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なぜ被災地に千羽鶴を送ってしまうのか…イザというとき日本人が情緒に流されてしまう根本原因

プレジデントオンライン / 2023年1月28日 10時15分

千利休像(長谷川等伯画、春屋宗園賛)(写真=PD-Japan/Wikimedia Commons)

「被災地への千羽鶴」は日本では美談として扱われることが多い。脳科学者の茂木健一郎さんは「生活必需品が求められているタイミングに千羽鶴が届いても迷惑なだけ。日本人は情緒に流されてしまう傾向があるが、これは日本の学校教育に問題があるからだろう」という――。

※本稿は、茂木健一郎『「本当の頭のよさ」を磨く脳の使い方』(日本実業出版社)の一部を再編集したものです。

■ここ数十年の日本の教育に対する不満

日本は教育大国だと、長年言われてきました。

資源のない小さな島国が国際社会で存在感を発揮するには、僕たち1人1人が知性を磨かなければならない。日本では、人間こそがすなわち資源なのだ──。そんなことを学校の先生から教えられた人もいるのではないでしょうか?

そう、本来、教育とは知性、本当の頭のよさを磨くもののはずです。しかし、僕には、ここ数十年の日本の教育が日本人の本当の頭のよさを磨いてきたとは、到底思えないのです。

■千利休、幕末の志士に感じる「頭の良さ」

たとえば僕は、千利休(1522〜1591)はとてもクレバーだと思います。利休が発見した「わび」「さび」の概念は、世界中で尊ばれ、好まれる美意識、コンセプトです。

ちなみに「わび」とは足りないものに美を見出すこと、「さび」とは時間の流れとともに変質していったものに美を見出すことです。大事なのは、千利休が発見したといっても、彼が「これがわび・さびです」と確立したわけではないということ。

たとえば水墨画の大家、長谷川等伯や雪村などもわび・さびの極地と言っていいと思いますが、かつて日本に通底していた、そういった美意識を見出し、論理立て、わび・さびと名づけたのが千利休だったのです。

また、明治維新という出来事も、全体を通じて非常な知性を感じさせます。外国から開国を求められている、しかし国内も一枚岩ではない、国内をまとめ外国の勢力に対抗しなければならない。

「ペリーを怒らせるのは嫌だしなあ」「将軍の顔を潰しちゃいけないしなあ」「薩摩は長州より格が上だぞ」なんて、重要な登場人物の誰か1人でも情緒に任せて動いていたら絶対に成功しませんでした。

明治維新を成し遂げた薩摩や長州の人たちは、いや、はからずも対抗勢力となってしまった江戸幕府の人たちも、我が藩の利益だけでなく、立場は異なっていても日本という国について考え、選択をしたはずです。

■本当の頭のよさとは「情緒に流されない力」

千利休にしても、時は乱世なわけです。

秩序が乱れ、戦乱や騒動が絶えない時代にあって人々の心はすさみ、厭世的な気分が国中を覆っていたはずです。そうした情緒に流される方向に添えば、生きるのは悲しい、苦しいみたいな方向に行ったって決して間違いではないわけです。もしくは人はすぐ死ぬ、祇園精舎の鐘の声だみたいな価値観だって当時すでにあったでしょう。

しかし千利休はそこに「もののあはれ」的な美を見出すことはしませんでした。そうではなく、人は滅びる、しかしモノは滅びない、そして古びたモノ=時を経てなおそこにあり続けるモノは美しい、という非常に骨太な、情緒ではなくロジックに裏打ちされたセンスを示してみせるのです。

そんな中世の千利休、近代の維新の志士たちが持っていた本当の頭のよさとは「情緒に流されない力」だったと僕は考えています。

つまり、かつての日本人は「言語化されていない」けれど「情緒的ではなくてロジックに基づいた」感覚を正しくとらえる力を持っていました。

この情緒に流されずに正しく判断する力こそがいまの時代も必要なのであり、本来、教育とはそういった部分を伸ばしていくべきだと僕は考えています。

■テストで判定できる知識は役に立たない

そのためには、たとえば外国の学校現場で取り入れられているようなディベートを重視し、プロジェクトの企画から完成までを行うプロジェクト型の教育が必要でしょうし、アートや一般教養についての深い学びも必要でしょう。

それらは本来、テストで判定できるようなものではないはずです。

しかし、日本の教育はいまだに暗記型、詰め込み型で、テストで成績を判定します。テストで判定できる知識で、社会に出てから役立つものがどれほどあるでしょうか。

たとえば、いかに創意工夫してプロジェクトを立ち上げやり遂げるかは、趣味の世界でも、ビジネスの世界でも求められる普遍的な能力ですが、テストのしようがありません。英語における「用語のセンス」もテストできないでしょうね。

もちろん、単純に英文を訳せるかどうかはテストできます。しかし、「これはペンです」を英語にできるかどうかはテストできても、そんなものは実際に外国人と話すときには役立たないでしょう。

