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夫に先立たれた91歳の作家が、周囲から「生活はいかがですか?」と聞かれたときに答えること

プレジデントオンライン / 2023年1月29日 15時15分

曽野綾子氏 - 撮影=産経新聞社写真報道局 酒巻俊介

2017年、作家・曽野綾子さんは夫の三浦朱門さんを在宅介護で看取った。彼女はその後、どのように日々を過ごしたのか。曽野さんのエッセイをまとめた『人生は、日々の当たり前の積み重ね』(中公新書ラクレ)より2018年のインタビューを紹介する――。

■夫が生きているうちにやったほうがいいこと

夫の死後、「生活はいかがですか?」とよく聞かれるのですが、私自身はあまり変わらず、ごく普通に過ごしています。そうあろうと心がけてもいました。そのほうが、夫も安心するだろうと思うからです。

昼間は、これまでと変わらず、長年勤めている三人の秘書が交代で来てくれています。台所のことを担当しているブラジル人のお手伝いのイウカさんも、二十年近くうちにいてくれて、みんな家族みたいなものです。最近、イウカさんの唯一の身内だった妹さんが亡くなりました。私が死んだあとは妹さんと暮らせるだろうと思って安心していたのに、残念です。いまは私と二人で、お菓子でもなんでも半分こしています。

このような生活は、夫が生きているうちからずっと変わらずに続けてきたこと。私同様に夫に先立たれた妻のなかには、夫が残した財産で華やかに暮らしたいという人もいれば、先行きが不安だから生活を引き締めてお金を貯めたいという人もいるでしょう。けれど、極端な変化を望むのは、それまで無理をしてきた証しではないでしょうか。

夫が生きているうちに、自分の納得できる生活のテンポを作り、なおかつ我を忘れて没頭できる、好きだと思える何かを持っていることも大切です。ボランティア活動でも、墨絵や刺繍などの趣味でも、なんでもいいのです。

私には書くことがあるので便利でした。結婚した時にはすでに書いていましたから、六十四年、書き続けています。それさえあれば、私はできるだけ生活は同じほうがいい、変わらないのがいいと思っています。

■夫の遺品はすべて片づけた

夫が亡くなってから、丸一年かけて家の中を片づけました。夫のものも自分のものも、部屋ががらがらになるほどにあらゆるものを捨てて、いまや我が家は道場みたいですよ。

夫はとくに趣味もなく、何もいらないという人でした。七畳ほどの部屋には、作り付けの書棚があり、そこに最低限の必要なものだけを置いていて、飾りなど何もない。小さな洋服ダンスがひとつありましたが、それも全部片づけてしまった。

三十足の靴と洋服は、山谷(東京・台東区)でアルコール依存症の方の支援をしている団体に引き取っていただきました。ネクタイはくたびれたものは処分し、親しい方に二十本くらい引き取ってもらった。お使いになるなら、どうぞと。夫の蔵書には手をつけていません。私の分と合わせて息子に託すつもりです。息子はいま関西に住んでいて、たまに顔を出してくれる程度ですが。

もともと私は、捨てること、整理することが大好きなんです。戸棚を開けて、中に空気だけ入っているのを人に自慢したくなる。だって、気持ちがいいじゃないですか。「そんなの貧乏ってことじゃない」と笑われますが。

けれど、約一年半の介護が終わった直後から、そんなふうに片づけに勤しんでいたせいか、疲れが出たのかもしれません。最近は、熱が出て一日中寝ていることも増えました。六十四年休みなく書き続けながら、この家で自分の母と、夫の両親、そして夫を見送りました。その間、十年は日本財団の仕事をし、各国への支援にも多少関わりましたから、疲れるのも当たり前ですね。少し休みたいのです。

■常に死と別れを考えてきた

私は常に死別ということを考えてきました。誰に対しても、別れること、壊れること、会えなくなることを考えます。戦争を経験しているということもありますが。どんなに幸せな時も死や破局を考えているから、たいていのことは、夫の死であっても、「思ってもみないことだった」とは言わない。絶望をしないですむのはそのせいかもしれません。

