寝よう」と言うため、一緒の部屋で寝ると、1時間おきに起こされ、トイレへ。
翌朝は5時に起こされる。朝食後、義母は「散歩に出たい」と駄々をこねるが、「まだ7時だから暖かくなってから」と言って掃除を始めると、「掃除なんて毎日するものじゃない!」と怒鳴る。
一緒に暮らしていた男性の悪口を言い始めたかと思うと、「子どもたちに迷惑を掛けるから、2人で死のうと話していた」と言うため、妻は義母をたしなめる。
夜はまた入浴を渋るが、1時間ほど説得するとようやく入った。だが入浴後、「湯をがぶがぶ飲んだら下痢した」と一言。薬を飲ませる。
その日は別々に寝ても良いこととなり、「明日、起こしに行ってもいいか?」と聞かれたので、妻は「いいですが、6時か7時にしてください」と伝えたところ、「8時か9時ね」と確認される。
翌日もその次も、義母はわがままや無理難題を言い続けた。妻がたしなめると義母は、「ずっと一緒にいると言ったのに話が違う」とぽつり。「一緒にいるでしょ。もしも妹ちゃん(宮畑さんの妹)が一緒にいるとなると、仕事を辞めなきゃならないでしょ?」と妻が言うと、「あの子が来るならお金も考えてやらないと……」と義母。「私だって仕事をあきらめてお義母さんと一緒にいるんですよ」と妻が少し意地悪く言うと、義母は、「あなたは介護する人です」ときっぱり。妻は、「家族だから一緒に住んでいるとは思えないのだろうか?」と寂しい気持ちになった。
義母は、宮畑さんの妹(自分の娘)に対しては、「きつい子だから一緒に住みたくない」と言う。その割には、電話がかかってくると、あることないこと宮畑さんの妹に妻の悪口を吹き込む。
悲しくなった妻が、「妹ちゃんに私の悪口を言ってすっきりしましたか?」とたずねると、「すっきりしました!」と義母。
そこで妻が、「ねぇ、お義母さん。私叱った? お義母さんが困るようなことした?」と問うと、「だって、介護士じゃないっていわはるやん。ごはんだって、硬いし、からいし……」とぼそぼそ。「私だって人間だから悲しくもなるし、怒りたくもなるのよ」。
義母はしゅんとなった。
■妻の限界
年末の仕事を早々に片付けて、宮畑さんは母親と妻がいる信州へ戻った。年末から年始にかけて、20歳の娘も帰省。約10日間を母親と過ごした宮畑さんは、初めて自分の気が狂うのではないかと思った。
「何かを言うと文句ばかり返す母。言いたい放題、わがまま放題。この母に振り回されていてはこっちがおかしくなると思いました。私が知る母は料理がうまく、明るく楚々としていたのですが、まったく別人のような行動と発言の連発。私たちは、母は認知症ではなくて、精神に異常をきたしているのではないかと思いました」
宮畑さんたちは、認知症と統合失調症についての勉強を始めた。数日一緒に過ごして、妻が相当疲弊していることがわかった宮畑さんは、関西の妹にSOSを出した。(以下、後編へ続く)
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ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。
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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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