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「なんでオレの年金がこんなに少ないんだ」年金事務所に怒鳴り込んでくる高齢者の"被害者意識"の心理構造

プレジデントオンライン / 2023年2月3日 13時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Image Source

ネットで政治家や芸能人が炎上するケースが相次いでいる。精神科医の片田珠美さんは「現在の日本では、『自分は割を食っている』と被害者意識を抱き、不満や怒りを募らせる人が増えている。ネットで他人を攻撃する人やカスタマーハラスメントを繰り返す人も同じ心理構造といえる」と話す――。

※本稿は、片田珠美『自己正当化という病』(祥伝社新書)の一部を再編集したものです。

■自分も悪いと認めるのが大人のふるまいだが…

誰だって自分が悪いとは思いたくない。これは誰にでも自己愛がある限り仕方ないことで、こうした傾向は各人の自己愛の強さに比例する。だから、何かうまくいかないことがあると、その原因をまず外部に探し求める人がほとんどだ。

とはいえ、問題を解決して状況を少しでも改善するには、目の前の現実を直視することが第一歩になる。そのうえで、自分にも責任の一端があると気づいたら、自分自身にも悪いところがあると認めるのが大人のふるまいだと私は思う。

ところが、それができず、他人や社会のせいにして文句ばかり言う人が多い。このように何でも責任転嫁する他責的傾向が強く、自己正当化ばかりする人が最近増えているように見える。

一体なぜなのか。本稿では、その背景にある社会的要因を分析したい。

■「自分は被害者」と互いに不満と怒りを募らせる

現在の日本社会には「自分は割を食っている」と被害者意識を抱いている人が多い。みな互いに被害者意識を抱き、不満と怒りを募らせているように見える。

たとえば、非正規社員と正社員の間の軋轢である。非正規社員は「正社員は高い給料をもらっているくせに、ろくに働かず、面倒な仕事は全部私たちに押しつける。それなのに、仕事がなくなったら真っ先に切られるのは私たち」と愚痴をこぼす。

一方、正社員は「非正規社員には、責任感のない人が多い。注意したら、次の日から来なくなる。それに残業もしないので、何かあったら私たちが尻拭ぬぐいをさせられる」と不満を漏らす。

同様の関係は、育休明けで時短勤務をしている女性社員と独身の女性社員の間にもあるように見受けられる。時短勤務の女性社員が「勤務時間は短いのに、フルタイム勤務と同じ成果が求められる。そのくせ、給料は少ない。

育児、家事、仕事で大変な思いをしているのに、早く帰るときに白い目で見られて、腹が立つ」と愚痴をこぼせば、独身の女性社員も「時短勤務の社員が早く帰るので、その分私たちの仕事が増える。こっちが尻拭いしてあげているのに、そのことへの感謝もないので、報われない」と不満を漏らす。

■各所で勃発する「妻vs夫」「高齢者vs若者」

こうした関係は、家庭や社会でも認められる。たとえば、共働きの家庭では、「私も働いているのに、家事も育児もほとんど私がやっている。たまに夫が手伝ってくれても、お皿に汚れが残っていたり、洗濯物がしわくちゃになったりするので、結局私がやり直さないといけない」と愚痴をこぼす妻が多い。

一方、夫も「夜遅くまで働いてクタクタに疲れて帰っているのに、『全然手伝ってくれない』と愚痴を聞かされる。土日くらいはゆっくり休みたいのに、『私も働いているんだから、休みの日くらい手伝って』と頼まれる。手伝っても、『やり方が悪い』と文句を言われるので、腹が立つ」と不満を漏らす。

社会に目を向けても、自分たちの払っている年金保険料が高齢者に奪われているように感じて怒りを覚える若者と、長年真面目に働き年金保険料を納めてきたのに、その割には受け取る年金額が少ないと不満を募らせる高齢者の間に同様の関係があるような印象を受ける。

受け取る年金額の少なさに不満を抱く高齢者が多い現状は、年金事務所に勤務する職員のメンタルヘルスにも影響を与える。私の外来に通院中の40代の年金事務所職員の男性は、毎年1月から3月にかけて調子が悪くなる。

■高齢者も若者も被害者意識を抱いている

これには、それなりの理由がある。定年退職者の多くは、だいたい3月末に退職し、4月から年金を受給するので、その前に年金事務所に相談にやってくる。その際、自分が受け取れる年金額が、予想よりも少ないことに愕然とするらしく、「なんでこんなに少ないんだ」「こんなの詐欺じゃないか」などと暴言を吐く人もいるようだ。そういう人への対応で疲れ果てて、調子を崩すわけである。

