イクメンは左遷の対象でしかない…トップ営業マンだった30代男性が直面した"育休パワハラ"という現実
プレジデントオンライン / 2023年1月28日 11時15分
※本稿は、奥田祥子『男が心配』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
■「イクメンが社会を変える」は理想でしかない
男性の多くが子育てに積極的に携わることが難しいにもかかわらず、「イクメン(※1)」が社会でもてはやされることにより、男たちは苦悩を深めている。
「イクメン」の言葉・概念が世に広まり始めたのは2009年頃のこと。翌10年には「育てる男が、家族を変える。社会が動く。」をキャッチフレーズに、厚生労働省が男性の育児参加、育児休業(育休)取得の推進を目的とした「イクメンプロジェクト」を発足させた。イクメンは、新たな男性像として祭り上げられているようだ。
しかし、実際に育児に関わってイクメンを実践できている男性はごく少数である。なぜなら、法的に時間外労働の上限が設けられても、自宅に仕事を持ち帰って処理せざるを得ないなど、実質的な長時間労働はいっこうに是正されず、子育てに費やす時間を確保することができないような状況だからだ。
さらに、表ではイクメンを称賛しながら、裏では育児に関する制度利用などをきっかけとする嫌がらせであるパタニティハラスメント(パタハラ)が横行し、男性の育児関与をなおいっそう困難にしている。
2022年12月16日に配信された朝日新聞デジタルの記事でも、都内に住む40代の男性が育休を取得後に上司から嫌がらせを受け、退職に追い込まれた事例が紹介され、話題になったが、ここで紹介するのはさらに悪質で巧妙に仕組まれたパタハラだ。
現実に反して、「イクメンが社会を変える」といった神話が社会に浸透するにつれ、男としてあるべき理想像を具現化できない“落伍者”として、自分を追い詰めてしまう男性は少なくないのである。育児に関わりたいと願っても実現できない理想と現実のギャップ、職場の本音と建て前など、さまざまな要素が複雑に絡み合った男たちの苦悩とそのわけを探る。
(※1)育児に積極的に携わる男性を指すことが多いが、言葉が世に出た当初は「育児を楽しむ、格好いい男性」という意味が前面に出ていた。名付け親は、広告会社のコピーライターとも、民間研究機関の研究員ともいわれている。
■突然、部長に呼び出され部署異動を命じられる
なぜ、この俺が出世コースから外れなきゃならないんだ――。大手メーカーで入社以来、営業畑を歩んできた荒井拓真(あらいたくま)さん(仮名、当時38歳)は2021年春、総務部庶務課への人事異動の内々示を受けて唖然(あぜん)とし、思わずそう心の中で叫んだ。
人事異動の内示を数日後に控えたある日、所属部の男性部長から不意に呼び出された。細長い会議室の出入り口から最も遠い隅で、長テーブルの対角線上に2人は向かい合った。「君、総務部庶務課に行ってもらうことになったから。それほど重要な引き継ぎはないと思うが、まあ、後の者が困らないように頼むよ。じゃあ」「ちょ、ちょっと待ってください。理由を教えてください。その左遷、される……」
「おいおい、『左遷』なんて、君、人聞きの悪いこと言ってもらったら困るよ! 理由は、自分の胸に手をあてて考えてみてよ。わかるでしょ。人事考課があれほどガタ落ちしちゃ、残念だけど、営業ではもう面倒みきれないのよ。新天地で頑張ってくれ。じゃあな」
部長は言い終えて会議室を出ていこうとして立ち止まり、顔だけ振り向き、こう言い放った。それまでの口調とは打って変わり、ドスのきいた声だった。
「おい、お前、パワハラだなんて言い出すんじゃないぞ。異動にはちゃんとした理由があって、客観的証拠もあるんだからな」
これは唐突に異動を告げられた時の状況を、荒井さんの証言をもとに再現したものだ。
■用意周到に仕組まれた罠だった
荒井さんが総務部への異動の経緯と苦悩を語ってくれたのは、人事異動から数カ月が過ぎた21年夏のインタビューでのこと。第一子となる長男が生まれて育休を取得する予定であることを教えてくれた、19年以来の取材だった。
「あの日の出来事は今も、頭から一時(いつとき)たりとも離れたことはない。夢にまで出てきて、うなされて飛び起きることもあります。仕事中も、思い出すだけで心臓がドキドキしてきて、怒りと悔しさ、憎しみが込み上げてきて……。これまでの人生でここまでつらい思いをしたことはなかった。常に前向きに生きてきた人間としては、抱きたくない嫌な感情ばかりですが、しょうがないんです。懸命に会社のために頑張ってきたのに、裏切られた気分です……」
実際に、インタビュー中にもあの日の光景を思い出してつらそうな様子を見せることがたびたびあったため、ここで取材を切り上げて改めて機会を設けることを申し出たのだが、彼は力を振り絞って言葉を継いだ。
「育休を取ったことによる多少のハンデは織り込み済みでしたが、まさか左遷されるとは……。あの時、部長が言ったように、人事考課が急落したという客観的証拠はあるんです。でも、それも僕を左遷するために、用意周到に仕組まれた罠ですよ。男が育休を取ったらこうなるという、見せしめ以外の何ものでもありません。そ、それに……」
