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再雇用で年収が5分の1になり…焦った63歳の元部長がのめり込んだ"定年後起業"という危険な夢

プレジデントオンライン / 2023年1月27日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

定年を迎えたあと、どんな働き方を選べばいいのだろうか。近畿大学の奥田祥子教授は「定年後の現実を受け入れることができず、『定年後幻想』に陥る人は珍しくない。私が取材したある60代の男性は、役職定年で年収が減り、かつての部下に蔑まれた苦い経験から起業を目指したが、投資詐欺にあってしまった」という――。(第4回)

※本稿は、奥田祥子『男が心配』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

■現実を直視できずに陥る「定年後幻想」

仕事や、男としての性、健康面で「生涯現役」にこだわるあまり、定年後に誤算を招くケースが少なくない。急速な高齢化の進行に伴い、60歳を過ぎても働き続けることが可能な環境整備が進んでいる。

2021年4月からは改正高年齢者雇用安定法施行により、70歳までの継続雇用制度(再雇用、勤務延長)の導入、70歳までの定年の引き上げ、定年制の廃止など5つ(※1)のうち、いずれかの高年齢者の就業を確保する措置を取ることが事業主の努力義務となった。定年後の雇用確保は、生きがい創出とともに、社会保障政策の面から重要であり、経済成長を促すうえでも欠かせない。

こうした動向を追い風に、仕事一筋で生きてきた男性たちは、それが男としてのすばらしい人生の証しであるかのように、「生涯現役」を志す。しかしながら、定年まで勤めた同じ会社で継続雇用に順応するのは容易ではなく、転職や起業も決して甘くないのが現実だ。

すなわち、現実を直視できず、理想を追い求める「定年後幻想」が、男性たち自身を追い込んでいるのである。男たちが「定年後幻想」に陥ってしまうのは、どうしてなのか。当事者心理だけでなく、社会環境や人々の意識の変容にも着目して考えてみたい。

(※1)70歳までの高年齢者就業確保措置の努力義務には、このほか70歳まで継続的に業務委託契約を締結する制度の導入、70歳まで継続的に、事業主が自ら実施する社会貢献事業、または事業主が委託、出資する団体が行う社会貢献事業に、従事できる制度の導入がある。65歳までの雇用確保(義務)と異なり、就業確保と表現され、事業主が直接雇用しなくともよいことになっている。

■パニック障害を発症し、病院に搬送される

定年後の仕事をめぐる惨事を経験した松本裕太郎(まつもとゆうたろう)さん(仮名)は、あの日、なぜそこに立ち寄ったのか、その前後の記憶がいまだ不鮮明で思い出せない。2019年、当時63歳の松本さんは、1年半前まで勤めていた会社が入居するオフィスビル内のコーヒーショップで、突然激しい動悸(どうき)やめまいに襲われた。次第に症状は強まり、手足の震えのほか、全身が急速に熱くなってくる。店員に助けを求めようと立ち上がろうとして、その場に倒れ込んだ――。

覚えているのは、店内でコーヒーを飲み始めてから不調を自覚し、ズシンという低く重い音と、大きな衝撃を耳と体に感じて倒れたところまで。意識が戻った時は、すでに病院のベッドの上だった。松本さんはパニック障害を発症し、救急車で病院に搬送されたのだ。

「それまで経験したことのないような症状で、体を全くコントロールできず、手足も動かず、声も出ない。自分の体が自分のものでないように感じて、暗い闇の中に閉じ込められたような、とても恐ろしい発作でした。で、でもね……不思議なんです。店内で倒れ込んだ時のほとんどの記憶をなくしているにもかかわらず、『このまま死んでしまったら、楽だろうな』と咄嗟(とっさ)に考えたことだけははっきりと覚えているんです。とんでもない落とし穴にはまって、人生で最もつらい経験をした直後で、追い詰められていましたから……。あー、ふぅー」

パニック障害の発作で倒れてから、数カ月が過ぎた頃のインタビュー。彼自身、ある程度心の整理がついて取材に応じてくれたようだったが、話している途中で「人生で最もつらい経験」が脳裏によみがえったのか、そこまで言い終えると、まるで力尽きたかのような表情で深いため息をついた。

オフィスでストレスを感じたビジネスマン。
写真=iStock.com/kieferpix
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kieferpix

■「生涯現役」という焦りからの失敗

松本さんがはまった「落とし穴」とは、投資詐欺のことだ。定年退職後の継続雇用で働いていた職を自ら辞し、起業するために資金を集め、準備していた最中に被害に遭ってしまったのだ。

