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「やっぱり酒井忠次ってさ」NHK大河『どうする家康』を巡るそんな会話をする人が実はイヤなやつである理由

プレジデントオンライン / 2023年1月27日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kaorinne

「人として○○であるべき」。世の中にはそんな縛りが多いが、それによって窮屈な思いをすることもある。コラムニストの石原壮一郎さんは「大人たるもの、歴史上の人物に詳しいほうがいい。そんな空気がありますが、無理に詳しいフリをしたり、なんとなくカッコいいからと付け焼刃の知識を仕入れたりすると、逆にイラっとされたり、憐れみのまなざしを向けられたりするのが関の山です」という――。

※本稿は、石原壮一郎『無理をしない快感』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■断捨離はしなくてオッケー

こうして「断捨離」という文字を見ると、ほとんどの人は「ギクッ」としてしまうでしょう。たしかに家の中を見渡すと、二度と使わないであろうモノや二度と読まないであろう本や二度と着ないであろう服があふれています。

日本の住宅事情、特に都会の住宅事情においては、余分なスペースがふんだんにある家はほとんどありません。多くの家では、いらないもので無駄なスペースを使うことは、最大級の重罪とされています。

「断捨離」はもともとはヨガの思想で、「断行(だんぎょう)」(いらないものを断る)、「捨行(しゃぎょう)」(いらないものを捨てる)、「離行(りぎょう)」(執着から離れる)の3つが合わさったもの。作家のやましたひでこさんが2009(平成21)年に出版した本『新・片づけ術 断捨離』によって広く知られるようになりました。

最初のころは「モノを減らす」が重視されていましたが、昨今は人間関係のしがらみや社会的役割を減らすことも含めた文脈で語られがち。大まかに言えば、この本も「断捨離のススメ」です。

同じところを目指しているはずなのに、「断捨離はしなくてオッケー」と言い出すとは、どういうことなのか。無理をせずにいろいろ捨てることは大事ですが、「断捨離をしなくては!」と張り切ってしまうのは、ちょっと危険ということです。

勤勉で生真面目なタイプの人は、捨てることが目的になって、必要なモノやつながりまで捨ててしまいがち。やりすぎると人生が寂しくなってしまいます。また、捨てても捨てても「もっと捨てなければ」という焦燥感に駆られてしまうことも。

結局、いろいろ捨てたのはいいけど、また別の重荷を背負うという本末転倒な構図になってしまいます。本来は楽しくてスッキリできる行為のはずなのに。

怠惰でいいかげんなタイプの人(ほとんどの人)は、目に見えて成果がわかるほどの「断捨離」を実行することはできません。それはそれで、常に「もっと捨てなければ」というプレッシャーを抱えることになったり、捨てられない自分に自己嫌悪を覚えたりする羽目になります。まずは「断捨離しなければ」というプレッシャーを断ち切り、捨て去って離れましょう。いやまあ「断捨離」自体にはなんの罪もないんですけどね。

■親孝行はできる範囲でやればオッケー

「親を大切にしたい」という気持ちは、多くの人が持っています。ただ、どういうやり方でどのぐらい大切にすればいいのか、それは誰にもわかりません。親自身がどんな親孝行を望むかも、状況によって変わってくるでしょう。

焼肉食べ放題だったら「もうこれでじゅうぶん」という限界やゴールを決められます。そのへんが曖昧なのが「親孝行」の難しいところ。「まだ足りない」「もっとやれるはず」と思い始めたら、一種の無間(むげん)地獄に陥ってしまいます。

漠然と「もっと親孝行しなきゃ」というプレッシャーを強く感じている人は、力を込めて「無理をする必要はない」と自分に言い聞かせましょう。そもそも、子どもに無理がかかる親孝行をされたって、親もきっと嬉しくはありません。

母親にカーネーションを渡す手元
写真=iStock.com/kyonntra
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kyonntra

自分にとっての「できる範囲」は、さまざまな要素が絡み合って決まります。いっしょに住んでいるか離れて住んでいるか、お互いの年齢や健康状態や経済状況、親の性格と自分の性格、配偶者の考え方や配偶者と親との関係、子ども(親にとっての孫)がいるかどうかやその子が何歳ぐらいか……。

親が昨今話題になっている「毒親」で、親孝行したいとはまったく思わないし、いっさい連絡を取りたくないケースもあるでしょう。そういう場合は、関係を遮断したまま何かの拍子に思い出すぐらいの状態が、自分にとっての「できる範囲」です。

「親を憎むなんて親不孝だ」といった世間一般の無責任な常識に惑わされて、「できる範囲」を無理に広げる必要はありません。苦しい思いをして親に対する憎しみが増したり、結局は衝突したりするのがオチです。

親が元気で円満な関係を保てているなら、自分の顔や孫の顔をたくさん見せたり、たまには食事や旅行に連れだしたりなど、いっしょに過ごす楽しい時間を増やすのがいちばん。親は親で、こっちが知らない世界や付き合いがあります。

親に介護が必要になった場面でも、むしろそのときこそ「できる範囲」を強く意識したいところ。固定観念に引っ張られた罪悪感や幻想でしかない「世間様の非難」を気にして、「自分が面倒見なければ」と思い込んで無理のある決断をしてしまうと、親子ともどもつらい思いをすることになります。人生がそうであるように、親孝行も「自分にできること」しかできません。