■「イクメンにならなければ」と躍起になっていた
言葉に窮する荒井さんをさらに追い詰めるようで心苦しかったが、確かめておかねばならない。
「ほかにも何か、あるのですか?」
「そ、そうですね。うーん……イクメンにならなければならない、と躍起になったことで、足をすくわれたのかもしれません。イクメンが家族だけでなく、社会も良い方向に変えるのだから、そのために会社に社員の育休取得を推進させ、男性も自由に育休を取得できる職場環境をつくるため、僕が先頭に立って、なんて……。大きな間違い、でした……」
腹の底から絞り出すような声でそう話し終えると、ぐったり肩を落とした。荒井さんの営業成績はトップクラスで、同期の先陣を切って30歳で係長に昇進した。19年秋に3カ月間、育休を取得するまでは、課長就任間近と目されていた出世頭だった。
苦難は、育休からの仕事復帰後に待ち受けていた。育休に入る前は復帰後も職務内容は変わらないと上司から聞いていたが、実際に職場に戻ってみると、担当していた取引先はほかの社員の受け持ちになり、精力的に営業活動を行って次々と新たな仕事を獲得していた育休前の働き方とは異なり、営業データの分析など内勤を中心に担うことになったのだ。慣れない仕事で実績を出しにくいことに加え、本来の職務を外された悔しさや憤りなどから、なかなか仕事に集中できなかったという。
■育休前とくらべて評価は急落し総務部へ異動
その結果、半年ごとの人事考課は5段階評価で、育休前の最高評価から、下から2番目に急落し、その後も上のランクに戻ることはなかった。そうして、予想だにしていなかった総務部への異動である。
「残業続きの営業にいた頃と比べて、今の部署ではほぼ定時に終わるので、息子と向き合う時間はずいぶん増えました……で、でも……皮肉なんですが、以前のように子育てに前向きな気持ちになれないんです」
目の前の現実を受け入れられず、ただもがき苦しむ様子が痛々しかった。
荒井さんとは2008年、ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)をテーマにしたシンポジウムで出会った。
それから6年後の14年、31歳で2歳年上の女性と結婚した。
「妻は出産後も仕事を続けたいと話していますし、僕も協力して、あっ、いや……協力、というのはおかしいですね。僕自身も主体的に子育てに関わっていきたいし、育休も取ろうと心に決めています。ただ、だからといって、仕事はほどほどに、なんて全然思ってはいませんよ。今も営業成績はトップクラスだし、出世して会社からも社会からも認められたい。つまり、仕事もお父さんも頑張る、ということですね」
■違法行為にならない“巧妙なパタハラ”
目を輝かせながら、そう話してくれたことを昨日のことのように思い出す。長男が誕生するまでさらに6年の間、子宝に恵まれず、妻は一時は退職も考えたという。タイミング療法による不妊治療を経て人工授精に踏み切ろうとしていた矢先、妊娠が判明した。それだけに、わが子への想いは相当のものだったに違いない。
男性の育休取得は社内では2件しかなく、期間はいずれも5日未満。男性の育休取得者の所属は総務、人事部で、荒井さんの営業部からは前例がなかった。「男性社員の育休取得が好まれないことはある程度認識していた」うえで、3カ月の育休に踏み切ったのだ。
育休取得を契機とした処遇、つまり育休と処遇との間に因果関係があれば、法律で禁じられている不利益取扱いに該当する。荒井さんも不利益取扱いであると人事部に訴えたが、育休終了から1年以上経過していること、さらにこの間の人事考課が低かったことなどを理由に、認められなかったという。
異動以前に、育休からの職場復帰後に慣れない内勤に変えられて低評価を受けたこと自体、不利益取扱いの可能性がある。これらが会社側に仕組まれたものだとすると、巧妙なパタハラといえるだろう。
■部署異動はしたがやりがいを感じている
22年に39歳になった荒井さんは現在、総務部門の係長として、製造過程における環境負荷を軽減するなど環境対策を担当している。CSR(企業の社会的責任)やSDGs(持続可能な開発目標)の観点からも、企業活動として注目される分野である。
プライベートでは、10カ月の育休を取得して職場復帰してから約1年半になる妻と、3歳の長男の保育園への送り迎えなどの育児を分担している。改めて、今の考えを尋ねた。
「急に人事異動を告げられたあの日の出来事は、今でも忘れることはありません。でも、悪夢にうなされたりすることはなくなりました。会社の理不尽なやり方には腹が立ちますが、終わったことを振り返るより、これからどう働いて、生きていくか、先のことを考えるように気持ちを切り替えないといけないと自分に言い聞かせています。
以前は総務などのバックオフィス部門に関心がなかったんですが、重要な屋台骨だと自覚した。僕の前に育休を取った男性社員も総務と人事ですし、多くを語り合うことはないけれど、男性の育児のつらさを共感し合える仲間が近くにいるのは心強いです」