夫がいなくなった、その心理的空間は、技術としては埋めようがないのです。不在による寂しさは仕方がない。仕方がないことをぐずぐず言うのは嫌です。

夫を亡くして落ち込んでいるという人は、徹底的に落ち込むのも自然の経過でしょう。死別に限らず、すべての悲しみは自分で引き受けるしかないのです。

私は五十歳になる直前、視力を失いかけ、その時はとても落ち込みました。けれど、目が悪いという私ひとりの運命を自己流で身につけての技術をさらに磨いて、東京一の鍼灸(しんきゅう)師になろうと考えました。私、独学ですが鍼が打てるんです。

苦境においては、納得するまで一人で迷って、苦しむしかない。万人が万人、例外なくそれぞれに苦しむのです。

■食卓に誘うことの効用

また、私はいつも難民のことを考えます。住む家もお金もすべてを失い、子どもを連れて追い立てられ、それでも耐えてきた人もたくさんいる。私には今晩住む家があり、清潔な場所で眠れるのだから、文句は言えないと思います。

それに、手を差し伸べてくれる友人もいます。雨の降る寒い晩に、「ひとりでいるよりすき焼きを食べにうちへ来ない?」なんて誘われたら嬉しいですものね。でも、この二十年くらい、ご家庭に呼んでいただく機会が少なくなりましたね。

食事は、人と一緒に食べるのが一番いい。人間は、お互いにご飯に招き合うべきだと思います。たいしたものがなくてもいいんですから。

食卓で向かい合って食事の前に手を合わせる二人の人物
写真=iStock.com/byryo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/byryo

夫が亡くなる少し前、うちの台所に変な形のテーブルを作ったのです。お手伝いさんも私も七十歳を過ぎていますから、二人ともだんだん体力もなくなってきて、食堂のテーブルまで食事を運んでもらうのも申し訳ない時がありました。台所の流しから一・五メートルのところにそのテーブルを作ったから、煮物ができたらすぐに並べられる。お醤油を出すのもすぐ。とても気楽でしょう。そのテーブルを囲んで賑やかに食事をするようになりました。

カトリックにおいても、食事は大切なものです。「コミュニオン=共食」という考えがあり、それは食べ物のみならず精神的なつながりやなぐさめにも波及します。

■なぜ日本人の心は貧しくなったのか

曽野綾子『人生は、日々の当たり前の積み重ね』(中公新書ラクレ)
曽野綾子『人生は、日々の当たり前の積み重ね』(中公新書ラクレ)

昔、ペルーの田舎町を訪ねた時のこと。日本で集めたお金で現地に幼稚園を建てるための旅でした。レストランなどないようなところでしたが、戸外の葡萄棚の下のテーブルに案内していただきました。ひとつ空いている席があったので、隣の日本人の神父様に小声で「どなたかいらっしゃるのですか?」と聞きました。すると、「いえ、誰も来ないと思います」という答えなんです。あとで聞いた話ですが、それは「神の席」と呼ばれるものだったのです。通りがかりの貧しい人や旅人を招くために、いつもひとつ空席を作るのだとか。一般の家庭でも毎日そうしている人がいると言います。

日本ではそんなことは皆無でしょう。日本人は友達同士でもしない。日本人が貧しくなった理由だと思います。めざし三本に味噌汁だけでいいのです。夫を亡くして寂しいというような人こそ、互いの食卓に招き合えばいい。

新たな人間のつながりによって、人生を知るんですね。女たちのお喋りは、なぐさめにもなり、「知り合い度」を深めることにもなるのです。お金もかかりませんよ。

■いつも自分が不幸だと思う人に

もちろん、それでその人の寂しさを完全に埋めることはできませんし、問題を100%解決できるわけではありません。けれどこの瞬間、誰かとご飯を食べてお喋りをして、疲れて帰れば余計なことを考えずにすむかもしれないし、人の話を聞くことで、やっぱり世の中にはいろいろな苦労があるのだとわかるかもしれない。

窓を開けておく、と言います。いつも自分が一番不幸だと思うのは、窓を閉ざしているからです。窓を開ければ風が吹いて、「そうでもないよ」と言うのではないでしょうか。

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曽野 綾子(その・あやこ)
作家
1931年、東京都生まれ。作家。本名は三浦知壽子。カトリックのクリスチャン。聖心女子大学英文科を卒業後、1954年に『遠来の客たち』で芥川賞候補となり、作家デビュー。1995年から2005年まで日本財団会長を務め、国際協力・福祉事業に携わるほか、2009年から2013年まで日本郵政社外取締役を務める。

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(作家 曽野 綾子)

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