「定年後の仕事については道を誤ってそれまで築いたものを失わないよう、50歳前後から、同じ会社での継続雇用、転職、そして起業を視野に、ビジネス書や体験談をまとめた新書などあらゆる本を読みあさって情報収集し、勉強してきたつもりでしたが……まさか、この私が、投資詐欺の被害に遭うなどとは……本当に、夢にも思っていませんでした」
「なぜ、しっかりと準備してきたにもかかわらず、詐欺の被害に遭ってしまったと思われますか?」
「…………」

早い段階で核心に迫る質問をしてしまったためか、松本さんは口を閉ざしてしまう。ただ、この問いに対する自分なりの答えはすでに見出していたようで、2、3分の沈黙の後、それまでよりも話すスピードを落とし、弱々しい声でこう話してくれた。

「ずっと現役で頑張り続けなければならない、という焦りがあったのだと思います。そうでなければ、何事にも慎重な性格の自分が犯罪被害に遭うはずがありませんから。あの頃は……なんて言えばいいんでしょうかね……あっ、そう、自分で自分の心、思考を制御できずに、暴走してしまったとでもいいますか……」

パニック障害は投薬治療で快方に向かい、すでに抗うつ薬は飲まなくなっているが、時折、不安に見舞われることがあり、頓服(とんぷく)として抗不安薬は手放せないという。

■真面目に働いてきたが役職延長もなく…

松本さんは当初から、起業ひとつに絞って、計画を練っていたわけではない。彼を経営コンサルタントとしての起業に駆り立てたのは、定年後に再雇用で働いていた時の苦い経験だった。その経緯について、松本さんとの出会いまでさかのぼって、振り返ってみたい。

彼とは10年に、定年後の人生設計をテーマにした講演会で知り合った。当時、54歳でメーカーの経営企画部長を務めていたが、半年後に役職定年を控え、身の処し方に迷っていた。無論、先に紹介した彼の語りにもあった通り、綿密に情報収集して考えたうえでの悩みである。

「管理職が視野に入ってきた30歳頃からずっと目指していた役員になる道も、役職延長さえ、私には残されていないんです。私が怠けていて、実績を上げていないならまだしも、真面目にしっかりと会社の成長につながる任務を果たしてきました。それなのに……評価してくれなかったのは非常に残念だし、腹が立って仕方ありません。長年仕えてきた会社に裏切られたような気持ちになってしまって……」

だが、ここで働くということから逃げることができないのは、本人が一番わかっているようだった。

「一度は絶望しましたが、これからますます費用がかさむ高校生と大学生の娘たち2人の教育費のことも考えると、仕事を辞めるわけにはいかないんです。妻子が安心して暮らせるように、必死に仕事を頑張ってきた自分を否定し、夫として、父親としての重要な役目を放棄してしまうようなものですから。定年まで、さらに定年後も、働き続けることを前提に、少しでもそれまで培ってきた経験やノウハウを生かせるような前向きな働き方ができればいいのですが……」

日本の企業経営者が悪いニュースを受け取る
写真=iStock.com/THEPALMER
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/THEPALMER

■年収は定年直前の5分の1にまで減少

60歳で定年退職後、松本さんは会社の再雇用制度を利用し、週3日勤務の嘱託社員として働き始めた。当時すでに65歳までの高年齢者雇用確保措置(※2)が事業主に義務付けられていたが、勤務する会社の制度に定年の引き上げや定年廃止はなく、継続雇用制度だけで、さらに継続雇用の中でも再雇用に限られていた。

勤務日数も就業規則で一律週3日と定められていて、年収は定年直前の5分の1の約150万円に下がったという。再雇用制度の利用を決めた定年直前のインタビューでは、「待遇が悪くなるのはやむを得ないが、せめて職務経験を生かし、役に立つ仕事をしたい」と話していた。

(※2)義務付けられている高年齢者雇用確保措置の対象年齢が2013年から65歳までに引き上げられ、継続雇用制度の対象者も同年から希望者全員に拡大された。ただし、13年3月31日までに継続雇用制度の対象者を限定する基準を労使協定で設けていた場合、25年3月31日までの経過措置が認められている。

■かつての部下に顎で使われ心が折れてしまう

会社員として最も長い時間を費やし、部長も務めた経営企画部内の課に配属となったものの、定年後の継続雇用の実態は思い描いたようなものではなかった。

「自分が定年まで蓄えてきた経験、能力は貴重なものだし、定年後も生かせると信じていたのですが、実際には補佐的な単純作業しか任せてもらえません。つまり……私はもう必要ないということなんですよ。それに……かつていろいろと教えてやった部下に顎(あご)で使われるのは、とてもつらいもんです。役員になれず、役職延長もなかった時は腹立たしい気持ちでいっぱいでしたが、今はそうした怒る気力さえありません」