■仕事の目標ができたことで前向きになれた
そうして、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
「以前、お子さんとの時間は増えても前向きな気持ちになれない、とおっしゃっていましたけれど、今はいかがですか?」
「たぶん、古巣の営業を離れても、環境対策を軌道に乗せるという仕事の目標ができたことで、子育ても悲観せず、前向きに携われるようになったんじゃないかな。僕の父親は忙しくて相手をしてくれた記憶がほとんどないから、息子とキャッチボールをするのが夢なんですよ。それから、妻が働きながら家のことも頑張ってくれているのには、勇気づけられています。
昔、奥田さんに仕事もお父さんも頑張ると宣言して、仕事はあの当時に計画していた通りにはいっていませんが……、でも、でもね、営業かバックオフィスか部署は別として、もう一度、チャンスはあるんじゃないかと最近、少しずつ思えるようになったんです」
苦しい経験も糧に、前を向こうと懸命に努めているように見えた。
■パタハラは「表面化しにくい深刻なハラスメント」
男性が育休を取りにくい主因のひとつに、パタハラがある。育休など子育てに関する制度利用を妨害したり、制度を利用しようとすると嫌がらせを行ったりするハラスメントであるパタハラは、女性へのマタニティハラスメント(マタハラ)と同様、17年から事業主に防止措置が義務付けられている。
パタハラは、表面化しにくい深刻なハラスメントである。
厚生労働省が21年4月に公表した20年度「職場のハラスメントに関する実態調査」では、国の調査としては初めてパタハラに関する調査項目「男性の育児休業等ハラスメント」が加えられた。過去5年間に勤務先で育児に関わる制度を利用しようとした男性労働者500人を対象に行った調査で、4人に1人(26.2%)が育休等に関するハラスメントを受けたと回答した。
また、調査対象者の33.0%が育休など育児に関わる制度を「利用しなかった」と答えた。パタハラを受けて利用を諦めた制度は、「育児休業」が42.7%を占めて最多で、次いで「育児のための残業免除、時間外労働・深夜業の制限」(34.4%)が多かった。
ハラスメントの内容については、「上司による、制度等の利用の請求や制度等の利用を阻害する言動」が53.4%と最も多く、「同僚による、繰り返しまたは継続的に制度等の利用の請求や制度等の利用を阻害する言動」(33.6%)、「繰り返しまたは継続的な嫌がらせ等(嫌がらせ的な言動、業務に従事させない、もっぱら雑務に従事させる)」(26.7%)が続いた。
■法の網をすり抜け、ますます悪質化している
また、連合(日本労働組合総連合会)が同居している子供がいる全国の25~49歳の男性労働者1000人を対象に19年に実施した調査によると、実際に育休を取得した男性(72人)のうち、20.8%が「パタハラを受けた経験がある」と答えた。
13年に行った調査ではパタハラの詳しい内容についても尋ねており、子育てのための制度利用について、「認めてもらえなかった」「申請したら上司に『育児は母親の役割』『育休をとればキャリアに傷がつく』などと言われた」「制度利用をしたら、嫌がらせをされた」の順に多かった。
固定的な性別役割分担意識が根強いことが、パタハラを行う上司の発言にも現れている。そして筆者が近年、相次いで事例に遭遇し、その深刻さを痛感しているのが、私が取材したほかの事例でもあったが、育休取得から一定期間を経た後、それまでの経験やスキルを生かせない畑違いの部署に異動させるなど、本人にとって理不尽とも言える処遇を与えるケースが増えていることである。
こうした実態は報道されることはなく、ほとんど知られていない。先にも述べたが、育休を取得したことを契機としている、つまり処遇との間に因果関係があれば、違法行為である不利益取扱いにあたる。だが、育休取得から異動までの間に一定の期間を置くことで、法の網をかいくぐっている可能性もある。パタハラはますます悪質化しているのだ。
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近畿大学 教授
京都生まれ。1994年、米・ニューヨーク大学文理大学院修士課程修了後、新聞社入社。ジャーナリスト。博士(政策・メディア)。日本文藝家協会会員。専門はジェンダー論、労働・福祉政策、メディア論。新聞記者時代から独自に取材、調査研究を始め、2017年から現職。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程単位取得退学。著書に『捨てられる男たち』(SB新書)、『社会的うつ うつ病休職者はなぜ増加しているのか』(晃洋書房)、『「女性活躍」に翻弄される人びと』(光文社新書)、『男が心配』(PHP新書)などがある。
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(近畿大学 教授 奥田 祥子)
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