■歴史上の人物に詳しくなくてオッケー

2023年放送のNHKの大河ドラマは、徳川家康が主人公です。さすがに家康や信長や秀吉ぐらいは知っているとしても、もう一歩踏み込んで、酒井忠次(ただつぐ)や本多忠勝(ただかつ)あたりになってくると、何をやったどういう人かはさっぱりわかりません。

詳しい人みたいなフリをしていますが、NHKの大河ドラマの紹介ページを見て脇役の名前を書き写しました。要するにカンニングです。申し訳ありません。

会話の中ですらすらと「やっぱり酒井忠次ってさ」などと言えたら、尊敬のまなざしを集められそうな気がします。どんな時代の歴史上の人物にしても、じつは名前を聞いたことがなくても、反射的に「ああ、いたよね」なんて言ってしまいがち。

三方ヶ原の戦いで大太鼓を叩く酒井忠次の錦絵『酒井忠次時鼓打之図』より
月岡芳年・画「三方ヶ原の戦いで大太鼓を叩く酒井忠次の錦絵」『酒井忠次時鼓打之図』より(写真=立花左近/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

たしかに、歴史や歴史上の人物に詳しいと、当時を舞台にしたドラマをより深く堪能(たんのう)できるでしょう。どこかに旅行に行ったときも「ここは○○のゆかりの地だなあ」なんて思って、歴史のロマンに思いを馳(は)せる楽しさを味わえます。ただ、それはもともと興味があって、結果として本当に詳しい人になった場合の話。無理に詳しいフリをしたり、なんとなくカッコいいからと付け焼刃の知識を仕入れたりする必要は、まったくありません。漠然としたイメージではなく、立ち止まって実際のシチュエーションを思い出してみましょう。

徳川家康の話をしているときに、その程度の名前は誰でも知っててあたり前という口調で「やっぱり酒井忠次ってさ」と言い出す人は、けっこうイヤなヤツです。遠慮がちに「そのころに酒井忠次っていう人がいたんだけど」と説明してくれたとしても、「それがどうした」としか思いません。歴史上の人物に詳しいことで、プラスの評価を得られると思ったら大間違い。尊敬のまなざしを集めるどころか、ちょっとイラっとされたり、「おいおい、無理しなくていいよ」と憐れみのまなざしを向けられたりするのが関の山です。

詳しくなくても、人生において特になんの支障もありません。詳しい人だって、その時代に住んでいたわけではなく、しょせんは断片的な聞きかじりの知識です。大きなくくりでは、同じぐらい「よくわかってない」と言っていいでしょう。

……いや、ちょっと負け惜しみくさい気配もありますね。苦手なことに対しては負け惜しみで自分を守るのも、胸を張って生きていくための生活の知恵です。

■幸せにならなくてもオッケー

「幸せとは?」と考えるときに外せないのは、ベルギーのメーテルリンクが100年ぐらい前に発表した童話劇『青い鳥』です。ご存じのとおり、チルチルとミチルの兄妹が謎のおばあさんに頼まれて、幸せの青い鳥を探す旅に出るお話です。

自分にとっての幸せの青い鳥はどこにいて、どうすれば捕まえられるのでしょうか。捕まえるためには、やっぱり無理をしなければならないのでしょうか。幸せがどういうものかは誰にもわかりません。それでいて「誰もが幸せになりたいと願っている」「人生でいちばん大事なのは幸せになることである」という前提は、なんとなく共有されています。

念願かなって幸せになったとすると、どんないいことがあるのか。えーっと、少なくとも幸せは手に入ります。具体的にどういうことかは、よくわかりませんけど。逆に、いちおう幸せそうな状態になった場合に、どんな困ったことが起きるか。そっちはいくつか思い浮かびます。

■ もっと幸せになりたいという欲望がどんどん湧いてきて、今の状況に強い物足りなさを覚える

■ 幸せを失って不幸せになることへの恐怖心がどんどん湧いてきて、幸せを味わうどころではなくなる

■ 幸せそうな人を見ると対抗意識がどんどん湧いてきて、自分のほうが勝っているという理由を探すことに忙しくなる

石原壮一郎『無理をしない快感』(KADOKAWA)
石原壮一郎『無理をしない快感』(KADOKAWA)

主に、こんなところでしょうか。いわゆる「お金持ち」には、こういう感じになっている人がいそうですね。大きなお世話ですが、お気の毒なことです。

「幸せになること」を目標にがんばると、目指し始めた時点から物足りなさや恐怖心や対抗意識に振り回されるかも。なんせゴールはないので、永遠にその状態が続くことになります。それはけっこう不幸せな状態と言えるでしょう。

チルチルとミチルが旅に出て探し求めた「幸せの青い鳥」は、結局、自分の家にいました。無理をして幸せを探そうとしなくても、幸せは自分の手の届く範囲や自分の中にあるということでしょうか。あっちこっち探し回ろうとしないことや、わざわざなろうとしないことが、幸せを感じる必須条件なのかもしれません。

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石原 壮一郎(いしはら・そういちろう)
大人系&検定系コラムニスト
1963年三重県生まれ。1993年に『大人養成講座』でデビューして以来、大人の素晴らしさと奥深さを世に訴え続けている。『大人力検定』『父親力検定』『大人の言葉の選び方』など著書多数。最新刊は、会社の理不尽と戦うための知恵と勇気を授ける『9割の会社はバカ』(飛鳥新社、共著)。郷土の名物を応援する「伊勢うどん大使」「松阪市ブランド大使」を務める。

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(大人系&検定系コラムニスト 石原 壮一郎)

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