定年後の継続雇用で勤め始めてしばらくして、そう心情を漏らし、その後自分から希望して、1年ごとの契約を1度更新しただけで再雇用を2年で終了することにした。定年退職を迎えるまでは優先順位の高かった待遇面は度外視してでも、自分の持てる力を発揮して「役に立つ」ことで、定年後も働き続けるモチベーションを維持しようと、努めて前向きに考えていた松本さんにとって、再雇用の現実は、相当、耐え難いものだったようだ。

そうして、自ら「暴走」と称した状態が惨事につながってしまうのだ。経営コンサルタントとして起業することに再起を懸け、さらなる情報収集とともに、人脈づくりのためにさまざまなセミナー、勉強会に参加するようになった。

■投資詐欺で約300万円をだまし取られてしまう

ある起業セミナーで知り合った男性から未公開株購入の投資話を持ち掛けられ、約300万円を騙(だま)し取られたのだという。弁護士に回収を依頼して一部は戻ってきたが、経済的にも、精神的にも、大きな痛手となった。

カンファレンススピーカーイベントのプレゼンターと聴衆
写真=iStock.com/DIPA
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/DIPA

パニック障害の発作から1年半が過ぎたあたりから、松本さんが求職活動を始めていたことを知るのは、19年のインタビューから2年近く経た21年夏のことだった。実はこの間、何度か取材を申し込んだのだが、「これからどうするかまだ決まっていないので、話せることは何もない」などと断られ続けていた。21年の取材で、65歳になった松本さんは、定年後の仕事をめぐる問題を振り返り、こうもどかしい心境を語ってくれた。

「70歳まで働ける時代になっても、会社の中でも外でも、定年後の仕事は非常に難しいことを、いろいろと経験してきて今、改めて実感しています。長年忠誠を誓って勤めてきましたが、会社にとっては“お荷物”なんじゃないでしょうか。法律で義務付けられているから仕方ないが、生産性向上が叫ばれている時になんで継続雇用しなければならないのか、と困惑しているのが実情でしょう。『生涯現役』で頑張る男の人生はすばらしい、と信じて定年後も働き続けることにしたのに……まるで、梯子(はしご)を外されたようです」

■恥を捨てて仲間を頼って再就職にこぎつける

では、厳しい状況を承知しながらも、今なぜ再就職活動を行っているのか。

「自分でもよくわからないのですが……働かずに家の中でゴロゴロしてるのは、家内と、社会人になって同居している娘たちの手前、気が引けるからですかね。それに何より、近所の人たちがどう思うか気になって、昼間、外出もしづらい状況ですし……。

奥田祥子『男が心配』(PHP新書)
奥田祥子『男が心配』(PHP新書)

特に最近は、世の中が、男は定年を迎えても働き続けるもの、という見方をしているのを強く感じていて、プレッシャーでもあるんです。近所の奥さん連中からも、『あそこのお宅のご主人、働いていないみたいよ』などと陰口を叩かれているように思えてきて……。要は、何のために自分が働こうとしているのか、目的・動機が見つからず、わからなくなっていること自体が問題で、だから職を求めて数カ月経っても再就職先が見つからないのだと自覚しているんですが……」

このインタビューから半年余り経った22年春、松本さんから、税理士事務所で契約社員として1カ月前から働き始めたと連絡があった。

「前回、求職活動の理由を聞かれて、わからない、と答えながら、これじゃダメだと気づいたんです。近所の手前とかではなくて、会社員時代の経験を生かして少しでも前向きに働けないかと。それで思い切って、恥も外聞もなく、自分を使ってくれとかつての仕事仲間など知り合い何人かにお願いして、運よく今の事務所で働けるようになりました」

■同世代の再就職先の社長や妻の支えがあって前向きになれた

「それまでの再就職活動から好転したきっかけは、何だったのでしょうか?」

「社長さんが同年代で、在職中に資格を取得して定年後に事務所を興したこともあって、互いに共感し合える部分も多く、私の境遇を理解してくれたことが大きかったと思います。私自身も働くモチベーションにつながっています。それから、妻がどんなときも私の味方になって、応援し続けてくれたことも忘れてはいけませんね。