「あ、それはペンですよ」と、相手に教えるシチュエーションより、「心がざわっとして、ちょっと悲しくなって、でもそう言ってもらったことが嬉しかった」という複雑で曖昧な心の機微を伝えるシチュエーションのほうが、人生では絶対に多い。こうした用語のセンスを日本の英語教育で身につけられるとは、到底思えません。

いまの日本の教育を受けた人の多くは暗記型、詰め込み型の勉強は得意でも、ディベートや質問は苦手です。しかし、世界の多くの国では暗記や詰め込みではなく、発想、交渉といった教育に力を入れている。これは実は由々しき事態です。

■日本と他国で全く違ったゼレンスキー大統領の演説

ここまでの話を象徴しているな、と感じたのがウクライナのゼレンスキー大統領の演説です。

ウクライナのゼレンスキー大統領(画面右)のオンライン国会演説を前に、あいさつする細田博之衆院議長(同左)=2022年3月23日、東京・永田町の衆院議員会館
写真=時事通信フォト
ウクライナのゼレンスキー大統領(画面右)のオンライン国会演説を前に、あいさつする細田博之衆院議長(同左)=2022年3月23日、東京・永田町の衆院議員会館 - 写真=時事通信フォト

2022年3月23日、ロシアのウクライナ侵攻についてゼレンスキー大統領が日本の国会で演説をしました。ゼレンスキー大統領はほかの国の国会や国連でも演説をしていて、多くの国は「あなたの国で演説したい」というゼレンスキー大統領の意志を無条件に受け入れ、対応しました。

ところが日本だけ、「前例がないので可能かどうか」という議論がまず出てきました。結局、演説は実現したわけですが、その内容は、他国でのものとは違っていました。

ドイツには政治姿勢を明確にするよう求め、欧州の各国には具体的な支援やケアを要求したゼレンスキー大統領ですが、日本に対しては、「日本はすぐに援助の手を差し伸べてくれました。心から感謝しています」と、まず誉めたたえた上で、夫人がオーディオブックをつくるプロジェクトに参加した際、選んだ題材が日本のおとぎ話だったことを述べました。

そして、「同じように温かい心を持っているので、実際には両国間の距離は感じません。両国の協力、そしてロシアに対するさらなる圧力によって、平和がもたらされるでしょう」と、共感を求めたのです。

もちろん、「ロシアとの輸出入を禁止し、軍に資金が流れないよう、ロシア市場から企業を引き揚げる必要がある」などの現実的な方策について言及もしています。

しかし全体には情緒にあふれ、ロシアのチェルノブイリ原発の占領と広島・長崎を暗に重ね合わせるなどした、日本人の共感を求める内容の演説だったことは、皆さんの記憶にも新しいことと思います。

■「日本人にロジックは刺さらない」

ゼレンスキー大統領が日本でだけこのような演説をした理由について、日本はウクライナと距離が離れていて物的援助は現実的ではないからとか、同じロシアの隣国としてロシアの脅威を日本が感じることが今後の国際社会に対して効果を持つからとか、日本の知識人はそれらしく解説していました。

それらの側面もあると思いますが、僕は正直に言ってしまうと、「日本人にロジックは刺さらない」という、諸外国の認識もあるような気がしてなりません。

つまり、情緒的なこと、感情に訴えるようなことは効果があるけれど、ロジカルに必要な支援を要求しても日本人は理解しないし、感動しない、むしろ反発するかもしれない。

国際社会でそう認識されているからこその、あの演説だったような気もするのです。

■被災地へ千羽鶴を送る人が見えてないもの

ゼレンスキー大統領の演説は1つの例にすぎませんが、これからも日本が国際社会できちんと存在感を発揮するためには、ロジカルに物事を判断できる力を身につけるべきでしょう。

そうでなければ、日本人はただ単なる善意や正義心などといった感情だけで動く人たちになってしまいます。無垢の善意は、時に迷惑であるだけでなく害をもたらします。

たくさんの折り鶴
写真=iStock.com/LewisTsePuiLung
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/LewisTsePuiLung
茂木健一郎『「本当の頭のよさ」を磨く脳の使い方』(日本実業出版社)
茂木健一郎『「本当の頭のよさ」を磨く脳の使い方』(日本実業出版社)

たとえば、よく言われるのが「被災地への千羽鶴」です。必要なのは生活必需品やお金というタイミングで千羽鶴が届いても、被災した側は、ある意味でその善意を持て余してしまうのは論理的に考えればわかりそうなものです。

千羽鶴を送るのが悪いわけではなく、タイミングが悪いのですが、情緒に流されるとそういったことは見えなくなってしまうのですね。

そんな現象が、このところ目立ちます。「情緒に流されない力」を鍛えることは、正解のない社会で生きていく強い力になるのです。情緒に流されない力、つまりロジックの力、論理的思考力です。

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茂木 健一郎(もぎ・けんいちろう)
脳科学者
1962年生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学院理学系研究科修了。クオリア(感覚の持つ質感)を研究テーマとする。『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。近著に『脳のコンディションの整え方』(ぱる出版)など。

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(脳科学者 茂木 健一郎)

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