この年金事務所職員の心身の不調は、定年退職者の年金に対する不満の強さを反映している。一方、年金保険料を払っている現役世代、とくに若者の間にも不満は鬱積している。20代の若者から、「このまま少子高齢化が進んだら、自分たちの世代は年金なんかもらえないんじゃないですか。給料から毎月結構な額を自動的に引かれているけど、払い損なんじゃないですか」と尋ねられたこともある。彼らもやはり強い被害者意識を抱いている。

年金が減るイメージ
写真=iStock.comYusuke Ide
※写真はイメージです - 写真=iStock.comYusuke Ide

このように自分こそ被害者だと多くの人々が思い込んでいるのが、日本の現状だ。被害者意識が強くなると、加害者とみなす相手に対して怒りを覚え、罰を与えたいと願うようになる。そのため、どうしても攻撃的になりやすいが、それを悪いとは思わない。なぜかといえば、「自分は被害者で、割を食ったのだから、これくらいのことは許されるはず」と正当化するからだ。

■矛先は怒りをぶつけられる「手頃な相手」へ

厄介なことに、加害者とみなす相手に怒りを覚えても、直接ぶつけるのが難しい場合が少なくない。たとえば、本当に腹が立っているのは、理不尽な指示で部下を振り回すくせに、責任はすべて部下に押しつける上司だったり、ろくに家事をしないくせに、文句ばかり言う妻だったりするが、そういう相手には怖くて何も言えない。

あるいは、現在の年金制度に腹が立っても、それを作った政治家は遠い存在だし、監督官庁である厚生労働省もあまりにも巨大な組織なので、直接怒りをぶつけられない。

それでも、怒りが消えてなくなるわけではない。怒りは、澱(おり)のようにたまっていくので、何らかの形で吐き出さずにはいられない。だから、その矛先を方向転換して別の対象に向ける「置き換え」というメカニズムが働く。先ほど紹介した年金事務所職員が定年退職者から暴言を浴びせられるのも、やはり「置き換え」のせいだろう。

■自分が悪いと自覚できない“便乗怒り”

同様のメカニズムが働いた結果起きていると考えられるのが、政治家や芸能人などの発言、あるいはネット上に掲載された記事の炎上である。その内容に非難すべき点があると思うからバッシングするのかもしれないが、一部分だけを切り取ったり、ちょっとした言葉遣いをあげつらったりして、血祭りに上げているように見える場合が少なくない。

なかには、他の人が残した怒りのコメントを少し読んだだけで、輪をかけて激しい怒りのコメントを残す人もいるようだ。さらに、発言や記事の元の文脈を無視しているとしか思えない人もいて、きちんと読んでいないのではないかと疑いたくなることもある。

こういう人は、いわば他人の怒りに便乗して怒るわけで、“便乗怒り”といえる。この“便乗怒り”は、「他の人も怒っているのだから、自分も怒ってもいい」という理屈で正当化されやすい。当然、怒っている本人は、自分が悪いとは思わない。

■炎上が激しくなるほど、抵抗感は小さくなる

とくに、「怒ってはいけない」というしつけや教育を幼い頃から受けてきて、怒ることに恥ずかしさと後ろめたさを感じている人ほど、こうした正当化によって便乗への抵抗が小さくなるのではないか。「他の人も怒っているのだから……」と思えば、そういう気持ちを払拭できるからだ。

いわば「赤信号みんなで渡れば怖くない」という心理が働き、他人の怒りを口実にして心理的な抵抗なしに怒ることができる。当然、怒りのコメントを残している人がほかにも大勢いるほど、そして他のコメントが手厳しいほど、抵抗は小さくなる。

心理的な抵抗が小さくなると、怒りの対象だったはずの発言や記事がそもそもどんな内容だったのかも、どのような文脈で発信されたのかも、それほど重要ではなくなる。なかには、そんなものはどうでもいいとさえ思う人もいるようだ。

こういう人の多くは、「誰でもいいから叩きたい」という欲望に駆り立てられている。とにかく誰かに「けしからん」と怒りをぶつけることによってしか、心中にたまっているわだかまりやしこりを解消できないのかもしれない。