やはり自分は少しでも誰かのためになっていると感じられる仕事をしているのが一番気が楽で、周りの目を気にせず生きていけるのだとわかりました。まだこれからのことは決めていませんが、年齢を重ねると体力的に不安に感じることも増えてきますし、無理せず、必要としてくれる間は働き続けられればと考えています」

最初のインタビューから苦悩を聞くことが多かったのだが、この時の松本さんは控えめながらも、微笑みを浮かべるなど明るい表情を見せてくれた。過去のつらい出来事を乗り越え、少しずつ前を向いて歩み始めている様子がひしひしと伝わってきた。

■「生涯現役」にこだわってしまう“男らしさの呪縛”

男たちが「生涯現役」にこだわる心理的背景には、いくつになっても男として強く元気で活躍し、孤独に陥ってはいけないという固定的な「男らしさ」の呪縛がある。そもそも、定年後の現実は、思い描いた理想通りにいくものではない。

事例でも紹介したように、想定外の問題に直面するなどして頭を抱え、苦境に立たされるケースが少なくないのだ。それにもかかわらず、男としてこうあらねばならないというジェンダー規範と決別できないがゆえに、なおいっそう己を追い込んでしまうのである。定年後の労働については、本章冒頭でも述べた通り、継続雇用制度の対象年齢を70歳までに引き上げることなどが事業主の努力義務となるなど、雇用環境は整いつつある。

現に、厚生労働省の2022年「高年齢者雇用状況等報告」によると、66歳以上働ける制度のある企業は40.7%(対前年比2.4ポイント増)を占め、70歳以上働ける制度のある企業も39.1%(同2.5ポイント増)と、いずれも増加傾向にある。しかし高年齢者の雇用確保が進められる一方で、雇用主側は、定年後の従業員の有効活用と労働生産性の向上という課題を抱える。労働者側も、継続雇用で仕事の質や賃金が下がることで働く意欲が低下し、定年まで長年培ってきた経験や実績が十分に生かせないことへの戸惑いなどの壁にも直面している。

■定年後は“生き方のギアチェンジ”が必要

外部労働市場に目を向けても、定年までの職務経験を生かしたシニアの転職は難しく、ましてや起業になると困難を極めるケースが多い。

労働政策研究・研修機構が19年に実施した「60代の雇用・生活調査」によると、働く60~64歳男性の雇用形態は、「正社員」が37.1%に対し、「パート・アルバイト」(13.7%)、「嘱託」(24.0%)、「契約社員」(18.2%)、「派遣労働者」(2.2%)を合わせた非正規雇用労働者は58.1%に上った(図表1)。65~69歳に年齢が上がると、正社員が18.8%に対し、非正規雇用は76.6%と、両者の開きはさらに拡大する。

出所=『男が心配』
出所=『男が心配』より

また、同機構の「高年齢者の雇用に関する調査(企業調査)」(19年実施)では、フルタイムで働く60~64歳の継続雇用者の年収の平均値は374.7万円だった。

定年後も働き続けるのか、またどのような働き方をするのかは、あくまでも本人が決めることだ。それだけに、待遇の悪化や体の衰えなどマイナス要素と向き合いながら、加齢に抗うことなく、孤独も受け入れ、自ら乗り越えていく覚悟が必要になる。

「生涯現役」にこだわり過ぎると思わぬ誤算を招くことが多いが、定年後の継続雇用で仕事の質や賃金が下がることも、加齢に伴って体が衰えてくることも織り込み済みであれば、無理せず前向きに「現役」を目指すことは何ら問題ない。要は、仕事一筋で出世を目指して全速力で突っ走った定年までの働き方、生き方からの減速のギアチェンジが必要なのである。

「男らしさ」を具現化するため、定年まで長時間労働に耐え、私生活に犠牲を強いられた結果、生活の質を低下させ、健康にまで悪影響が及ぶケースも少なくない。男たちにとって、定年後は「男らしさ」の枷かせを外す絶好の機会でもあるのだ。

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奥田 祥子(おくだ・しょうこ)
近畿大学 教授
京都生まれ。1994年、米・ニューヨーク大学文理大学院修士課程修了後、新聞社入社。ジャーナリスト。博士(政策・メディア)。日本文藝家協会会員。専門はジェンダー論、労働・福祉政策、メディア論。新聞記者時代から独自に取材、調査研究を始め、2017年から現職。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程単位取得退学。著書に『捨てられる男たち』(SB新書)、『社会的うつ うつ病休職者はなぜ増加しているのか』(晃洋書房)、『「女性活躍」に翻弄される人びと』(光文社新書)、『男が心配』(PHP新書)などがある。

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(近畿大学 教授 奥田 祥子)

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