怒りで拳を握りしめる
写真=iStock.com/RobertPetrovic
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RobertPetrovic

■羨望を押し隠して、優越感に浸る人たち

そのうえ、怒ることによって優越感も味わえる。怒りのコメントが多いのは、たいてい不祥事や失言などがあったときなので、そういう“失点”を厳しく責め、そんな“失点”は自分にはないと強調すれば、自分のほうが優位に立てる。

こうした優越感は、相手が大物であるほど味わえる。当然、政治家や芸能人は絶好のターゲットになる。この手の有名人は大衆の羨望をかき立てる存在であり、羨望とは他人の幸福が我慢できない怒りにほかならないので、羨望の対象を叩くことによって得られる優越感は格別だろう。

厄介なことに、羨望とは最も陰湿で、恥ずべき感情である。だから、そういう感情が自分の心の中にあることを認めたくない人が多い。しかも、羨望を抱いている自覚がない人ほど、正義感の衣をかぶせる。たとえば、「不倫するなんて人倫にもとる」「あんな暴言を吐くなんて政治家として失格」といった“正論”を吐く。

このような人が増え、バッシングが激しくなれば、その対象になった有名人が自殺に追い込まれかねない。実際、炎上によって自殺者が出たこともある。それでも、叩いた側は必ずしも自分が悪いとは思わない。

なぜかといえば「みんな叩いているんだから自分もやってもいい」という理屈で正当化されるからだ。おまけに、集団で袋叩きにするので、どこまで自分の責任なのかがあいまいになり、罪悪感が払拭される。

■「カスハラ」にも同じ欲望が潜んでいる

「誰でもいいから叩きたい」という欲望を抱くのは、日頃から鬱憤がたまっていて、そのはけ口を探さずにはいられないからだろう。つまり、怒りたくても怒れず、欲求不満にさいなまれている。だから、誰でもいいから怒りをぶつけて、スカッとしたい。

片田珠美『自己正当化という病』(祥伝社新書)
片田珠美『自己正当化という病』(祥伝社新書)

こうした欲望が端的に表れたのが、先ほど取り上げたネット上の炎上、そしてそれに便乗する“便乗怒り”だが、最近問題になっている「カスタマーハラスメント」、いわゆる「カスハラ」の根底にも同様の欲望が潜んでいるように見える。

「カスハラ」とは、客の理不尽な要求や悪質なクレームなどの迷惑行為であり、最近深刻化している。たとえば、店員に「お前は頭が悪い。だからこんな仕事しかできないんだ!」と暴言を吐いたり、態度が気に入らないという理由で土下座を要求したりする。あるいは、返金や賠償金を要求し、それが受け入れられないと、「ネットに実名入りで悪評を書く」「殺されたいのか」などと脅す。

こうした「カスハラ」が増えている背景には、デフレ経済が30年も続く状況で、顧客獲得のために“過剰”ともいえるサービスが当たり前になったことがあるように見える。また、SNSの普及によって誰でも悪評を容易に発信できるようになり、しかもそれがすぐに拡散することも大きいだろう。

■彼らは実は無力感にさいなまれている

だが、問題の核心は、店員を怒鳴りつけたり脅したりすることによって日頃の鬱憤を晴らそうとする客が少なくないことだと私は思う。なかには、商品やサービス、果ては店員の態度のあら探しをして、いちゃもんをつける客もいると聞く。この手の客は、日頃怒りたくても怒れないので、怒りの「置き換え」によって、その矛先を言い返せない弱い立場の店員に向けると考えられる。

矛先を向けられた店員が客の要求を受け入れ、謝罪すれば、客としては優越感を味わえる。日頃鬱屈しており、無力感にさいなまれている人ほど、「カスハラ」によって得られた優越感を忘れられないのか、繰り返すように見受けられる。

その結果、警察沙汰になることもあるようだ。もっとも、それほどの大事<おおごと>になっても「カスハラ」の加害者が「悪かった」と心から反省するかといえば、はなはだ疑わしい。店側に落ち度があったから、それを自分は指摘し、正しただけと正当化する人が多い印象を受ける。

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片田 珠美(かただ・たまみ)
精神科医
精神科医。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。人間・環境学博士(京都大学)。フランス政府給費留学生として、パリ第8大学精神分析学部で精神分析を学ぶ。著書に『他人を攻撃せずにはいられない人』(PHP新書)など。

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(精神科医 片田 珠美)

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